負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

架空戦記とかSFってオワコンなんかね・・・

おっさんコンテンツという言葉を使いたくはないが、架空戦記はもう完全に中高年男性向けのジャンルになっている気がする。

今の創作界隈において、女性層に支持されないというのは致命的で男性にしか需要が無いジャンルってことごとく活気が減衰しているよなぁと寂しい思いに駆られる。

 

もう架空戦記とかSFと言われた時点で、おっさん感マックスというか若い世代は興味ないし、女性は絶対に興味を持たないだろう。

そこで問題になるのが自分がやりたい創作ジャンルを良く考えると、ことごとく架空戦記物ばかりで「今時こんなことやっても先行きないよなぁ」なんて邪な考えも浮かんでくる。

 

コンテンツとして架空戦記やSFを復活させようとなると何をすればいいのかというのをここからは考えていきたい。

まずyoutubeで「架空戦記」と調べて出てきたのは、ほとんどがゲーム関連でWarthunderというロシア産の戦争ゲームを題材にしている。同じ動画サイトならば昔はニコニコ動画でサクラ大戦系のMADがあったり、RedArmyという古典ゲームの動画が多かった印象がある。

またツイッターで調べるとガールズ&パンツァーに関連したものが多く、次いで模型が多いことが分かる。

ピクシブだと同じくゲームを題材にしたものが多く、ゲームか模型か萌えキャラの時代だ。自分で完全に架空戦記を作ろうとするとやはり難易度が高い。

 

それこそ1960年代から70年代にあったような硬派なSFは無くなって、機動戦士ガンダムシリーズが登場したことが日本でSFが衰退した理由として上げられている。

そしてそのガンダムもいよいよ若者受けしないコンテンツになり、ビルドダイバーズのような作品が実際の戦争ではなくゲームを題材にしたところで、戦いを好まない今の世代には受け入れられない。

結局のところ日常アニメの時代になり、ゆるい定型文のセリフをSNSで呟けば一体感を得られて楽しいとか、その時代すら過ぎ去り今はバーチャルユーチューバーという時代になっている。

ようするに疲れ切った現代日本人はアニメの中でまでもう戦いたくはないし、頭を使うアニメよりも頭をからっぽにして見れる作品を好んでいる。

他にもっとカジュアルな楽しみがあるためわざわざ架空戦記やSFの壮大な世界に思いを馳せる動機は無いのだ。

 

自分はゆとり世代なのでむしろ最近の日常アニメが好きな世代に本来は近いが、どこかその風潮に対する違和感を抱く。

昔ながらの古典的硬派なサイエンスフィクションではなくとも、ガンダムやエヴァンゲリオン、コードギアスのような作品も十分に戦争を描いており、とにかくこういった戦いを描いた作品が受けない現代に疎外感がある。

 

そもそも遊戯王やポケモンによってモンスターやカードの時代になり、ロボットアニメといえば今ではかろうじてシンカリオンが子供受けしているものの、乗り物が題材であって兵器ではない。

シンカリオンはトランスフォーマーに近く、ゾイドワイルドはビーストウォーズに近いだろうか。乗り物にしろ動物にしろ、こういったメカ的なものはまだ存続しているが下火産業に近いと言わざるを得ない。

 

落合陽一が今の若者が近代の論争に興味を持たなくなり、スマートフォンの新機種が何になるかに関心が高いのは「適応」だと肯定していたが、近代の政治や歴史についての一定の素養がこれからは前提として通じなくなっていくだろう。

マルクス主義は宗教だったのかだとか、ソ連は壮大な実験国家として何をもたらしたのかとか、ナチス・ドイツを登場させた時代背景についてだとか、そんなことを議論できる人は少なくなってきている。

 

西洋文学を読解するにはある程度、聖書の素養が必要なのと同じように、架空戦記もまた近代の世界観についての教養や素養といったものを必要とする。

前提として求められる知識が多いジャンルというのはこれから敬遠されるだろうし、コンテンツを生産できる人も少なくなってくる。

基本的にミリタリーファンはやや面倒な人が多いので、細かい突っ込みどころを指摘される傾向がある。

コードギアスやデスノートですら矛盾が多いと言われてきたが、もはやそういったゆとり御用達の作品ですら近年では面倒な物として避けられるようになって来ている。

 

