現代底辺社会の三種の神器:Vチューバー ストロングゼロ ソシャゲ
日本が衰退して縮小して、日本人の質や生命力が劣化して低欲望化に向かってオワコン化して来てると言う時代に、じゃあ日本人が何をして普段を過ごしているかと考えるのが「底辺学」である。
オワコン化してるしそれを諦めて受け入れているし、みんなそうだからそこまで体感の幸福度は下がらず鈍い停滞が広がっていく時代になっている。
既存メディアは中高年層に心地よい物が増え、富は高齢者に集中し経済は停滞し、若者は普及したスマホによって出来る範囲内の幸せを見つけるしかない。
その結果、せいぜい楽しい事と言えば少ない労力でできることになって来ている。夢や憧れに向かって素晴らしい物を手に入れるという時代から、最低限の幸福さえあればいいやという時代になって来ているので、そりゃ日本って衰退するよなぁとなる。
そんな縮小社会ニッポンを象徴する三種の神器と言えば「バーチャルユーチューバー」「ストロングゼロ」「ソーシャルゲーム」であるように思う。
ストロングゼロを飲みながらバーチャルユーチューバーを見て、そのコメ欄が社会の吹き溜まりになっていればなんとなく安心感がある。そしてせいぜいお金を使う事と言えばソシャゲの課金ぐらいで、家族やマイホーム、憧れのかっこいい車という時代ではなくなってきている。
そもそも「若者の○○離れ」とか「最近の若者は欲望と野心が無い」と言われたところで、社会は衰退に向かって行って、若者にお金が回るどころかむしろ何かに理由をつけて既得権益層に吸い取られていき、助けてくれもしないのだからそりゃ若者は最低限のものを見つけるしかないのが現実だ。
恋愛に関してはますます男の方から行動しにくい時代になって来ているし、孤独な底辺男性に確実に優しくしてくれるのはバーチャルユーチューバーとソシャゲの嫁キャラクターしかいない。
最近の若い男性層はお金を使わなくなっていると言われるが、彼らがかろうじて使っている対象と言えばソシャゲだ。
車や服に憧れて、女性にモテようと必死になっていた時代に見切りをつけまぁソシャゲがあれば幸せだし、Vチューバーという代替品もあるよねという時代になり、楽して最低限の満足は得られるようになった。
ただでさえ孤独と絶望と貧困が蔓延するオワコン社会に舞い降りた天使がVチューバーなのだろう。
ネットも現実の肩書を持ち込む人が増えて、凄い人しか語ってはいけない雰囲気になり、自虐し合って楽しむ時代から、自慢大会と自分語りの場所になった。ネットがアングラだったころの夢の時代は終わり、社会から排斥された底辺はネットですら居場所を失いつつある。かろうじて裏山に野生動物の住かがあった時代から、ネットまで都市開発の波に迫られている。
日本人男性が劣化し、甲斐性が無くなっていることは否定のしようが無い現実であり、自分もその一人だ。社会から見捨てられ、夢も希望もない底辺が世の中に溢れている。
そんな椅子取りゲームに負けた底辺が持つ数少ない富のパイを、いかに奪い合うかという後ろ向きな競争が繰り広げられている。その象徴がソシャゲであり、ストロングゼロのような廉価な底辺用の嗜好品だ。
晩婚化が問題にされているのも、女性が何とか妥協して下げた基準にすら到達しない男性層が増えているからであり、現実の女性を支える余裕なんてないどころかむしろ支えてもらいたがっている甘ったれた甲斐性の無い男性が増えている。
そんな無能な役立たずに微笑みかけてくれる優しい女性など、バーチャルの世界にしかおらず、キズナアイはどれだけの孤独な男性の心を癒しているのだろうか。
映画仁義なき戦いに「わしらうまいもん喰ってよ、 マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」という名台詞がある。
今の劣化した日本人男性からすると、昔の男ってギラギラしていたんだなと遠い世界のように感じ、自分たちのしょぼさに気付かされる。
かと言って今の社会で懸命に意識高く生きていくのはやってられないし、報われない努力は割に合わない。そうしてドロップアウトした自分を受け入れていく。
ひろゆきが「今の日本の若者はオワコン」と言っていたように、これから日本を支えていかなければならない年代が諦めきって冷めている。
ああ俺達ってこんな感じで終わっていくんだろうなと思いながら惰性の日々が続いていく。