負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

サッカー日本代表本田圭佑「平和のために何もできない自分が虚しい」

本田圭佑、サッカー日本代表であり事業家であり、教育者であり、ファッションアイコンでありその肩書きは一つに限定することができない。

つまるところ彼は「本田圭佑」なのだ。

本業のアスリートとしてのサッカー選手が彼の全てではなく、その情熱や関心は多岐にわたる。

 

ワールドカップを目前に控え、鮮烈なゴールで猛烈にアピールしている本田だが、彼の今の興味の対象はサッカーばかりではない。

 

今本田がもっとも関心がある問題と言えば、現在アメリカがシリアへの攻撃を決定したことであり「日本で報道が少なすぎる」と自身のSNSで発言し、これが大手ネットニュースでも話題になるなど注目度は高い。

正直なところサッカーファンの間では「本田は一体何を探しているんだ」と冷ややかな目線が多く、"迷走"しているような扱いをされることがある。

 

最近では資本主義の現実に目覚め、ロストチャイルド家の謎に迫ろうとしていたり、アメリカの銃規制問題について積極的に発言したり、そして今回のようにシリア問題について触れたりとツイッターを開始してからは大忙しだ。

 

その内、今回のワールドカップを最後に代表とサッカー選手を引退し、かつての中田英寿のように「世界を見て回る旅」にでも出るのではないかとさえ予感させる。

もう本田さん、かつて南米を放浪していたチェ・ゲバラにでもなってしまうのかなという雰囲気さえあり、資本主義と戦うことに生涯を捧げようとしているのかもしれない。

その一方で総理大臣の安倍晋三ともツーショットを撮っていたり、同じく与党の麻生太郎とも会談を行い気に入られており、将来的に自民党から出馬する気満々なところも流石の「伸びしろ」である。

 

はっきり言えばこの人はリアル中二病であって、だからこそ自分は惹かれている部分もある。2010年の南アフリカワールドカップでの活躍以降、もうずっと本田圭佑を追い続けている自分としては、「やっぱり本田は見ていて楽しい」と感じる。

何をするかわからないところ、何を言うかわからないところ、全てが予想外でその発想の大きさが今の小さな日常に適応しきった日本人と大きく異なる。

今時ここまでスケール感が大きく、何かしら考えている人というのは珍しい。

今の時代、真剣に語る人間というのは、空気が読めない暑苦しい人間と思われたり、和を乱す絡みにくい人間だと思われる傾向にある。

本気になることがかっこ悪く、その姿を冷笑する冷めた人が多い時代に本田は真逆を行っている。

 

実は誰もが現実に適応しなければならないから冷めていながらも、どこかでやはり夢や熱さを追い求めているのだろう。

ツイッターを始めたときもやっと始めてくれたかという感覚で、現役選手だからこそ影響力がある事を自覚して発言をしている本田は確実に世界を変えている。

このシリア問題に関しても第一報を聞いたのは本田がきっかけであり、最近のネットでの情報収集を主体とする世代にとってはいわゆる「インフルエンサー」であるとも言える。

 

自分はここ最近「最近の日本人は情熱が無く、世界を変えようとする気力が無い」と世の中に対して冷めていたが、まだアツい情熱的な男はいる。

漠然と世の中に面白い革命家がいるのではないかと夢を見つつも、そんな濃い人はいないという寂しさの中で、まさにそれは灯台下暗しだった。

何年も追い続けてきた本田こそ、自分がやはり魅力を感じる人物だと今になって気付いた。

決して何かに逆らっているだけの昂揚感を味わいたいだけの「革命家ごっこ」で終わらず、実際に世界を変える影響力を持ち現実的に活動をしているのは本田圭佑だ。

そして何より若いことが本田の特徴であり、かつての学生運動を懐古してデモをして楽しむような、そんな浅いタイプではなく確実なビジョンがある。

 

若いころの学生運動や市民運動の情熱が忘れられないだけの、時代遅れのダサい暑苦しい人々と異なり、本田圭佑は若者受けするカリスマ性がある。

確かに一部「意識高い系」という批判も存在するが、やはり若者からの支持率は高いし、現実に影響力があり、行動力もある。

そして世界的な人脈もある。

 

本田圭佑が「世界一のサッカー選手」になり、メッシやロナウドと競合しバロンドールを勝ち取るという夢は本人も既に終わったと公言しているが、同時に「引退してからのほうがビッグになる」と未だにその情熱は衰えない。

 

自分は本田圭佑の引退後サッカー熱が下がるのではないかと危惧していた。

それはかつて村上龍が「中田英寿が引退してからサッカーを見なくなった」と語っていた様な現象と同じで、自分にとってサッカー熱=本田圭佑熱だったのだと気付くようになるのではないかと。

 

しかし本田はむしろ引退後のほうが期待ができる。

中田英寿の事業が今も注目を集めているように、本田も同様にサッカーの現役から離れた後の方が可能性を感じさせる。

「スポーツ選手は同業者としか会って話さないので交友関係が限られている」と言っていたが、本田はスポーツ選手だから会える人との交流を今から逆算して行っている。

全面的に自分は本田圭佑の考え方を支持しているわけではないが、とにかくこの男、熱い。

現実に冷めきった人が急増する時代に、本田は今時珍しいほどに熱く何かやってくれそうな存在だ。

ワイ、シンカリオンを見て少年の心を思い出す

ここ最近ロボットアニメ少なくなって、子供がロボットに興味なくしてるのではないかと漠然と考えていたが唯一の例外がある。

それは『新幹線変形ロボ シンカリオン』というアニメであり、今日日珍しい典型的なホビーアニメであり、更にその玩具がセールス的に好調だと言う事も昔懐かしの現象を感じさせる。

 

自分がなぜこのアニメを見たのかというと、「久しぶりにキッズ向けのアニメ見たいな」と思ったからだ。ロボットアニメ自体がもう絶滅危惧種になっているのではないかと思っていたが、かろうじて子供向けに放送して流行っているアニメがあるということでシンカリオンを知ったのがまずはきっかけだ。

