負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

最近あまりお酒を飲んでも楽しくない時がある

自分は大のお酒好きなのだが最近どうもわざわざ苦しむためにお酒を飲んでいる気がする。

「俺ってここまでして酒飲む必要があるのかな」という自己嫌悪に陥る日が増えた。お酒を飲み始めたころの楽しさが無いというか、暴飲することが増えて飲み方が悪くなっている。

むしろ苦しくなるためにお酒を飲んでいるのではないか、破滅に向かおうとしているのではないか、そんなことを二日酔いに苦しんでいるときは考える。

 

お酒の喜びや楽しみはいつまでも続かない、そんなことが異常なまでに悲しく感じられその後は現実や苦しみと向き合うことになる。

 

特にここ最近連日の深酒で内臓がダメージを受けている。

今この記事を書いているリアルタイムで胃の部分がヒリヒリするため、調べ物をしていたのだがどうやらアルコールは胃の粘膜を傷つけるどころか貫いていくらしい。 

 

その結果胃酸が分泌されてしまうというのが大まかなメカニズムらしく、とにかく胃のヒリヒリ感は炎症状態が引き起こしている。 

 

子供のころは走ってこけてできた足の傷が痛かったが、大人になると胃がお酒の飲みすぎで炎症するようになるのだ。

子供のころはお菓子売り場やおもちゃ売り場で興奮したが今はお酒コーナーでハイテンションになるように、大人になれば擦り傷よりも飲みすぎによる胃の痛みに苦しむようになる。

お酒に喜びお酒に苦しむのが大人になったという事なのかもしれない。 

大人になれば走ってこけるこけて擦り傷を作ることもないが、内臓をお酒で傷つける機会は増える。

良い成長なのやら、悪い成長なのやら、だ。

 

特に自分の場合お酒の量が増えてから定期的にこういった痛みが起こるようになった。

逆に少し前にしていた禁酒期間中はすこぶる内臓の調子も良かったが、最近では深酒してはお腹がヒリヒリし、その辛さから逃げるためにまたお酒を飲むという悪循環に陥っている。 そして却って悪化させることになる。

 

そして朝や夜中に最悪の気分で起きて陰鬱な状態になっているというのが最近の自分だ。頭が痛かったり吐き気がしたり、終いにはこうして胃痛状態に行き着く、そんなループだ。

 

自分のように底辺のアル中になると、ただアルコール度数の高い安酒を酔うためだけに飲んでしまう。 まだ何らかのジュースや食品などを摂取しながら飲めばよいのだが、それすらもったいないためお酒に回すようになる。

更に現実から逃避するためにただひたすら酒を、しかも毎日あおるような状態になるため内臓も頭脳も傷つきやすく更には精神までをも蝕んでいく。

 

毎日のように深酒をして頭痛や吐き気と付き合ったり、酔い終わった後の陰鬱な感情と付き合ったりして身も心もボロボロになりかけている。その末路が胃痛や胃の炎症だ。

 

よく「休肝日」と言われるが、胃を休ませることも重要であり、人間や動物というのはそもそも胃に何も入っておらず何も食べれていない状態に案外強い。

アルコールという元々哺乳類が摂取していなかった物質を人間は開発してしまったが、体の構造が人類の進化の中でまた適応できていないのだ。 人間は悩みが多いのだからもう少しアルコール耐性のある生き物に進化していくべきではないのか。

 

「人間って欠陥生物だよな」と言われるが、お酒に頼らないと精神的にやっていけない状態もお酒を飲みすぎると体が悪くなる人体の構造も不便な構造だと思わせられる。 

 

自分は車に例えると究極に燃費が悪く定期的に故障するような車種だろう。お酒も毎日のように必要でかといって飲みすぎるとこうして胃痛が起きる。

お酒を飲む生活を再開してから1日の感覚がよくわからなくなり気づいたら次の日になっている。

9月がもう終わりかけていることすら信じられず、つい最近まで夏の暑さに苦しんでいたことすらもう過去で、少しずつ夜が肌寒くなりかけている。

 

飲み過ぎて記憶がない状態で寝てしまうため昨日と今日でテンションが違いすぎたり、数日前が遠い過去のようにも感じたり、そして自己嫌悪に陥ったりする。

この調子では、今年もまた何も達成できず底辺のまま年末を迎えてしまうだろう。そしてそんな1年を繰り返しながら死んでいく人生なのだろうか。

 

先ほどテレビで「一人酒特集」というものをやっていて、そこに「一人酒」好きの女性が登場していた。

飲み方もおしゃれで、綺麗な酒場であるかを重視している中年女性だった。

 

「良い場所で酒飲んでるんだろうな」と思いながら自分はその映像を見ていた。

その人は「女性はお酒を飲むとき食事優先。お酒の数が多いかどうかよりも、いい食事かどうかがすべて」と言っていた。ここが男女のお酒に対する価値観の違いだろう。

 

独り酒慣れてます、居酒屋にも一人で入ります、そんな語り口で紹介されていたから凄い女性なのかと思いきや結構綺麗な場所にこだわっていてカフェの延長線上で行って居るような感覚で拍子抜けした。

 

逆に男は底辺になると安酒を独りで腐敗したように飲みつぶれてしまう。

独りで安い合成酒を飲み、そして飲み過ぎて動けなくなりどこかの路上で真夜中に浮浪者のように酔いがさめるまで寝ることも彼女にはないのだろう。

 

そういう人を見て「それで一人酒が好きだといわれても、ちょっと住む世界が違うなぁ・・・」と思ったし、散らかっているような居酒屋のほうが居心地がいいといっているおじさんの方に好感が持てた。

 

「良いお店での優雅に一人酒」「貧乏人の現実逃避の独り酒」では異なる。

お通し代すらもったいなく、つまみもなしで独り部屋の中で飲んで陰鬱な状態で起床し自分の人生を恨み、そして胃が炎症を起こしてヒリヒリする。

そんな腐敗した独り酒を飲んでいる底辺の人間とは生きる世界が違うのだろう。

プライドも恥も見聞もなく、酒に酔い潰れ路上で寝る経験もこの優雅な中年女性にはない。

 

