負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

昔の女性のゴール→結婚、今の女性の人生のゴール→母親の家事手伝い

「将来の夢はお嫁さんになる事」と幼稚園生が宣言したり、おままごとをして遊んだりするように結婚という物は女性にとってある種の憧れや夢のような存在なのかもしれない。

もちろん誰もが結婚に憧れているわけではないし、昨今は未婚率が急上昇しており女性の結婚離れが進んでいる。

 

どうしても男性の視点からすると、女性側が人生のゴールとして結婚を望んでおり、男性にとっては「人生の墓場」なので避けているという見方をしがちな傾向がある。

しかし実際に、結婚を望んでいないのはむしろ女性の方で最近は男余りということもあり、結婚できない負け組層の悲惨さで言えば男の方が哀愁漂っている時代だ。

 

結婚

結婚がバラ色の夢だった時代は終わり、「夫は小遣い制で、昼間に嫁は豪華なランチを食べている」なんていう典型的な悪妻像は過去のものとなりつつある。

むしろ今の時代「共働き」は必須で女性は働きながら子育てもしなければならず、その上未だに社会も男性も育児に寛容ではなく理解が無いのならば、少子化が進むのは必然だ。

それどころか男性側が結婚相手に収入まで求めるようになれば、女性側としてはどこまで負担を強いるのだと感じても仕方がない。

そもそも女性が結婚してバラ色の生活を送っているというのはドラマにしかないような話でしかなく、実際に自分の母親を見ても苦労していたという人が大半なのではないだろうか。昔から母ちゃんというものは大変だし、現代において働きながら子育てをしているママさんたちは本当に一生懸命生きている。

 

男側としてはこれでも懸命に生きているのだが、もう今の時代家族を支えられる余力のある甲斐性のある大黒柱になることは難しいのも現実で、そしてそこまで結婚に本気になるほどのモチベーションもないというのも実情だ。

いわゆる孤男が1人暮らしでも十分に生活できる環境が揃っている今、男性側が女性を家事の担い手として必要とすることもなくなっているし、更に言えば女性側の家事スキルも年々低下している。

男の甲斐性も低下しているが、女の家事能力も低下していて、なおかつお互いにひとり暮らしができる上に、そういう同性や同年代の仲間も多いとなれば未婚化は避けられない流れだ。

 

もう今の時代、男女が結婚して家庭を築くとなれば昔から交際関係が続いていてついに結婚したというパターンか、社会人になってからお互い本当に好きになって一緒に暮らしたくなったからというパターンくらいしかないのではないだろうか。

しかし現実に大人になってから、打算抜きで本当に好きだから一緒にいたいという恋愛も中々成立しづらいだろう。

結婚相談所や婚活パーティのようなところにいっても、結局お互いに品定めをしているようなものでスペックが物を言う世界が広がり、まるでオークションに出される商品になったかのような錯覚に陥るという経験談もある。

大人になってから自由恋愛で交際相手が見つかるような層は、既にパートナーが存在するわけで、都合よく「職場に出会いが無いだけで、恋愛対象としての魅力はある」みたいな層はそうそう余っていないのだ。

 

前述に「今の時代、家事の担い手を必要としている男性は多くない」と書いたが、「嫁さんの手作りの料理を食べたい」なんていう少年のようなピュアな夢を思い描いている層を除けばやはり独身男性はこれだけの外食大国日本で食には困らない。

そもそも家庭の味を受け継ぎ、花嫁修業で調理が得意な女性が少なくなっているわけで、完全に時代遅れの夢でしかない。その上、共働きを求める甲斐性の無い男性が、愛妻の手作り料理に味を求める資格などないのである。

そんなことは日ごろの感謝をこめて、週末には必ずフレンチレストランで御馳走するという気概の持ち主ぐらいしか求めてはいけないわけであり、底辺の独身男性は惣菜が半額になる時間を待つしかないのだ。

 

その一方で今後家事の担い手を必要とする可能性が高いのは、実は身近な存在、すなわち両親なのだ。

仮に今の女性層が専業主婦を望むのであれば、母親を頼ったほうがよほど成功確率が高いだろう。

 

それほど結婚したいとも思わないし、もう年齢的にも子育ても厳しく独身は覚悟しているという女性がいるとしよう。

結婚のタイムリミットが迫り、趣味はアニメと声優で、夜な夜な独り寂しくガルちゃんを見て泣いているようなイメージ像だろうか。

年齢は40歳、母親は65歳とする。

昭和の時代は25歳で出産は有り触れていたし、もちろん今の時代でも意外に多い。

そう考えると40歳女性で、母親は65歳で年金時給生活が始まるというモデルケースはわりとリアルな数字だ。

そういう女性層が実家暮らしで、母親と一緒に趣味を楽しみ日本のコンテンツ産業を支えているのであればいっそのことその生活を満喫してもらおうという方向もありかもしれない。

 

男性に比べて女性は平均寿命が長く、当然この母親も長く生きるだろう。

世界を見渡せば親の年金をあてにして子は無職という例は結構多く、日本でも今後そういった家庭は増えていくはずだ。

 

今の時代に勝ち組なのは、母親と一緒に持家で暮らして、父親が既に他界して遺産と貯蓄はそこそこあり、年金も入って来るので働かずに済む中年女性層だろう。

これが国民年金ではなく厚生年金だったらなおさら勝ち組だ。

ぎりぎり年金はマイナスにならず、趣味のために時々パートや短期アルバイトをして気ままに暮らす女性を誰が「行き遅れおばさん」と批判できるだろうか、むしろ最強の勝ち組ではないか。

その上、若いころ十分に恋愛を楽しんで愛に対する未練もなく男の現実を知っているのでそれほど夢も見ないとなればもう誰も勝てない。

更に言えばこれから女性主体のコンテンツは充実する傾向にあり、現にアニメやアイドルは女性の購買力頼みだ。

独身女性から資金がいくらでも集まるので豪華なことをやれるというのが、女性主体コンテンツの特徴で、某ジャニーズなどその典型である。

 

つまり今の独身男性は他の優秀な男性に負けているのではない、彼女たちの母親に負けているのだ。

老いていく母親の年金以下の甲斐性しかない負け組男性が増えている悲しい社会構造がそこにはある。

母親の年金よりも頼りにならないと思われている現代日本の男たちの姿がいかに哀れな事か。

 

これからの女性が当てにするのはむしろ母親であり、日本社会の風潮としても女性の家事手伝いはニートとみなされないことが多い。

かつては結婚まで働いて、寿退社で家庭にはいるというのが一つの理想像ではあった。

しかしこれからは母親が年金時給者になるまでほどほどに働いて、その後はパートをして貯蓄を積み立てて逃げ切るというのが女性のライフスタイルになっていくのではないか。

少なくとも自分が女性ならばそうするだろうし、男性との恋愛よりも母親との仲を充実させた方が割に合う。

 