そしてテレビ番組欄にちょうどシンカリオンがあったので、とりあえず1話だけ、具体的には13話を見たのだがこれが非常に面白かった。

 

なんというか典型的かつ王道の子供向けアニメのような展開で「そういえば俺ってこういうの育ったし、憧れてたわ」となるような内容になっている。

こういう変な髪形したクールなキャラクターや優しいお母さんキャラいたし、こんな変形シーンのバンクよくあったわと、まるで大人になってヒーローショーを見たような感覚になる。

 

このアニメを見ると確かに日常生活の疲弊た現実の中で忘れていたような少年の心を取り戻すことができる。

過去に放送されたすべての話を見たわけではないが主人公は子供で、秘密裏に悪の敵と戦っており今回の13話では母親が薄々気づいているという展開になっている。

都会のマンションで母親のキャラクターが夕飯作って、それを子供の主人公が食べるシーンって昔のアニメよくあったよなあというのも懐かしくなった。自分が結婚生活を送ることが無縁な昨今の独身男性にとっては、こういうシーンすら貴重で、そんな光景すらイメージが沸かなくなっている時代になっている。

こういった家庭的な何気ないシーンが現代人にとっては非常に和やかに映る程、現実が悲惨な社会になっている。

昨今の晩婚化を考えると、主人公が小学生の中学年ほどの年齢なことに対して両親が若すぎるというのもあるが、ある意味アニメの中だからこそ非現実的な事ができるということに現代人は立ち帰るべきなのかもしれない。

ストーリー展開や設定、オープニングやエンディングにしても本当に良くあるような典型的な作りになっていて、昔のホビーアニメの王道になっている。今時こんなホビーアニメがあるのかということに驚き、忘れていた感覚を取り戻せる。

「そういえば自分って少年だったんだな」とこういうことが懐かしくなる。

こういったロボットや乗り物が好きだということすら失っていく時代の中で、今の時代にこれだけ全国区で大々的にホビーアニメを放映して商品展開をしているアニメはもはや貴重だ。

 

正直なところ自分は新幹線や電車という乗り物がそこまでかっこいいと思うタイプではないのだが、こういったロボットアニメ自体が貴重な時代にもはや詳細な好みに細分化する余裕はないのが現代だ。

自分はどちらかというと戦車や戦闘機のようなミリタリー系列の方が好きなのだが、実際に戦闘機に乗る機会は無いのが現実だ。

しかし新幹線というのは実際に乗りに行ける交通手段なので、こういったアニメを見て新幹線に憧れた子供が、親にねだって乗りに行ってどこかに行きそこで食事でもするのならばそれは経済への良い刺激となる。

途中に入るコマーシャルには実際にJRのものがあり、このアニメを見た子供はきっと新幹線に憧れ、将来的に運転手になりたいと思うかもしれない。今の時代壮大な戦いが起こるわけでもなく、こういった日常の中の乗り物に夢を感じるほうがきっと正しい路線だ。

 

昨今のネットの風潮はレジャー施設が高いとか、交通渋滞の中でゴールデンウィークに外出する家族連れは効率が悪いだとか、そういう後ろ向きの思考になっている。ネットの普及によりネット民的思考が世の中に広まり過ぎた結果、世の中が停滞しているとも言える。

日々のストレスの中で何かを叩く方向にしか向かっていかない悲しい時代だ。

ネットで真実を普及させれば世の中が正しい方向に向かっていくのではないかと期待していたら、そうならなかったのが現代なわけで、かつて当たり前に存在したライフスタイルの時代に回帰するべきなのかもしれない。

全国的にやっているロボットアニメやホビーアニメ自体が少ない時代に、そう考えるとシンカリオンはかなり頑張っている方だ。

本当に自分好みのものを選べるような贅沢な時代は終わっているので、新幹線に興味が無かったとしてもロボットホビーアニメを求めるならばシンカリオンしかないとも言える。

男性の購買意欲が低下していると言われるが、そこに人が集まり消費が活性化しもう一度男性向けのコンテンツが活気づき業界が潤うのならば未来を感じることができる。

何もかも衰退していく時代はやはり楽しくないわけで、こういった明るい話題が今は求められている。

そしてシンカリオンを見た子供たちはロボットに魅力を感じるだろう。

将来的に育った彼らがもう一度明るい時代を作り上げる原動力になるのかもしれない。

悲報:ハリルホジッチ解任、ごめんねハリル

サッカー日本代表指揮官のヴァイド・ハリルホジッチが解任されるという報を聞いて、人知れず悲しみに覆われてている。

確かに今の日本代表は停滞感があり、期待できるような指揮官ではなかったのは事実で日本サッカーのサポーターからも常に批判意見が飛び交っていた。

著名なサッカー評論家からも解任論が飛び交い、日本は「反ハリル」の同調圧力に染まっていた。大衆は何かの権力者を打倒し、引きずるおろすときに昂揚感を覚えるものだ。

 

自分はこのハリルホジッチという旧ユーゴスラビアのボスニア出身の監督を、ある意味で擁護してきた立場ではあるが、その結末そのものが見れない事自体が非常に悲しい。

日本人のサッカー観がハリルホジッチの思考にはたどり着くことができなかった。

カジュアル志向に染まり、目の前の即自的な結果しか求めなくなっている現代日本人にとって、過程はどうあれ本戦の大舞台で結果を残す「勝負師」のハリルホジッチは受け入れられなかったのだ。

親善試合で華やかな結果を残し、期待感を漂わせ、明るい未来に向かっていくと言う昂揚感に酔いしれたい日本国民は同じ過ちを繰り返すことになるかもしれない。

 

ハリルジャパンで惨敗すれば、これまでハリルホジッチ監督を擁護してきた立場として謝罪するつもりでいたがそれすら叶わない事が悲しい。

どれだけ批判されようとも一発勝負で結果を残すハリルJAPANに期待していた立場としては完全に青天の霹靂だと言わざるを得ない。本当に考えてもしなかったような急な人事だ。

