昔のRPGはいい意味で不親切で面白い
先日の懐古ゲーム記事以降、水を得た魚のようにゲーム熱を取り戻している自分だが機能もついつい深夜までRPGの世界に没頭していた。
RPGを大人になって始めようとすると最初続けられるかが重要で、ある一定のレベルまで行けばクリアまで一直線という状態になる。
その世界観に愛着を持てるかどうか、システムを理解するかどうかが重要だ。
よく「昔のゲーム難しいけど最近はゆとり仕様になっている論」を聞くのだが、今基準に慣れるとゆとり全盛期の「ゲームボーイアドバンス」の時代ですら十分難しい。
特にRPG系はある程度RPGのシステムに慣れた人向けに作られていることが多い。
今ちょうどやっているGBAのサモンナイトクラフトソード物語の初代は「俺小学生でよくこれクリアできたな」という要素が多い。
懐かしいのが当時自分がやっていたチャットサイトみたいなところで、攻略方法がわからなくなってダメ元で聞いたら全然違うゲームのサイトなのに教えてくれた人がいたという事だ。
「この攻略法そういえば聞いたわ」というのが懐かしくて、一回やったゲームというのは今やるといろんな思いが込み上げてくる。レトロゲームをするとその当時の自分のリアルな生活エピソードまで懐かしくなってくる。
今思えばセーブの仕方を苦労したのも懐かしい。
おそらくこのサモンナイトクラフトソード物語を今始めた人はセーブの仕方やゲームシステムの理解に苦戦するように思う。
やはり昔のRPGはセーブで苦戦してナンボで、説明書呼んでなかったら苦労して味わいがある。それでいえば「最近ゲームの説明書無くなった」という話も良く聞く話で、漠然と世の中のゲーマーが「最近のゲーム簡単になった」と嘆いている。
そう言う意味で昔のRPGやオフランゲームをすると不親切な要素があり懐かしくなる。
ただ最近のゲームはむしろ「オンライン対戦」に特化して、むしろこちらはガチ化して非常に難しくなっている傾向にある。ゲームの難易度で言えばむしろオンライン対戦はオフラインゲーム全盛時代よりも難しくなっている。
そしてそんなオンラインに疲れて行き着くのが「オフラインゲームで中々楽しいゲームない」という話であり、結局懐古目的のレトロゲームしかやる物が無くなるという現象が起きている。
自分がRPGで理想としているのは「苦戦しながらクリアしたい」ということであり、ストーリー中に何度か負けたいという思いがある。
例のクラフトソードにしても油断していたら負けるケースが多く、既に自分は何度か負けていて「そういえば昔も同じように苦戦したなぁ」と懐かしくなっている。
順調にクリアしたゲームはあまり印象に残らず、負けた敵のほうが良く覚えているということは無いだろうか。
昔のRPGを楽しもうと思えばあえて苦戦するというのも大事で、定期的に負けたほうが実はクリアしたときの感動や達成感がある。
それで言えば最近やりごたえのあったゲームは3DS版のポケモン超不思議のダンジョンなのだが、ラスボスで結構苦戦したことを覚えている。この時は意地でもネットで攻略情報を調べず自力でクリアしたため、何度も負けることになる。
オフラインでここまで難易度が高く、「これ小学生クリアできないだろ」というゲームは少なくなっている。むしろ小学生がすぐにネットで最適解や攻略法を調べる時代だ。
最近の子供たちはもしかしたらオフランゲームの中で負けることがあまり好きではないのかもしれない。
「あの敵キャラに負けたよな」と思い出で語れるゲームが今は少なくなってきているようにも思う。
強い敵や不親切なシステム、そういう理不尽な部分もいつか思い出になる時が来る。
最近の便利なものを批判して過去の理不尽を美化するというのはよく昔の世代がする事であり自分自身それを批判しているはずなのに、ゲームでは過去を美化するというダブルスタンダードだ。
そして昔のRPGというのは実は大人になってからやったほうが台詞が理解できるという側面もある。子供のころはとにかく戦いたくて仕方がなかったしクリアしか考えていなかったが、今ではRPG特有のセリフに深い意味があったとも思わせられる。
「そういう意味でその台詞作っていたんだな」という感傷もあり、一回クリアしたゲームも今セリフ目的でもう一度プレーする価値はある。
RPGというのは現実逃避してその世界に没頭してナンボであり、「現実とは違う別世界」に心酔したほうが楽しめる。
よくある実際の家族よりRPGゲームの世界観にいる家族のほうが愛着を持てるという話に近い。
懐古目的で昔のゲームをすると思わぬ発見がある、そんなことを感じずにはいられない。昔やったゲームをしてみると、最新のゲームにはない別の発見があるかもしれない。