オーストラリアに行けば昼間から酒に酔い潰れている先住民が街にいるとも聞くが、自分はそういう先進国の貧困エリアや途上国の最底辺の人間の方に親近感を覚える。

外で飲むこと自体もうまるで雲の上の世界の話だ。

こんなことを書いているうちに少しだけ胃痛が和らいできた。さっき飲んだ生薬か何かが効いてきたのだろうか。

 

ここ最近楽しく酔えた覚えがあまりない。

酔えたとしてもわずかな時間で結局気分が悪い状態で寝付いてしまったり起きたりすることが多い。翌日二日酔いがさめるまでの時間も最悪だ。

飲み方が悪いともいえるしそんな飲み方をするしかない人生だともいえる。

胃を回復させるため後数日は頑張って禁酒してみたいが今度こそ続くかどうか。

 

苦しむためだけに飲んでいてそれでいてお酒がないとやっていけない、いったい何をしているんだろうかとも考える。先延ばしにしていても何もいいことはない、この胃痛はそんな生活を見直せという神のお告げなのかもしれない。

それでも本当に孤独な時、つらいときに寄り添ってくれるのはお酒しかないのだ。

日本が開発したステルス戦闘機X-2がちょっとダサい・・・

「心神」という言葉が日本の新型ステルス戦闘機開発で使われ始めたのはもう10年近く前の話だ。その時は「日本の技術で凄い戦闘機ができる!これで中国に対抗できる!」と血気盛んだったころの自分は思っていた。

 

その後例の民主党政権時代になり、予算が削られたのか開発が凍結したのか、とにかく紆余曲折を経て最近「X2」として形になったようである。

ヘリ空母を作り始めたり、イージス艦を増やしたり、そして10式戦車ができたり軍事ファンとしては結構楽しいニュースが続いている。

 

ただこのX2に関しては「心神」と聞いて想像していた頃とはデザインのイメージが違う印象を受ける。自分は軍事兵器に関してはわりと見た目重視なところがあり、その意味で中国のJ20の悪役感は結構好きだったりする。

 

X2がジムならば、J20はザクのようなイメージだろうか。ガンダムでジムが好きな人はX2でザク派はJ20の方が好きそうだ。ちなみに自分はガチのザク厨である。悪役感悪役陣営感が好きで、戦後では中国人民解放軍やソ連軍、そしてWW2ではドイツ国防軍が好きでもある。ゾイドなら帝国側で、ビーストウォーズならデストロン、WW1は同盟国、WW2は枢軸国だ。

サッカーもイングランドプレミアリーグや、ドイツブンデスリーガよりも南米やスペイン、イタリアのような殺伐としたラテン系の方に惹かれる。

ガンダムは当然ながらジオン公国、SEEDならZAFTを推している。

 

話が飛躍したが、ちょっとX2は他国の戦闘機と比べて若干かわいい感がある。戦闘機マニアはX2にそんな惹かれないのではないだろうか。おもちゃ感があるというかなんというか。

新幹線見たいなデザインをしてツバメみたいでかわいく、くちばしのように見える。

一方J20は重厚長大なデザインで見た目的には個人的に中国人民解放軍のJ20の方が好きだが、日本人としてX2に期待している自分もいる。

小型化技術や炭素繊維など日本の技術力が使われているようで、実証機という段階から進化していけば機体はできる。

 

家電等は追い付かれてるがこういう本当に最先端の技術力が必要なところではまだ他のアジアと差があるため、本気を出せばまだ凄い物は十分作れる。

日本の技術力や科学力が新興国に追い付かれているという話は事実だが、本当にトップレベルのものになるとやはり近代国家としての歴史の長さに差はある。

 

よく「中国や韓国のもので日本に作れない物はないが、中国や韓国が作れない物は日本にいくらでもある」と言われるが、こういった本当の技術力や科学力の底力のようなものはノーベル賞受賞者の数にも表れてる。

実は日本は社会構造の面では疲弊して終わりかけているが、21世紀になってからの受賞者数ではトップ3に入るほどの実力がある。

民間技術で追いついたと喜んでいてもこういうところでは差が出る。

 

それゆえに自分が常日頃から批判している超少子高齢化によって疲弊していく日本の姿が悲しいのだ。本当に凄い人はいくらでもいて、更にゆとり世代も実は個人個人ではかなり優秀な人がいる。数学オリンピックでの成績などはゆとり世代が過去の世代に比べて圧倒的に進んでいるという話も聞いたことがある。

 

そういう凄いエネルギーやポテンシャルが上手く発揮できなかったり、どうでもいいものに使われているという現代日本の構造がやはりもったいないように思う。

その内日本は学校や保育園、幼稚園よりも老人ホームが多い時代になろうとしている、それがどうしても寂しい光景に映って仕方がない。

X2

そういう悲しい話はともかく、X2がこれからどうなっていくかは興味深い。

実際は本気で量産するつもりはなく技術的な実証という側面が強くアメリカからF35を買うという最適解が存在するため零戦のように自国戦闘機が量産されるという浪漫は無いだろう。

 

1:米軍戦闘機を安く買いたい
2:ブラックボックスを減らしてもらいたい
3:機会があり、制約が無ければ日本独自で作りたい
4:世界の航空産業界への技術のアピール

そういったいくつかの側面や目的があって生産されたのがX2であるようだ。しかし日本に本格的な航空技術は存在せず、X2がそれほど凄い戦闘機かというとそうでもないのが実態のようである。

三菱がMRJとして民間旅客機を製造しようとしているがこれも必ずしも順調に言っているとは言い難い。

こういう航空技術は継続的な日進月歩とトライアンドエラーが長期的に必要な分野だ。

 

ちょっと前に個人的に近くの平和祈念館のようなところに行き、当時の物や航空機への浪漫を感じ取って「自国で戦闘機作るのやっぱワクワクするよなぁ」という感覚はある。それゆえに中国が隣でJ20を作ろうとしているのが羨ましくも感じる。

