負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ゲームボーイアドバンスはレトロゲーなのか?

唐突に昔やっていたゲームが懐かしく感じることは無いだろうか。

ちょうど昨日まさに昔やっていたRPGで訪れた街が懐かしくなり、無我夢中でゲーム機とゲームソフトを探し出した。

ニンテンドーの凄いところは数年使っていなかったゲーム機でも当たり前につくだろうなという感覚を持てる事であり、そして実際に普通に起動できるところだ。

そうは言っても実際はDSliteで、これは比較的新しい物だ。しかし冷静に考えれば既に10年前のゲーム機でもある。

「ニンテンドーDSって10年前だぜ」と言っていた頃から既に数年経っている。

 

そう考えるともはやゲームボーイアドバンスは立派なレトロゲームだと言っても問題ない領域にある。

実際DSの後発の機種ではGBAができなくなり、最新の3DSでGBAをすることは不可能だ。ホワイトな方法でGBAのゲームをやろうとすると過去のゲーム機が必要になる。そのためにDSliteは良い値段で取引されているとも聞く。

 

まさにDSliteでGBAソフトをするというやり方で今自分はゲームをしており、世の中に既にGBAばかりしている懐古ゲーマーは存在しているのではないだろうか。

レトロゲーといえばファミコンのイメージがあるが、ついにGBAやゲームキューブがレトロゲー扱いされる時代になっている。

それで言えば初期DSのソフトですら既に懐古ゲームの領域に達し始めている。

例えばポケモンのダイヤモンド&パールですら、がっつり懐古厨が存在しダイパですら10年前でもある。最近のポケモンをしている子供でDPしたことが無い子供は間違いなく存在するだろう。ダイパリメイクが議論される時代になった今、GBAはレトロゲーだと考える方が自然だ。

その内「初代妖怪ウォッチ」が懐古される時代が来るだろう。実際妖怪体操がブームになった頃ですら既に懐かしいのだから。

 

ポケモンのルビサファは既にORASとしてリメイクされ、次のバーチャルコンソールになるとも言われている。

「初代からFRLGまでの期間より、FRLGから現代への期間の方が長い」と言われるぐらいにゲームの進化は早く、ドット絵時代は既に大昔の話だ。

自分は「サンムーンのグラフィックに慣れた」と言っておきながら結局クリアすることができなかった。それは難易度の問題ではなくモチベーションの問題だった。歴戦のポケモントレーナーである自分がクリアできないわけがないのだが、ついにやる気が消滅してしまった。

3DSの最新作には興味が無く、ソシャゲもやらないしPS4も持っていない。

そしてやることはといえばDSliteでGBAソフトを起動させて昔を懐かしむことだ、そんな自分はもはやレトロゲーマーや懐古厨と言われても反論することができない。

 

なぜなら昨日唐突に始めたGBAのソフトがあまりにも楽しすぎる!

ゲームでここまで楽しめたのは本当に久しぶりで、最新のゲームやオンライン対戦よりよほど楽しいと感じた。まだ始めたばかりだがクリアが楽しみで仕方がない自分がいる。最後にクリアしたのは小中学生の頃に遡るため、昔住んでいた町に久しぶりに行くという感覚に近い。

 

今自分がやっているのは知名度は低いが「サモンナイト クラフトソード物語」というシリーズで3作品出ている。自分は今でも続編を期待しているのだがサモンナイト自体既に下火状態になっているため難しいだろう。こういうゲームは最近はクラウドファウンディングでリメイクされることが多いようである。

しかも自分の場合据え置き機のサモンナイトは一度もやったことが無く、このGBAのクラフトソード物語限定のサモンナイトファンなのだ。

 

「そのゲーム今やってるの自分だけだと思った」的なノリでクラフトソード物語を知っている人がいたらうれしいし、自分切っ掛けでやってみたという人が1人でも現れてくれれば感激するレベルで気に入っている。

しかも自分はこのサモンナイトを実は一回中学時代あたりにリサイクルショップに売却していたため、この3作品は3年ほど前にネット通販で買った物になる。つまり今所持しているのはリアルタイムで購入したものではない。

 

