部活動強制入部は時代遅れの文化
自分は中学、高校と6年間部活動に所属することがなかったため、俗称で言うところの帰宅部である。
「俺には帰る家がある、帰宅部募集中」というフレーズがあるが最初に帰宅部という言葉を考えた人は面白いネーミングセンスを持っていると思う。
そんな帰宅部のイメージといえば変人やオタクだろうか、それについては自分自身間違っていないと言える。そのイメージで確かに正しい。
日本においては部活動文化が根強く、部活動強制入部の学校や同調圧力によって実質的にほぼ全員が入部するような学校が多い。特に中学校においては顕著であり、学年全員を把握しているわけではないが「部活動を辞めて帰宅部になった」という人や特殊な事情で入部できなかった人を除けば唯一の生粋の帰宅部だったかもしれない。
高校に関しては進学校だったので受験優先で部活動に入部していない人は特に女子生徒に多かった。
問題はその部活動に仕方なく不本意ながらも入部している人が多い事であり、帰宅部の多かった高校ですら「部活辞めたい、部活嫌だ」と日常的に口にしている生徒がいた。
自分は単純なものでそういう人を見て「やめればいいのに、そのスポーツが好きで入ったんじゃないのかよ」と純粋に疑問だった。
日本人にとって部活動は辞めてはならないしはいらなければならないという強迫観念が強いことをこのとき知った。
少なくとも受験や内申点のためであれば、部活動の時間で勉強したほうがよほど効率が良いはずだ。
部活動特有の青春を追い求めているのならば、もちろんそれは自由であり入りたい人はいればいいし楽しいのであれば楽しめばいい。
仮に自分も本当に入りたい部活、すなわちSOS団や日常部、アッシュフォード学園のような生徒会みたいなものがあれば入っていたかもしれないが、特に入りたくもないのであれば無理に入る必要もない。
「3年間頑張って艱難辛苦に耐えたことが人間としての成長だ」というのは綺麗事でしかない。それがいいという人はもちろん存在するが、全員が画一的にその風潮に従う必要はない。
強制および、実質的な強制によってよって無理やり入らざるを得なくなり、そこで嫌な思いをしているのであれば自分はそれがとてもかわいそうなことだと思う。
もっと自由でいいはずであり、部活が好きで憧れて入りたい人はどうぞご自由に楽しんでほしいが、本当は入りたくない人が入らなければならない風潮には疑問を持つ。
自分が小学生のころは「帰宅部はいじめられるから部活には入ったほうがいい」という俗説がまことしやかに囁かれていたが、確率で言えば確実に部活動内でいじめられる可能性の方が高い。
いじめが怖いのであればむしろ先輩後輩との付き合いが少ない帰宅部の方がよほど安全な可能性さえある。
更に放課後することや休日における個人の自由時間も増えるため将来の準備はできる。
これを帰宅部になった結果ニートになった人間が言っても説得力はないが、日本の未開で効率の悪い部活動で前時代的な練習をさせられくらいなら帰宅部で自由に勉強やスポーツをした方がいいだろう。
例えば本当にスポーツ選手やアーティストになりたいのであれば、放課後は近くでより先進的な練習を導入している町クラブや習い事スクールのような場所に行ったほうが良い。これは地方では難しいかもしれないが、ダンススクールや音楽スクールなど習い事は多く、学校以外の場で意識の高い仲間と交流することの方が有意義なはずだ。
地方の吹奏楽部に入るより、ギターやエレクトーンなど最新の楽器に触れられる習い事スクールに放課後は通ったほうが良い。
とくに芸能人は芸能活動やその準備を早くからしているケースが多く、部活動を早期に退部した人や帰宅部だったという人が多い。
野球は今も部活文化が根強いが、サッカーはこれから本格的に部活以外の育成制度のほうが強くなっていくだろう。
一番実力が伸びる時期にボール拾いやボール磨きばかりさせられて、どうでもよい挨拶の練習をさせられるならば、南米や東欧のストリートサッカーのような練習をした方がビッグクラブには行けるだろう。
理想は欧州最先端のクラブユースに所属することだが、それはあまりにも例外だと言える。
しかし有名クラブが日本で経営しているスクールも存在するため、これからは部活が日本のスポーツを担う時代は終焉に向かうだろう。
またこういった日本の部活動文化はそのまま社会にも影響を与えている。密接に日本文化とかかわりがあるのが部活動だ。
つまり大半が部活動経験者であるため職場でもそれが適応されるケースが多い。
・早く帰ってはいけないという文化
・絶対的な上下関係
結局のところなぜ日本人が仕事終わりに早く帰らないかという非効率性は、放課後も部活動をするという文化に遠因があるように思う。
