負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

海外アイドルを応援することのメリットとは

これはあくまで自分の楽しみ方という前提であるのだが、自分は異性のアイドルや芸能人を応援するならば海外アーティストの方が良いと考えている。

海外のアイドルやグループ、芸能人、俳優にしても異性目線で応援していくならば海外の方が幻滅せずに済んだり、現実を知らずに済みやすいという大きなメリットがある。

 

同性を応援する場合は国内アイドルでも楽しいのだが、異性に関しては最近ほとんど女性アイドルに惹かれなくなった。

そんな国内のアイドルや声優に関して本気で応援することの虚しさを自分は感じている。

 

女性アイドルに関しては少し前はAKB48系列が流行り、今では欅坂46のような坂道シリーズが絶頂期にある。さらに日本では声優応援の文化も根強い。

特に最近の日本では「親近感」が重視され、可愛すぎないことやファンとの近さが求められるようになって来ている。SNSの使用であったり、握手会などの接触ビジネスが重要なりどれだけファンに奉仕できるかが重要になっている。

本来のアーティストとしての能力よりもファンにとってどれだけ都合の良い存在になれるかということが「アイドル戦国時代」の世の中では求められているのが現代のアイドル業界の特徴だ。

 

しかし彼女ら女性アイドルや女性声優の現実は知れば知るほど醜い。

ジャニーズと出会うためならばオタクとの過酷な握手会も必死に頑張る彼女らの努力はもはや涙ぐましい。女性声優に関しても養成所時代は遊びまくり、人気になればナイトプール三昧、そしてまるで日本中に知られている有名人であるかのように振る舞う。

地下アイドルはなおさら厳しい世界で、過剰なファンサービスを行い裏ではファンやお偉いさんとくっついている。

 

自分の場合、全盛期の頃に一瞬AKB48が好きだったぐらいでそこまで真剣に熱を上げたことは無いのだが、そういう現実を知ると「うわぁ・・・」と思わずにはいられない。

どうしてもこういう現実の方が先に伝わってくるのはネットという構造があるからだろう。昭和の芸能界はいわば情報が閉ざされた雲の上のような世界だった。

アイドルと言えば異世界の本当に存在するかはわからない高貴な存在だった時代がある。

それが今の時代は良くも悪くも情報が簡単に発信されるようになり、ありがたみが無くなったのではないか。結局のところ芸能界やメディアに騙されている時代の方がプレミア感もあったといういつもの理論に通じる。

 

例えばこれだけ「やらせ」だと認定をする人が増えてテレビが嘘だと暴かずにはいられない人が増えれば、ワクワク感のある心霊番組や探検番組が減ってつまらなくなり、もっとつまらないユーチューバーが増えただけの世界になってしまったのがその象徴たる事例だ。

アイドルも一緒で情報統制がされて、ある程度"秘密のベール"に覆われていたほうが神秘性が保てるのではないかと自分は考えている。

そう言う意味で自分は最近海外のアイドルにはまっている、正確に言えば元から好きだったジャンルに戻ったという表現の方が近い。AKBに関しても周りに影響されて仕方なく見ている内に好きになった程度で、元々は海外アイドルの方を応援していたし声優も人気声優を少し知っているぐらいで実はそれほど熱心にはまったことは無い。

 

やはり海外のアイドルはスキルが高くビジュアルのレベルも高い。

選りすぐりのエリートを厳しくトレーニングしてデビューさせているので「芸能人やアイドルって凄い人たちなんだな」と思うことができる。逆に日本の親近感アイドルはデビューしてから成長していくことを目指しており、その過程が楽しいという人もいるのだが最近はそういうスタイルが増えすぎて飽食気味にある。

海外ドラマを見て日本人が昔の日本らしさを感じるのと同じように、海外アイドルを見て昔ながらの「スペシャルな芸能界」のほうがやはり見ていて感動がある事に気付く。

昔ながらの懐かしさと最先端のスキルが融合しているのが海外のアイドルやガールズグループだ。

日本のアイドルは典型的な今までチヤホヤされてきた人生イージーモードの奴らばかりで努力もせずにダンスが下手でも可愛いからと許されるが、海外の場合は本当に過酷な練習を積んでいるためレベルが高い。