極右の国家主義者としては、時代遅れながらもそういう軍拡の浪漫のようなものにも憧れる。

戦闘機のデザインセンスやネーミングセンスで言えば戦前の日本の方が今よりは浪漫があるが、あまりかっこいい物を作り過ぎると平和主義者に批判されるのでコミカルでかわいい路線に行くのも戦後の日本らしくはある。

 

戦車は戦後の方がかっこよく、戦闘機と軍艦は戦前の方がかっこいい、銃火器も戦前の方が日本らしさはあるというのが個人的な考えだ。

戦車は戦後対ソ連政策で重視されたというのも背景にあるが、戦前は仮想敵国の英米に対抗するために海軍を重視していたのだろう。

戦後の航空自衛隊でもF2はかっこいいから、X2も頑張ればかっこよくなりそうだ。

 

ちなみに現代戦闘機に関して自分は圧倒的に東側派で特にロシア関連が好きでもある。

厨二病的センスでいうとベタもベタでSu47が好きで、次にMig29、そして王道のSu27が好みだ。

ユーロファイター、ミラージュ、グリペンあたりの西欧系や、F15、F22の米軍系は個人的にはあまり惹かれない。

 

結局よく言われるように最近の戦闘機があまりかっこよくないのは「ステルス戦闘機」になってるからで、デザインの幅がどうしても狭くなっていることは否めない。

更に各国で軍事予算が少なくなり、尖った実験的な事は徐々にできなくなっている。同盟や共同開発が最適解になっていて、軍事も均質化や平均化が進んでいる。

 

それで言えばそもそも戦闘機自体が「ミサイルを運ぶマシーン」になってきており、昔のような空中戦のドッグファイトや格闘戦は成立しなくなっている。更にそこに加えてAIが登場しており、模擬戦でAIが勝利したといような話も頻繁に聞くようになった。

「戦争から浪漫が無くなっている」というと平和主義者から怒られるけども、徐々に人間の力が必要なくなってきているのも事実だ。

 

それで言えば「銃が登場してから人間同士の戦い感が無くなった」と言っている人もいるわけで、その内パイロットみたいなものが消えてロボットや兵器を研究室で開発する人が主人公のアニメや映画の時代になっていきそうでもある。

100年後の未来人「昔パイロットっていたんだ、その頃想像できないなぁ」

エーリッヒ・ハルトマンが300機以上撃墜したとか、ルーデル閣下が化け物じみた活躍をしたとか、そういう話がどんどん昔のものになっていくんだろうなぁと思うと少し悲しい。

 

X2の話に戻ると有人ステルス機の飛行に成功してるのは米中露の3か国しかないため、今回のX2は実は結構凄い事でもある。実はステルス戦闘機では既に中国が先輩で、宇宙開発やスーパーコンピューターも徐々にトライアンドエラーを繰り返して成長している。

 

「中国は日本に比べて遅れている、いつも劣悪な物しか作らない」と油断している内に、彼らは何度でも失敗しながら先に進んでついには米中冷戦とさえ言われて世界の二大超大国になろうとしている。

日本でも既に「中国に敵わないのは当たり前」というムードが出てきたり、実際身の回りにある中国製品は確実に10年、20年前に比べてレベルアップしている。

実際自分が使っている電子レンジは中国製だが、これが本当に値段の割に使い勝手が良く自分の中にあった中国製のイメージは大きく変わった。

日本が中国に明確に勝てるものが「民度」という漠然としたものしかなくなってきて、「日本人は民度高いから」としか言えなくなるとそれはかなり虚しいことだ。

 

漫画も中国は独自発展しており、最近では日本産のコンテンツが好きなのは中国のオタクの中でも少し古い世代になっているらしい。これは韓国のK-POPが独自進化を遂げて、文化開放初期のように日本に憧れるという事が無くなっていることに似ている。

金大中大統領がそれまで規制していた日本文化を解禁したときは、あの反日国家の韓国で実は日本はかなりかっこいい最先端の物として憧れられていたらしいが現在では立場が逆転している。

 

別に日本のことを悪く言いたいわけではないが、その内本当に民度と治安ぐらいしかアジアに誇る物がなくなってくるという危機感は必要だ。

日本がX2をただの実証機として作って結局はF35を輸入して終わりとしているときに、中国は自国の技術力をつけるためにJ20を本気で量産しようとしている。

向こうは既にICBMを持ち、空母もついに自国生産に取り掛かった。

 

よくミリタリーファンの反応で「戦闘機は全然ステルスじゃない、空母のカタパルトを作るのは中国にはできない、戦車の砲塔がブレすぎ」という指摘を見かけるが、そういう粗探しをして勝った気になり自己満足している人が多い。

そうでもしないと自我が保てないというか、本当はもう中国に追い付かれていることをわかっていながら目を背けているように見える。

そういう現実的な見方に対して「反日だ」というのもレベルが低い。

確かに海上自衛隊は世界有数の海上戦力であり、明治時代からの積み重ねがありそう簡単には中国ですら追い付くことができない。

ノーベル賞の受賞者数でも圧勝していて本当に凄い事は日本の方ができる。

 

しかし戦闘機や宇宙開発、ミサイル開発、スーパーコンピューターなどの分野ではもう中国が上だと考えても不思議ではない領域に来ている。

ウサギと亀の話で、かつて亀のように謙虚だった日本人が今はウサギのようになっているようにも思う。

「日本凄いですね」と外国人に言わせている内に差がつけられるようになっている。

中国人は「水道水の美味しさと街の綺麗さと行列に並ぶことを褒めてりゃ日本人は喜ぶだろ」と思っているかもしれない。

何が言いたいかというと、中国人や中国軍を見下して現実逃避している内に彼らは本気で努力している。

 

囲碁でなぜ日本人が中国人に勝てなくなったかわかるだろうか。

中国や韓国の囲碁界では日本人に勝てば英雄扱いされるため、彼らは本気で努力するのだ。

「日本の囲碁は品格がある、中国や韓国は勝てばいいと思っている」と油断しているともう追い付き返せない状態になっている。

むしろ近代化以前は中国を尊敬して文物や文明を取り入れていたのが日本でもある。よく中国人の日本分析で「日本人は明治時代以降中国を上回ったという意識が強くなった」と語っているが1894年の日清戦争における勝利以降、日本人の中で中国を上回ったという意識が確立された。

