負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

悲報:ハリルホジッチ解任、ごめんねハリル

サッカー日本代表指揮官のヴァイド・ハリルホジッチが解任されるという報を聞いて、人知れず悲しみに覆われてている。

確かに今の日本代表は停滞感があり、期待できるような指揮官ではなかったのは事実で日本サッカーのサポーターからも常に批判意見が飛び交っていた。

著名なサッカー評論家からも解任論が飛び交い、日本は「反ハリル」の同調圧力に染まっていた。大衆は何かの権力者を打倒し、引きずるおろすときに昂揚感を覚えるものだ。

 

自分はこのハリルホジッチという旧ユーゴスラビアのボスニア出身の監督を、ある意味で擁護してきた立場ではあるが、その結末そのものが見れない事自体が非常に悲しい。

日本人のサッカー観がハリルホジッチの思考にはたどり着くことができなかった。

カジュアル志向に染まり、目の前の即自的な結果しか求めなくなっている現代日本人にとって、過程はどうあれ本戦の大舞台で結果を残す「勝負師」のハリルホジッチは受け入れられなかったのだ。

親善試合で華やかな結果を残し、期待感を漂わせ、明るい未来に向かっていくと言う昂揚感に酔いしれたい日本国民は同じ過ちを繰り返すことになるかもしれない。

 

ハリルジャパンで惨敗すれば、これまでハリルホジッチ監督を擁護してきた立場として謝罪するつもりでいたがそれすら叶わない事が悲しい。

どれだけ批判されようとも一発勝負で結果を残すハリルJAPANに期待していた立場としては完全に青天の霹靂だと言わざるを得ない。本当に考えてもしなかったような急な人事だ。

 

ハリルホジッチという指揮官は安易にその国に迎合するような存在ではなく、本質を追求するような存在だった。

前任のアルベルト・ザッケローニは、日本人にとって非常に心地よい監督であったが結果はグループリーグで一生もできず日本代表の惨敗を招いた。確かに主力選手の高齢化や、ザッケローニによる指揮への選手の増長、そして本戦での思わぬ自体などがあったことは事実だ。そしてザックJAPANが日本代表史上最も輝かしい功績を遺したことを否定するつもりは無い。

 

それに加えて、何よりザッケローニは「親日家」であり、日本食を好みワサビを普段の食事でも愛飲するというエピソードを披露したり、イタリアとは違い電車の中でもプライベートの生活をリスペクトしてくれる日本人の国民性を賞賛したりしていた。

 

これがまさに日本人好みで、日本への褒め言葉を常に外国人に求める昨今の国民性に広く受け入れられた。

優しそうな風貌で日本人の国民性を賞賛し、日本人選手の主張を容認したザッケローニはまさに日本人好みの外国人指揮官だった。

 

しかしブラジルワールドカップでこのザックジャパンは崩壊し、かつてのジーコジャパンの二の舞を披露しその後のサッカー人気の停滞を招くことになった。

 

その対極としてハリルホジッチは、日本文化自体は尊重し理解しているものの決してそこに合わせるようなことは無く我流を貫いた。それが「良き日本文化を理解する寛容な外国人」を求める日本人の嗜好には合致せず、結局のところこのような解任を招いてしまった。

聞こえの良いリップサービスで大衆をまやかす指揮官のほうが、無愛想な姿で現実を追い求める指揮官よりこの国では求められるのだ。

 

FIFAワールドカップまであと2か月待てば未来は違ったものになっていたかもしれない。

果たしてこの直前の解任で一体何ができるというのだろうか。

コーチを務める手倉森誠が代理で監督を務め、2010年南アフリカワールドカップにおける岡田武史のような奇跡を起こすのであればこれは歓迎するべきことだ。

 

もちろんこの決断が吉となるならば批判することは無い。

結局のところサッカーという競技はすべてが結果論だ。

日本サッカーは今、壮大なギャンブルの賭けにに打って出たと言える。

ロシアという広大な大地でその采配がどういった結果をもたらすかに期待したい。