もしくはどうしても結婚したいし子育てがしたいというのであれば、これまた壮絶な男余りになっている中国に嫁ぐというのもありかもしれない。

中国は富裕層の数が非常に多く、なおかつ夢を持ちやる気に満ち溢れている男性も多い。

日本で年収一億の男性と結婚しようと思えば、モデル級の美女や元アイドルなどでなければ難しいが、中国には年収1000万代を含めればかなり裕福な男性も多く、日本以上に発展した都市も出始めている。

日本の場合もう独身でいいという負け組を受け入れた男性も多いが、中国は親も含めて結婚に情熱がある家庭が多く、日本に対するイメージも過去最高の状態なので日本人女性にとっては超売り手市場となっている。

 

一昔前は結婚相手が見つからない女性といえば、よほど何か問題があるのか本人のこだわりがあるのかといイメージだったが、今は普通の女性でも中々結婚相手が見つかりにくくなっている。

それはなぜかと言えば日本人男性が劣化しているから、正確に言えばそれだけ男の活力が削がれてきたからなのだが、いずれにせよ「頼れる男」というのは希少な存在になってきている。

一人でバリバリ生きていけるキャリアウーマンになれないのであれば、母親の年金で逃げ切れそうな世代は母親と一蓮托生して、年金が当てにならなそうな世代は外国人男性探してくださいというのが、今の日本人女性に突きつけられている現実なのではないか。

 

これで余り物になった男は一見悲惨に思われるかもしれないが、実は大正から昭和の時代を除けば誰もが結婚していた時期は珍しく、昔から独身男性は普通の存在だった。

安易な勝ち組ルートは見つからないかもしれないが、男は男で生きていくしかない。

ひとり暮らしは更に簡単な時代になっているし、独身男性向けの娯楽も充実している。

もちろん日本の人口はこうして少子化によって減っていくが、緩やかな撤退戦の段階に入っていると考えれば、この社会構造がどこまで持つかというのは一つの社会実験と考えられるかもしれない。

超ソロ社会 「独身大国・日本」の衝撃

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小林祐希は長谷部誠の後継者になり得ると思うんだが

今の新生日本代表の森保ジャパン、正直に言ってかなりスタートの出だしが良くて期待できる。

トンがってるというか、イキッってる若手が多くて期待が持てるので実に自分好みだ。攻撃的にチャンスがあれば隙あらばと攻めてガツガツ攻撃に行く。

荒削りではある物の、点を取られればそれ以上取り返せばいいというスタイルで、見ていてワクワクさせられる。

この勢いの芽を摘まず、戦術を洗練させていけば守備にも攻撃にも強いというチームで次回のカタールW杯に挑めるのではないか。

やはり若者はギラギラしていなきゃいけないというか、そういう華やかな世界を日本中に見せつけることで「次は俺も」となっていく構図に期待したい。

 

よく「ゆとり世代は大人しく野心が足りない」という偏見が存在するが、しっかりとギラギラ情熱に満ち溢れている若手は存在する。

現在の森保ジャパンは、ウルグアイに勝つまでは監督が地味だと言われていたが実は若手が派手で、カズや北沢が選手で監督が岡田武史だったころに近い印象を受ける。

 

そのラストピースとして個人的に期待しているのが、現在オランダのヘーレーンフェーンでプレーしている元ジュビロ磐田所属の小林祐希だ。

ハリルジャパン時代にも定期的に呼ばれてはいたものの、結局西野ジャパンには招集されずロシアワールドカップ行きを逃すこととなった。

 

しかしその落選を決してマイナスと捉えず、「むしろ次回のW杯まで1か月早くスタートできた」とポジティブに考え内心メラメラと2022年のカタールに向けて燃えている男だ。

 

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この男、とにかくインタビューが面白く独自の価値観を持っている。

時にはそれが「本田圭佑の後継者」「偽本田」と取りざたされることがあったものの、本人は「俺は誰も物真似でもなく小林祐希」と全否定する。

しかしながらプレースタイルは左利きの司令塔であり、オランダ1部リーグでプレー、派手なファッションや言動をするのでどうしても本田圭佑を彷彿とさせるものがあるし、自分自身、そこはかとなく香る本田要素に惹かれて興味を持った立場だ。

 

だがよくよくこの男について紐解いていけば、決して本田のコピーではないことが分かって来る、そして小林自身の個性に溢れた魅力を感じられるようになる。

 

例えば本田圭佑が「ボンラチようやらへんで」というタイプならば、小林は必要があればそれを受け入れプレーする。現にオランダリーグでのキャリアはボランチでのプレーであり、地味に欧州の海外組としての出場試合数は多い。

 

本人の希望は前線のアタッカーであり、理想はドイツ代表のメスト・エジルであると語る。いわゆるトップ下、攻撃的ミッドフィルダーとして決定的な一瞬のパスで試合を演出し自分も得点を決めるというスタイルを模索しており、見た目に拠らず天才肌であり芸術肌だ。

その一方で身長は182cmと日本人選手の中では大型であり、これは本田圭佑や長谷部誠と同格クラスである。

 

現在の日本代表に唯一欠けているとするならばまさにこの高さであり、柴崎岳と遠藤航のダブルボランチには足りない物だ。

仮に小林祐希がここから日本代表のスタメン、そしてカタールワールドカップ行きを目指すならばこのダブルボランチの一角が現実的な視野に入るのではないか。

ここから劇的に攻撃センスや得点力が上昇することは考えにくい上に、クラブでもプレーをしていない。

オランダのヘーレンフェーンと言ったところで名だたるビッグクラブではなく、もはや今の時代、海外組だからと言って問答無用で招集される時代ではない。

 

小林がここからステップアップするのであれば、オランダの強豪PSVやアヤックスをめざしそこで不動のスタメンとなることが現実案だろう。

もしそのオランダ上位クラブでCL出場権を獲得し、欧州の国際舞台で活躍すれば日本における彼への注目度も増すはずだ。

 

本田圭佑がオランダのVVVフェンロからCSKAモスクワに渡り、ACミランに辿り着いたキャリア自体は経歴として素晴らしいが内容自体は決していばらの道ではなかった。

むしろ無駄にした時間の方が多いという印象さえ受け、本田がオランダの強豪を目指していればという仮定が今でも語られる。

誰の人間にも言えることだが環境を変えることは並大抵のことではなく、サッカーのリーグにも国によって違いがある。

 

1992年生まれという欧州においては既に若手だとはされなくなっている年齢において、育成リーグのオランダから劇的なステップアップを遂げるには余程の活躍が無ければ厳しい。

ましてや数字を残しにくいポジションで、チーム戦術の縁の下の力持ちを担っている小林にとって、セールスポイントとなる派手な結果は得にくい物がある。

仮に今季の1年で劇的な結果を残せなければ、欧州を流浪しJリーグに帰ってくるという結果もあり得る。

 