 

一方で中国人は「第二次世界大戦で日本人に勝った」という認識を持っている。日本人の中でアメリカに負けたという意識が強すぎて、他の連合国に敗戦したという意識が希薄になっているのは事実だ。

戦後の経済競争ではしばらくの間日本は黄金時代を味わうが、ついにGDPで中国に追い抜かれて以降、どこか日本人の心が折れたようにも思う。

その結果中国人に街の綺麗さを褒められて喜ぶ精神構造が出来上がったのではないか。

「まだ民度では上だ」ということしか心の拠り所が無くなっている。

ついにはコンテンツや文化まで彼らは自国で作れるようになっている、韓国には既に上回られている現実もある。

 

「中国の兵器はまだ肝心なところでレベルが低い、韓流はゴリ押しだ」と言っているうちに本当に取り返しのつかない段階になるだろう。

そして超少子高齢化と共に滅亡しようとしているのが日本だ。

本当に凄い人もいて本当に凄い技術もあるが、それが上手く使われていない。

 

そもそも戦争が技術力を競う争いでないことはWW2におけるドイツが証明している。技術では確実にドイツが現代にも通用する最先端の事をしていたが、結局彼らは戦争の勝ち方を誤った。

「戦いには負けたが試合内容は良かった」というのはスポーツでは通用するが戦争では通用しない。

 

「中国脅威論」は昔は笑われていたが、今はもう追い付けないと諦めている日本人も多い。あれだけの経済規模があり一党独裁で自由にできるというのはどうしても日本では対抗できない部分はある。

サッカーでも本当に最近の中国リーグのバブルは凄く、世界的有名選手が続々と移籍しているがあまりそういう報道もされずサッカーファンしか知らないだろう。

スポーツ=野球だと思っている日本人はこの現実を知らない、野球中国代表が侍JAPANより弱ければそれで満足してしまうのだ。サッカーもまだ中国代表は日本に遠く及ばないが「日本は中国より優れている」という話は徐々に通用しなくなるだろう。

民度にしろスポーツにしろ、日本人が中国に勝てる分野にしか目を向けなくなっているように思えてならない。

 

自分が愛国主義者として血気盛んだった中学、高校ぐらいの頃は某大鑑巨砲主義で見かけるような右翼少年だったが今はそういう時期は終わり「もっと現実みないとガチでヤバい」という感覚になっている。

 

中国を見習うべきなのはやはり自国生産に拘っているということだろう。

かつてフランスが徹底的に自国生産に拘っていたが、自国生産でなければ本当の力は付かないという意識が今の中国にはある。

元々ソ連に影響を受けた社会主義国だったが中ソ対立を経て、独自の路線に進んでいくことになる。時として大躍進政策のように大きく間違う事もあったが、着々と米国に並び立つ存在になろうとしている。

 

そういうトライアンドエラーの精神は大事で、アメリカからF35買って終わりというのも少し寂しくはある。

戦闘機はアメリカや周辺国との関係など国際的な事情があるというのは仕方ないが、零戦や隼を作っていた頃に比べると物足りないというのはある。もちろん財政の問題など本当にいろいろなことがあり単純ではないし、小銃や戦車はしっかりと自国生産してはいる。

今の情勢では問題ないが数十年後かなり大きな差になりそうな予感はある。

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少し前にイギリスと共同開発という話があったが、今の時代単独開発はコストが膨大なため利害が一致する国と同盟組むのがスタンダードだろう。

アメリカは全部自国でできるから本気で相手にしてくれないし不平等条約みたいなもので、立場が似てる国同士で組む方がいいと考えたこともある。

 

「島国同盟」「日英同盟」というわけではないけどもイギリス人が本気出したら変態兵器が生まれるため変態の国同士いいものを作りたいとも想像する。この話は結局アメリカを入れて共同開発という方面で進んでいるらしいが、完全に日英だけで本気で戦闘機を作ったらどうなるのかというのは見てみたい。

ドイツはもうこりごりであり結局参考にした方がいいのはいつもイギリスで、日英同盟を組んでいた頃が日本の全盛期だった。

イギリスはいつも勝っているため立ち回り方は本当に見習うべきだろう。

結局ドイツに本土上陸されていない一方で、フランスは最後ちゃっかり戦勝国気取りするだけでいつも本土は滅茶苦茶になっている。

EU離脱で欧州で孤立したイギリスと日本が急接近するというオリジナル戦史的な物も面白そうだ。

 

イギリスも軍事的には中々面白い国で変な兵器ばかり作っているが、いつも新しいことを始める凄さはある。世界最初の戦車はイギリスが開発しているように突拍子もないことをやるイギリスと改良がうまい日本は相性がいいかもしれない。

 

今のイギリスは昔のような大英帝国ではないが、クールジャパン政策も実はクールブリタニア政策を模倣している部分がある。

結局何だかんだで今もワンダイレクションのようにイギリス人のアーティストは人気で、イングランドプレミアリーグは世界で最も興行的に成功しているリーグでもある。

WW2でも「英国面」と言われながらスピットファイアのようにガチ有能兵器も作っていて、戦後のアサルトライフルL85はネタ小銃だがL96はガチ有能狙撃銃でもある。

 

ただ今のイギリスにそれほど優れた技術力があるのか、そしてイギリスは本気で軍事に力を入れる理由がないというのもある。

ソ連が無くなった今、中国への対抗は体力のあるアメリカにやらせればいいと考えていているのではないか。この前ロシアとかなり核問題で非難し合っていたが結局あれはどうなったのだろうか。

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イギリスの上手さというのは結局「立ち回り」の狡猾さであり、実はサッカー大国やワールドカップ優勝経験国に見えて強豪を気取っているがイングランド代表はそこまで強くない。

もはや彼らのPK戦の弱さはネタの領域であり、EURO2016でもサッカー選手より火山の数の方が多いと言われるアイスランドに敗北して大会から姿を消している。

「いつも期待を裏切る」のがイングランド代表であり、サッカーの世界でイングランドに期待することは最もやってはいけない事の一つである。

 