 

ハリルホジッチという指揮官は安易にその国に迎合するような存在ではなく、本質を追求するような存在だった。

前任のアルベルト・ザッケローニは、日本人にとって非常に心地よい監督であったが結果はグループリーグで一生もできず日本代表の惨敗を招いた。確かに主力選手の高齢化や、ザッケローニによる指揮への選手の増長、そして本戦での思わぬ自体などがあったことは事実だ。そしてザックJAPANが日本代表史上最も輝かしい功績を遺したことを否定するつもりは無い。

 

それに加えて、何よりザッケローニは「親日家」であり、日本食を好みワサビを普段の食事でも愛飲するというエピソードを披露したり、イタリアとは違い電車の中でもプライベートの生活をリスペクトしてくれる日本人の国民性を賞賛したりしていた。

 

これがまさに日本人好みで、日本への褒め言葉を常に外国人に求める昨今の国民性に広く受け入れられた。

優しそうな風貌で日本人の国民性を賞賛し、日本人選手の主張を容認したザッケローニはまさに日本人好みの外国人指揮官だった。

 

しかしブラジルワールドカップでこのザックジャパンは崩壊し、かつてのジーコジャパンの二の舞を披露しその後のサッカー人気の停滞を招くことになった。

 

その対極としてハリルホジッチは、日本文化自体は尊重し理解しているものの決してそこに合わせるようなことは無く我流を貫いた。それが「良き日本文化を理解する寛容な外国人」を求める日本人の嗜好には合致せず、結局のところこのような解任を招いてしまった。

聞こえの良いリップサービスで大衆をまやかす指揮官のほうが、無愛想な姿で現実を追い求める指揮官よりこの国では求められるのだ。

 

FIFAワールドカップまであと2か月待てば未来は違ったものになっていたかもしれない。

果たしてこの直前の解任で一体何ができるというのだろうか。

コーチを務める手倉森誠が代理で監督を務め、2010年南アフリカワールドカップにおける岡田武史のような奇跡を起こすのであればこれは歓迎するべきことだ。

 

もちろんこの決断が吉となるならば批判することは無い。

結局のところサッカーという競技はすべてが結果論だ。

日本サッカーは今、壮大なギャンブルの賭けにに打って出たと言える。

ロシアという広大な大地でその采配がどういった結果をもたらすかに期待したい。

外国人女性と結婚して息子をサッカー選手にする夢

かつて本田圭佑は「人から笑われる夢を持った方が良い」を語ったことがある。

その笑われる夢で言えば、最初は半ば冗談のように考えていた外国人女性と結婚して息子をサッカー選手に育て上げるという計画について真剣に考え始めている。

 

ちょっとした適当な妄想で考えていただけに過ぎなかったこの壮大な計画も、考えていく内にわりとリアルにアリなんじゃないかなと思えるようになってきたのだ。

 

まず最大の理由は自分の結婚観の変化、すなわち子供がいない人生のリスクが急に不安に思えてきたという事にある。

今でさえ世の中に孤独死が溢れ、介護士不足が深刻化してきている時代に自分の老後が急に不安になってきたのだ。

正直自分はまだ若いのではないかという安心感もあったのだが、これもいつまでも続かないという現実にそろそろ気づき始めてきている。

それまでは独身貴族主義者であり、子供や家族は負担だと考え自分の人生を生きる計画をしていた。

 

しかし肝心のその自分が思ったような人間になれなかったこと、自己実現できそうにもないこと、ポテンシャルや伸びしろが今後限られている事に悟る機会が増えてきている。

一昔前までは自分一人で生きていく自信があったのだが、自分はそんなに特別な人間でもないという現実を悟ったことで夢や希望が欠如するようになっている。

 

未来が何か明るい方向に向かっていくという期待が無ければ、人生はこれほど空虚なのかということに気付いた。自分の場合まだ年齢的には20代半ば程であり、どこかにまだ大丈夫なのではないかと未来を先回しにするようなことしか考えていない。

しかしこの今の状態ですら先行きが無い事や、未来が発展していかないことにこれだけ精神的ダメージを受けているのだから、自分自身が衰えるていくような年齢に差し掛かればなおさら絶望的だと気付いたのだ。

 

こういう時子供がいれば、自分は確かに老化していくかもしれないが子供は成長していくのでほとんど気にはならないだろう。自分の老化も、子供の成長があれば心苦しくは無くむしろ楽しみな未来に溢れている。

これが自分一人でバリバリ生きて行けるような有能な人間ならば特に問題は無い。

世間的に有名な結婚願望を持たない独身主義者の人々の多くは優秀な人が多い。

その一方で実際に1人で人生を謳歌できるような人は少数派であり、「自分は一生独身で遊んで暮らす」という願いはどうやら叶いそうにないと言う事に自分自身気付き始めている。

 

そんな時、今まで絶対に興味はなかった子育てに人生の楽しみを見出せば、この空虚な人生は面白くなるのではないかと、これまでとは180度異なるコペルニクス的転回の思考に辿り着いた。

やることや情熱を傾ける事がこのままいけば数十年後には見つかりそうにない、だからこそあえて大きな目標を持つべきなのだ。

こんなことを言ってしまえば不謹慎な考え方かもしれないが、趣味と実益のために自分は子育てをしようという考え方になっている。

 

その計画のまず第一段階はこの10年以内に外国人女性と結婚することである。

自分と同レベルの日本人女性と結婚したところで、平凡な子供しか生まれてこないことは目に見えているので外国の血統に化学反応を期待したいというのが理由だ。

 

そもそももう日本人の血統自体が、2000年もの間、閉鎖的な島国で大きな変化も無く交雑してきたことに既に限界があるのではないかと自分は考えている。

これまでの日本の歴史を否定するつもりは決してないのだが、現代の新しい潮流の中でもはや単一民族はマンネリ化のような状態になっている。

実際に日本社会の中から突出した新しい人材はなかなか現れず、ぶっ飛んだような人は外国人の血が入っている人が多い。一見すると日本人と変わらない容姿をしているが実はクウォーターだったという人が優秀なことも多い。

