負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

バーチャルユーチューバーは今最も始めるのが楽な趣味の一つ

世の中意外と多いのが「趣味が無くてどうしようか迷っている」という類の人々だ。

楽しいことが無いとも言いかえることができるが、実は世の中に楽しいことが全くないということはありえない。

ただし本当の楽しみや幸せを得るには能力、お金、時間が要求されるため手が届かず、多くの人がつまらない人生を生きざるを得なくなっているのが現代だ。

 

そんな行き場の無い人々が今急速に集まっているジャンルがバーチャルユーチューバーと言われる存在であり、約1000人も存在するという空前のバブルになっている。

バーチャルユーチューバーが趣味として何が優れているのかと言えば、「視聴者は何も要求されず何もしなくていい」というところにある。

基本的にただ短い動画を見ているだけで良いので、時間も金も気力もない現代人にとってはまさにベストなのだ。

 

アニメを全話視聴し考察するようなタイプのオタクはもはや絶滅危惧種であり、バーチャルユーチューバーのコメント欄で馴れ合い、架空の一体感のような物を得ることが現代人の過ごし方になっている。

何もしなくて良い代わりに、そこには何の成長も無いが、成長の伸びしろや余白がこれ以上無い日本社会にとって成長という言葉自体が無駄なのだ。

 

例えばゲームはよく趣味としてあげられるが、実際には才能と努力を複合した能力が必要とされる。設備投資や課金のための財力がここに加わるケースも存在する。

苦労して始めたところで最近のゲームはどこもガチ化した既存ユーザーが上位を占拠しており、もはや今更新規参入者に居場所は無い。

そしてどこも先行きが無く、いつかは廃れる過疎化の運命にある。

 

ソーシャルゲームのような存在にしてもやはり時間や課金が要求され、ここで勝ったり上位に入ったりするためにも結局何かが要求されるのだ。

ゲームは練習量を確保するための時間や、課金するための財力、そして才能が要求されこれは将棋のようなボードゲームだとさらに顕著になる。

 

スポーツの様な競技だとなおさら高い能力や本気度が要求され、する場所という環境やする仲間という人脈も必要になってくる。

結婚や家族に幸せを見出すにしても、世の中から有り余った人間にとっては恋愛市場に居場所が無く、努力をしたところで理想の相手には出会うことができない。

ようやく結婚するだけの経済力が身に着いたときには自分も年を取っており、婚活にやって来る相手も当然同じような余り物の人しかいない。婚活パーティにいって何も成果が無かったという悲痛な嘆きはネット上にいくらでも存在する。

苦労して結婚したところで晩婚化の現代では高額の不妊治療が必要になり、子孫に恵まれないケースもある。

 

時間、お金、能力、これらの事は現代人にとって揃えることが非常に難しく、どこにも夢が無いのだ。

つまり今の世の中、能力が無い人間にとっては楽しいことはほとんど存在しない。この競争社会は恵まれた能力がある人間にしか居場所が無いようにできている。

 

だからこそそういった居場所のない「難民」が今バーチャルユーチューバーに集結し、バブルを引き起こしているのだろう。それだけ底辺の弱者が多く、実は何の能力もない凡人の方が多数派なのである。持たざる者や凡人にとって居場所や楽しみが無い現代社会になり、まさに難民と化している。

 

『けものフレンズ』というアニメが流行ったときは、「すっごーい!~なフレンズなんだね」といった定型文が流行り、それを使っていれば仲間意識を味わうことができた。

簡単なコミュニケーションによる表面上の共有や共感が今は求められているのだ。

 

しかしけもフレは例のごとく、たつき監督が二期を担当しないことになり、完全にファンが離れて行ってしまった。癒しを求める安息の場所に大人の世界の現実が介入したことにより、人々は幻想から覚めてしまった。

けものフレンズという安息の場所を失った難民が行き着いたのは、また別の日常アニメかバーチャルユーチューバーのどちらかだ。ゆるキャンを見るか、キズナアイを見るかに「けもフレ難民」は離散しているのだ。

ただこういった日常アニメやバーチャルユーチューバーに癒しを求める人々を単純に批判することはできない。

現代において男性というのは以前より弱い立場に置かれ、とくに男性は若い時ほど大変なのだ。上の世代からは下の立場として責められ、若いからといって女性のように若さ自体に価値があるわけでもないため、特に若い男性は疲れ切っている。

戦後初期の時代は貧しくはあったが夢はあった、バブル期のような好景気の時期はお金があったので華やかなことができた。

今は夢や未来と金の両方が無く、更には時間も無い気力もなく、こんな状況でかつてのように若い男性層が情熱を持つことは不可能なのだ。

 

今の日本は格差社会が進行し勝ち組と負け組の差がはっきりと分かれるようになっている。

そのため幸せの椅子取りゲームに負けた人々が急増しており、楽しみが無いという状況が発生しているのだ。

 

そんな行き場のない難民のような人々が唯一集まれる炊き出しのような場所がまさにバーチャルユーチューバーであり、ストロングゼロと並んで現代の福祉だと言える。

SNSに幸福を求めようともどうせ普通の人がやれば表面上のいいねが少し来るだけで孤独であることに変わりはないし、今更自分がユーチューバーになれるわけでもなく、ゲームをしたところで上級者や廃課金勢には追いつけないし、芸術活動をしても才能が無ければ評価はされない。

今更昔のように、高級車や豪邸に夢を見ても手に入るわけも無く子供のころのような情熱や夢は持てず、恋愛市場では弾き出され、上手い食事や酒を得る財力など、この貧困が蔓延している日本社会では手が届かない。

 

何もかも手が届かず、能力も無く、かといって未来が明るくなっていくという希望も無く気力はすぐに不安にかき消される。

 

現代人は決して努力をしていないわけではなく、厳しい状況の中で頑張っている。

今の時代はゆとり化が進んでいると言われるが、むしろ今の時代の方がよほど大変で昔の方がゆとりがあったとさえ言える。

普段頑張って疲れているときに、趣味にまで苦労が必要となればそれはもはや億劫でしかないのだ。

昔はオタクと言えば趣味については全力になり、考える人が多かったが今は難しいことなど考える余裕はもう無くなってきている。

 

普段ただでさえ疲れているのだから、「せめて趣味の時だけは楽に過ごさせてくれ」というのが本音だろう。趣味に対して癒しを求める傾向というのはもはや仕方がない事であり、余暇時間の役割は疲れを癒しエネルギーを充電することなのだ。

日本は本当に貧しく夢も未来も無い社会になってしまい、寂しく虚しい生活をしなければならない時代が到来している。

しかし人々はその中でも懸命に生きている。

バーチャルユーチューバーという最も簡単な趣味は今後あらゆる手のかかるコンテンツを滅ぼしていくだろう、しかし本当に問題があるとするならば、それはその背景にある現代社会の闇そのものなのではないだろうか。

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