小林祐希という男は一人のファンが干渉するまでもなくよく考えている男であるというのは承知の上で、彼が日本代表に復帰する可能性を考えてみたい。

それは端的に言えば長谷部誠の後継者になることだ。

ロシアワールドカップを最後に代表を引退した長谷部も、元々は攻撃的ミッドフィルダーから守備的ミッドフィルダーにポジションを変えて大成した選手だ。

チーム全体に気が利きバランスを取れることが代表だけでなくヨーロッパのクラブでも評価され今もドイツのブンデスリーガで活躍している。

小林もまたオランダでチームメイトの気配りを発揮し、「昔は自分を推しだして尖がっていたけど、今は周りに気を使えるようになった。オランダでは自分よりも更に若手が多い。」と語っている。

 

ある意味ゆとり世代がこれから若手ではなくなっていく構図と似ているし、海外にはもっと生意気でガツガツした後輩が存在するはずだ。野心的だったはずの自分が、牙の鋭さを失い更なる若手に迫られてくる、そのことをひしひしと感じながら焦っている心理も存在するだろう。

 

「最後の勝負ののシーズン」といえばネガティブに感じるが、「本田圭佑もこの年齢の時ロシアやイタリアで逆境に直面しくすぶっていた」と考えると希望も湧いてくる。

 

かつて小林祐希は「宇佐美貴史や柴崎岳が出ている試合は見たくない」と同じプラチナ世代としてライバル心をむき出しにしていた。

もしその柴崎とダブルボランチを組めば日本代表としては頼もしい。

ボランチというポジションに限らず、前線にパスを送る役割として右利きと左利きの選手が混在していたほうが、当然ながら左右のバランスも獲れて攻撃が偏らない。

今の日本代表は右利きの中島翔哉と左利きの堂安律という理想的な両翼に支えられている。

この活き活きとした両翼を思う存分に活躍させるためにも小林のバランス能力は必要とされるかもしれない。

実際にプレースタイルを見たときもワンタッチでパスをさばく能力が非常に高く、前線に送る意識が高い。

 

本人は攻撃的なトップ下を理想に掲げているが、サッカーの世界において詳細なポジションを分類することは困難になってきている。

名前が同じでもクラブのチーム戦術によって役割は異なってくるし、シーズンによっても違ってくる。

クラブが違えば数メートルプレーエリアが違うだけで役割に劇的な変化が現れるものの、ポジションの名称は同じであることも多い。

 

sportiva.shueisha.co.jp

長谷部誠だけでなく、プレーエリアをやや守備方面に下げながらも攻撃的な役割を発揮し続けたという意味ではモドリッチやクロースはその典型例だ。

またピルロやブスケツは後方からゲームメイクを行い、チームに数々のタイトルをもたらした。

いいミッドフィルダーというのは一試合で派手な活躍をする選手ではなく、気づけばチームに数々のタイトルや実績をもたらしているような選手だ。

せっかく恵まれたフィジカルがあるのであれば全盛期の本田圭佑、もしくはポグバを目指すような体格作りをしたっていいかもしれない。

ポール・ポグバは全世界で見ても化け物のようなモンスター級の選手だが、何もこれからポグバの領域を目指す必要はない。

あくまで日本人選手の中でポグバのような立ち位置になれば、小林祐希の代表での地位とワールドカップ行きの切符は現実味のある物となる。

 

本田圭佑の世間の注目を誘う派手な言動とファッション、そして左利き要素に加え、第二の長谷部誠になれるポテンシャルも兼ね備えている。

カタールワールドカップまでのこの4年間、小林祐希は本田圭佑のように目標に向けて逆算しながら虎視眈々と夢を狙っているはずだ。

おまいらいつからアニメに夢見れなくなった?

ここ最近のアニメの衰退はもう取り返しがつかない段階に来ていて、終わる時はこうして終わっていくんだなと寂寥感を覚える。

正確に言えば女性向けが生き残ることに成功して、男性向けは滅んでいる。

更に言えばこの世の中において、もう男性向けコンテンツ自体が覇権を取ることが無いだろう。

アイドルにしてもアニメにしても、「男が思う理想」のようなオタク好みのものを増やしすぎた結果、ガラパゴス的な物が増えて細分化してしまった。

 

女性オタクが力を持っているのは、実家暮らしをして母親も一緒に楽しむから投資できる時間も金額も増えるというメリットがあるからだそうだ。

そう考えるともう男オタクの大半はオタク界という漠然とした夢に冷めて、自分の生活の現実に関心が行くようになる。

正直なところ自分も今更、アニメという夢の世界に夢を見るより「男の人生ってつまんねぇよなぁ」とか「男はもう負け組増えすぎてるよなぁ」なんて話題を見ている方が落ち着く。

 

日本人男性はオワコンと言えばオワコンで、自分自身その一人だ。

関心があるのが貧困や少子高齢化とかそんな話ばかりで、アニメに夢を見ている場合ではなくなったのだろう。

2006年ごろに大学生として涼宮ハルヒを見ていた人も、今や30代のアラサーだろうし余裕でアラフォーもいるだろう。

日本のネットがオタク文化で盛り上がることも少なくなってきたし、ネットのノリや雰囲気も変わって段々と居場所がなくなっていく感はある。

 

「俺は人生オタクを極めるぜ!」なんて意気込んでいた人も、アラサーやアラフォーになってくれば流石に現実に気付いてくるだろうし世の中が明るくなっていかないことも悟ってくる。

結局大部分の人間は普通に年を取るしかないのが現実であって、社会人として大人になっていけば生活のことで精いっぱいとなる。

 

これは男性に限らず女性もそうで、「アラフォークライシス」という言葉が使われているようだが就職氷河期世代を切り捨てたことも日本社会にとってダメージが大きかったのだろう。オタク文化だけでなく社会を支える主力層が疲弊しきっている。

 

もう子供作れないと分かった女性が、オタクライフに生きることを決め込むというのも今女性向けアニメ産業が活気づいている理由かもしれない。

逆に男は夢に陶酔する妄想力のようなものが女性に比べて低い傾向にあるので、現実を悟ることのほうが勝ってしまうというのもあるように思う。

就職氷河期世代が意識低い生き方をしはじめて、それを見たゆとり世代がさらに意識低くなって、その次のさとり世代は更に意識低くなってワンマイル族だとか言われ始めている。

 

こんな状況でアニメに夢を見ていられる能天気な人がそう多くは無いというのが男性向けアニメが終わったり原因というか、ネット黎明期の浮かれモードも現実が侵食して来て終焉を迎えたのかもしれない。

 

大部分の人間は普通に年を取るだけで、夢見た世界はやってこない。

アニメだけでなくゲームも世界的に予算高騰の流れで、そう頻繁に大作が出ない時代になろうとしているし従来のオタク型コンテンツは徐々に少なくなってくる。

 

そしてそういう事に夢を見るよりも、寂れた現実を嘆いている時の方が心が落ち着く。

アニメは人件費高騰という資本主義の現実に勝てないし、それを享受するオタク側にもそれを支える体力が無くなってきているし、ネット自体がそういうオタク的なノリで盛り上がるムードでもなくなってきている。

