負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

最近雑談ばかりして1日が過ぎてる

ここ最近の自分の生活リズムの中心が完全にただネットサーフィンをして、適当に雑談することになってる。ひたすら無気力で活気づかないといういつもの生活で、まぁ朝起きたら適当にいつも見てるところをチェックして、早々にそれも見終わる。

 

そしてかろうじて何か面白いことを探そうにも、もう特に今のネットでやることも無く新鮮味がない。そういうこともあって、自分が雑談しようというか、見た物をメモ的に残そうという形になっている。

長文だとだらだら語るには少し億劫で、どうしても更新頻度が下がってしまうけど、以前からやってるnoteをツイッター的に使えば結構面白いなという事に目覚めて思いついたことを書くというのが最近のリズムだ。

 

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例えばこんな感じでほぼ日記的な使い方をしている。

基本的に愚痴というか、思ったことを気ままに書き流すという感じでこれが結構面白い。noteというのは基本的にツイッター的な使い方をするものではないけど、ツイッター的な使い方ができないわけではない。そこで何度か書いてるように、ツイッターに比べて民度が高く落ち着いていて時々長文も織り交ぜられるというようなハイブリッドな機能がある。

 

なんというか自分の場合頭に文章が浮かんできて、それを定期的に出さないと結構に詰まるなという事に気づいた。だからこそこうしてちょくちょく小分けに書けるnoteは結構使いやすい。

 

またネットを長年見てるとどうしても、見るところが限られるようになって何かを探さなくなってしまうし、その見てる人もいつも更新しているわけではないので結局やることがなくなって飽きてしまう。

そういう時自分で更新頻度を高い物をやるというのはいいなと気づいたし、かつてTwitterもやっていたことがある。その時のノリでnoteをやるのは結構いいなと最近気付いた。

 

note.mu

 

特にいよいよロシアワールドカップも始まったので、この大会期間中の一ヶ月はnoteにほぼ居ついて出没する予定でいる。どちらかというとすげぇ暇な人向けに書いていて、かなりゆるいスタイルで語ってたりする。

長文の記事にするほどでもないことを気軽に書けるのは良い。

 

ただnoteは全体的に意識が高い人や真面目な人が多くて、今のところ自分は浮いてしまっているなという印象。その一方でノート自体まだ新興サイトというか、それほど滅茶苦茶流行っているわけでもないので先行者になれるかなという思いもある。

ちょうどここまでブレイクする前のインスタグラムのような状態で、流行る前にやるからこそ新しいスタイルを作れるのではないかとも考えていろんなことを試行錯誤してやっている。

 

とにかくノートの方はここより更に意識低く適当に更新している感じで、このW杯の一ヶ月はほぼ毎日いる予定で、ワールドカップ見ながらそっちのほうも楽しんでくれたらなと。

暇なときにちょっと更新してるかなとチェックすると、ほぼ更新してるみたいなのが理想。というか自分もそういう使い方でいろんなところを見てるので、自分もそういう緩い感じでやってみたいなと思った。

 

今のところ考えてるのは日常的な生活の日記とか、趣味の雑談がほとんどで、見る人が増えてきたらもっと大きな企画をしようかなということ。とにかく最終的にはデカいことをしたいし、ノートの中でも新しい使い方をしたいなと考えている。

 

いかんせん自分の生活ももうやることが尽きてかなり飽きてるので、そろそろ新しいことを始めようと今そっちのほうを熱心にしてる。

ネットサーフィンをしながら、そこで面白いと思ったものをまさにノートとしてメモしているのでここきっかけで新しい知識を得ることになれば幸いだとも思う。

雑談で脈絡がないからこそ、ランダムにいろんな情報に接することができるのではないかみたいなことも考えていて、暇な人の情報収集の一環になればいいかなと。

まぁとにかく暇人向けに暇人が意識低く更新していきたい。

今の子供たちは本当にスイッチを持っているのだろうか

ついにポケモンがニンテンドースイッチに参入ということもあり、この新ハードの人気はさらに高まっていくに違いない。

既にこのSwitchはブームになっており、値段が高騰するなどの余波が出ている。

ここからポケモン効果でどれだけ普及率が高まるかという段階にまで来ていると言えそうだ。

 

