負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ポケモンは海外向けになって情緒が無くなったと思ってる奴・・・

よく最近のポケモンは日本市場より海外市場を重視するようになり、雰囲気が変わってしまったと言われる。
具体的にはBW(ブラック・ホワイト)シリーズから海外デザイナーを起用し始め、XYの頃からは全世界同時発売が基本となっていく。

それに伴い舞台設定も日本の地域から、BWのアメリカのように海外が定番になっていく。最新版のサンムーンはハワイであり、XYはフランスだった。

 


例えば初代のカントー地方はそのまま関東であり、ジョウトは関西、RSのホウエン地方は九州で、DPのシンオウ地方は北海道であり北方領土や樺太まで含まれている。

コガネシティが大阪の雰囲気を表していたり、エンジュシティが京都というように日本的な雰囲気が色濃く表れていて日本人に合った情緒を感じさせるのがポケモンの特徴だ。


日本のコンシューマーゲーム市場がまだ大きく、日本がゲームの最先端の国だった頃は日本人向けにゲームを作ることがゲーム会社にとってもよかったし海外はその次だった。

 

しかし今はゲームといえばソシャゲの時代であり、日本人のライフスタイルにコンシューマーは合わなくなってきており、かつてあったような面白いRPGなどは中々作られなくなってきている。

グローバル化時代において、日本向けだけに特化したジャンルというのはもう厳しい時代になっていて今後日本にはソシャゲしかなくなっていくだろう。

アニメももう壮大な物は作られず、アニメファンは簡単なものしか求めなくなり、ついにはバーチャルユーチューバー見てれば満足だという時代になった。


ゲーム会社が衰退する日本のゲーム業界を見限って、海外向けになっていかなければ生き残っていけないという事情は仕方がないと言えば仕方がない。

今後思い出に残る懐かしい情緒のあるゲームはもう登場しないんだろうなと思うと寂しいし、逆に言えばいい大人がゲームの世界に没頭してその旅や冒険に満足してる時点でスケールが小さいのだろう。

かといって海外旅行に頻繁に行けるような大人にもなれなかったわけで、もはやゲームにも創作にも、リアルにも大して面白い冒険や旅はない時代になっている。

壮大な旅をしようと思えばできるが、あまりにも敷居が高いし失うものも多いし、現代人にそこまで行動力はない。

自分のようにいつか旅をしたいと思って旅情を馳せている人間はまだ意識が高い方であり、もう最近は若者が東京に憧れない時代だ。

 

そういった冒険心すら日々の衰退する日常の中で失っていき、1マイル族とか言われるように身の回りの日常のささやかな幸せがあれば良いという現実的な考えが主流になっている。

 


そんな何もない日常に適応している時に、それでもふとポケモンで盛大な旅をしたころが懐かしくなる時はある。

確かに自分の中でXYはそこそこやりこんだので思い出には残っているし懐かしい。

BWシリーズも結構面白いダンジョンや仕掛けは多かったし、レート導入のように本格的なオンライン対戦の先駆けとしては画期的だった。

しかしそれ以降、ポケモン界隈も勝って数値を高めることが正義となり、趣味嗜好で語るファンの思い出話よりも明確な攻略情報が重視されるようになり雰囲気も変わっていく。

基本的に男性ファンやゲーマーというのは感性よりも理性で結論を求める傾向にあり、どうしても男性主体コンテンツは理論的な答えや最適解が重視される運命にある。

それでもポケモンはまだ女性ファンが多いジャンルだが、和気あいあいとした雰囲気は徐々になくなりガツガツとしたガチ勢が占拠するムードが漂っている。

 

個人的にはルビー・サファイア時代のいわゆる第三世代と呼ばれた時代に、合成ポケモンや個人サイトが流行っていた時代が懐かしいしあの頃に三値をしっているからレア感があったと懐古している。

RSのホウエン地方は大自然の中を冒険している感があっていいとか、初代のシオンタウンに着いたときは本当に恐怖だったとか、金銀でカントー地方に行けたときの感動は凄かったなんて話も最近は聞かなくなっている。

それどころかもはやファイアレッド・リーフグリーンでナナシマに行けたときの喜びも色あせた思い出になっており、こういった懐古話をつらつらと語るファン自体が少なくなってきている。

どこも有益で確実で、無駄のない攻略情報ばかりになりファンの気質としても情緒は無くなってしまった。

ゲーム動画なども面白い動画よりも、対戦に役立つ解説動画の方が人気になっているらしく技術的な進歩に対して人間的な温かみは無くなっている。

これは人間の文明が幾度となく直面してきた問題でもあるのだろう。

 

その結果その雰囲気や風潮に疲れた自分はかつては育成もしっかりしていたがもうポケモンから実質引退しており、サンムーンはクリアしていないし、ウルトラSMにいたっては購入すらしていない。

案外やめるとすっきりするもので、気分は楽になる。

ついには毎回新作を追う事もやめ、気に入った時だけ買えばいいという感覚になれ果てている。

 

