負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本のオタク文化の斜陽っぷりがヤバイ・・・

その国ご自慢の文化と言えば、世界中いろんな国で思い浮かぶ物だが、戦後日本を象徴する文化の一つがオタク文化だったことは間違いない。

 

戦後昭和は安全保障を日米安保体制の下、安全保障はアメリカに委ね、「経済全振り」で戦後復興とベビーブームによる理想的な人口バランスを背景に成長してきた。

いわば冷戦最大の恩恵を受けた「真の勝者」が日本であり、北方領土と南樺太を失ったぐらいで本土決戦は避けられ、その上経済発展もしたのだから正直ロシアが日本の恩人だったと言っても過言ではないと自分は思っている。

一応不可侵条約は戦局が決まるまでは守ってくれたし、ソ連の対日参戦がなければ泥沼の本土決戦に突入してただろう、そして戦後は冷戦構造において対ソ貿易でも得をした。

 

真珠湾攻撃に至るまでの謀略にソ連が関与したことはタブー視されているが事実ではある、しかしこれまた遡れば日露戦争や第一次世界大戦では得させてもらった部分もある。

ロシアの脅威があったから日本は近代化し、ソ連の脅威があったから工業国として保護され復興し潤った。

イギリスのアシストで日露戦争は勝利し、アメリカに判定勝ちをしてもらい、第二次世界大戦では満州共同開発を蹴って始めた戦争も寛大に許してもらい経済発展を優先できた。

そして今は米英共に日本からの輸入も多く、観光でも多くお金を使ってくれる。

これでも反米を掲げる奴等の特徴=反米天国の北朝鮮とベネズエラに行けと言われたら全力で断り、かわりに沖縄にデモをしにいく

 

そしてそういった工業発展の時代が終わり次に日本に訪れたのは、いわゆるオタク文化やソフトコンテンツの時代だ。

破竹の勢いで経済的に侵攻し、かつては今の米大統領ドナルド・トランプがビジネスマン時代に脅威を語っていた程の日本だったが1985年プラザ合意で勢いは止まる。

しかしそこから10年、次にアメリカに上陸した次なる先鋭部隊はポケモンだった!ポケモンの発売は1995年だ。

ここから日本のオタク文化が世界を席巻する時代は20年続く。

まさに世界が「日流」に意識せずとも接していた時代だ。

今の韓流もサムスンも比較にならないレベルで存在感があり、ようやく今の中国がその頃の日本を再現しようとしているぐらいだ。

 

実はこの日流がコンテンツを支配していた黄金時代というのは、サッカーにおいてイタリアが支配していた時期と似ている。

欧州サッカーにおいて最後にイタリア勢が王座に立ったのは2010年のインテルであり、そこからセリエAは斜陽リーグと化していく。

80年代90年代はセリエAの黄金期であり、サッカー界の公用語がイタリア語だった時代だ。なぜなら名選手ならばイタリアでプレー経験があるため必然と会話が成立し、日本人ではキングカズも中田英寿も在籍していた。

 

しかしイタリアは欧州サッカーの急速なグローバリズム改革の波に飲まれ、今ではスタジアムのインフラ、戦術、業界の体質が老朽化し、ついには直近ワールドカップの出場権を逃すに至った。

唯一現代的な改革のを行っているのがトリノに本拠地を置くユベントスでその成果もあってリーグを8連覇するという脅威の成績を納めているが、国際舞台では敗退し完全に内弁慶となっている。

 

この状況を見てまるでどこかの国で見慣れた光景だと思わないだろうか?

カカーやピルロを擁するACミランがCLでもクラブワールドカップでも頂点に立った時代ですら、涼宮ハルヒの憂鬱が流行った時代くらいだ。

 

陽気な国だと思われがちだが、実は閉鎖的かつ排他的で、旧時代の成功体験に固執し陰気な気質や社会の暗部が残っているというのがカルチョから見えてくるイタリアであり、欧州でトップ扱いされない反動でアジアやアフリカを蔑視する傾向がある。

 

オタク文化やコンテンツに関して言えば日本アジアにおいて一強の存在といっても過言ではなかった。戦前は中国や朝鮮からの留学生も多く後に有名な歴史の登場人物になっているし、戦後は日本のファッション雑誌からトレンドを学ぶ中国や韓国の女性も多かった。