その一方でNintendo Switchがこのまま右肩上がりで順調に普及するとは限らないという不安があるのも事実だ。現実問題として、スイッチが欲しいからと言ってすぐに手に入れられるわけではない。まず品薄の状態にある事、そしてそもそも値段が携帯ゲーム機の価格帯を超えているという事が主な要因だ。

実際自分もスイッチ自体が欲しくてたまらないのだが、結局のところ値段が原因で諦めざるを得ず、今の日本社会の貧困化に逆境していると言わざるを得ない。

 

ゲームにとって最も大事なのはもはやそのクオリティではなく普及のしやすさ、手に入れやすさというったカジュアル要素だ。スイッチの場合携帯ゲーム機の機能だけでなく、据え置き機としての側面もあるためお買い得ではあるのだが、他にもっと手に入れやすい娯楽が溢れている時代にわざわざ手を伸ばす程の余裕はない。

 

最近スプラトゥーンが子供の間で流行ったという話も聞くが、今後ポケモンの影響でスイッチが子供の必須アイテムになる可能性は高い。

しかしただでさえスマートフォンが普及し、その通信費やソシャゲ代などがかかる上に、スイッチまで買わなければならないとなると親の立場としては大変な物があるだろう。

 

大人ですら自分のような底辺だと手が届かない物を、子供が当たり前に保有するようになると考えるのは難しい。携帯ゲーム機の値段が年々高騰し、実際にPSVitaのような機器はPSPほど普及しなかった。任天堂の場合3DSまでは順調に普及したが、果たして学校のクラス全員が持っているレベルにまで普及するかは未知数だ。

 

スマホを持ってソシャゲをして、スイッチまで持ってソフトを定期的に購入できる家庭など限られているのが現状で、ブルジョワキッズでもなければ揃えられないのではないか。

貧困家庭がこれだけ増えている時代にスイッチはあまりにも敷居が高すぎる。

結局スマホの利便性が勝ってしまうのではないかという気がしてならないし、今の時代に一般家庭の子供が手に入れられるゲーム機は3DSが限度なのではないか。

 

どちらかというと3DSやソシャゲでは物足りないが、据え置き機までは持っていないという大学生や社会人ゲーマーがこのスイッチを買い求めているのではないかとも考える。

しかし社会人は今度は財力がある代わりに時間が無く、若いころの情熱のような物も無いだろう。

時間、財力、若さが都合よく同時に揃う事など限られており本当にこのゲームをするべき層には届かない。

 

本当は子供達が皆スイッチを手に入れて放課後ワイワイするのがこのゲームの役割なのかもしれないが、もうポケモンすら上流階級の子供しかできない高級品になっていくのではないか。

子供たちの間で持つ者と持たざる者の格差が顕著になり、スイッチ欲しさにユーチューバーを始める子供が増えるなどの問題も起きそうだ。

そもそも子供の数自体が少なくなっている時代に、もう子供たちがコンシューマー機で楽しむ光景というものが絶滅しかけている。そういった華やかなゲーム文化が徐々に減っている時代を、このニンテンドーSwitchは変えてくれるのだろうか。

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しかしそんな夢に対して現実はあまりにも厳しすぎる。

やはりこの値段は現代人にとって高嶺の花で、正直自分としてもこの盛り上がりに加われないという惨めな思いをしている。

ポケモン新作のピカチュウ&イーブイも欲しい事には欲しいのだが、結局買えないので他人事でしかなく、いくら論じたところで無意味と言えば無意味だ。誰かがくれるわけでもなく無縁でしかない。かといって自分でそのために努力するほどの情熱は無いし、手に入れられなければ他に最低限楽しめることはある。

手に入れられない物はすぐ諦める人が増えている現代に、もう高価なものや壮大な夢に向かっていく人はレアだ。そんなことより生活のことが手一杯で、ゲームのことなど気にかけている場合でもない。

一般家庭の子供たちもユーチューバーのプレー動画を見て仕方なく我慢するしかないだろう。

 

またゲームが買えず仲間に加われない思いをするのかと思うと学生のころから何も変わっていないし、結局現実の億劫さが夢に勝ってしまう。

こうして言い訳をつけて諦めることが自分の中で習慣になってしまっている。

底辺の人間には関係のない事であり、貧しい家庭の子供たちにも関係は無いだろう。裕福な家庭の子が楽しそうにゲームをしている姿を指をくわえて見ないといけない子供たちが不憫で仕方がない。

