負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

久しぶりにドラえもんやクレしんを見ると面白いよな

漠然とただ単にテレビをつけているという習慣が無くなり、自分はほとんど録画で済ませるようになってきている

そうすると見る番組は極端に限られるようになり、典型的な「テレビ離れ」が進んでいる層の一人になる。

「とりあえずテレビをつける」という習慣が無くなり、更にニートになると曜日のリズムが崩れてしまうため久しぶりにドラえもんクレヨンしんちゃんを見るととても懐かしく感じる。

 

昨日は金曜日だったが、お酒に酔って体も動けなくなっていたためとりあえずソファで横になり漠然とドラえもんとクレヨンしんちゃん、そしてミュージックステーションをつけていた。

これは日本人ならではの金曜日の黄金ラインであり、久しぶりに曜日を体感することができた。

「そういえば、土曜日を楽しみにしながらドラえもんとクレしん見てたなぁ」とか「Mステはちょっと大人な奴が見る感じだったよなぁ」と思いながら、休日のありがたさに思いを馳せていた。

 

昨日のドラえもんで見た話は忍者の道具を使って何かをするという話だったが、それ以上に最後にオチがついて教訓話になるといういつものパターンが面白かった。

「そういえばしずかちゃんにドキドキしてたなぁ」とか、なんだかんだで声優が変わってからもうだいぶ経つなぁとかとも思いながら見ていた。

最近のドラえもんはどうやらエンディングがジャイアンのものになっていて、「これ結構リアルキッズは結構嬉しいだろうな」とも感じた。

メインキャラの中で主人公ではない立ち位置のキャラにスポットライトを当てたエンディングというのは結構うれしいもので「ジャイアンファン」は凄く喜んでいるだろう。

現代の子供もこの金曜日の二大アニメを重視していることは健在で、自分とかつてサッカー仲間だった少年が「俺の弟と妹がドラえもん見たがるから日本代表の試合見れない」と言っていた奴がいたことを覚えている。

 

あと面白かったのがCMで何気なくCMを見ていたことすら懐かしく感じた。

一人暮らしやニート生活を一度経験すると本当に何かを食べながら何気なくテレビをつけるという日常の習慣自体が消滅してしまう。

普段録画で見ていたら飛ばすし、そもそもドラえもん自体見ずに有益な番組しか見なくなる。CMというのは社会情勢を反映していて、昔のCM集をみると意外と懐かしくなる。ある意味CMというのは10秒前後の間に効果的に情報を詰め込んでいるため、映像としては実は高度なことが多い。

ドラえもんやクレヨンしんちゃんのような有名番組の間に入れられるCMというのはその中でも選りすぐられたエリートなのである。

 

次にクレヨンしんちゃんだが、自分は圧倒的に「クレしん派のキッズ」だった。ドラえもんは母親が用意してくれた夕食の前半に見るものであり、後半のクレしんが本番だった。小学生ながらに「ドラえもんはちょっと子供で低学年の物」というイメージがあり、クレしんを凄く楽しみにしていた思い出がある。

その上Mステになると音楽に興味がなかったので見ていなかったが、今ではMステに好きなアーティストが出演する時だけ録画で見ている自分がいる。

金曜日の実感が無くなるという典型的ななニート生活をおくっており、「Mステって本来こんなビッグな音楽番組なんだな」ということもなぜか再確認した。

 

最近「クレヨンしんちゃんの野原ひろしって実はすごいよな」みたいな話題が多いが、何気ない庶民的な家族の姿を再評価する傾向は強い。

自分はどちらかというと昨日登場した「ミッチーとヨシりん」が羨ましいと思ったし、というかむしろまだミッチーとヨシリン現役なんだなとすら感じた。

そもそもミッチーとヨリりんですら、途中から出てきた新キャラだったような気がするのだが、とにかく小学生のころは「なんだこいつら」と思っていた。

「女子が好きな事が男子仲間でバレたらかっこ悪い」みたいな独特な風潮がある時期は男なら誰にでもあり、ちょうどその時期ぐらいにミッチーとヨシリンを見てラブラブカップルみたいなものがダサいと思っていた少年の一人だった。

 

しかし今見てみると「それめっちゃ幸せだよなぁ」と思う自分がいる。自分がヨシりんぐらいの年齢になって、こうして彼女もいないとそのダサいと思っていた幸せがわかるようになる。

前述のしずかちゃん、そしてミッチーもそうだけどこういうキッズ向けアニメの女性キャラクターの可愛さに一周回って気付くようになる。

中学や高校の時は「萌えアニメのキャラクターかわいい」と思っていたが、最近こういう普通の"一般人向けアニメ"に登場する女性キャラクターの魅力に気づく自分がいる。

 

ドラえもんでいえばしずかちゃんがかわいいしクレしんでいえば「愛ちゃん可愛い」という境地にも達している。愛ちゃんですら途中から登場してきたイメージがあるが、自分の世代になってくると紅さそり隊のリーダーふかづめ竜子が好きだった自分がいる。

もののけ姫のサンにしても、ちびまる子の城ヶ崎さんにしても萌えアニメオタク向けに作られていないキャラクターのほうが案外かわいい事が多い。

小学生キッズながらにオシャレな高学年女子が可愛いと憧れるのと同じで、自分の場合は紅さそり隊のリーダーやデジモンのミミさんが登場する回を楽しみにしていたし少し年齢が上がるとポケモンのハルカやポケスペのクリスタルに惹かれるようになる。

 

そしていつしか自分はのび太のお母さんとクレしんのミサエが好きになっていくんだろうなぁとも思う。

「野原ひろし、実は勝ち組論」というのは散々議論されてきたことだが、そういう何気ない幸せですら実は貴重なものになってきているという社会論に発展する。

ある意味昨今の「日常アニメ」以上に何気ない生活の日々を描写しており、究極の日常アニメがクレヨンしんちゃんだとも言える。

ダサいバカップルだと思っていたミッチーとヨシりんが羨ましいし、情けない親父だと思っていた野原ひろしが羨望の的だというのが現代の世相だと言える。

 

時間が経っても変わらずに流れている埼玉県春日部市の空間に現代人は惹かれている。ある意味で現代人の理想や日常を描いた大衆映画や大衆文学のような存在がドラえもんやクレヨンしんちゃんなのかもしれない。

そしてそれのアニメを久しぶりに見たときに感じる懐古感情そのものが、現代人のリアルな日常なのだ。