 

今のイタリアサッカーの立ち位置と言えば、イングランドやスペインの後塵を拝し、ドイツとどちらがヨーロッパ三大リーグかを争っている状況だ。

 

現在アジアでコンテンツを発信する四強を上げれば日本、中国、韓国、インドだろう。いわば「アジアコンテンツ四大リーグ」といったところだ。

インドは映画大国であり世界中にIT分野で進出しているし、実際インド映画は面白くダンス文化や食文化といった現代的なトレンドにおいてもポテンシャルを秘めている。英語という発信力と、南アジア系の文化を持つ広大な文化圏がある。

このインドは別枠として、東アジアなら日中韓で異論はないはずだ。

 

韓国にはプレミアリーグ的な要素があるように思う。

KPOPはもはや洋楽のような一つのジャンルになっている。元々JPOPという言葉に対して発生した言葉で当初はダサい響きだったが、今や逆転して日本ではJPOPと言わなくなり邦楽と言い直している。かつてJPOPという言葉はもっとかっこいい響きを持っていた。

外国人はKPOPという言葉が先でJPOPはその真似だとさえ思っているのが現実だ。

 

つまり邦楽を横文字でJPOPと言っていたらいつの間にかKPOPの方が有名になり、もう一度邦楽と言い直して国内でガラパゴス的に消費しているのが今の日本だ。あいみょんや米津玄師が流行っているのもこの流れで、KPOPアイドルのメイクやファッションを昭和っぽいと批判するしかないのが今の日本文化の現実だ。

 

そのKPOPも本当は洋楽をアジア風にアレンジしただけなのだが、そもそも欧米のものをアジア風に取り入れて進化させるのが日本の強みだったのであまり韓国を批判はできない。むしろ誤った自信をつけ欧米から学ぶ姿勢を失い、自国優越主義に走ってしまったから今の惨状があるのだ。

ちなみに典型的なJPOPを歌うあいみょんが東方神起やSurper JuniorのようなSMエンターテイメント系列のファンだったことはタブーとなっている。

 

そのKPOPの世界では今や日本人、中国人、台湾人、タイ人、インドネシア人が活躍しているし、実はメンバーだけでなく、作曲や演出の部分で外国人アーティストを採用している。

先日自分がよく聞いている楽曲の作家を調べたら何と作曲家がスウェーデン人で、KPOPだと思っていたら実は韓国人以外も関わっているというケースが多い。日本だと日本の音楽業界村で回し完結することが多い。もちろんこういった内需の成熟が大国の条件だという側面もあるが、村社会化しすぎることには警鐘を鳴らしておく必要がある。

「過去」という内需は良くも悪くも伝統となっていくだろう。

未だにオリコンのような日本式の集計にこだわり、国際基準に合わせない日本のミュージックビデオはユーチューブで海外から締め出されている事例もある。

 

日本人が海外の事例をみて言う「昭和にあった」という言葉はむしろ高齢化の象徴で、昔話を自慢する姿が何もかっこよくないにも関わらず、そこを自尊心の拠り所にしている内に世界の最先端に置いていかれる。

その昭和に見たものは欧米の周回遅れだったことを知らずに、未だに日本が最先端気分でいる。

その昭和を知らない世代から見ればそれは新しいし、むしろ昭和と比較して進化している部分もある。

 

「日本は先進国として全てを体験した」と思い、過去だけ称賛して現代のトレンドを古びた感性で拒絶していくことを続けていれば、これはいずれ「日本病」「ジャパン症候群」という名の文化用語になるだろう。

ジャパンシンドロームとは先進国が最後に経験する社会的な風潮、というように。

それにいって上の世代は心地よく思い出を抱いてあの世に逝けるかもしれないが、自分達はそうじゃない、そう令和を30代、20代、10代、もしかしたら一桁年代で迎えた世代は思うのだ。

過去の日本を認めつつも、令和のトレンドにおいて日本はもう三番手でも四番手でもいいという姿勢に満足することも面白くない。令和の課題とは台頭するアジアと過去の日本のという幻影だろう。