そんなイングランドのプレミアリーグがなぜあれほど成功しているのかと言えば、エンターテイメントとしての盛り上げ方や広報が上手いからという言葉に尽きる。

イングランド人選手が凄いわけではなく、世界中から様々な国選手を集めるのが得意で彼らは外国人選手を使って自国のフットボールを盛り上げている。

 

つまり今回戦闘機における共同開発というのも、日本の技術力を使おうとしている感はある。陸上やオリンピックなどでもイギリスは強いが彼らは移民系の選手を上手く使い結果を出している。

外国を使うのが上手いのがイギリスであり、外交上手という言葉に尽きる。

逆に外交下手は日本は持ってる能力をイギリスに使われつつ、こちらもイギリスの権威を上手く利用するぐらいの狡猾さがあっても面白いかもしれない。

結局イギリスに利用された日露戦争や第一次世界大戦は勝利して、大局観の無いドイツと組んだ時は敗戦した。

イギリスが持っているのはインテリジェンスと「イギリス」という格調のあるブランドなんだろうなと自分は考えている。MI6のような諜報機関、BBCのようなメディア、そして英語という世界共通の言語、更にイギリス王室という世界が興味を持つ唯一の王室文化にある。

日本の天皇制はある意味日本人しかその価値をわからない独自の価値観があるが、イギリスは上手く王室を国際的なコンテンツに変えたというのは実はあらゆる国防に投資するよりも回り回って自国の安全保障に貢献している。

 

イスラエルが「核兵器持ってるか持ってないかそれは言わないけど、まぁあると思ってよ」と暗に言ってるのと同じで「イギリス攻めたらヤバイ」というのが既に国防になっている。

かつてのように世界に冠たるロイヤルネイビーを揃えてという時代ではなくなり、ソフトパワーの時代になっている。

それで言えば実は日本も結構ソフトパワーを重視してる国でX2や10式戦車を大量配備するよりも「日本攻めたら世界のアニメオタクと日本食愛好家が怒る」という文化的側面の方が実は国防に大きく役立っている。

イギリスがブリティッシュ・インヴェイジョンという最大の国防力を備えているならば、日本はオタク文化というのが実は自衛隊以上に日本を守っている可能性がある。

 

昔イラク派兵の時に日本の給水車か何かにキャプテン翼のイラストを描いたら全然攻撃されなかったという話があるらしく、世界で最も有名な日本人サッカー選手「大空翼」の存在は本田圭佑や香川真司よりも大きい。

X-2よりも実はX-JAPANの方が日本の価値を高めている可能性さえもある。

 

結局ガチで軍拡することがコスパ悪い時代になってきていて、零戦や隼開発してワクワクしてた戦前の日本人の感覚を現代人が味わう事ってもうないんだろうなという現実がある。

そういう軍拡のワクワク感というのはアニメ作品内でやって強い日本を創作内で描くことのほうが最も効率がよく平和的な最適解だという可能性はある。

 

「このままでは中国の軍事力に差をつけられる!」と前半語っておきながら、「軍事力で本気で対抗しても中国に勝てないのは当たり前」という考え方に行き着く自分がいる。

やはり日本が見習うべきなのはイギリスのスタンスなのかもしれない。軍事開発のような本当に国家体力が必要な事は文化方面で力を入れていく必要があるのだろう。

それで言えば軍事も文化も世界最先端で両立できるアメリカはやはりチートだ。

中国やロシアは軍拡一筋で、日本やイギリスは文化方面、そしてどちらも行うアメリカという構図だろうか。

 

自分は軍事評論家ではないため良くわからないのが正直なところだが「ステルス戦闘機同士の戦闘」というのは今後どうなっていくかは未知数だろう。

WW2のようにドッグファイトが頻発するようなスタイルになっていくのだろうか。

「ステルス機のデザインは個性無いからかっこ悪い」といいつつ「空戦がミサイルゲーになるとつまんねぇよなぁ」という感情でステルス機に期待している自分もいる

現状ステルス戦闘機を実戦配備している国が非常に限られているため、実戦データがまだ存在しない。

 

まさに第二次世界大戦まで全金属製のレシプロ単葉機同士の本格的な戦闘というのは発生しておらず戦争中に様々な技術革新が進んでいったような話で、軍事技術は戦闘の中でデータが得られ発達していく側面がある。

正直なところ軍事オタクでさえ「ステルス戦闘機同士の戦闘がどうなるかはやってみないとわからない」という答えに行き着くのではないだろうか。

elkind.hatenablog.com

第一次世界大戦や第二次世界大戦で様々な技術が登場し戦争の形態が変わっていったように、仮に第三次世界大戦が起こるのならばステルス戦闘機やステルス艦の実戦投入、そしてAIの発達も含めて様々なことが起こりそうではある。

 

戦争にロマンを求める不謹慎な軍事マニアとしては列強の個性のようなものが次々と登場して欲しくはある。第二次世界大戦が面白い理由は当時の列強が本気で軍事に力を入れて全面戦争をしていたからだ。

「戦争で領土奪い合う事は今時コスパが悪い」ではちょっと寂しい部分がある。

自分が中国に複雑な好感を抱いているのは、今時そんな帝国主義っぽいことをしているところに惹かれていることが理由かもしれない。

それで中華人民共和国が増長すれば日本の方も危機感を持つように思うし、それで戦闘機開発が進めば不謹慎だが自分としてはワクワクして面白い。

 

その内ドイツもEUを完全に掌握してドイツ第四帝国を作り、ユーロファイター=実質ドイツ軍の戦闘機みたいになればルフトバッフェの再来、そしてメッサーシュミットやフォッケウルフのような戦闘機が登場するかもしれない。

列強が独自の戦闘機持ってる方が個性と浪漫があるというと、平和主義者には何を考えているんだと説教されるだろう。

 

そして仮に日本が戦闘機開発を進めるなら、いずれ「変形機能」も欲しいよなぁと考えている厨二病な自分もいる。

バルキリーやZガンダムやユニオンフラッグのような感じも期待せずにはいられない。

 