その2回目の時も実は懐古目的で買ったのだがその時は続かなかった。

ついでにポケモンRSとFRLGもこの時に買ったのだが結局その時はクリアすることなく飽きてしまった。

そして今「懐古していた時を更に懐古する」という"上級懐古プレイヤー"なのだが、今回は本当に面白く続けられそうだ。

 

GBAのソフトをして改めて思ったのが「ゲームはグラフィックじゃない!」という事だ。GBAは今と見比べれば劣るが、そこまで今見れない物ではない。使われている色がゲームボーイやゲームボーイカラーに比べて多いため今と比べても遜色は無い。

「レトロゲームデビュー」としてはゲームボーイアドバンス系列がちょうど良く手軽かもしれない。その内昔欲しくても買えなかったGBAソフトを買い集めて、GBA評論家になっても面白いかもしれない。

本当のレトロゲーマーからするとついにアドバンスのレトロゲーマー世代が出てきた事が驚きかもしれないが、いずれこの世代も「DSをレトロゲーム扱いする世代が登場するとは」と驚愕することになるだろう。

金銀どころかそのリメイクのHGSSですら既に懐かしまれているのだ。

 

それはともかく、サモンナイトクラフトソード物語をして「こんなことあったわ」といろいろと懐かしくなった。

良くありがちな昔聴いていた曲を聴いてその時の思い出が懐かしくなる、みたいな話でゲームでも同じことが起きる。

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自分の最近の楽しみは自分が見ていた昔のアニメのBGMや曲を聴くことで、最新で追いかけている趣味はサッカーとジャニーズぐらいしかないんじゃないだろうか。

それ以外は懐古ばかりしていて、終いには自分が経験したことが無い時代すら懐古し始めている。

ゆとり世代ぼく「1960年代のガチでアメリカに対抗できてた頃のソ連懐かしいよなぁ。それで言えば1950年代の核実験し始めたころのスターリン超ワクワクしたんだろうなぁ」

懐古というよりも望郷や憧憬といったほうが適切だが人間にはそういったセンチメンタリズムやノスタルジックのような感情があるものなのかもしれない。

 

「映像が全てじゃない論」でいえば、少し前までの自分は古い画質の物があまり好きではなかった。昭和の映画やアニメは画質が古いと言うだけで避けていたが、今は逆にそういう時代の映像の方が共感できるようになった。

 

ゲームにしても映画にしても最新の映像はなぜか落ち着かない。

大人になるとパフェとかキャンディーとかキャラメルを食べなくなるのと一緒で、徐々に人間は最新のものに興味を無くしていく。

子供のころは物凄く甘い物が好きだったし、最新の映像やゲームが好きだったのに最近では逆転現象が起きている。

女の子キャラクターばかり出てくる萌えアニメも見れなくなったし、AKBもどれだけ新規メンバーでかわいい子が増えようが昔からいる古参メンバー方が好きな自分がいる。

昔は新加入メンバーが気になってチェックしたけど今はあまり興味がない。結局指原莉乃に行き着いて、昔の渡辺麻友と松井玲奈の映像しか見なくなる。

 

ゲームでいえばまさに「新発売ゲームにワクワクしなくなった」のと同じで、一生やり続けていくと思っていたポケモンは遂にサンムーンは当初買わなかった上に手に入れてもクリアしなかった。

その一方で逆に3DSでRSバーチャルコンソールが出ればクリアする可能性は高い。

 

こういった現象はおそらく誰にでも起きる物であり、最新のコンテンツは興味ないけど自分が元気だったころのシリーズだけは見るという人は多いはずだ。

長友佑都がいる今のセリエAは見ないけど中田英寿がいたころの全盛期セリエAが最高なんだよなぁ、と村上龍も言ってそうだ。

実際中田英寿との対談で「君が引退してからサッカー見なくなった」と言っているし、サッカー関連の著書まで出していたのに最近は驚くほどサッカーの話をしなくなったのが村上龍だ。

実際自分もポケモンはイラストまで描いてたり漫画まで集めてたレベルで好きだったのに、今はサンムーンをクリアできなくなってポケモンGOもアンインストールするようになった。

 