これが日本の現実だ。

note.mu

ポケモンLet's Go! ピカチュウ&イーブイについての雑感

情報がいろいろと錯誤していて、ポケモンの新作情報になかなか整理が付いていない。

今までとは違う類のゲームが発表されるのか、それとも今までのような物が続くのか。

 

そういった悶々とした流れの中なんとニンテンドーSwitchで「ピカチュウ&イーブイ」という、実質的な本編が発売されるらしくとても驚いている。

完全なる勘違いとして先日『ポケモンクエスト』がリリースされ、こんなゲームを望んではいないと自分はがっかりしていたが、このタイトルは紛れもなく多くの人が慣れ親しんできたポケモンのようらしい。

 

つまり物凄く分かりやすく言えば『赤緑』『金銀』『ルビー・サファイア』『ダイヤモンド・パール』『ブラック・ホワイト』という2タイトルの例のように、今回は『ピカチュウ・イーブイ』としたということになる。

 

正式には『ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・Let's Go! イーブイ』となっておりポケモンGOを彷彿とさせるネーミングとなっている。

 

ピカチュウ&イーブイ

待望のポケモン新作として自分自身非常に感情が高ぶった一方で、やはりこのタイトルに関して疑問が無いと言えば嘘になる。

ポケモンとしてはピカチュウという最大の象徴的なマスコットキャラに並び、イーブイという従来からファンの間では人気だったシリーズを確立する狙いがあるのだろう。

 

そもそもここ数年ポケモンというジャンルにおいて、イーブイとその進化形のブイズが推されていたことは事実であり根強いファンも多い。かくいう自分もブイズファミリー大ファンであり、イーブイがようやくここに来て推されるようになったことは嬉しい。

この数年のブイズ推しが今回ようやく極致として報われたという形になるが、同時に「ブイズはゴリ押し」という批判があるのも事実だ。

 

ピカチュウの対としてイーブイは物足りず、格が違うというのが大方の意見だ。

しかしよく考えれば初代ピカチュウ版ではライバルがイーブイであり、「ピカチュウVSイーブイ」という構図自体は歴史が古く伝統がある。自分自身ピカチュウ版でピカチュウを主人公にし、シゲルのイーブイに挑んだという経験がある。ちなみにチャンピオンのシゲルはイーブイをブースターに進化させていたことを覚えている。

 

こういったポケモンの歴史を考えると、確かにピカチュウとイーブイを対にすること自体に一切の合理性が無いわけではない。

ただやはりここ数年の行き過ぎたイーブイ推しに関して反発があるのも事実であり、ポケモンファンの心境は複雑だ。

 

このブイズ推しによって、ある意味必然として新しい進化形が登場することは容易に予想がつく。現時点で登場していないタイプと言えば岩、地面、毒、虫、鋼、ゴーストなどだろう。

まさか、わざわざイーブイをタイトルにして新タイプの進化が登場しないということはあり得ない。イーブイ進化形という意味では楽しみであり、ストーリーに関わってきそうだ。

 

そのストーリーに関してはカントー地方がメイン舞台だとされており、事実上の初代リメイクに近い。『赤緑』→『ファイアレッド・リーフグリーン』→『ピカチュウ・イーブイ』という形に近く、ここ最近の初代推しという背景も影響を与えている。

FRLGに続きもう一度初代リメイクが登場するのではないかという予想は行われていたが、実質的な第8世代としてニンテンドーSwitchで初めてポケモンシリーズが登場し、そのタイトルを担うのがピカチュウとイーブイということになる。

初代が新ハードで登場するならば初代、それは順当と言えばそうなるがタイトルは誰も予想がつかなかっただろう。

赤と緑やBWは色、金と銀は物質、ルビーとサファイアやダイヤモンドとパールは功績だった。

 

それが今度はポケモンの名前自体をタイトルにすることになり、多くのポケモンファンが戸惑っている。

ネーミングセンスとしては微妙、しかし真の重要なのはその内容で、現時点でどうなるかというのは分からない。とりあえず初代のリメイクでカントー地方が舞台で、Switchのグラフィックにリメイクされるということが前提となる。

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しかしそれだけでは雰囲気が新しくなっただけで、今更あの頃に戻るという感覚にはなれない。むしろ表面上のグラフィックを現代的にするだけではファンの心は惹かれない。