ステルス性と変形機能は相性が悪いため、結局ミサイルを超える物を作らなければ浪漫ある世相はできない。ミサイルがすべてをつまらなくしてる、というミサイル大嫌いマンとしてはミサイルよりレーザーやビーム兵器開発に向かってほしいと思っている。

第二次世界大戦のように浪漫ある航空戦やってた時代に戻るべきで結局そういう航空戦やってたのは朝鮮戦争あたりまでなのが寂しい。

 

しかしいずれにせよ日本はこうしてX2を開発した。

戦前の日本もいきなり高性能の戦闘機を作り上げたわけではない。ようやく日本の航空産業が21世紀に入り本格化し始めた。

かつての心神計画がこのような形に結び付き、MRJが開発されようとする今、これからの日本の航空産業が同発達していくか、その行く末を見守りたい。

不遇だけど地味に強いシン・アスカという男

ガンダムSEED DESTINYでのシン・アスカの扱いの不遇さはもはや伝説だけど改めてみるとシン・アスカの強さに気付かせられる。

 

初見の時は生意気なキャラであまり好きじゃなかったけど家族を亡くしてからの鬼神のごとき成長を見ると「本当にシンさんすげぇな」って思えてくる。

有名なフリーダム撃墜もキラ・ヤマトを明確に打ち取った唯一のキャラだってぐらいに凄かったしキラに対抗していくキャラとしてこれほど強烈だった存在もいない。

 

今見るとそうやって強敵キラに対抗していく存在としてシン本当にかっこいいなぁと思うしザフト目線で見るとマジで頼れる男というのがわかる。

とくに連合相手に一人でミネルバ守ったシーンとかは神がかった強さを発揮してるし、インパルスガンダムでよくあれだけ戦えるなぁと感心する。その後にインパルスに乗った人が微妙だからなおさら強く感じる。

 

シン・アスカが凄いのはオーブが連合に攻められたSEED一期の時は普通に民間人だというところ。

そういう一般家庭からザフト最強のパイロットにまで上り詰めたのってマジですごい。

ガチで一般人から最新軍事組織のザフトでトップパイロットまで成り上がったシン・アスカは実はかなりすごい。

 

どうしてもSEEDの脚本上キラやアスランには勝てないようになってるけど他の作品に出てれば主人公としてガチの強キャラだった可能性は大いにある。

残念ながらキラのせいでシンの凄さって語られないけど今地味にシンさん評価されるべきだと思う。

 

もっと語られるべき存在、それがシン・アスカという男だ。

シン・アスカ

キラにやられた最後のイメージしか残らないから強い印象がないけどちゃんとガンダムSEED DESTINY見ると「あれ、シンってこんな強かったか?」って思えてくる。

SEED関連で再評価されるべきパイロットはそういう意味で間違いなくシンになる。パイロットとしての技術とか技量はかなり高い部類にあるし純粋に考えたとき一番強い可能性もあるだろう。コズミックイラの世界であの後どうなっていくか考えたらシンめちゃくちゃ強くなってそう。とにかくシンはもっと評価されるべき

 

あとデスティニーガンダムのかっこよさも最近理解できるようになってきた。

元々自分はジャスティスとかインフィニットジャスティスの方が好きだったけどデスティニーの悪役感とか凶暴そうな感じは本当にかっこいい。コズミックイラの技術の極致感があっていい。

当時は統一性の無い武装やカラーが好きじゃなかったけどなんかそういうケルベロス感もいいよねと思う。映像で見るとやっぱりかなりかっこいい、なお腕を破壊されると何もできない模様。

 

というかもうシンって普通に悪役としてみたほうがいいキャラだよね。

主人公を乗っ取られた不遇キャラというよりも、いっそのこと「悪役」という目で見たほうがシンの魅力に気づけるかもしれない。シンは悪役なんだと認識してみたほうが逆にその悪役としての強さや復讐のために必死になる姿がかっこよく見えてくる。

劇中の実際の描かれ方とか、完全に悪役そのものなシーンになってることとかあるしなぁ笑。シンさんの扱い酷すぎィ。

 

ただそういう悪役にも悪に染まる不遇な過去や出来事があるんだという目線で見るとシンさんがかなりいいキャラに見えてくる。主人公としてみるから態度とかが悪く見えるだけで悪役としてみればむしろそれが普通に思える。DESTINYを視聴するときはぜひシン・アスカ=悪役という見方で見ることをお勧めしたい、ってぐらい。

 

あとルナマリアとくっつくのが余り者同士感があっていいよなと。

元々シスコンなのもなかなかポイント高い。

実は一番理解してくれるのは近くにずっといたルナマリアだったんだ、ってポジティブに捉えることもできるし中の人同士で結婚した今になってみるとルナマリアとシンってお似合だなと思えてくる。

中の人が結婚しなかったらマジで余り者同士感漂うキャラになってた、そこは中の人に感謝。

 

とにかくいろんな不幸があって復讐の鬼になっていく姿を見るとシンのエネルギーとか強さ凄い。フリーダム撃墜して喜ぶシーンとかリアルな感情でいいし、アスランに殴られて「敵を倒して喜んじゃダメなんですか!」っていうセリフは地味に好き。

このセリフいいよなぁ、きれいごと言うキャラばかりいる世界じゃシンのトガった発言はむしろ見ていてすっきりする。

 

「きれいごとはさすがアスハのお家芸だな!」とかも胸が晴々とするセリフだし、アスランの言動の小物っぷりに気付くとむしろ初期のアスランへの態度がよくぞ言ってくれたって見えてくる。多分自分がデスティニー初見の時はアスラン好きだったからシン生意気だなって思ってたんだろうなと思う。アスランの小物っぷりに気付くと全然違った印象に感じてくる。

 

それとキャラデザも何気に良いのが魅力の一つ。

昔はなんかそこまでかっこいいと思わなかったけど、今見るとマジでかっこいいよなぁ、軍服の着こなしもかっこいいしトガってていい。

 

こういうキャラ今になって評価し始めてるのが自分。イケメンだしかっこいいし何気に愛嬌あるというのも魅力、シンかわいいとこあるんだよあれでも。あの反抗期っぽさは良く描けていると思う。なんで昔の自分このキャラ評価してなかったんだろうなぁと不思議なぐらいに今は魅力的に見えるようになった。

 

アスランに騙されてた頃気付かなかったけど普通にかっこいいよなぁ。もうむしろ自分がルナマリア目線になってんじゃねってぐらいにシンへの熱い手のひら返し。シンさんさーせんでした!