かつての自分は単一民族を美化し、移民制度などに反対していたが日本の停滞を考えた時、打開するにはもう海の向こうからの風が必要なのだという現実に気付いている。

マンネリ化した遺伝子からは、もう突出した才能は現れない。

 

実際にサッカーのような競技でも、もう劇的な変化は発生せず正直ここ数十年間日本のサッカーを見たところで何かがあるようには思えないのだ。

自分は大のサッカー好きであり、自分にとって一番の娯楽だと言っても過言ではなく、最後の情熱の拠り所でもある。直近のワールドカップで惨敗したにもかかわらず、結局惰性で今日までサッカーを見続けてきた程だ。

 

サッカーが一生の趣味や興味の対象ではあるが、同時に自分がサッカー選手になれなかったという心残りもある。そもそもここまで本格的にサッカーを好きになったのも最近なので、どう考えても年齢的にサッカー選手になることは難しかった。

15歳までの成長が基礎として重視されるサッカーの世界では間に合わなかったのも現実であり、そもそも自分にそれほどの運動神経は備わっていなかったので絶対的に叶わない夢だ。

 

そのため自分は寝る前に自分が海外のビッグクラブと日本代表で活躍する妄想をして、ゲームで自分を選手にしているのだが、これも時々虚しく感じることはある。

正直ここまで情熱があるのもサッカーだけなので、もう思い切ってサッカーの人生を捧げるべきなのではないか。まだ平均寿命までの時間を考えれば数十年あるわけで、育成に楽しみを見出そうという考えにシフトしている。

よくよく今後の人生を考えた時、特にやりたいことは無いというのが本音で、自分自身が特に何か自己実現できるほどポテンシャルや才能に恵まれているわけではない。

何も目指すものが無い人生であり、もう終わった人生だったとも言える。

 

日本人女性との結婚を考えるからその先には平凡な人生しか待っていないように思えるが、外国人女性との結婚ならば何か大きな夢を思い描くことが可能だ。これも幻想にすぎず、大したことにはならないしそもそも叶わない果てしない夢でしかないというのは重々承知だ。

しかしわずかな可能性であっても何かが起こるのではないかという期待は精神的な支えになる。

別に今日や明日に成し遂げようという早急の課題ではなく、残りの人生をかけた数十年単位の計画だ。特にもう夢も無かったのでその空白を埋めるには、子育てという今まで一切興味が無かった希望が上手く合う。

 

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「最もサッカーの才能がある人種」と考えた場合、自分は旧ユーゴスラビア系の人々だと考えている。

ブラジルやドイツのようにナショナルチーム自体が強豪ということはないが、その人口からは考えられない程に世界中で旧ユーゴ系の選手が活躍しているのは驚愕する事実だ。そもそもサッカーに限らず、バルカン半島系の民族は球技全般に才能が有りテニスやバスケなどでも活躍が目覚ましい。

そしてサッカーにおいてもかつて旧ユーゴスラビア代表はドリームチームであり、クロアチア代表はワールドカップ3位の成績を残したことがあるほどだ。

 

次の候補はスペインやポルトガルといったイベリア半島系の人々だが、国籍にそこまで強いこだわりがあるわけではない。自分はこの人種の女性は好きになれないという考え方は持ち合わせておらず、条件となるのはとにかくフィジカル的な素質だ。

また頭脳の面でも実は海外のほうが優れた天才が多く存在する。

生物学の基本に照らし合わせれば、そもそもなるべく離れた遺伝子の組み合わせのほうが健康で優秀になるようにできており、もう2000年も同じ民族だけで交雑すること自体が限界に達しているのである。

 

例えば自分が今らの人生で年俸数十億を得るような人になることはまず不可能だろう。

しかし何人か外国人の血を引く子供を作れば、何かしら起きるのではないかという希望がある。男子ならばサッカーに限らずジャニーズになるならばそれも自分にとっては重要な夢だし、女子ならばテニスや芸能人にも期待できる。

よくアイドルが父親と仲が良さそうにしているのは楽しそうであり、本来は自分が父親の年齢なはずなのに握手会に行くよりはよほど充実した人生だ。

こんな現金な考え方をしているとゲスいと思われるかもしれないが、「将来子供に食わせてもらおう」という考え方も今の少子化時代には十分な動機づけになるのではないか。

 

別にこれは個人的な具体例でしかなく、それぞれ思い描く将来像があっても良い。

少なくとも何の夢も持たないよりは良いだろう。

日本人男性がもったいないところは、自国の女性に夢を見出せなくなった時なぜかアニメやゲームのキャラクターに夢を見て現実逃避するというところだ。

国際結婚は負けという価値観もそこにはあるのかもしれない。

ここら辺は日本人女性の方がむしろ柔軟な考え方をしているのではないか。

 

普通自国の女性に夢を見いだせない男性は、海外に夢を見る傾向があるがここ最近の草食化した日本男児、バーチャルユーチューバーやらソシャゲの嫁キャラクターだかに閉じこもってしまっている。

アニメやゲームのキャラクターは結局架空の存在であり、直ぐに孤独は癒しやすいかもしれないが逆に言えば何も残らない。

数十年後も架空のキャラクターに情熱を向けていることなど不可能だろう、その内現実に気付き冷める時が来るのだ。

自分の人生を考えた時、今はまだその段階じゃないと言っているうちに何もない人生だったと気付く時が訪れる。

 

よく方言女子が好きだと言う人がいるが、外国人女性の話す日本語というのは不思議な魅力があるので自分はなぜかそこに惹かれている。近場の国でも話し方や発音、そして行動が違っていてまるでアニメキャラクターを見ているように感じる時もある。

最近日本人男性は内向きになっているが、今だからこそ外国人女性の可愛さを再評価するべきなのではないか。

 

また海外の異性に夢を見ることは、語学を勉強する上でもモチベーションとなる。

外国語を学ぶときモチベーションは中々維持することができないため、突拍子もない夢であっても動機づけになるならばあったほうが良い。

壮大な夢はかなわなくても、語学の勉強を続ける役には立ったのならばそれは十分に良い結果だろう。

 