初代に加えてFRLGの要素が加わるならナナシマは追加される可能性が高い。

もう初代からファイアレッド・リーフグリーンまでの時間より、FRLGまでの期間の方が長い時代だ。実はポケモン初代はそろそろ再リメイクが必要な時期にきていて、今回がその機会になったと言える。

 

前述のイーブイ新タイプに伴って新ストーリーが登場するかもしれないし、ニンテンドースイッチの機能を生かした新しいマップやミニゲームも登場するかもしれない。

リメイク作品の場合どういった塩梅や調整で新旧を折り合わせるということが難しいジレンマになる。

いずれにせよカントー地方への旅がもう一度始まることは間違いなさそうだ。

あの街は昔見た時と変わっているのか、それとも懐かしの雰囲気が残っているのか。

そんな観点で新しい旅と冒険を期待してみようと思う。

Nintendo Switchでポケモンクエストとかいうどうでもいいゲームが登場するらしい

なんかもうポケモンって期待しても無駄だなと自分の中でオワコン化しつつある。

ニンテンドーSwitchで新しいタイトルが出ると聞いてワクワクしていたら、本編ではなくポケモンを四角くして動かすみたいなどうでもいいゲームだった。

 

いや、そういうのいらんやろと・・・

欲しいのそういうのじゃないんだよなぁ、と思いつつもまぁそれは自分の古い感覚なんだろうなと諦め気分だ。もう自分が欲しい感じの物は出てこないんだろうなと思うと虚しいし、ニンテンドーやゲーフリ、株ポケなどからしたら自分は対象として外れているのだろう。

恋愛対象じゃないみたいな話で、もう自分もポケモンからは必要とされていない存在でしかない。長年のファンがこうして外されていく感覚というか、相手にされなくなる感覚、そしてそれを理解し合える仲間もどんどん減っていく。こうして人は孤独になっていくんだろうなぁみたいなことを考える。

 

ちなみにスマホ対応の物も出されるらしく、ポケモンとしては現代人のライフスタイルに合わせていくことが自然な選択だ。

ポケモンの将来を考えた時スマホ対応のゲームをリリースすることは至極当然だが、オールドファンからすればもうポケモンは全然違ったゲームになっていくのかというのが寂しい。そしてこういう懐古話も露骨に通用しなくなっていくし、世代や風潮というものは変わっていくのだろう。

 

なんだろうなぁこの期待しても無意味な感じ、まぁもうポケモンに用は無いなと思うしポケモン側も自分を必要としないだろう。

大人になったら凄く面白いゲームが発売されるんだろうなとか、未来のポケモン凄くなってそうとかそういう感覚って結局無駄に終わって、訪れるのはつまらない現実でしかない。

未来に期待するようなキラキラしたエネルギーを持っている人と、そうでない人生終わったような人間とでは感覚が異なる。

 

ポケモンクエストとか言われても、正直やる気にならないというか段々人間というのは消極的になっていく。この新作ゲームにワクワクしない感じというか、どうでもいいし自分とは関係が無い現実というのはひたすら虚しい。

こういう積極的に自分がポケモンクエストやってみるかとなれば楽しいのかもしれないが、そういう情熱や好奇心も無い。

好きだったものがどんどん面白くなくなっていく、いや自分が面白くなくなっていってるから世の中がつまらなく感じるのかもしれない。

 

ただこれはまだ情報が公開されたばかりで、予想外に名作だという展開もあり得る。

しかし本編ポケモンのサン&ムーンに盛大に期待していたら、大して面白くなかったしORASのようなリメイクも面白くなかった。思い出は思い出にしまっておいた方が良いし、もう初代赤緑の再リメイクなど出さない方が良いだろう。

 

昔の自分はリメイクに賛成派だったが、実際いざリメイクされてみるとこれじゃない感があるしあの頃には戻れない。楽しかったころには戻れないのが現実でしかなく、訪れる未来は大したことが無い。

 

ポケモンもそろそろ潮時というか、自分にとっては完全に思い出の中の過去のコンテンツでしかない。その新時代についていける人は楽しいかもしれないが、適応できない人間もいる。その後者が自分なのだろうと思うし、この何にもワクワクしない感覚は何なのだろう。