とにかくSEEDシリーズ屈指の魅力的なキャラだし、叩かれがちなSEED DESTINYもシンを好きになってシンという悪役の物語としてみればかなり面白く見えてくるなと思った。もうこれからシン・アスカ信者として生きていこう。

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今後インターネットでもローカルが重視される時代が来る

「日本全国」という概念が希薄になりつつあり、地方主義的なローカリズムやリージョナリズムが評価され始めてきている。

政治の話で言えば地方分権や道州制の導入などが議論され始めたり、アイドルの話で言えば48系列に代表されるように有名なグループもローカルを重視し始めているのがその象徴だ。

地下アイドルやローカルアイドルだけでなく、大手がプロデュースするグループも地方色を重視している時代になった。

 

漠然と日本全国という概念があり、中央集権や東京一極集中の時代だった過去においては様々な文化において東京が重視されていた。

野球ならば巨人がとりあえず全国の代表であり、東京のブームが全国のブームだとして扱われていた。

 

しかし近年「県民性」という言葉が流行り始めたり、ローカル番組やローカルアイドルが評価され始めたり、逆に東京の文化や風潮を敵視する時代になってきている。

例えばポケモンGOが流行らなくなったのは地方格差が原因で、昔なら田舎の意見はあまり重要ではなかったがゲームにおいて地方格差は深刻な問題として扱われるようになったこともその変化の一つだ。

また「ハロウィン」がいまいち地方で定着せず、むしろ「東京民がはしゃいでるだけ」と揶揄されることもある。

漠然と東京に憧れる人が減ったのかもしれないし、「マイルドヤンキー」という言葉も登場し始めたり、東京のブームが全国に波及しなくなったりしている。

自分自身は東京を敵視しているわけではないが、日本の首都という権威は昔に比べて低下したように感じる。

 

その一方で現在インターネットというのはまだ漠然と「日本のネット」という感覚があり、全国という概念が残っている。

現実に比べてそこまでローカル化は進んでいないように見える。

 

しかし地域ブログというのは昔から人気があり、本当に一部地域の人だけが見ているようなコンテンツも存在する。

例えばどこかの飲食店のブログや、学校や部活のサイトなどは独自のコミュニティを形成しており、本当に現実で知り合いの人だけが見ている場所がある。

結局のところ「距離感」でいえば誰だかわからないインターネットの向こう側の人よりも現実の知り合いの方が近しいのだ。

 

「インターネット」という空間が独自に存在した時代から、本当に現実の知り合いやローカル地域だけで通用するサイトなどが今後増えていくかもしれない。

例えばツイッターの鍵アカウントはその代表例だろう。もはやネットですら全国や全世界の不特定多数に配信する時代から、本当に顔見知りや一部地域だけに配信する時代が訪れようとしている。

SNSの鍵アカウントや裏アカウントでリアル身内向けだけに使うユーザーは存在し、不特定多数になるべく多く見てもらおうと考えている人ばかりではない。

 

これは個人の活動においても同じようなことが言えるかもしれない。

自分が昔から見ている創作関連の活動者がいるのだが、ある時からその人がリアル地域活動での話題を重要視するようになった。漠然と全国の不特定多数に向けて発信することをやめ、ある意味で地に足の着いたローカルな活動に特化するようになったのかもしれない。

結局ネットにおける活動も何となくインターネットという空間限定で活動するのは難しく、今後地方の商店街を拠点にした活動など現実的な活動が重視していく人が増えていくかもしれない。

 

例えば自主制作作品を全国に向けて発信した場合見ている人が少なければ満足はいかないが、初めからローカルや身内向け主体だと考えていればむしろ内輪感を楽しめる。

ただ数値として閲覧数に表示される物と、地域で現実の誰かに直接見てもらうのとでは発信者側も実感が違うのではないか。商店街での活動で地域を盛り上げているという意識の方が不特定多数のネットの空間よりも活動しているという実感は得やすいのかもしれない。

 

youtubeで数十回ほどしか再生されていない動画も、本当にその地域の知り合いが見ていればその数十回でも実は十分凄い事だとも考えられる。

誰もが有名ユーチューバーのようになろうとするわけではなく、本当にローカルや更に密な身内向けだけに特化した投稿者など無数にいるのだ。

 

そう言う意味で、漠然と「インターネット」という空間向けに何かを送り出そうとしているタイプの人間は旧式の人間なのかもしれない。ついつい全国基準で判断してしまいがちだが、実はその地域では十分凄いというのは例えばゲームのオンライン対戦などでも言えることだ。

全国ランキングでは下層のプレイヤーも、現実の仲間の間では無類の強さを誇っている可能性がある。オンライン対戦でほとんど勝てないようなユーザーもリアルコミュニティではそれなりの実力者なのだ。

 

「インターネットはリアルを持ちこんじゃいけないヤバイ空間」だという認識を持っているのは、ある一定の世代までで今後は現実の延長線にあるツールとして使う人が主流になるのではないか。

かつて全国のインターネット向けに活動していた人が今ではほとんどローカルやリアルに特化したことをして楽しんでいる姿がその傾向を象徴している。

 

「全国の人に見られている」という意識は新しい世代ほど希薄になっているだろう。

そしてもはや末端の個人が全国レベルになることが難しいほどネットが巨大化した。

昔のネットというのは広いようで実は狭い空間でもあったがゆえに、上を目指せるような感覚があった。

しかし今の時代、インターネットはあまりにも巨大化して個人で何か大きなことができる時代ではなくなった。例えばyoutubeで莫大な再生数に到達するには芸能人になれるレベルのユーチューバーでなければ難しくなり、オンライン対戦で上位に入れるのは本当にトップレベルの人だけになった。