最初の内は3D等身大グラフィックも良いなと思っていたが、やっぱりドット絵の頃の方が味わい深かったなと思うようになっていて完全に「ポケモン老害」と化している。

やはりウルトラビーストの存在を自分はどうしても許容することができなかったし、ジムや自転車の廃止は適応できなかった。

あれほど新作の時だけ文句をつける金銀厨を忌み嫌っていたのに、自分がその成りたくなかった存在になってしまったのだ。

 

なんというか自分好みの続編がどんどん作られなくなっていくし、時代に自分の感性は追い付かなくなっていくのだろうなという感じずにはいられない。それでいえばスマホでフリック入力はできないし、ポケモンGOもすぐ辞めたし、自分の慣れた物があるとそこから外に出なくなってしまうように人はできているのだろう。

 

海外のポケモンファンは日本向けに作られていたものをあえてやっていたから楽しいと思っている層と、完全に海外向けにシフトしてからファンになった層ではギャップがあるのだろうかとも考える。

しかしサンムーンの評価は海外の方が高く、外国人ファンは喜んでいるように思う。

 

完全にマンネリ化を受け入れ既存層向けに特化することを決めたのがガンダム、大胆な改革を行った結果ファン離れを起こし新規層も増えなかった遊戯王、そして現状のところ上手く改革が進んでいるポケモン、と明暗はそれぞれ分かれている。

 

かろうじて今の自分がポケモンに情熱を感じるとしたら不思議のダンジョンシリーズなのだが、これも新作が出る気配は今のところなく、日本人向けのゲームは全てソシャゲに一極集中していくのだろう。

唯一期待しているとすればswitch系列で、スイッチで自分好みのポケモンが登場すればもう一度情熱は復活するかもしれない。

もしくはポケスペシリーズのように漫画版を楽しむかだ。昔は読んでいたのでもう一度ゆっくり懐古目的で、そして読んでいない新作も見てみたいという思いもある。

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ただそもそも、良い大人がゲームの世界に壮大な冒険を求めること自体が本来間違っているのだ。

大人になるとお菓子で満足できなくなりもっと美味しい物を食べたくなるのと同じで、所詮ゲームというのは子供だましのお菓子でしかない。

本当に刺激を得る冒険をしたければやはりリアルに旅行なり冒険なりをするべきであって、ゲームの世界は実は狭い世界に過ぎない。

その街にいるキャラクターも生活感があるようにみえて実際は設定されたデータでしかなく、深い人生論を語り合うことなどは無い。しかし現実にどこかの個人経営の飲食店に紛れ込んだらコミュ力さえあれば、知らなかった人とも仲良くなれる。

 

そもそも日本的情緒が欲しければ素直に日本を旅したほうが良いとも考えている。

最近テレビ番組に録画していたいろんな旅番組を見たのだが、これが結構面白くまだ日本には行っていないところが多いなと再評価している部分もある。

登山スポットだけでも自然はかなり恵まれており、離島なども多い。

そして「海外」という追加ダンジョンも無限に存在するわけで、RPGが好きで育った人は本当は大人になったらリアル旅行に行くべきなのかもしれない。

本当は自分もここで旅記事を書きたいし、いつか車で気ままに全国一周に出たいと夢を見てもいる。自転車だけで南米やアフリカを縦断する日本人がいる時代に、最近冒険感のあるゲーム無いよなぁなんて言ってるのはスケールが相当小さい。

 

更に昔の人の旅行記などを見るとスケール感がさらに大きく、樺太の全体像を確かめた上に、情報が無い時代に極東のシベリアにまで行った間宮林蔵凄すぎだろと驚愕している。

現地の先住民の生活に溶け込んで信頼を経て、その先の情報を教えてもらい道具を貸してもらって行くというのは完全にRPGだなと驚いた。アイヌ民族だけでなく更に北方の別の先住民とも出会い親交を深めていき奥地へ進んでいく過程は冒険心をくすぐる。

間宮林蔵・探検家一代—海峡発見と北方民族

 

他にもネットで読めるちょっとした旅行記なども予想外のドタバタがあって面白いし、クレイジージャーニーのような奇想天外な旅番組も見ていて楽しい。

何かが起こるのが旅だが、RPGの旅はある程度予測がつく物が多いし長年ゲームをしていると慣れてしまう。

 

しかし現実はどこまでも予測不可能な世界が広がっている。

何もわからないところに情報も持たず飛び込むから面白い。

攻略本や攻略サイトを見ながらテンプレルートで進んでいくRPGが何も面白くないのと同じで、安定したものをやるだけの人生は何も面白くない。

アイテムの取りこぼしは行くべき観光地を逃したみたいな話で、それもまた旅の良さの一つだ。

今の時代完璧にやろうとしたり失敗しないようにしたりすることが目的になり過ぎているように思う。

新しい発見が欲しければ、実は現実はゲーム以上に広大なのだ。