対立煽りとマウント取りくらいしかやることがなくなってきているし、現実社会の問題に忙しく夢を見ている場合でもない。

オタクやネットユーザー層が高齢化or貧困化して段々と現実に気付き始めて、浮かれモードではなくなってきた、それが真相なのではないか。

今後ネットで新しいジャンルが盛り上がるとしたら、一体それは何になるだろうか。

そしてそもそもそういう元気自体が無くなってきている。

男性向けコンテンツはこれから片隅に追いやられていくだろうし、かろうじて活気があるジャンルを探していくしかない。

海外コンテンツに活路を見出すというパターンもあるものの、結局これも一部の語学に堪能な人に限られるわけで誰もができるわけではない。

もしくは第三者に頼るという考え方は諦めて、自分で自給自足するかだ。

最後に自分好みのものを作れるのは自分しかいないという意味で、個人がコンテンツを作れる状況をもっと増やす以外に日本が面白い国になっていく可能性は無いようにも思う。

その意味でひろゆきのベーシックインカム論は中々面白いとちょくちょく聞いているのだが、まぁそういう社会制度にも期待できそうにないからこれだけ世の中暗いわけでね。

何とかこの状況から進歩することを目指さないと、本当に大部分の人間はただ年を取るだけという現実しかやってこない。そんな気がしてきて悲しくなってくるよ。

果たして人生で時間と金と愛が同時に揃う時はやってくるのだろうか・・・・

人間の人生における幸福を考えた時、「時間」「金」「愛」は根幹をなす三要素だと自分は考えている。

時間があってもお金が無ければやれることは限られるし、愛が無ければ孤独に苛(さいな)まれる。

お金があれば働かずに済むので時間は手に入るが、金で得る愛に一抹の虚しさも感じるだろう。金の切れ目は縁の切れ目ではないが、金で寄ってくる女性に心を開くことは難しいというのは純情すぎる恋愛観なのだろうか。

そして愛があったところで貧困ならばそれは続かないだろうし、時間が無ければ疎遠になっていくことだってある。

 

結局この三要素が都合よく揃う瞬間など人生において一瞬あるかないかで、男女問わず上手く揃えられている人は人口の少数でしかないだろう。

実際自分の場合時間はある物の、絶望的に金もなく愛も無い。

かといってその時間で金や愛を得るために本気になるかと言えば、面倒で途方もないので結局惰性で生きるかということになる。

自分がこの三要素の中でもっとも大事にするならばやはり時間だ。

よく最近の若者は給与の上昇よりも、余暇時間を求めると言われるがまさにその典型なのが自分である。

最低限で済まそうと思えば安くでそこそこ楽しめる現代において、人が時間を求める事は当然の帰結だろう。

廉価な缶酎ハイでも飲んでいればユーチューブに無数の動画もあるので時間つぶしには困らない。

世の中に面白い物が無くなろうとしても、奥の手として自分で面白いコンテンツを自分好みに自給自足するという奥の手がある。お酒を飲んで妄想していればそこそこ幸せだ。

 

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正直なところクリスマスもちらついてきたのでやはり彼女は欲しいという思いがある一方で、これまたアイドル見ていればそこそこ満足できるという事情もある。

よく日本の少子高齢化を助長し発展を阻害しているのはアイドル文化だとか言われるが、まぁアイドルを脳内彼女にしていればいいかと思えば多少幸福度は上げることができる。

もちろん現実を感じる時もあるが、少ない労力でその気になれるならばまさに「安かろう悪かろう」で受け止められるし、もう少し裕福になれば風俗だのキャバレークラブだの別の手段も充実している。

自分が努力していないのだから、その程度の結果にしかならないのは仕方がないのも事実だ。

ソシャゲで嫁キャラクター作っていればいいし、創作で自分好みのキャラクターを作るという奥の手も存在する。

 

理想は金持ちの美人の彼女を作る事であり、どこかの社長令嬢が彼女になってくれないかなという淡い希望はある。

しかしお金があって年下で美人の彼女となれば、もうそれ渡辺麻友くらいしかいないだろと。

「まゆゆ彼女になってくれないかなぁ・・・」と思いながらも、向こうもニートの彼氏など嫌だろう。

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※軽蔑した視線で見てくる渡辺氏

 

ついでに言えばやはり若さも大事で、おGちゃんになってから孫に囲まれて幸せだなんて思いは一切ない。おGちゃんになった時、お金と愛と時間があったところでそれほど嬉しくないし、そもそも日本社会の未来を考えるとそれすら不可能だろう。

自分はある意味ナルソシティックなところがあるので、自分に酔っていたいという思いもある。自分というキャラクターに陶酔していなければ自我が保てないので、老後幸せな姿に何も憧れは感じない。

 

生き急いでる感はあるけれども、現実としてタイムリミットは迫っている。

そりゃ男ならばいい車に乗って、いい姉ちゃんを助手席に乗せたいという思いはある。

それこそみすぼらしいおGちゃんになった時にいい車に乗っていたところでかっこがつかないじゃないか。

 

そういえば昨日コンビニに行ったとき、おそらく自分と同じくらいであろう野郎が、中古車とはいえそこそこかっこいい車に乗って中々美人な彼女を乗せていた。

しかし別に嫉妬の思いに駆られたわけではなく、素直に凄いと思った。

「こいつ相当一生懸命生きてるんだな」と尊敬すらするというか、こんな田舎でよく中古車とはいえ中々いい車に乗って、彼女まで作っているなと。

自分の人生プランなら今ごろ俺は新車のマセラティのグラントゥーリズモに乗って、美人の姉ちゃんを隣に乗せて風を吹かせているはずだったのだが・・・

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※美人の想像図

 

ただ自分は美人に別段こだわりがあるというわけではなく、どちらかと言えば素直に若さにこだわりがある。

普通の男性の心理かもしれないが40歳の美魔女より、20歳の舞祭組のほうが個人的には惹かれる。

しかしまぁ自分の甲斐性の無さが情けないというか、彼女作っても維持できそうにないというのも現実としてはある。この人のためなら本気で生きたいと思える女性に出会えるものなのだろうか。

 

婚活でも最近は男性側が女性に収入を求めるようになっているいう傾向にあるけども、自分は元々アニメでもお嬢様キャラが好きなのでその傾向は強い。

そう考えればますます渡辺麻友しかいないということになるが、まゆゆは俺に見向きもしないだろうなぁ・・・笑

ただ本当に好みならお金など関係ないが、問題は女性側にお金が関係ないという人がそう多くは無い現状で、結局やっぱ俺がなんとかするしかないと思えるかどうかだ。

 

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中島健人がラブホリ先輩なら、自分はアルホリ先輩である。

中島健人「俺、ラブホリック(恋愛依存症)なんすよぉ」

ワイ「俺、アルコホリック(アルコール依存症)なんすよぉ」

慢心、環境、才能の違い、どこで差がついたか。

いやそもそも比較対象ですらないだろう。

ぐるナイで上手い飯を食べる中島氏と、それを見ながらストロングゼロを飲む自分、なぜこうも違うのか笑

ケンティーは好きですよ、もちろんね。

 