ポケモンクエストとか言われてもねぇ・・・

そして人は懐古レトロゲーマーになり昔していたものしかしなくなる。

未来の新技術で作られる物が面白いかといえば必ずしもそうではなく、昔の方が予算や情熱をかけられて作られていたということはゲームに限らず、アニメや映画などにも共通している。

もう楽しいことないんだろうなぁ、ポケモン新作にワクワクしてた頃に戻りたい。

elkind.hatenablog.com

note.mu

新世代が解く!ニッポンのジレンマとかいう有能番組

テレビとかオワコンだろという風潮に逆張りして、最近テレビばかり見ている。

番組表見て面白そうなものを探すのが自分の習慣になっている。

 

テレビの存在感が大きかった時代にテレビを叩いていたからそれは勇気がある行動だったが、テレビの権力が衰えてから叩くのは時代遅れ感というか今更感のような物がある。

結局のところ自分は世間の風潮に逆らっていたいだけなのと、弱い者をわざわざ叩くことに乗り気になれないのだろう。

 

それにテレビは何だかんだでかなり予算をかけて作られており、内容がわりとしっかり作りこまれていることに最近気付いた。テレビがオワコンだと言われるようになったことで、逆にテレビ局側も真剣に作るようになったのかもしれない。

いろいろ批判や賛否両論あるのも事実だが、その中でも特にNHKはわりとしっかりしたものを作っているというか時間の無駄にはならない。

その中でも自分が特に最近評価しているのが「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」という大体1か月に1回の頻度の番組シリーズで、放送がある時はよく見ている。

 

この番組は若い世代限定の討論番組という形になっており、古市憲寿がメインの司会を務め社会問題が中心に取り上げられる。

おそらく若者のテレビ離れという事もあり、この番組を見ているのはどちらかといえば、最近の若い世代が何を考えているか知りたいという上の世代が中心なのではないかと自分は予想している。

ただそれは非常にもったいなくて、むしろ最近のゆとり世代やさとり世代と呼ばれる世代に見てほしい番組だ。出演者が全員1975年以降生まれという縛りになっており、この世代が抱える問題を積極的に取り上げてくれるので非常に考えさせられる。

 

自分はこの番組を見て同世代がどういったことを考えているのかを知ることも多く、世の中こういうことを考えている人がいるんだなという参考やヒントにもしている。

必ずしも今の新世代の平均像ではないかもしれないが、似た様な考えを持っていたり、ジレンマを抱えていたりする人も出演しているので、悩みを持っている人におすすめだ。

 

そもそもNHK自体が若者向けの番組を最近特に重視し始めており、むしろ民放の方がその部分では手を抜くようになっているようのが現代だ。民放としても若者を重視することにそれほどメリットがなく、NHKのほうが視聴率を気にしなくてよい事もあり、将来の世代を育てるという長期的な視野を持っている傾向さえある。

その傾向が顕著なのは紅白歌合戦であり、最近の歌手をよく出すようになりむしろ高齢者層から今時の歌手が分からないと寂しがる意見が寄せられるほどだ。

 

ただ今までのNHKのお堅いイメージや、ネットによって広がったNHK叩きのような印象が強く、先入観や拒否感のような物を持っている人はまだ多い。

しかし民放が低予算という事情によって手を抜かざるを得ない時代に、ちゃんとしたドキュメンタリー番組や討論番組を作る局はNHKぐらいになっている。

民放の主力はもはや連日バッシング対象を見つけて、その場の視聴率に踊らされたワイドショーばかりになっている。

そういう時代にNHKは貴重な存在だ。

正確にはNHKのクオリティが上がっているというよりも、民放が腐敗しすぎてNHKしか選択肢が無いようになったとも言えるかもしれない。

 

いずれにせよ探してみればNHKは結構面白い番組が多く、この新世代が解くニッポンのジレンマは自分が気に入っている番組の一つだ。

とにかくいろんな人が出演しており、こういう人が同じ世代にいるのだという発見はとても多い。

社会学者の古市憲寿は、個人的に全ての考え方に賛同しているわけではないが話し方や切り口は面白く、この番組で自分の中における評価が高まった出演者の一人だ。

意識低い人もいれば意識高い人もいて、とにかく自分が日々考えていること以外の刺激というものを得られる。

広く言えば現代の生き方について考えさせられる機会であり、全てを鵜呑みにするわけではないが、こういった選択肢もあるのかという情報を得ることもできる。

 