女性層が参加するという意味では、ガンダムは何も考察要素のある設定や、人間同士の戦いを描いた硬派なストーリーがうけた要因ではなく、キャラクターや声優による人気によって今日まで支えられてきた。仮に戦記物が人気を現代に維持するには、こういった本題とは別の楽しみ方をどれだけ拡充できるかが重要になるだろう。

 

理想として描きたいものは、近未来を題材にした作風の物である一方で、今日日そういうものが受ける時代ではないなというのも現実だ。

昔に比べて最近の本は文字数が少ないというのと同じで、難しいものはその時点で避けられるし、それを理解できるようになることが自分の成長にもなるという考え方も少なくなってきている。

 

模型作れる人少なくなって来てるとか、FPS好きな人はそこまで実銃に関心が無いとか、萌えとミリタリーを組み合わせたゲームで実はキャラにしか大半のユーザーは関心が無いとか、そういう時代の風潮を考えると、そりゃ架空戦記はおっさんコンテンツになっていくよなぁとは思う。

 

昔のSFや、史実を題材にした作品でなければ真の架空戦記ではないという硬派なファンはもうそこまで多くは無い。広義の意味で架空の世界で戦争を描いている物は架空戦記という基準にすれば、まだこれから表現の余白自体は残っている。

もっと最近の若者のセンスに合うようなエモいスタイルや、厨二的でスタイリッシュな雰囲気をどう作れるかがカギになる。

そろそろ日常感や親近感ばかり重視される風潮に対して逆張り出来る人が現れなければならないし、自分もそうなりたいという思いはある。

ただこういった情熱が簡単に表現できて伝われば、そこまで架空戦記は苦戦していないだろう。

 

落合陽一の現代への適応論ではないが、戦いが求められない時代に対して、どうジャンルとして復権させるかというのは非常に難しいものがある。

現代人が平和的な志向になり大人しくなり、日常の癒しに幸福を求める時代は、良い事と言えばものすごく良い事で、近代を超克してようやく人類は戦いの無い時代を見つけようとしている。

近代論について語るより、アイフォンの新型がどうなるかやSNSで他人の生活が気になって、ユーチューバーが配信で何を食べたかに関心を寄せている時代は間違いなく平和だ。

原発問題で安全が脅かされると思いきや、何事もなかったように日常が再開され、異様な熱量を持っていたシールズが敗れ去って消えていく時代は安定していると言えば安定している。

 

スティーブ・ジョブズのような従来のクリエイターは新世紀がどうなるかを考え、アートとテクノロジーによってそれを革新させることを考えていた。

何かしらの使命感や哲学、新時代へのビジョンというマクロな視点があった時代から、日常をどうするかというミクロな視点が重視されているのが現代だとするならば、今更近代の遺物とも言える架空戦記に戻る必要はあるのだろうか。

 

国家が壮大な予算をかけて軍事開発や宇宙開発をする体力を持ちえない時代に、果たして近未来の戦記を描くジャンルは成立するのか。

例えばガンダムは増えすぎた人口をコロニーに移民させるという前提は、人口爆発が危惧されていた時代の話であり、冷戦真っただ中の空気感があったから成立した。

手塚治虫の火の鳥は25世紀から人類文明の衰退が始まり、回帰路線になっていくと描かれているが、その衰退は当時の予想より早くやって来るだろう。

 

そもそも戦争が巨大兵器同士を戦わせて決着をつける物だという概念自体が、20世紀的な考え方をしているし、AIの時代だと言われている時代に人間が介在する余地はあるのだろうかとも考えられる。

 

かつて架空戦記やSFが華やかに描かれていた時代にはなかった、テクノロジーやアイデアが存在し、時代の流れも予想とは大きく異なっている。

もしこれから架空戦記を描くとするのであれば、昔ながらの構造やテーマにしていれば単に古臭い骨董品という批判を受けるだろう。

そういった新時代の発想まで想像しなければ現代に新鮮味を持って受け入れられないだろうし、当時の作品だってその時代の感覚では非常に斬新なことを描いていた。

今にない物をどう想像するか、その人類が持っているはずの限りない英知を駆使すればまた面白い作品が登場するかもしれない。