うーん、どうにも考えれば考えるほど絶望しかない。

しかし一瞬だけでもそのような時期があってほしい、それはきっと人生のよきアルバムの1ページになるだろう。

時間はあるようでない、去年も同じことを感じたが気づけば灼熱の夏から、寂しさを感じさせる秋の風が吹いているように時は過ぎていく。

まぁ来年から本気を出そう。

アニメやゲームの面白さは「人件費」の犠牲でしかなかった事実

資本主義の経済構造というものは何においても金、マネー、そして金である事実を誰も否定はできない、

共産主義者や社会主義者ですら、そして宗教家も敗北した21世紀の現代において、このマネーゲームに誰しもが参加をさせられる。

 

自分ははっきりと言いたい、コンテンツ作りは立派な労働行為であると。

好きなものを好きで作っているから金銭的なやり取りは醜悪であるという幻想的な考え方はどうか辞めていただきたい、というか本気で夢を描くために活動している人など存在しない現実を把握していただきたいのがクリエイターとしての本音である。

 

はっきり申し上げよう、アイドルはファンに夢を与えるために笑顔で手を振っているわけではない、マネーをいかに効率よく巻き上げるために手を振っているのだ。

サンタクロースがいないことなど小学校中学年ぐらいには大体悟るように、世の中で本気で夢のために活動している人などいないことぐらい成人になるぐらいの年齢に既に悟っていなければならない。

残念ながらこれが資本主義世界の現実だ。

 

「コンテンツ作りは労働行為」という意味では、世界の国々は発展段階を終えると余裕を持ち趣味や余興に走る傾向がある。

要するに国民が馬車馬のように働いていた時代が終われば、生活に余裕ができて趣味やコンテンツ、芸術の世界に興味を示すようになるという現象はどこにでも共通している。

 

日本だって西洋に家電や自動車を売る時代が終わればイギリスのクールブリタニア政策を後追いしクールジャパンだと言い出すようになったし、中国も安い人件費で世界の工場だった時代が終わればコンテンツを生産するようになり今ではアズールレーンだとかいってむしろ日本にコンテンツを輸出するようになっている。

 

日本が「安かろう悪かろう」の時代から高品質を代名詞とする先進産業の国になったように、質の悪い抗日ゲームを作っていた時代から世界のゲーム産業をリードする国になったのが中国だ。

こうして人は裕福になり余裕を持てるようになれば、娯楽に視点を向けるようになる。

 

しかしこれが真の問題で、「先進国化することで国民が良い待遇を求めるようになる」という贅沢さも同時に発生してしまう。

日本ですでにブラック労働を嫌う若者というが主流になっているが、実はこれは中国にも共通しており、どの国も人権意識が高まる傾向にあるのが現代だ。

実際中国もかつてのように安い人件費で大量の労働力があるという国ではなくなっており、むしろ中国がアフリカに安い人件費を求める時代になっている。

 

絵を描いた人や動画を作った経験がある人ならば実体験として分かるはずだが、とにかくこういったコンテンツの生産というものは非常に時間がかかり、神経も浪費する。

しかし残念なことに、消費者という物はこういった労力を理解してくれず「好きでやっているんだから資本主義とは関わらない夢の世界であってくれ」という幻想が存在する。

 

これまで日本人が夢見てきたアニメの世界も実はアニメイターのブラック労働に支えられてきただけでしかなかった。

要するに安い人件費で働く中国人や韓国人に発注していただけであり、国内では「良い経験になる」という幻想を持ったアニメーター志望の人材を酷使していだだけでしかなかった。

 

アニメーターの実態など酷い物である、日給3000円で長時間労働だというのが現実であり、これだけ人権意識が高まった今「技能が磨ける」というプロパガンダでは誰も人が集まらない。

そして若者がそういった都合の良い謳い文句に騙されないことは世の中の必然的な流れだ。

 

アニメや漫画に限らず、大体の発展において実はブラック労働によってまかなってきたというのは事実であり、人権意識の高まりというのは世の中に発展においてマイナス要因であることは否めない。

実際自分も昭和の時代ならサラリーマンとして馬車馬のように同調圧力の時代に働いて、健全な納税者と家庭の大黒柱として社会に貢献していただろう。

 

アニメや漫画というものは何も日本人が素晴らしいアイデアや発想を持っていたから、面白い物を作っていられたわけではない。

それは生活に余裕があり、好きなことを楽しめる製作者側と消費者側の余裕があったからだ。

そして今や中国の安価な労働力は中国国内の内需として使用されるようになり、日本側が使う時代でなくなりつつある。

先進国だから後進国の人件費をいくらでも使い倒していいという時代が終わった後の現代において、新しいコンテンツは作られにくくなっている。

 

そう考えると本当に個人が小規模で作る個人創作の時代が来るのかもしれないし、「収益がいかに人件費を上回るか」という資本主義の原則とも言える勝負をどれだけ切りつめられるかという時代になってくる。

工業製品の製造や都市開発を大々的に行う時代が終わりつつある今、コンテンツの生産というのは第三次産業として注目されつつあるが、実質的にはやはり人件費が必要な労働でしかない。

このことをどれだけ現代人が理解できているか、それが現代資本主義の寿命に直結している。

新元号の時代から日本は「脱90年代」をしていく必要がある

1990年代というのは戦後日本の極致であり、ある意味で完成形とも言える時代だったのかもしれない。

別の言い方をすれば、良い意味でも悪い意味でも90年代に答えが出てしまったことでこの30年間、つまり平成という時代自体が90年代の焼き増しをひたすら続けてきた時代だった。

 

社会構造から文化面に関してまで実は全てが90年代に答えが出ており、直接的にも間接的にもその時代の影響を受けた現代日本人は90年代型の人間が主流となっている。

おそらく今後しばらくの間、この「90年代型人間」というのが主力であり続けるだろう。それゆえにもう日本に新しい物は登場しないだろうし、大きな変化も無いと自分は考えており「まぁ日本ってもう変わらないし、変わる必要もないし、変わることを望んでもいないんだろうな」という心境に達している。

 

「新しい事はもう期待しないでください」というのが現代日本人に突きつけられている現実なのだ。

よくよく考えれば例えば漫画やアニメ、ゲームのようなオタク文化でも、今も続いている長寿コンテンツを見れば大半が原作が90年代に作られている物が多い。

名探偵コナン、ポケモン、NARUTO、ONE PIECE、どれも90年代に始まっている。

また芸能においてもブレイク自体は新世紀に入ってからの00年代だとしても、デビュー自体が90年代というケースは多く、ジャニーズの嵐はその典型だしSMAPもそうだった。V6やKinKi Kidsも今でも人気が高く、日本が本当にかっこよく最先端だった時代の申し子だ。

宇多田ヒカルやモーニング娘。などもそうだし、代表格として安室奈美恵はまさにこの30年の象徴だったと言える。

経済的には80年代が日本の黄金期だとすれば、90年代は文化の黄金期だった。

 

だからこそ安室奈美恵の引退と共に、文化的にも新時代が始まっていくことが自然な流れだが、現実問題として90年代のものを超える物や人は登場しないのではないかという問題も存在する。