自分がこれだけ好きな欧州サッカーの華やかな世界も、現状のままではいつまでたっても他人事だ。

今後数十年間寂しくサッカーを見続けて、日本代表も大して強豪になれず一生欧州サッカーと自分は縁が無いというのがこのままいけば現実だ。

それが現実的な夢になることなど想像もしていなかったが、仮に息子がバルセロナやレアル・マドリードに移籍してスペインの高級住宅街に居を構えるなんてことも宝くじ当選ぐらいの確立かもしれないがあり得なくはない。

少なくとも日本の当選金額の安い宝くじを一生買いつづけるよりは、息子が数十億円を稼ぎ出す選手に成長することを期待するほうが夢がある。

自分が今から選手になるという確率皆無の夢よりはさらに可能性がある。

 

正直なところ今の日本サッカーの育成では到底世界に追い付けない。

日本も進歩はしているが、世界はもっと進歩している。

FIFAワールドカップの優勝など一生かかっても見ることができないだろう。ただでさえ少子化で世界との差が開き始めている時代に、もうワールドカップ優勝は多くのサッカーファンが諦めている。

 

しかしそれでは面白くない、ならばいっそのこと自分で直接選手を育てればいいのではないかという発想の転換だ。

男性に限らず女性のサッカーファンも含めて、外国人と結婚して子供を育て上げるという事をやり始めれば数十年後には成果が出るかもしれない。

別に日本代表を選ばなかったとしても、スペイン代表のダビド・シルバのように日系選手として活躍するケースだってあり得る。

突拍子もない夢かもしれないが、それだけ華やかなことを思い描く想像力が今の日本人には必要とされているのかもしれない。

人から笑われる夢を持つべき、そう本田圭佑は語ったのだから。

子供をアスリートにしたければ外国人と結婚するのが一番

最近日本のアスリート界に明るい話題をもたらしてくれているのが、ハーフやクウォーターの選手たちだ。

例えば女子テニスの大阪なおみは現在最も活躍している新星の一人であり、野球楽天イーグルスのオコエ瑠偉やサッカー日本代表の酒井高徳といった選手も存在する。

野球で言えばダルビッシュ有がイランにルーツを持つ選手であることは広く知られている。

 

卓球の張本智和やサッカーのハーフナー・マイクのように両親ともに外国人だが、日本育ちで日本語を話すという選手も含めれば海外にルーツを持つ選手の活躍の機会は増えてきている。

 

実は自分はかつては国粋主義的な思想を持ち、純血主義に夢を見ていた時代があった。

例えばサッカー日本代表が「純日本人」だけで構成されたチームにより、ワールドカップを制覇したらサッカーの歴史を見ても単一民族による制覇は少ないため快挙だと考えていた。

バスク民族だけで構成されたアスレティック・ビルバオというスペインリーグのクラブのように、日本人だけで構成された純血の代表にW杯を制覇してもらいたいという夢を自分は抱いていた。

 

しかしサッカーの現実を見れば見るほど、育成や努力ではどうにもならない程の絶望的なフィジカル差という現実に行き着く。

かつては移民系選手が多数派を占めるフランス代表に批判的だった自分も、今ではむしろフランス代表はとてもかっこいいと考えるようになっている。純血に拘り何も期待できないチームよりは、可能性に溢れたチームの方が見ていて楽しいというのも真実である。

 

正直なところ日本人の血統だけに頼った場合、サッカーに限らずスポーツでは限界があるというのも事実だ。

例えばテニスにおいても錦織圭はやはりフィジカル的な限界に直面しており、彼がグランドスラムのタイトルを獲得する姿は残念ながらもう思い浮かばない。

大型選手が世界のトップを占めるテニスという競技の中で、錦織圭がここまでやれているのは日本のスポーツ史上もっとも偉大な活躍である事は事実だ。一時的にもテニスというメジャースポーツで世界ランク4位につけ、ジョコビッチやマレーのような世界的選手に打ち勝ったこともあることは間違いなく伝説である。

 

その一方で日本自体が少子高齢化に直面しており、ここから更に少なくなる子供の数で今後世界と競争できるかどうかには疑問符が付く。

サッカーのような世界との激しい競争に晒されている分野を見るとやはりその現実は厳しいと言わざるを得ない。

例えばゴールキーパーやセンターバックのようなポジションに、ハーフ系の選手や外国にルーツのある選手がいたらどれほど頼もしいかとよく考える。仮にハーフナー・マイクが彼の父親と同じようにGKになっていたならば今ごろ日本代表で不動のスタメンだったのではないか。

 

バスケットボールなど更に絶望的だ。

日本人の中で身長190cmを超える男性は0.2%ほどだと言われており、アジアの中でも弱小なのが日本バスケの現実である。ただでさえ少子化で子供が少ないのに、日本は人気なスポーツが細分化しており、どこも数少ない人材に取り合っている。

フィジカル的に恵まれない日本人の中で、いくつものスポーツが人材を少子化の時代に取り合っているというのは先行きに乏しい。

 

日本人アスリート史上最も身体能力が高かったフィジカルエリートと言えば室伏広治だ。両親共にオリンピック選手だったため規格外の身体能力を誇っており、室伏広治がサッカーをやっていれば凄い選手になっていたのではないかという事は良く議論される。

母親がルーマニア人の室伏広治と、母親がドイツ人の酒井高徳は似たような境遇を持っている。

 

これは風の噂で聞いたような俗説でしかないのだが、子供の身体能力というのは母親の影響力が大きいという説も存在する。

父親が外国人というケースの方が多いが、日本人男性が外国人女性と結婚するケースが増えていけば子供が子供がアスリートになるケースは更に増えていくだろう。

それは非常に夢がある事であり、独身で虚しく一人で海外スポーツや日本代表の試合を見るよりは、いつか自分の息子が海外のチームに移籍し当事者になることを夢見たほうがスポーツ観戦は楽しいだろう。

