負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

アニメやゲームの面白さは「人件費」の犠牲でしかなかった事実

資本主義の経済構造というものは何においても金、マネー、そして金である事実を誰も否定はできない、

共産主義者や社会主義者ですら、そして宗教家も敗北した21世紀の現代において、このマネーゲームに誰しもが参加をさせられる。

 

自分ははっきりと言いたい、コンテンツ作りは立派な労働行為であると。

好きなものを好きで作っているから金銭的なやり取りは醜悪であるという幻想的な考え方はどうか辞めていただきたい、というか本気で夢を描くために活動している人など存在しない現実を把握していただきたいのがクリエイターとしての本音である。

 

はっきり申し上げよう、アイドルはファンに夢を与えるために笑顔で手を振っているわけではない、マネーをいかに効率よく巻き上げるために手を振っているのだ。

サンタクロースがいないことなど小学校中学年ぐらいには大体悟るように、世の中で本気で夢のために活動している人などいないことぐらい成人になるぐらいの年齢に既に悟っていなければならない。

残念ながらこれが資本主義世界の現実だ。

 

「コンテンツ作りは労働行為」という意味では、世界の国々は発展段階を終えると余裕を持ち趣味や余興に走る傾向がある。

要するに国民が馬車馬のように働いていた時代が終われば、生活に余裕ができて趣味やコンテンツ、芸術の世界に興味を示すようになるという現象はどこにでも共通している。

 

日本だって西洋に家電や自動車を売る時代が終わればイギリスのクールブリタニア政策を後追いしクールジャパンだと言い出すようになったし、中国も安い人件費で世界の工場だった時代が終わればコンテンツを生産するようになり今ではアズールレーンだとかいってむしろ日本にコンテンツを輸出するようになっている。

 

日本が「安かろう悪かろう」の時代から高品質を代名詞とする先進産業の国になったように、質の悪い抗日ゲームを作っていた時代から世界のゲーム産業をリードする国になったのが中国だ。

こうして人は裕福になり余裕を持てるようになれば、娯楽に視点を向けるようになる。

 

しかしこれが真の問題で、「先進国化することで国民が良い待遇を求めるようになる」という贅沢さも同時に発生してしまう。

日本ですでにブラック労働を嫌う若者というが主流になっているが、実はこれは中国にも共通しており、どの国も人権意識が高まる傾向にあるのが現代だ。

実際中国もかつてのように安い人件費で大量の労働力があるという国ではなくなっており、むしろ中国がアフリカに安い人件費を求める時代になっている。

 

絵を描いた人や動画を作った経験がある人ならば実体験として分かるはずだが、とにかくこういったコンテンツの生産というものは非常に時間がかかり、神経も浪費する。

しかし残念なことに、消費者という物はこういった労力を理解してくれず「好きでやっているんだから資本主義とは関わらない夢の世界であってくれ」という幻想が存在する。

 

これまで日本人が夢見てきたアニメの世界も実はアニメイターのブラック労働に支えられてきただけでしかなかった。

要するに安い人件費で働く中国人や韓国人に発注していただけであり、国内では「良い経験になる」という幻想を持ったアニメーター志望の人材を酷使していだだけでしかなかった。

 

アニメーターの実態など酷い物である、日給3000円で長時間労働だというのが現実であり、これだけ人権意識が高まった今「技能が磨ける」というプロパガンダでは誰も人が集まらない。

そして若者がそういった都合の良い謳い文句に騙されないことは世の中の必然的な流れだ。

 

アニメや漫画に限らず、大体の発展において実はブラック労働によってまかなってきたというのは事実であり、人権意識の高まりというのは世の中に発展においてマイナス要因であることは否めない。

実際自分も昭和の時代ならサラリーマンとして馬車馬のように同調圧力の時代に働いて、健全な納税者と家庭の大黒柱として社会に貢献していただろう。

 

アニメや漫画というものは何も日本人が素晴らしいアイデアや発想を持っていたから、面白い物を作っていられたわけではない。

それは生活に余裕があり、好きなことを楽しめる製作者側と消費者側の余裕があったからだ。

そして今や中国の安価な労働力は中国国内の内需として使用されるようになり、日本側が使う時代でなくなりつつある。

先進国だから後進国の人件費をいくらでも使い倒していいという時代が終わった後の現代において、新しいコンテンツは作られにくくなっている。

 

そう考えると本当に個人が小規模で作る個人創作の時代が来るのかもしれないし、「収益がいかに人件費を上回るか」という資本主義の原則とも言える勝負をどれだけ切りつめられるかという時代になってくる。

工業製品の製造や都市開発を大々的に行う時代が終わりつつある今、コンテンツの生産というのは第三次産業として注目されつつあるが、実質的にはやはり人件費が必要な労働でしかない。

このことをどれだけ現代人が理解できているか、それが現代資本主義の寿命に直結している。