 

例えば原作が90年代の物を超える面白い漫画やゲームが登場するだろうか?と考えると、正直そのイメージはわかないどころか今後しばらくの間90年代のものがまだ続いていく可能性の方が高い。

ポケモンと遊戯王はその代表格で、わざわざ新しい物を作るよりも続編が登場し続けることのほうが日本人にとっては面白いという構造がある。ポケモンに関しては日本人だけでなく世界でも人気があるので、まさに90年代文化の象徴だ。

 

「コンテンツ生産能力」に関して言えば日本人は90年代が最も高かった。

今も人気が高いコンテンツは大半が90年代に始まっている物ばかりだ。

声優などを見ても分かるように、昔の人材はあらゆることができる多種多様な能力があった。しかし現代の養成所で育っている声優は、「主人公やヒロインの声しか出せない」ということが多いし、漫画も「美少女やイケメンのキャラクターしか描けない」というクリエイターが多い。

 

コナンやNARUTO、ONE PIECEを見ればわかるように、とにかくいろいろな年齢のキャラクターが多く時には人ではないキャラクターも登場する。

「人以外のキャラクターが描けるかどうか」というのは問題で、遊戯王に関しても原作者のデザインが一番優秀で個性があるが、今のTCGは人以外のキャラクターを描けないのでどうしても人間系のキャラクターが多くなっているという構図がある。

声優はメインキャラクターしか演じられないし、デザインは人以外描けないというのが現在のクリエイターに共通している課題だ。

成功者の模倣をしている人は成功者になれないと言うが、その人にしか出せない声の演技というのは養成所では教えられないし、独自にモンスターをデザインする能力も誰かに教わる物ではなく趣味でやっていたらいつの間にかそうなっていたという説明できないもののほうが面白い。

このように本当に面白い物はオーパーツ的であることが多い。

 

90年代までの人材はいろいろなコンテンツだけでなく教養を吸収していたが、今の時代は好きな物だけを楽しむことが許されるし、それだけ好きな物が細分化して充実しているとも言える。

 

スマホやインターネットが登場する以前は漫画の種類も少なかったり、テレビ番組も決められた時間に見るしか無かった時代もある。

「今日は面白い番組はやっていないけど、仕方なくテレビをつける」とか「目当てのCDやレコード、書籍を探しているうちに他の物に出会う」ということが無くなっているのだ。

これは良く問題視されており、今はスマホやネットですぐに自分好みのものに行き着くことで新しい発見が無くなっているのが現代人の特色だ。

面白いテレビがやっていなかったらスマホで好きなユーチューバーを見ることができるし、録画機能なども現在は充実している。

食事中にスマホを使うことが良くないとされていた時代から、くだらないテレビ番組をみるくらいならスマホで情報収集をしたほうが良いなんて主張をするホリエモンのような人も現れている。

もう今の時代お茶の間で家族が同じ番組を見るという時代は終わり、一人でスマホを見ながら食事をするというのが現代人のライフスタイルだ。

 

だからこそ多種多様なことができる人材が今後枯渇する可能性もあり、それこそ「メインキャラクターの声しか演じられない新人声優」みたいな人材があらゆる分野で出現することになっていくだろう。

漫画に関しても一人でなんでもできる作家が減り、それこそ美少女キャラしか登場しない日常アニメばかりになっていく構図がある。

昔の漫画家は絵自体が上手く様々な物を趣味で描いていた経験がある。

その一方でけいおん!以降は本当に萌えキャラしか登場しない作品でも成り立つようになったし、作家は限られたことしかできないし、受け手も限られた物しか見ない時代になっている。

 

クリエイターに限らず一人の人間としての器のような物が現代は縮小していく傾向にあることは否めない。

人付き合いも結局大人になっても昔からの友人だけとしか話さないとか、同年代としか付き合わないという人も増えている。これは若者に限らず、例えば上の世代も結局上の世代同士の方が問題が共通しているので話が合うという時代になっている。

 

「昔から好きだった菓子パンをずっと買いつづけて、店舗から消えたら文句を言うおばあちゃん」みたいな人が現代人の主流になっており、新しい物を吸収しなくなっているのだ。

日本人全体の傾向として「昔からずっと好きだったものが好き」となっているし、新しい物にチャレンジしない風潮が形成されている。

「流行に騙されるのは逆にダサい」みたいな空気がネットによって形成されたことで、新しい物が好きだという感覚が現代人から消えている。実はそういった感覚は発展のためには必要なのだが、徐々に現代人は懐古傾向になっている事は否めないし自分もその一人だ。

 

別の言い方をすれば「新しい物に面白い物が無い」のも現実であり、昔の物のほうがクオリティが高いのも事実だ。

例えばよく懐古厨の間で「クレヨンしんちゃんの映画は昔の方が面白い」と言われるが、それがまさに典型で自分自身最近のクレしん映画は見ていない。

大人帝国で「昔にすがる大人になっちゃいけないよ」と教えられて育ったはずの子供が、今の大人になって同じく昔にすがる大人になっているというのが皮肉な現実だ。

 

「懐古するおとなを描いた作品を見ていた頃を懐古する」という二重懐古のような現象が起きており、本来は新しい時代を作るはずだったゆとり世代が単なる懐古厨になっているのだ。

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新しい時代に希望が持てないのは仕方がないし、夢を持たない若者より夢を持っても無駄な社会の方が当然悪いと自分は常々主張している。何より自分がその「90年代製」の人間であり、90年代の物にすがっていたほうが心地が良いというのも否定はできない。

21世紀生まれも実は90年代に作られたインフラや文化をそのまま享受しており本質的に大きな変化はない。

 

社会問題に関しても晩婚化や少子高齢化といった今に通じる問題は90年代に発生しており、その問題を解決できずに日本はこの30年の間、平成という時代を歩んできた。

それまでお見合いで誰もが結婚していた時代が終わり、結婚だけが人生ではないと言われ始めたのも大体この時代だ。日本人全員が同じことをするという時代ではなくなった30年だったとも言える。

 

国内的には1989年の昭和の終わりと1991年のソ連崩壊以降に作られた世界情勢の構図の中で、現代日本の形が作られてきた。

社会構造においても文化面においても約30年のこの時代はこれからもおそらくは続いていくだろう。

 

身の回りにある物は大体90年代にモデルが完成されており、例えばコンビニエンスストアなどもその典型だ。

よく日本の風景が「どこにもコンビニやイオンがあるだけで、80年代までのほうが昭和の香りがあった」と言われるが、脱80年代脱昭和を掲げて歩んでいった結果逆に脱平成脱90年代ができなくなり始めている。

中途半端に便利でそこに慣れている人が主流であることで、世の中が変わりにくくなっているのだ。

 