とにかく今の新世代の働き方や人間付き合いなどの悩みや人生の計画についてここまで長時間、そして定期的に取り上げてくれる番組はほとんどないだけに貴重な存在だ。

若者は何も考えていないという偏見が存在するが、むしろ若い世代ほど真剣に考えているし、別の言い方をすれば悩んで思いつめている。

少なくともワイドショーで叩きやすいバッシング対象を見つけてストレスを発散している人々よりも、こういった討論番組を見ている人の方がしっかり考えているはずだ。

もっといえば自分で自分自身の人生について考えていかなければならない時代になったからこそ、考える人は物凄く思考するようになった。

考える人とそうでない人、その両極端が現代の若者層かもしれない。

今の世代は結構みんないろいろ考えて悩んでいるんだなということが分かるだけでも面白く、もやもやした思いを抱えている人はぜひ見てみると面白いかもしれない。

このCL決勝終わってしまった感の虚しさ・・・・・・

今回の2017-18シーズンCL決勝は個人的なことを言えば久しぶりにサッカーを見てここまで面白いと感じた試合だった。

90分間がこんな短く感じ、試合中にいろんなことを考え先が読めない展開にワクワクする、こういうサッカーの面白さや刺激は本当にしばらく味わっていない事だったので結果には満足していない物の楽しかった。

 

自分はバルセロナのファンなのでレアル・マドリードが三連覇し、もしかしたらロナウドがバロンドールを取るかもしれない現状自体にはやはり不満がある。

バルセロナサポーターの多くもせっかくリーグ優勝と国王杯の二冠を達成したのに、最後にレアル・マドリードがCL優勝したのは全部持っていかれた感があるという虚無感に包まれている。

 

欧州サッカーのシーズンもこれで終わり、しばらくすればワールドカップが始まる。

W杯も世間的な関心はアメフトに持っていかれ、代表も期待できないし他にものすごく楽しみなチームがあるかといえばそれほど燃え上がる感情は湧いてこない。

 

何といえばいいのか、とにかく目先に楽しみなことがあまりなく唯一のお祭りが終わってしまった感覚だ。また日常に戻らなければならないというか、やることも無くなってしまった。

ワールドカップまでの間、やることも無くなり燃え尽きたというか、自分自身の人生の先行きの無さや行き詰まり感もあいまって頭が煮詰まってしまっている。

面白い刺激もないし、やりつくした感のような物もある。

 

何を楽しみにすればいいのか、何をすればいいのか。

多分今の自分はサッカーで言えば選択肢が少ない状況で、切れるカードが少ないとかプレーのアイデアがワンパターンとかそういう感じに近い。

いろんなプレーができる選手だと今日のモドリッチのように様々なことができるが、残念ながら自分はカリウスの方になってしまっている。それどころか退場してこれからどうなるかという不安に苛まれているサラーやカルバハルのような状況だ。

カリウスは今精神的に難しい状況だろう、今後のキャリアが本当に深刻な状態になって思いつめているかもしれない。

 

正直なことを言うと今の自分は望む結果があまり手に入っていないし、あまり面白いと感じることが無いので悩んでいる。

物事の上手く行かなさに限界を感じている部分があり、自分の中でアイデアが枯渇している。必要な物が無くやりたいことができないとか、今の自分の状況を疎ましく思われているとか、視線の冷たさとかそういうのが辛い。

かと言って何か他のことをしようにも、気力と財力が欠けている。

結局やる気が一時的に出たとしても現実の前に徐々に削がれていき、またいつものように無気力になる。

 

今回のCL決勝も、そういった人生が簡単ではない事や望んでいる結果にならない事のリアルさのようなものを学べた。

なんというか自分のやってることって完全にスベッってるよなぁというのが本音で、お笑い芸人がネタやってもリアクション冷めてるみたいな状況に近い。

面白いこと全然できてないからこんな停滞感が発生しているわけで、自分としてもやりがいを感じない。一人で熱くなっても望んでいる反応や結果にはならないので面白くないことが多い。

何かが足りないんだろうなとじっくり考えたい一方で、時間や余裕も残されていない。

この状況で本当にワールドカップを乗り切れるかという意味では、まさに監督が解任されグダグダになっている日本代表に近い。

 