 

例えば自分はFCバルセロナというスペイン北東部にあるカタルーニャ州のクラブチームが好きなのだが、日本人である限り結局のところ自分には縁が無い他人事でしかないという現実もある。

しかし仮にスペイン人やアルゼンチン人と結婚して息子がバルサの選手にまで育った場合、その日から極東の島国の無関係な観戦者ではなくなると考えることもある。

 

海外のスポーツを見ていると結局そこがコンプレックスになり、脳内外国人の領域を脱することができないのだ。

日本人が縁もゆかりもない海外のチームを応援して何が楽しいのかという意見がある事も事実で、今から当事者になるには現地に住むか自分の関係者がそのチームに移籍するしかない。

 

また兄弟がそれぞれそれぞれ別の国の国籍を選択して、代表チームに選出されるというケースもある。

例えばチアゴ・アルカンタラとラフィーニャの兄弟は、それぞれスペイン代表とブラジル代表を選択しており父親の立場からすると両国が対戦する時は格別だろう。

クロアチア人と結婚して兄が日本代表、弟がクロアチア代表を選択しFIFAワールドカップを舞台に対戦するという夢物語も考えたことがあるようにとにかく夢は広がる。

 

正直なところ自分と同じレベルの日本人女性と結婚したところで、大きな夢を見ることができないというのも本音だ。

自分自身、両親が共に平凡であり当然ながら受け継いだ遺伝子に特別な才能は備わっていなかった。

あらゆる能力が平均以下だと幸せな人生を送る事なんてできないという現実をこうして嫌なほど味わっているため、もし子供が欲しくなった場合はせめて母親の素質には拘りたいという切実な願いがある。

自分と同じような惨めな人生を送らないで済むようにするためにも、せめて子供には良い能力を継承させてあげたいのだ。優れた能力に恵まれない人間の人生がどれだけ悲惨であるか、その実例がまさに自分なのである。

 

そんな人間が優れた外国人女性と結婚できるはずがないというのは確かにその通りだ。

しかしどっちにしろ優秀な日本人女性と結婚できる可能性も低いという現実にも変わりはないので、せめて何らかの奇跡が期待できそうな外国人女性との結婚に期待したいという思いはある。

現在は一切結婚願望は無く、別にこの話も今は関係ない夢物語なのだが、仮に子供が欲しくなった場合は外国人女性を候補にしたいと思っている。

何らかの奇跡が起きて美人のハーフが生まれてくればモデルや女優といった職にも期待できるので、女の子の場合でも大きな夢を感じられる。

 

子供の人生に親が決めた道を強制するつもは一切ないが、スポーツ方面で活躍してほしいと考えるならば高度な教育をするよりも素直に遺伝子にこだわったがよいだろう。

頭脳や芸術の方面で活躍を期待するならば日本人同士でも構わないが、スポーツだとどうしても遺伝子という才能が重要になる。

スポーツの世界においてフィジカルは絶対的な才能であり、陸上の為末大も才能が一番重要だと断言している。

 

子供にさえ夢を見れれば良いと思っているならば、お金や日本国籍目的の外国人女性と結婚しても一向に構わないのだ。

南米のチリ人やコロンビア人と結婚すればサッカー的には非常に恵まれたフィジカルを得られるだろう。ビダルやハメス・ロドリゲスのような選手だって誕生するかもしれない。それで世界のビッグクラブに移籍すれば一生かかっても稼ぎ切れないような収入を息子が稼ぎ出すことだってあるかもしれない。

実際にブラジル人サッカー選手の両親には金銭面にシビアな人が多く、ネイマールの父親はその代表格だ。

 

その一方で自分とレベルの近い日本人女性と結婚したところで、平凡な才能しか生まれてこないことは容易にイメージできる。そもそも日本人トップクラスの身体能力を持った選手でも、やはり海外の舞台ではそのフィジカル差に直面している。

日本人の血統自体に限界があるという現実を考えれば、やはり遺伝子の輸入ということも今後考えていかなければならないのではないか。

自分の場合はあくまで特に結婚願望も無く真剣に考えているわけではないが、本当に子供をトップアスリートに育てたいという夢がある人は外国人に可能性を見出すべきなのではないだろうか。

日本人同士で結婚しても息子がNBAの選手になることはほぼ叶わない夢だが、結婚相手が外国人の場合少なくとも日本人同士の結婚よりは可能性があるだろう。

 

ブルゾンちえみという女性芸人が「世界に男がどれくらいいると思う、35億」というネタでブレイクしたが逆に言えば女性も35億いるのである。

最近結婚できない独身の日本人男性が増えているが、日本に可能性を感じないなら一度視野を広げてみるべきかもしれない。

 

別に自分のようにそれほど強い結婚願望があるわけではない人間にとっては、切実な問題ではないのだが、結婚できなくて悩んでいる日本人男性を見ていると素直に国際結婚を考えるべきなのではないかという考えになる。

よくある婚活番組で余り者として晒されている惨めな男性を見ていると、とても同情的にならざるを得ない。そして仮に結婚できたとしても、それほど明るい未来は描けないという組み合わせが多い。

こんなことを言ったら本当は失礼なのかもしれないが、結婚する年齢が遅かったことで高額の不妊治療の負担に困窮している夫婦など見ていて本当に惨めで仕方がない。

 

近年外国人観光客も増えており、日本人女性目当ての外国人男性も来るが、多少なりとも日本に関心がある外国人女性が同時に来ているのも事実だ。

「世界の日本人妻」と言った言葉のように日本人女性の国際結婚は華やかに美化されて語られるが、日本人男性の国際結婚は現在もネガティブなイメージで語られる傾向がある。

そんな風潮に負けずに前向きに進んでいこうとする日本人男性がいるのならば、同性の立場として自分は応援したい。

バーチャルユーチューバーは今最も始めるのが楽な趣味の一つ

世の中意外と多いのが「趣味が無くてどうしようか迷っている」という類の人々だ。

楽しいことが無いとも言いかえることができるが、実は世の中に楽しいことが全くないということはありえない。

ただし本当の楽しみや幸せを得るには能力、お金、時間が要求されるため手が届かず、多くの人がつまらない人生を生きざるを得なくなっているのが現代だ。

 