問題なのはそれを成し遂げられる人材が多くは無いという事であり、良くは無いかもしれないが変える力も無いので惰性で生きるしかないという人が増え始めている。

音楽はいつまでミスチルを聞いているのか、漫画はいつまでワンピースを見ているのかと言ったところでじゃあそれより面白い物が登場するかと言えばそれは難しい。

限られた世界だけで完結する傾向にある現代に比べて、かつてのクリエイターは人生経験自体が多種多様で、時代もまた激動に溢れていた。

ものづくりという面において人間が自分の作る物に反映するものは、必ずしもその分野だけの専門知識ばかりではない。関係ないと思われる別の分野のセンスや経験が、思わぬ形で通じていることは多い。

 

声優に関しても声優の養成所に入って既定の知識だけを学んだ人よりも、声優という職業がそれほどメジャーではなかった時代に、芸能界崩れや元ナレーターやアナウンサーという経歴の人がなっていたからこそ別の知識が生きていた。

元々は歌手志望だったがなれなかったので仕方なく声優をやっていたような場合の方が、人生経験に富んでいて演技に反映できるものが多かった。

それと違い今では声優という職業がまるでアイドルのように確立されており、最初からそこに憧れてなるので演技の幅の広さというよりも単にアイドルとしてどれだけファンを増やせるかという事の方が大事になっている。

漫画家やイラストレーターも萌え系の美少女キャラクターをどれだけ描けるかでしかなくなっているし、創作の幅という物が狭まってきている。

 

カイジやアカギが面白いのは作者自身が人生で様々な修羅を潜り抜けてきたからという意見があるが、まさにその通りで面白い作品というのは作者自身の人間力や魅力がどれだけ深いかによる。

もっとさかのぼれば手塚治虫はその典型で「スポーツ漫画以外全部やっている」という幅の広さがあり、なおかつ漫画という物が文化として確立されていなかった時代に試行錯誤を繰り返していたからこそ数多くの作品を作り上げられた。

そういう時代の作家が減り、けいおん的日常漫画や、俺TUEEE系なろうラノベばかりになると当然面白い物は減ってくる。

 

アイドルもAKB48自体は2010年代に入ってからの音楽業界を劣化させたと批判されるが、初期のメンバーは劇場に数人しか客が入ってなかった頃から活動していたからこそ全盛期を作り上げられた。

そしてこれが「AKBが人気になってから憧れてAKBになる世代」が主流になるともう劣化が始まり、突出した人材は現れなくなってくる。

逆にTWICEの日本人メンバーのように日本の中で芽が出なかった人が、海外に拾われて花が開くというケースも存在する。これも韓流で日本人がアイドルになるというモデルが確立されてから憧れて目指すことが普通になると、同じような問題が発生する可能性もある。

アイズワンでこの流れは加速するかもしれないが、逆にアイズワンまででその後は雨後の竹の子のように増えたバーチャルユーチューバーと同じ運命を辿るかもしれない。

 

結局のところ制度やシステム、トレンドが確立されてからだと最適解のテンプレ行動しかしなくなるという現象は何においても通じており、開拓精神がある人材というのはそう多くは無い。

ゲームやTCGも攻略wikiが充実し始めるともう皆同じものしか使わなくなり、「好きな物で戦う笑」みたいな風潮になり本当にそのコンテンツ愛がある人は去っていく。

本当にポケモンカードが好きで流行っていない頃からやっていた人が主流だった時代のほうが面白く、今のTCGガチ勢が流れてきて市場を荒らすようになってくるともう衰退の始まりだ。

 

ポケモンバトルも本当に好きで、「高校生になってもポケモンをやってるのはダサい」という風潮の中でバトレボをやっていた頃はワイワイとした温かい空気感があった。

これが好きなものにこだわる人が軽んじられて、ガツガツしたユーザーばかりになるとどうしても本当にコンテンツ愛がある人は去っていき結局は過疎環境になっていく。

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試行錯誤をして好きだからいろいろなことをやっている時代の方が何においても面白く、結論が出てからそれを模倣したり踏襲したりするだけになってくると後は右肩下がりとなる。

これがまさに「90年代から抜け切れない日本」の本質的な構造であり、そもそも明治の近代制度からも抜け切れていないと主張する落合陽一のような人材も存在する。

 

これからの日本を変えるならば落合陽一に続く人が現れなければならないし、彼こそが21世紀型の新しい人間として可能性がある。

しかし「落合陽一が日本に絶望して海外に行くとすれば、それは老害に絶望するよりも、やる気や情熱が無い若者に絶望した時」という声もあり、自分自身その意見に納得した部分もある。

 

「夢を持たない若者より、夢を持っても無駄な社会が悪い」というの事実だが、同時に若者劣化も事実は事実だという面もある。

それまでのやり方が通じなくなってきたときにこそ、新しいことを試すしかないし、そういう時に新しい人材は現れる。

しかし、しばらくの間日本という国はまだ過去の遺産に頼れる国なので新しいことをやる必然性がまだ高くは無い。

つまりポケモンはまだ面白いし、ワンピースも続くし、ジャニーズもなんだかんだでまだまだグループは出てくる。

安室奈美恵引退しても、宇多田ヒカルも西野カナもいるしみたいな時代でちょっと劣化していく程度ならまだ持つには持つので、これからも日本はそれほど多くは変わらないよというのが全体的な流れである。

 

しかし90年代に作った箱というものがだんだんと老朽化して時代に合わなくなってきているのは事実で、だからこそ新元号の時代になった時にどうなるかが問われる。

車と一緒で日本製は丈夫でもちが良いのは事実で、そこまで頻繁に買い替える経済力が無いのも事実となれば、しばらく変えなくてもいいよねという結論になるのは必然だろう。

中国が電気自動車を国策で開発してクリーンエネルギー時代やキャッシュレス時代に向かっているときに、昔の中古車と現金社会でいいというのが日本だという現実を受け入れるしかないのもまた現実だ。

国家プロジェクトで国益のために大規模な施設を作る国と、業者が利益を得やすいから予算の引っ張り合いで地方に誰も使わない建物を作る国、綺麗に分かれている。

そう考えると脱90年代というのは相当時間がかかるだろうし、落合陽一は海外に行ってしまう可能性の方が高い。

「新しい物を作る余力が無いので使い古すしかない」、この現実的な構造を変えるには別の角度から見た新しい視点が必要になりそうだ。

日本人の海外移住先としてオランダは有力候補になる

海外移住を目指して英語を学んでいる人にとって、実は隠れた穴場と言えるのがオランダだ。

特にヨーロッパへの移住を希望しているならなおの事オランダは有力な候補地だと言えるかもしれない。

 

欧州の英語圏と言えばこれまではイギリスが代表格だったものの、近年EU離脱を国民投票で決定してヨーロッパ大陸とは距離を置こうとしている。更に元々移民に対する差別意識も強く、食事へのこだわりが強い日本人にとっては決して住みやすい国とは言えなかった。永住権や国籍を取得することも難しく、物価も非常に高く食事なども美味しい物となれば高い上にそもそもイギリス料理ではないということが多い。

イギリスにも美味しい料理はあるが、それは高い上に海外の料理だ。

 