拙者多趣味なものでついつい話が脱線するのでござるが、GBAレトロゲーム論は「フラッシュ動画懐かしい論」にも通じる話かもしれない。

2004年にDSが発売されてGBA時代が終わると考えればちょうどフラッシュ動画全盛期あたりがアドバンスの時代と重なるのではないだろうか。

本当の昔からすればレトロじゃないけど今から見れば十分レトロ、そんな狭間の時期でもある。いや、どんなレトロや懐古趣味も一時その中間期を経験するはずだ。

ちょうどゲームボーイアドバンスは「レトロゲーというにはまだちょっと新しいけど、現代基準でみればやっぱり古い」みたいな状態にあると自分は思う。

 

AKB48どころか、乃木坂、ついには欅坂まで出てきたらおニャン子は古典舞踊でモー娘。ですらがっつり懐古で、既にももクロやベリーズ工房全盛期ですら懐かしまれるようになっている。

ジャニーズも結局最後に最後に世間的にヒットしたのが『青春アミーゴ』、それがもろにノスタルジーを謳った曲であり、その青春アミーゴの時代すらもう懐古されている。

カラオケ店に行くとちょくちょく青春アミーゴが聞こえてくる現象を経験したことがある人はいないだろうか。

それぐらい皆昔を懐かしみたいのかもしれない。

 

こういった"懐古ブーム"は少子化で昔を懐かしむ世代のほうが多数派になったことや、日本の社会や経済の未来に明るい見通しをすることができないというのも遠因として背景にあるように思う。

「未来に希望が持てないから昔を懐かしむしかない」というのが今の日本人の深層心理にあるのかもしれない。

バブル時代の曲を聴くとイケイケソングが多くて、当時は懐古感情がそれほど多くなかったように思う。

昔の日本人は未来を思い描くことが希望に満ちていて楽しかったからわざわざ昔を懐かしむ暇がなかったし、過去を心の拠り所にする必要もなかった。

バブルまで遡らなくともモー娘。は「ニッポンの未来は世界がうらやむイェイイェイ」と歌っていたが現実にはそうならなかった。

 

昭和時代の未来予想図は華やかな未来を思い描いていて、鉄腕アトムは既に登場しているはずだったし宇宙旅行が当たり前になっているはずだった。

逆にインターネットやスマートフォンなど当時想像できなかったものもあるのだが、とにかく昔は派手に未来を想像していた。

バブル時代の新しい都市構想や建設計画も派手だが、今ではその頃に作ったものが閑散としていたり廃止されたりしている。

自分の自宅からちょっといった場所に「バブル時代はにぎわっていたんだろうなぁ」という廃墟になったレストランやちょっとしたリゾート地みたいなものが存在する。

それですら自分が子供のころは既に廃墟だったわけで、日本という国がいよいよ廃墟になっていこうとしているというといつものような暗い話になってしまう。

 

バブル時代や日本経済全盛期を体験したことが無いゆとり世代ですら昔を懐かしむしかなくなったというのが根本的な問題の本質なのかもしれない。

 

どの世代を具体的にさすかはともかく、おそらく昔の若者に比べて今の若者は昔を懐かしむ年齢が早くなっているように思う。

結局同じゆとり世代で集まったときも懐古話ばかりになって、中年世代が話すような会話になることが多い。

 

つまり「若者が未来の話をしなくなった」ということに尽きる。

社会や世の中の未来や個人の将来について、予想も計画も、そして考案や考察もしなくなった。

若者に限らず「未来の事なんて考えても楽しくないし意味なんてない」というのが日本人全員の本音だといっても過言ではない。

そういうことを描いているのがクレしんのオトナ帝国であって、いつまでも過去やノスタルジーという快楽に浸っていてはいけない。

オールウェイズ三丁目の夕日が「過去は美しい!」と礼賛するだけなのに対して、クレヨンしんちゃんのオトナ帝国は「過去に思いを馳せるだけでは先に進まない」と伝えようとしている。

 

しかし皮肉なことにオトナ帝国で描かれていた新世代が「子供の頃に見たオトナ帝国懐かしい」と思い始めているのだ。

昔を懐かしむだけの大人を暗に批判した映画を子供の頃に見ていた世代が、大人になって無事同じように懐古するようになったという"二重懐古現象"が起きている。平成世代が自分が知らないはずの昭和をなぜか懐かしむのと同じ理屈に近いかもしれない。