こんな夏を迎えるはずではなかったいう思いがあるからこそ、CLの決勝終わる時期にきてしまったという現実がもどかしい。

自分の中でCL決勝というのは季節的な目安になっていて、時間間隔を確かめる指標にもなっている。

ついに決勝終わってしまったかとなると、いよいよ新年度が本格的に指導していかなければならないはずだったことへの後悔のような物、自分の力不足が情けない。

まだワールドカップは先だろう、それまでには何とかすると考えて今年に挑んでいただけにちょっと本当に現状がヤバイ。4年に1度の最大のイベントを本当にこんな形で迎えていいのか。

焦りが募り本当に落ち着かない、選手でもないのにまるで選手のような感覚だ。

ワールドカップをどれだけ楽しく見るかという事にある意味本気だっただけに、全然準備ができていない現状に本当に焦る。

もう本当にチャンピオンズリーグ終わる時期まで来たというのが恐ろしく、計画や予定が完全に破たんしている。

 

サッカーも上手く行かない時は戦術やフォーメーションを変えるわけで、手に入れたい物が手に入らない時の打開策が必要になる。

思考を整理すればそういうことであり、もっとアイデアをもったプレーをしなければならない。

考えろ、何か答えはあるはずだと言い聞かせながらもアイデアとやる気の両面が無い。

 

マネのゴールが入って同点に追いついたときのテンションは高かったけれど、その後結局2点取られて優勝を逃すというこの展開、完全に昨シーズンのユベントス戦の時と同じだ。

そういう結局夢を求める人が上げて落とされて、毎度おなじみの展開になるというのもまた現実そっくりだよなぁとも試合を見ながら考えていた。大体結果が予想付くパターンに人間は面白みを感じない。勝つ人間が決まっている感みたいなものが虚しさの正体で、自分は報われない側なんだなというどうでもよさが大きい。

 

なんだろう、漠然と感じるこの生きてて無駄感のようなもの。

どうせまた同じような展開になるという諦めムードが自分を支配している。

とにかくしばらく楽しみが無い時間が続きそうだ。

リヴァプールさん、素人をゴールキーパーにしてしまう

チャンピオンズリーグ決勝のリヴァプールVSレアル・マドリード戦を見たけど、何だこの試合は?

呆れて言葉も出ないというか、サッカーの試合を見ていたと思ったらなぜかコント番組を見ていた。

何を言っているかわからねぇと思うが恐ろしい片鱗を味わったぜ。

結果的に言うと多くのサッカーファンがリヴァプールを応援する雰囲気の中、レアル・マドリードが3-1で勝利してCL三連覇を成し遂げ白けているというのが大まかな流れだ。

 

シンプルな質問をリヴァプールサポーターに聞きたいんやが、あのカリウスとかいうGKは素人か?

 

普段リヴァプールやプレミアリーグをそこまで見ているわけではないので、事情がいまいち分からないが、あれは明らかにプロのゴールキーパーではない。よくGKの珍プレー集のようなものでやらかしのようなものが動画にされるが、間違いなく今回の失点は未来永劫晒され続けるだろう。

超大舞台であのミスはやってはいけないし、逆にいえばネタGKとして一気に知名度を上げたと言えるかもしれない。

 

どういうプレーだったかというと、キャッチしたボールを手で味方DF陣に流そうとしたらそこにベンゼマがいてボールをかっさらわれてそのまま失点というもので、あまりにもお粗末な失点だった。

そしてこの失点の後に何とか味方のマネがゴールを奪って同点に追いついて、さあこれからレアル・マドリードを倒すぞという時にムードになった。

しかし途中で出場してきたガレス・ベイルがとてつもないオーバーヘッドシュートを決めて1-2になる。

そして笑いの神様はここでは終わらせてくれず、最後のおまけとしてそのベイルがカットインして打った無回転ミドルシュートをはじいた物の、それがゴール側に吸い込まれてしまい1-3でジ・エンドという結果を迎えた。

 

そもそも今回のリヴァプールは決勝にいるべきチームではなかったのだが、なぜか勢いで決勝までやってきてもしかしたら10数年ぶりに優勝できるのではないか中で、決勝にどうしても最後のツキのような物が足りなかった。