そんな行き場の無い人々が今急速に集まっているジャンルがバーチャルユーチューバーと言われる存在であり、約1000人も存在するという空前のバブルになっている。

バーチャルユーチューバーが趣味として何が優れているのかと言えば、「視聴者は何も要求されず何もしなくていい」というところにある。

基本的にただ短い動画を見ているだけで良いので、時間も金も気力もない現代人にとってはまさにベストなのだ。

 

アニメを全話視聴し考察するようなタイプのオタクはもはや絶滅危惧種であり、バーチャルユーチューバーのコメント欄で馴れ合い、架空の一体感のような物を得ることが現代人の過ごし方になっている。

何もしなくて良い代わりに、そこには何の成長も無いが、成長の伸びしろや余白がこれ以上無い日本社会にとって成長という言葉自体が無駄なのだ。

 

例えばゲームはよく趣味としてあげられるが、実際には才能と努力を複合した能力が必要とされる。設備投資や課金のための財力がここに加わるケースも存在する。

苦労して始めたところで最近のゲームはどこもガチ化した既存ユーザーが上位を占拠しており、もはや今更新規参入者に居場所は無い。

そしてどこも先行きが無く、いつかは廃れる過疎化の運命にある。

 

ソーシャルゲームのような存在にしてもやはり時間や課金が要求され、ここで勝ったり上位に入ったりするためにも結局何かが要求されるのだ。

ゲームは練習量を確保するための時間や、課金するための財力、そして才能が要求されこれは将棋のようなボードゲームだとさらに顕著になる。

 

スポーツの様な競技だとなおさら高い能力や本気度が要求され、する場所という環境やする仲間という人脈も必要になってくる。

結婚や家族に幸せを見出すにしても、世の中から有り余った人間にとっては恋愛市場に居場所が無く、努力をしたところで理想の相手には出会うことができない。

ようやく結婚するだけの経済力が身に着いたときには自分も年を取っており、婚活にやって来る相手も当然同じような余り物の人しかいない。婚活パーティにいって何も成果が無かったという悲痛な嘆きはネット上にいくらでも存在する。

苦労して結婚したところで晩婚化の現代では高額の不妊治療が必要になり、子孫に恵まれないケースもある。

 

時間、お金、能力、これらの事は現代人にとって揃えることが非常に難しく、どこにも夢が無いのだ。

つまり今の世の中、能力が無い人間にとっては楽しいことはほとんど存在しない。この競争社会は恵まれた能力がある人間にしか居場所が無いようにできている。

 

だからこそそういった居場所のない「難民」が今バーチャルユーチューバーに集結し、バブルを引き起こしているのだろう。それだけ底辺の弱者が多く、実は何の能力もない凡人の方が多数派なのである。持たざる者や凡人にとって居場所や楽しみが無い現代社会になり、まさに難民と化している。

 

『けものフレンズ』というアニメが流行ったときは、「すっごーい!~なフレンズなんだね」といった定型文が流行り、それを使っていれば仲間意識を味わうことができた。

簡単なコミュニケーションによる表面上の共有や共感が今は求められているのだ。

 

しかしけもフレは例のごとく、たつき監督が二期を担当しないことになり、完全にファンが離れて行ってしまった。癒しを求める安息の場所に大人の世界の現実が介入したことにより、人々は幻想から覚めてしまった。

けものフレンズという安息の場所を失った難民が行き着いたのは、また別の日常アニメかバーチャルユーチューバーのどちらかだ。ゆるキャンを見るか、キズナアイを見るかに「けもフレ難民」は離散しているのだ。

ただこういった日常アニメやバーチャルユーチューバーに癒しを求める人々を単純に批判することはできない。

現代において男性というのは以前より弱い立場に置かれ、とくに男性は若い時ほど大変なのだ。上の世代からは下の立場として責められ、若いからといって女性のように若さ自体に価値があるわけでもないため、特に若い男性は疲れ切っている。

戦後初期の時代は貧しくはあったが夢はあった、バブル期のような好景気の時期はお金があったので華やかなことができた。

今は夢や未来と金の両方が無く、更には時間も無い気力もなく、こんな状況でかつてのように若い男性層が情熱を持つことは不可能なのだ。

 

今の日本は格差社会が進行し勝ち組と負け組の差がはっきりと分かれるようになっている。

そのため幸せの椅子取りゲームに負けた人々が急増しており、楽しみが無いという状況が発生しているのだ。

 

そんな行き場のない難民のような人々が唯一集まれる炊き出しのような場所がまさにバーチャルユーチューバーであり、ストロングゼロと並んで現代の福祉だと言える。

SNSに幸福を求めようともどうせ普通の人がやれば表面上のいいねが少し来るだけで孤独であることに変わりはないし、今更自分がユーチューバーになれるわけでもなく、ゲームをしたところで上級者や廃課金勢には追いつけないし、芸術活動をしても才能が無ければ評価はされない。

今更昔のように、高級車や豪邸に夢を見ても手に入るわけも無く子供のころのような情熱や夢は持てず、恋愛市場では弾き出され、上手い食事や酒を得る財力など、この貧困が蔓延している日本社会では手が届かない。

 

何もかも手が届かず、能力も無く、かといって未来が明るくなっていくという希望も無く気力はすぐに不安にかき消される。

 

現代人は決して努力をしていないわけではなく、厳しい状況の中で頑張っている。

今の時代はゆとり化が進んでいると言われるが、むしろ今の時代の方がよほど大変で昔の方がゆとりがあったとさえ言える。

普段頑張って疲れているときに、趣味にまで苦労が必要となればそれはもはや億劫でしかないのだ。

昔はオタクと言えば趣味については全力になり、考える人が多かったが今は難しいことなど考える余裕はもう無くなってきている。

 