終わった後に帰らないということにそもそも疑問が無い日本人が多い。だからサービス残業もするし、先輩や上司が帰らなければ帰れないし、挨拶してからじゃないと帰れないし、個人の時間というのは日本社会にあるようで存在しない。
更に上司や先輩が偉いという考え方や、年齢による上下関係というのも元々は儒教文化に端を発し、近代の軍事制度や教育制度にも応用されていくことになる。
日本の教育には実質的に飛び級が存在しないが、世界のグローバルタンダードに照らし合わせれば年齢による学年でここまで個人の関係を区分する文化は世界基準ではない。
「先輩」と「後輩」という言葉や日本的な上下関係というのはとりわけ運動部において顕著だ。サッカーではユースなどで「君付け」などが適応されており、最近では部活動文化でもこういう関係自体はゆるくなっているが未だにその文化は根強い。
年功序列制度が日本で崩壊し、海外ではそのような文化を持たない国が多いにも関わらず、教育現場では未だにそういった時代遅れの非効率的なことをやっているのが日本という国だ。
日本のサッカー選手がドイツのクラブに移籍したとき、年下の選手に殴られたという話をしていたことがある。「日本だったらシメている」と彼は語ったが、逆に言えば欧州ではその勇気が無く言いなりになっているのが日本人だ。内弁慶で海外では通用しないという選手も存在する。
逆に中田英寿のように年功序列を無視して遥か上の先輩にも呼び捨てで命令をするような選手が世界では通用した。
現状日本のサッカー選手は部活動出身者の方が活躍しているが、それでも世界基準のレベルには達していない。
サッカーのピッチ上では先輩に丁寧に接している時間などない、そしてそれは現在の国際社会においても同じことが言える。
またそういった部活文化の問題で言えば芸能人のラジオで「部活文化に慣れません」という相談があったのだが、おそらくその生徒も2年後にはその文化に慣れ、その慣習を強要する側になっているだろう。
「自分が嫌なことをされたから、自分がその番になったときは同じことをしてやる」という文化が根強い。
そして現代において部活問題は更なる問題を引き起こしている。
つまり教員側の負担があまりにも大きすぎるという事だ。
部活動の指導はほとんどボランティアに近いような形であり、休日も拘束されることになる。
人数の多い部活動顧問の教員が寝る寸前まで忙しく、次の日からも朝が早いという生活リズムは非常にハードだ。
そして生徒側も休日も部活で部活動の後は塾まであるというスケジュールを取っている場合がある。
こういう社会で「個人の自由時間」という概念が重視されないのは必然であり、誰もが同じように画一的なことをしている。
小学校の例を見ればわかるが、学年が上がっていくごとに帰宅する時間が遅くなっていく。これは「上学年は長い時間勉強しなければならない、つまり大人は長い時間仕事をしなければならない」という事でもある。
良い大人というのは長い時間何かを頑張る人のことを指すのだろうか?
長い時間何かを頑張る人は偉いという風潮が日本にはあるが、短い時間でも結果を出す人間の方が有能なはずだ。
時間をかければいいものが仕上がるという価値観から日本はまだ抜け出せていない。
サッカー選手でもどういうプレーをしたのかという質よりも、走行距離の総量で判断するような見方をする人がいる。表面的に真面目に見える人というの日本人は過度に評価し、敬語や社会人としてのマナーがどうのこうのとか、そういうどうでもいいことに一生懸命注力している人が多い。
日本とドイツの仕事に比較をした番組で、ドイツでは仕事を早く終わらせれば午前中でも帰れるという話を見たことがある。
しかし日本という国は「大人は夜遅くまで頑張るもの」という価値観が横行しており、サービス残業で社会や家族のために尽くすことは美徳なのだ。
小学生は低学年、中学年は早く帰れるが、高学年は5時限目や6時限目まで頑張るので偉い。
そして中学生や高校生は部活動をするから更に偉い、そして社会人はサービス残業をするから偉いのだ。
アメリカ人も部活動はするし、年齢が上がれば学習時間が増えていくのは通常の事だが、厚切りジェイソンから「Why Japanese people?」と言われても仕方がないような効率の悪い価値観は非常に多い。
早く帰ることは仕事でも学校でも部活でも悪で、長時間頑張った人間が偉いし長生きした人間が偉い。
それで通用した時代は日本のやり方に自信を持つ事が出来た。
しかし日本が諸外国に追い抜かれようとしている昨今の現状を見て、日本ってちょっとおかしいんじゃないかなと疑問を持つ人が現れなければならないはずだ。
昔の日本は良い意味でおかしかったしそれで結果が出ていたが、今の日本は悪い意味でおかしくなってきているように思えてならない。