負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

第二次世界大戦の日本は巨大な戦略でアメリカに負けていた

第二次世界大戦における日本とアメリカの戦いはマクロな視点で分析する必要がある。

日米の対極的な特徴としてミクロな視点で考える傾向が強い日本と、マクロな視点で分析する傾向にあるアメリカの違いが上げられる。

また同じ枢軸国のドイツも近視眼的な物事の見方をし、目の前の問題に対しては類稀なる解決策を提示するが、大きな視点での判断力は欠けていた。

その一方でアメリカと同じ連合国のイギリスはマクロな視点を最も得意とする民族であり、いわゆるアングロサクソンはこういった長期的かつ広大な戦略を得意としていた。

枢軸国側が連合国側に敗戦したのはこの違いに拠るところが大きい。

 

そして日本とドイツは戦前と変わっていない部分が非常に多い。

戦前は自国が絶対的に正しいという価値観を押し通しそれ以外の見方を排除したが、現在は自国が絶対的に間違っているという教育を行っており特にドイツは法律にまで定めている。

極端から極端に変化しただけであり、柔軟性を欠いているという意味では何も変わっていない。

違う意見や物事の見方を許さないという意味では全体主義が続いている。

 

また日本に関しても「お国のため」という言葉が「社会のため」に変わっただけであり、日本人として国家に奉仕することを美化する価値観が社会人として社会に奉仕する価値観に変わっただけでしかない。

日本人は「社会人として」という言葉が非常に好きであり、仕事が人間の価値を決めると信じている。

全体主義的な傾向は今も根強く、その一員になれない者は白い目で見られる。

例えば海外で若者の失業率は半数を上回る国もあるが、日本では定職についていない者が非常に差別的な目で見られる。

かつて戦争に協力しなかった人が批判されたのと同じように、現代日本では大人になっても社会人として社会に貢献できていないのならば非国民なのだ。

 

また日本とドイツの特徴として現場の人間は非常に優秀であるが、上層部が腐敗していることが多いという部分は共通している。

例えば戦前、戦中の批評において自分は現場の軍人を批判しようとは思わない。彼らは自分の出来ることを懸命にやり通した。

その一方で大本営は好き勝手やり現場の指揮官は苦労させられることになる。

第二次世界大戦において日本軍最大の戦犯は大本営の無謀な計画にある。

第二次世界大戦

「日本は追いつめられて武力を行使するしかなかった」と言われるがそういう状況に追い込まれている時点でマクロの戦略では負けていたのだ。危険なギャンブル的な賭けをするしかない状況に追い詰められている時点でそれは負けに等しい。

 

危険な賭けをしなくて済む状況、その前段階で戦う前に勝ちが決まっているような状況を作り上げることこそ優秀な国家運営だ。

米英、アングロサクソンに対して日本人はそこで負けていた。

アングロサクソンは戦争を始める状況作りが抜群に得意であり「なんとなくこの戦争には正当性がある」という空気作りに長けている。

更に空気作りだけでなくその時点ですでに戦争に勝てる状況作りをしっかりしている。

こういった数十年単位のマクロな国家運営においてアメリカ、イギリスを中心とした連合国は枢軸国の何枚も上手だった。

そこがアングロサクソンの近代国家と、日本人が後追いで作り上げた近代国家との差だったと言える。

そして現在の日本の教育においても本質を見極める事や大きな視点で物事を見ることは軽視されている。

 

また日本軍最大の問題点が「勝因の分析」を行わなかったことにある。太平洋戦争の序盤、連戦連勝だった日本軍はこれまでの勝ち方がこれからも通用すると考えてほとんど勝因を研究することがなかった。

「勝ちに不可思議あり」と言われるが、勝因の分析は戦いにおいて最も重要な事であり、偶然が勝利をもたらしていることも多い。

一方米軍はどんな戦いも徹底的に分析していたためミッドウェーの戦いという重要局面に勝利し戦局を逆転することに成功した。

 

また日本海軍は零戦の後継機の開発に遅れ、大戦末期まで投入されることになる。

日本軍の兵器は長期的に戦争を戦うという視点がなかったが、これはドイツ軍に関しても同様のことが言えるだろう。これに関してはそもそも長期的な戦争が不可能だったため短期決戦をするしかなかったという事情はあるが、そうしなければならない状況になったこと自体が問題だろう。

 

戦争というのは現場だけが全てではなく、本当のメインは「検証」を司る司令部であり、背後の大きな戦略が戦争でもある。

更に戦争というのは政治の一部であり、外交といった要因も絡んでくる。

第二次世界大戦における敗戦の理由は同盟国選びに失敗したことも挙げられる。

「持たざる者同士で集まっても烏合の衆にしかならない」ということが日独伊三国同盟の教訓ではないだろうか。

 

例えばドイツがソビエト連邦を独ソ不可侵条約を発展させ枢軸国に引き入れることに成功していれば三国同盟ではなく四国同盟として善戦できたのではないかというのは架空戦記で語られることだ。

また戦前のアメリカはナチス・ドイツに投資を行う企業などが多く、友好な関係を築ける可能性はあったが日本の参戦が反ドイツ感情を高まらせ結局連合国は団結していくことになる。

一方で日本側としてもドイツがソ連に侵攻することは予想しておらず、完全に計画が狂わされることになる。

日本はアメリカを参戦させドイツはソ連を参戦させ、完全に連携は破綻していた。

 

本来ならば同盟を結ぶ以前に互いの国について分析する必要があり、ドイツ側は日本と同盟を組むことが米国が参戦するというリスクを考慮しておく必要があった。また日本もドイツやナチスについて分析し彼らの目標がソビエトにあったことは熟知しておく必要があったはずだ。

独ソ不可侵条約も表面上の約束に過ぎず、それを信頼しきってしまったことが日本の敗因だったのかもしれない。イギリスならば「いずれこの条約は破棄されるだろう」と歴戦の経験から予想していたのではないか。

 

日独伊三国同盟は国際社会の余り者同士が仕方なく集まっただけにすぎず、実態は空虚な物だった。もちろん歴史的な背景を見たとき、そうせざるをえなかったことも事実ではある。事の発端は世界恐慌にまで遡らなければならない。

戦後の日本人に求められていることは戦前の日本人ができなかったマクロな視点での分析だろう。

戦前と変わってないという意味では、第二次世界大戦末期の象徴的な悲劇だけを感情的に取り上げる光景がその象徴だ。

そろそろ情緒的に太平洋戦争を語ることから卒業しなければならないのではないだろうか。

ノンフィクション太平洋戦争 真実の敗因と敗戦の功罪 [ 坂本廣身 ]