それらのことを勘案すると余程イギリス文化に興味関心が無い限り、今後日本人がイギリスへの移住を目指すメリットはそれほど大きくは無いように思う。

難易度が高い上に快適でもないならわざわざ移住する必要性は薄いのではないか。

 

むしろどうしてもヨーロッパに住みたいが外国語は英語しか勉強していないという場合、その代案となるのはオランダになるかもしれない。

欧州の中でも最も英語が通用する国であり、事実上の準英語圏のようなところがあるだけでなく移民受け入れに対しても寛容な伝統がある。

もちろん近年排外主義的な傾向も無い事は無いのだが、難民ではなく先進国から優秀な移住者がやってくることに関しては歓迎する人々が多い。

 

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よく「オランダは第二次世界大戦で日本に植民地を奪われたので反日だ」という俗説が存在するが、むしろ欧州でトップクラスに日本人への印象が良いがオランダなのではないかと自分は考えている。

それがなぜなのかというと、有名な歴史的画家のゴッホが大の浮世絵好きだったことである程度日本文化がリスペクトされていることに加えて、近年サッカー選手のオランダでの活躍が良い印象を残しているからだ。

特にフェイエノールトでプレーした小野伸二の活躍は今でも伝説として語られており、オランダで最も有名な日本人と言えるかもしれない。

その後にも本田圭佑が即席を残し、今では堂安律と小林祐希がプレーしている。

今後、堂安律の活躍は特に期待されるので日本人のイメージは更に良くなる可能性も否定できない。

 

サッカーオランダ代表は以前ほど強くはなくなっているしエールディヴィジの欧州での地位も低下している傾向にあるが、依然としてオランダではサッカーが国民的なスポーツでありサッカー好きにとってはオランダは更に魅力的な国だと言える。

日本にもオランダ代表のファンは多く、ヨハン・クライフやファン・ニステルローイ、そしてウェズレイ・スナイデルなど名が知られた世界的名選手を輩出してきた。特にスナイデルは長友佑都とインテル時代にチームメイトだったこともあり、その交友は今でも続いている。

 

サッカーを通して知るオランダの事情としては、日本人が非常に住みやすいこととやはり英語力の高さだ。

まず欧州でプレーする日本人選手の経験談の中で、差別的な行為にあったという話はほとんど聞こえてこない。

どの国も多少ちょっとした差別行為があったという話が存在するのだが、オランダに関してはほぼ聞いたことが無いどころか非常に暮らしやすそうだという話の方が多い。

またオランダ人サッカー選手の英語でのインタビューなどを聞くと、実際に英語力はかなり高くむしろイギリス人の英語よりも聞き取りやすいぐらいだ。

 

それがなぜかと言えば本田圭佑が語っているように、テレビ番組で英語字幕が普及していて日常で英語に触れているからだという事と、通商によって成り立ってきた国なので外国語を重視している歴史があるからだろう。

 

元々、オランダ海上帝国と言われ世界の海を支配していた時代があるし、日本の出島にやって来たことは日本史の授業で必ず習う。

歴史を見れば第二次世界大戦の時に対立していただけで、実は日蘭関係は良好だった時間の方が長く日本人にとって欧州の中でも縁が深い国だ。

150年前に結ばれた日蘭修好通商条約がまだ有効なので日本人が働きやすいという話もあるぐらいで、サッカーと同じくまさに欧州の窓口だと言えるかもしれない。

人権意識が非常に高い国なので当然ブラック労働のようなものもなく、個人の自由を尊重する国なので日本で息苦しさを感じている人はオランダへの移住を考えてみてはどうだろうか。

 

英語圏の国と言えばイギリス以外にも、アメリカやカナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどがあるし、シンガポールやインドも英語は広く通じる。

ただどこも永住権を取る条件が難しかったり、特にインドの場合先進国になるにはまだ時間を要するので住みにくいという事情も考えられる。

一方でオランダは実は経済的にも発展しており、近年経済成長率も高く生活水準は高い。

自分はオランダには行ったことがないものの長崎県で少しオランダの雰囲気を体験したときのことは今でもいい思い出となっている。幻想の持ちすぎは良くないかもしれないが綺麗な国であることは世界的にも評判だ。

 

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またどうしてもヨーロッパが良いというこだわりがある場合、イギリスがEUを離脱するというのは条件としてかなり厳しくなっていく可能性が高い。

EU圏内の国籍があればほとんどの欧州は自由に行き来できるので、できればイギリスはEUに留まっていたほうがよかったのだがもうそうではなくなろうとしている。

逆にオランダは隣に欧州最大の経済大国のドイツがあり、車で気軽に行き来できる距離にある。

欧州に住んでいろんな国を周ってみたいと考えるならばオランダは英語が通じることと、移民受け入れに寛容な事も含めて便利な国だ。詳細な条件は他にも存在するが、5年済めば永住権が獲れるようなので移住の難易度は比較的低く、住むメリットも大きい。

例えばフランスだと、フランスに住んでいるならフランス語を使うべきだというような風潮が存在するし、イタリアは日本人とほとんど変わらないような英語力だと言われている。

 

第二外国語を新たに学ぶのはやはり時間もかかり大変なので、できれば英語が通用する国がいいと言う場合やはりオランダは魅力だ。

もちろん現地の生活で多少はオランダ語が必要になるかもしれないが、英語で補完しながら暮らしていけばそれなりに覚えていくことは可能だろう。

実際、本田圭佑がオランダでプレーしていたときはほとんど英語が話せないような状況で移籍して、そこから現地で英語を学んで行っていた。

オランダ語の勉強よりも、他の欧州で通じる英語を勉強したいという希望を出せばクラブ側もそれを許してくれるような風土がある。例えばドイツやスペインでプレーする選手の話を聞くと、ドイツ語やスペイン語を覚えなければならないという物が多いが、オランダに移籍する選手はほとんど英語だけで通用していることが多い。

 

サッカー選手の話なのでこれがオランダの事情の全てというわけではないが、英語でそこそこ何とかなる国であることは間違いないようだ。

また日本人で北欧に憧れる人は多いが、例えばフィンランドの場合、フィンランド語は世界で最も難しい言語の一つでありやはり語学が壁になる。

美しい景色で幻想を抱くかもしれないが、気候も寒く税金も高いので実際は暮らしにくいのも北欧に共通している。その点で比較的温暖で平地が多い上に、近隣の欧州諸国にも行きやすいオランダは欧州に住む拠点としてはベストな国の一つだと言える。

 

またカリブ海にキュラソーのような海外領土があり、南洋の島国にも住める可能性があるというのはオランダを選ぶ上で更なる魅力になる。

欧州の中では比較的に差別意識も低く、人権意識が高くわりといろんなことに自由で規制が少ないというのも開放的に暮らせる要因になるかもしれない。

こうして考えるとオランダは日本人が見落としがちな穴場として、海外移住の候補先になるのではないか。今すぐ具体的に行動するというのは難しいが、とりあえず英語を勉強する将来の目的の一つぐらい考えるだけでもモチベーションが違ってくるだろう。

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