そんな人生イージーモードで適当にやっている国内アイドルのゲスさを見て自分は冷めてしまったのだ。

海外のアイドルが人間的に素晴らしいと言うよりも、国内アイドルがあまりにもゲスすぎて同じゲスならせめて努力してスキルの高い海外アイドルのほうがマシだという話なのである。

 

逆にいわゆるAKB48系列、さかのぼればおニャン子クラブ時代からの「普通のいそうな女の子」というスタイルからは感動ではなく「現実」が見えてくる。

自分がこれまで見たことがある人に当てはめてしまうので、「この子は性格悪い、こういう子いる」と現実が見えてしまう。

同じ日本人だから想像しやすいという事もこの現象に拍車をかける。

アイドルのちょっとした言動や過去がどうしても気になってしまい素直に応援できないという経験をしたことがある人はいないだろうか。

また外国人アイドルが思いっきりぶりっ子していても特に気に入らないが、日本人アイドルがやっていると裏の顔あるのにキャラ作り過ぎだと考えてしまう。

 

どの国にも言える事かもしれない自国の人間には厳しい傾向があり、例えば日本人は日本人に対して厳しいところがある。芸能人と言えども人間で時々羽を伸ばしたくなることがあるが、こちらは真剣に応援しているのだから常にプロでいてほしいという思いがファンの心理でもある。

一方でアイドルに限らず、外国人がちょっと日本の文化やしきたり、マナーを間違っていても「外国人だから仕方ない」と考えるので気にならないことがある。

 

つまり日本のアイドルが少し素行が悪いとその少しが本当に気になってしまうが、外国人アーティストが素行が悪くてもそれほど気にならない。

これはもっとわかりやすい例で言えば日本のスポーツ選手がタトゥーを入れていたら批判されてしまうが、外国人のスポーツ選手がタトゥーを入れいていてもそれは海外の文化なんだろうなとなんとなく納得できてしまう。

 

これが実は重要で同じ日本人のアイドルや声優に対して過度に清純さや素行の良さ、真面目さを求めすぎてしまい、少しでも理想と違うところがあれば幻滅してしまう。

悪い意味で「やっぱりこの子も普通の子なんだな、こんな子が現実にいるはずはない」となってがっかりしてしまう。それがあるから自分はこれまでもあまり本気で日本のアイドルや声優を応援することは無かった。

 

海外のアイドルというのはファンとの間にちょうど良い距離感がある。

昔ならファンと芸能人の間に合った距離が近年は縮まったため、かつてのような距離感が海外との距離感になったとも言える。日本の芸能界はファンに近くなりすぎたが、海外は程よく近くなったのでかつての芸能界との距離感に似ている。

 

言葉がわからなかったり情報が伝わりすぎてこない、また現実をイメージにしにくい、これからが逆に現実に対する"防護壁"のような役割を果たしている。

当然海外にも現実があり、知ってみれば日本と変わらないのかもしれないが知らなくて済むし知っても外国人は外国人で他所の問題だと納得がいく部分がある。

 

今はあまりにも情報が伝わり過ぎたり、リアルが求められ過ぎたりすることでアイドル側もかなり活動が難しくなってきている。

声優というジャンルも元々は二次元のアニメキャラクターの後ろに隠れていたものが、昨今の声優ブームによってむしろその役割の方がメジャーになったことで同時に現実も分かるようになってしまった。

ある意味で神聖な二次元だったものに現実が介入するようになってしまっている。

 

そこには自分たちに近しい人であってほしい一方で、本当に普通の人だったと気付くと幻滅してしまうという複雑な心理がある。特別な人たちがちょっと自分たちに近い要素があれば嬉しいが、最初から自分たちと同じような俗な人間だと気付くとがっかりするのだ。

 

そしてこれはアイドルファン全般に言えるかもしれないが、昨今はとにかく全てを知ろうとしすぎているのではないかとも自分は思う。なんでも探偵のように詮索すればそこに存在するのはうれしい情報ではなく「現実」でしかない。

アイドルファンの文化や風潮として全てを探し出そう、知り尽くそうとしすぎているのではないか、それが悪い意味でのリアリティを生み出してしまっている。

そこに疲れたり幻滅したりした人は程よい距離感のある海外アイドルに居場所を見つけても良いのかもしれない。