普段ただでさえ疲れているのだから、「せめて趣味の時だけは楽に過ごさせてくれ」というのが本音だろう。趣味に対して癒しを求める傾向というのはもはや仕方がない事であり、余暇時間の役割は疲れを癒しエネルギーを充電することなのだ。

日本は本当に貧しく夢も未来も無い社会になってしまい、寂しく虚しい生活をしなければならない時代が到来している。

しかし人々はその中でも懸命に生きている。

バーチャルユーチューバーという最も簡単な趣味は今後あらゆる手のかかるコンテンツを滅ぼしていくだろう、しかし本当に問題があるとするならば、それはその背景にある現代社会の闇そのものなのではないだろうか。

キズナアイ 1st写真集 AI

また人生がつまらなくなってきてダルい・・・・

4月になると新年度を迎え、新しいはつらつとした感情で何かを始めようとする人も大勢いるだろう。

しかし自分にとってそれは無縁のことだ。

 

新年度が始まるぞ!というワクワクした感情など特になく、むしろ着実に暑くなって来てるなと既に気だるくなってきている。

今年になってから今年こそは良い年にしようと意気込んでいたが、特に何も変わらず、進んでいかず、変わっていかず停滞している。

 

力を入れていた外国語の勉強も正直、ここにきて再びモチベーションが低下し始めている。変化を実感できない事や、中間目標を達成するような喜びや見返りが無く「果てしない」というのが本音だ。

 

その一方で新しいことを始めたと言えば、絵を描いて創作活動を行う事は再開した。

ただしこれも、去年の夏ごろの一時的な創作ブームに過ぎず、その内結局いつものように楽しさを実感できず、やっても先行きないなといつものようにまた挫折してしまうかもしれない。

 

www.pixiv.net

 

とにかく「続かない」というのが自分の気まぐれで悪いところなのだろう。

やってて楽しいという感覚や達成感がいまいち得られず悶々とした日々が続く。

 

何も面白いことが無く恵まれない人生なんだろうなと思うとなんかなぁとこれまでのように後ろ向きになってしまう。

春が訪れ新年度という時に、これだけ疲れた思考をしてしまうのが現実だ。

今年が始まったからと言って、去年と劇的な変化も無く刺激は相変わらずない。

 

ただ、それでは駄目だともちろん思っていて今年の夏はなるべく楽しんでいこうと思っている。

今の自分が考えている主なことは夏に何をしようかという計画だ。

小学生のころは夏と言えば最高の季節であり、夏休みをどう過ごすかというワクワクとした感情に満ちていた。

大人になってもリア充ならば夏は楽しみで仕方ないのだろうが、リア充になれなかったからこんなことをしているわけである。

 

中学の頃が夏は勉強をして成績を上げる季節だと考えるようになり、高校時代は無駄に補修だけは多い学校だったのでそんな華やかな思い出などない。

大学時代も記憶が飛んでいてこれもまた何をしたか覚えていない空白期間だ。

 

そういう思い出の無い哀れな人間なので今年の夏は何かしようと思っている。

例えばバーベキューは今年の夏に一度はしたいと予定していることだ。

つい先日、夕方に外を散歩していたらBBQの香りが漂ってきてまるで小学生の頃、地域のイベントや家族でバーベキューをしたことが蘇った。

 

自分にとってBBQはテンションが上がることの一つだと分かったので、今年は週に一回のペースで夏の間ずっとやると濃い思い出になるかもしれないと考えている。

田舎なのでやる場所はやたらと多いので、とにかく外で何か食事をする機会を増やそうかなとも思う。部屋で1人でお酒を飲むよりは、外で焼肉でもしながら飲んだほうが思い出には残るだろう。旧友を誘ってそこから人脈を広げていくというのもありかもしれないし、小さな七輪で1人BBQをしても気軽ではある。

 

とにかく夏に対してワクワクするような予定を考えたい。

それで言えば最大のイベントはもちろんFIFAワールドカップだ。

ワールドカップ、MOMOLAND日本デビュー、セクシーゾーンの24時間テレビ担当が今年の個人的な三大ビッグイベントだ。今年はビッグサマーとして楽しみな事は揃っている。

それらを全力で楽しむために今準備をするという考え方に切り替えて、今を生きると活力は湧いてくるかもしれない。

何か目標や楽しみが少しあるだけでも気分は変わってくるだろう。

 

去年の夏はとにかく陰鬱で仕方がなかった。

負け組の底辺生活にあの暑さはかなり厳しく、テレビはどこも後ろ向きな戦争番組ばかりで爽快感がまるでなかった。

むしろ一昨年の夏のほうが自動車免許の習得に打ち込んでいたため思い入れはある。

 

今年の夏にもう一つやってみたいのは、アイスを使ったカクテルを作ることだ。

ネットでカクテルの作り方を見て、焼酎にアイスキャンディーを入れると夏にぴったりののお酒ができるというのを見たので、今年は独自カクテルの開発に力を入れたいというのもある。

そのオリジナルカクテルを飲みながらワールドカップを観戦するというのが今年の夏の現実的な目標だ。

更に今年は自分の好きなアイドルが24時間テレビのパーソナリティを担当するので、それで夏の締めになれば今年の夏は思い出に残るかもしれない。

 

あとはドライブにも楽しみを見出そうと思っていて、夏だからこそいろいろな場所に車で行くと言うのもありかもしれない。釣り道具を買えるぐらいにはなって、夜釣りにいくというのも楽しみの一つだ。

 

創作活動に関しては中断していた作品を今年の夏で一気に書き上げて完成させるというのもありかもしれないし、とにかく前向きに何かを進めていくというのが大事なのかもしれない。

何かしら新しい試みを始めていかなければ、いつの間にか今年の半分が終了して、そして年末になっているだろう。

年始年末に海外旅行に行くと言う最大の目標に向かって進んでいかなければならないが、現実にはいろいろと停滞しており刺激や達成感が無い。

二度同じ轍を踏まないために何とかしてやる気やモチベーションを高めていきたい。