前述の「懐古していた日々を懐古する」という上級懐古プレイヤーが実は結構増えているのだ。

 

動画サイトでも「90年代生まれが聞いたら懐かしくなるアニソン集」みたいなものがあるが、若年層がこれだけ懐古に走るのは大人ぶってるとかかっこつけてるわけじゃなく、純粋に今が楽しくないし未来を思い描いてもつまらないからなのだ。

 

ゆとり世代は「昔を懐かしむ大人かっけぇよなぁ」という理由で若い内から懐古をしているわけではない。

シンプルに今も未来も楽しくないから、過去しか拠り所が無いのである。

思い出に浸ることが良くないというよりも、それをするしか仕方がないのが今の世の中だ。

 

本来は「未来が良くないなら、その未来を変えるために今何かをしよう」という方向に向かっていくべきなのだが、その"今"すらよくないため希望が一切ないし行動もできないのが現代人でもある。行動する活力も無ければ、行動しても無駄だという諦めにも似た感情がゆとり世代の心を支配しているため、もはや意見すら持とうとしなくなっている。

未来を変えるための行動をしたり、何らかの意見を持ち主張することよりも、過去という快楽の泉に浸ることがゆとり世代、いや日本人のの平均的な習慣になっている。

 

オトナ帝国が「昔を懐かしむだけじゃ駄目だよ」と伝えたかったはずなのに、それを見ていた新世代はむしろオトナ帝国で批判されていた側の大人になろうとしている。

情熱も無く行動もしないと批判されるゆとり世代は皮肉なまでにオトナ帝国の大人になろうとしている。

 

そしてそれを批判しているはずの自分が、ついに新発売ゲームを買わなくなり昔のアニソンばかり聞いてゲームボーイアドバンスのゲームをしているというところがこの記事の最大のオチなのだ。

 

過去に浸ることが良くないと分かっていながらも結局現状や未来よりも過去を選ぶ、それが現代人なのかもしれない。

モーニング娘。のLOVEマシーンに返答するならば「嘘をついたな」という事であり、オトナ帝国の続編が作られるならば成長した野原しんのすけが「父ちゃんや母ちゃんやひまわりやシロと東京タワー駆け上ってた頃懐かしいよなぁ」とがっつり昔に浸る大人側になっていたという物語になるだろう。

 

本当は切りよくここでこの記事を終えるつもりだったが、暗い終わり方では読んでくれている人に申し訳ないので明るい未来についても話したい。

 

自分が今回唐突に「アドバンスのゲームしてぇな」と思い始めてサモンナイトのクラフトソード物語をやったけども思ったのが「これ作った当時の大人の人たち凄いな」という事だ。

ゆとり世代が子供の頃に楽しんでいたものを作ったのは当時の大人の人たちで、今度は自分たちが下の世代を楽しませる面白い物を作っていく側になる時が来た。

自分は武器のイラストを描いている人間で、サモンナイトの武器を見てやっぱりかっこいいと思ったし参考にしたいとも思った。むしろ今回サモンナイトをやった目的は武器デザインのインスピレーションを得るという隠れた目的もある。

懐かしむためだけにやっているわけではなく、新しい物を作る参考にしたいと考えている部分がある。

 

これは自分の例に過ぎないが、昔懐かしんだものを見て「懐かしいなぁ、あの頃に戻りたい」で終わるだけじゃなく「これ作った人たち凄いな」と思って新しい視点を見つけたり何かを創り出すヒントにしたりしていく必要があるように思う。

過去を超えると言えば大袈裟かもしれないが、文化や文明はそうやって発達していく物でもある。

 

懐かしむだけの消費者になるのではなく、何らかの前向きなエネルギーに変換して先に進んでいくことが大事なんじゃないかとも思った。

「サモンナイトの武器以上にかっけぇ武器描きたいな」と思った自分の衝動は小さなことかもしれないが、そういう感情がとても大事なんじゃないかなとも感じた。

 

昔の懐かしい物というのは間違いなく優れた物で、そこから何かヒントを得ることはできるように思うし、そこから行動していくこともできる。

懐古は楽しいけどその懐古からもっと楽しいことができる、そんな希望を捨ててはいけないはずだ。