ジェラードがこけてリーグ優勝を逃したり、キーパーがやらかしてCL優勝を逃したりともうこんなんばかりやっている印象しかない。

だからこそそこが面白いのだろうし、1失点目の時サポーターの一人が落ち込んでいる横で隣の人が若干笑ってるところがなんともリヴァプールらしい。

「うちのクラブはこんなんやねん」みたいなことをサポーターも長年の経験で分かっているというか、そういうところも愛着が沸く可愛さのようなものかもしれない。

奇跡のようなドラマチックな試合か、盛大なネタ試合のどちらかという極端なチームであり、ギャンブル性が高いというところに魅力があるのがリヴァプールだ。

残念ながら今回はネタのほうのリヴァプールが出てしまった。

 

ツキの無さで言えばモハメド・サラーが怪我で早々に退場したというところも予定にはなかった事だろうし、そのサラーがワールドカップに出られないという事も含めてちょっとサッカーファンとしては悔しい部分がある。

 

逆に言えばベイルの立場としては最高の夜であり、歴史に残るということになる。マドリー三連覇の立役者として決勝で2ゴールはこちらもまた未来永劫語られる。

しかもそのベイルはこれまで散々給料泥棒だと叩かれて退団まで噂されていた。怪我でほとんどプレーしていない奴に大金を払う必要はないと現地では批判の的だっただけに、一試合で評価を覆した。

こういうところもサッカーの面白さであり、笑う者あれば泣く者ありだ。

10回目の優勝を意味するラ・デシマの時も土壇場でゴールを決めてチームを救ったのがベイルなのだから、この選手は地味に決勝に強い。

 

バルセロナに移籍したコウチーニョは若干喜んでそうだ。

自分が退団した直後に優勝されると新京としては複雑だろうし、ライバルチームの優勝とはいえ内心ちょっとホッっとしてるように思う。

ジェラードも元所属チームが優勝できなかったことの悔しさもありつつ、自分の以上のやらかしプレーが出て、ちょっとだけホッっとしているような気がする。

 

イスコは2回決定的チャンスがあってそれを外して交代して、その代りに出てきたベイルがこうして活躍するのだから歴史に名を残すチャンスを逃してしまったということになる。イスコもまた現地では役立たずだと言われていてせっかく巡ってきたチャンスだっただけに、ちょっとこれからクラブ内での立ち位置は悪くなりそうだ。

 

あとクリスティアーノ・ロナウドは決勝に強いと言われていながら、今回はほとんど見せ場が無かったし最後乱入者にチャンスをつぶされるというこれまたお笑いのような展開だった。さすがにロナウドにこれ以上いい思いをさせるわけにはいかないというサッカーの神様の計らいかもしれない。

 

ただその直前に繋がればビッグチャンスだという決定的な横パスをリヴァプールの選手がカットしたシーン、あれがオウンゴールになっていればお笑い度がもうちょっとあがって伝説の試合になったんじゃないかという心残りはある。

ネタ試合にするならやりきってほしかったなぁ。

 

ただいい意味でこの試合からサッカーのリアルさのような物を感じ取ることができた。

よくサッカーはミスをするスポーツだと言われるが、どんな名選手でもミスをする人間味のような物に惹かれる。メッシのような天才的な選手ですら試合中に何気ないトラップミスやパスミスをするし、それこそ世界トップの選手が素人のようなミスをする。

どんな選手も人間なんだなと思いながら見ていると面白いし、ミスをして当たり前だというこの大前提がとても面白い。ゲームの中のメッシはミスをしなくても、現実のメッシはミスをする。

 

それぞれの人間事情が面白いし、いろんな思いを持ちながら試合をしているところにドラマがある。

仕事や勉強に限らず日々の日常生活の中でも、人間は様々なミスや失敗をする。それが些細なミスな時もあるし、今回のように重大なミスのような事もある。

しかし人間は絶対にミスをする生き物であるということを考えれば、そこまで自分を責める必要が無いと納得できる。ミスや失敗に厳しい世の中になっている時代に、これだけミスが多発するスポーツを見ているとどこか寛容になれる。

リヴァプールは確かにビッグイヤーを逃したかもしれない、しかしそれ以上に大きな笑いを世界に届けてくれた。

きっとその意味合いの方がトロフィーよりも輝いているはずだ。