 

新しい世代は実は最初からそのインターネットの巨大さをナチュラルに理解しており、昔からインターネットをやっていた世代は自分も含めて「ネットは限られた人がやっている独自の空間」という幻想から脱却できていないのではないか。

ユーチューバーが芸能人より有名な時代に、ネットで個人が何かできるという幻想を今後棄却する人が急増するかもしれない。

「ローカルでリアルな知り合いや身内が見ていればいい」という考え方が今後むしろ主流になっていくのではないか。

「こんな再生数の少ない動画誰が見てるんだよ」と考えるのは少し前の感覚で、これからは「リアル身内が見ていればこれも成立しているんだな」という時代になっていくだろう。

 

ユーチューバーやヒカキンの真似ごとをした小学生も、有名投稿者のようになれないのは当たり前だと考えていて、最初から「クラスのヒーロー」になれればいいと考えているのではないか。

インターネットというのは感覚が麻痺するもので、実は現実で数十人に見せようとしたら難しくその数字はリアル基準では低すぎるわけではない。

 

「こんなの見てる数百人がいるんだな」というのも、現実ならば結構大きな会場が埋まる人数でもある。

誰もやらなくなったゲームの過疎スレでも数人が話していれば、それは現実に置き換えると十分なコミュニティだと言える。

ツイッターでフォロワーが数十人しかいなくても、それが鍵アカウントで実際に交友関係がある人ならばその人はかなり人脈が広いはずだ。

インターネットだと一人一人が小さな存在に見えるが実はその個人というのは現実では大きな存在でもある。

ネットにおける拡大主義の終焉と言えば大袈裟かもしれないが、今後はより小さなコミュニティが成立していく時代になっていくかもしれない。

最近軍事オタクの個人ブログが減ったのはなぜか

これは気のせいなのかもしれないが、いわゆる軍事オタクのブログが昔に比べて少なくなったように感じる。

軍事オタクにしてもエアガンや銃が好きな人にしても、もっと個人ブログで語ってたような気がするが中々そういう面白いブログが見つからない。

 

自分の理想として探し求めているのは中高生ぐらいの子がにわか知識で軍事を語ったり過激な思想を唱えていたりして、頑張ってお小遣いをためてエアガンを買ってインプレしているようなブログなのである。

mixiやTHEBBSがあった時代はそういう人が多かったし、エアガンやプラモデルなどでも末端の個人が語っていたような気がする。

そして案の定萌えアニメのフィギュアまで集めているようなことが多かったが、今はそういう「痛い中二病の軍事オタクの中学生や高校生」みたいな人が減りつつあるように思う。

そういうアングラ感ある末端の個人サイトは少なくなっている。

 

特定の一つの銃について熱く語るような人もおらず、個人っぽさのある文章でM16やAK47がどうとか語っている人が少なく「整備された有益な情報」ばかりが見つかる。

実際は存在するのかもしれないが、そういう人の個人ブログが昔に比べて見つかりにくくなっていることは間違いない。

見つかったとしても更新が数年前で止まっているというケースが多く、リアルタイム感が無いのも残念だ。

 

また発信者側の構造としても、軍事オタクがわりと高齢化している可能性もあるしガチで軍事を熱く語るような中高生男子の絶対数自体が減少しているのではないか。

更に言えば最近はエアガンへの規制も厳しくなり、欲しくても手に入れられない人が多いように思う。

 

今のインターネットの問題点はそういう末端のリアルな個人がSNSに行ってしまう事だ。

そう言うマニアを見つけたければツイッターあたりで探せば見つかりそうだが、SNSに興味が無ければ中々見つけることはできない。

わざわざツイッターに行く必要があるというのが億劫なのが正直な感覚だ。ツイッターやSNSは簡単に削除できてしまうためあまりネットに残らないというのも寂しい。

 

 

更に何らかのコミュニティで語りたければ現在は「まとめサイトのコメント欄」というのが存在するため全員そこに行っているようにも思う。

手っ取り早く話題が提供されてそこで語れる一体感があるため、どうしても人が集まりやすい。

例えばガンダム系統でもこれは言えるのだが、個人ブログで一つの機体や兵器についてどう好きなのかという感想を語っている人が少なくなった。

その機体や兵器のスペックについての正確な情報ばかりが重視され、そこに対する個人の感想や思い入れは必要とされなくなっているのが少し寂しい部分でもある。

そういう個人的な感想は結局まとめサイトの話題の中で短く個人個人が語ることが多い。

スポーツ選手や芸能人についてもいえることで、今特定のものについて熱く語るのは女性の方が多い印象を受ける。

どうしても男性の場合論理的な正確な情報を重視するが、女性はとにかく好きだということを熱く語れるようにも思う。個人的な感想や思い入れは女性の方が語っていて、男性でそういうことを語る人が少ないのは少し寂しい部分がある。

どうしても掲示板での議論っぽくなってしまう傾向があるため、男性が多い軍事オタクの個人ブログは減少しつつある。

 

その一方で軍事系統の趣味で言えばFPSのようなゲーム方面に人が集まっている傾向があるようにも思う。

「中高生がにわか知識でやってみました」的な雰囲気のものはむしろゲーム実況に集中しているようにも思う。

「スマホでゲーム実況できませんか」と某知恵袋で質問している人を見かけたが、そういう中高生は今ユーチューバーを目指そうとしているようにも思う。

実際有象無象の投稿者は動画サイトに多いらしく、誰もが似たようなテンプレゲーム実況の真似事をしているようだ。

 

昔はそういうエネルギーをもった層が個人で軍事ブログなどを運営していたが、ネットのトレンドが変わったのかもしれない。

結局個人の数自体は増えたが平均化が進んだというネット論に行く付く話で、自分特有のブログを下手でもやろうという若年層は減少しつつある。特に軍事やミリタリー、エアガン方面ではそれが顕著だ。ネットユーザーという数そのものは増えたが個人の濃度は下がったように感じる。

 

「怪しい軍事オタクのブログ、もっと昔あったような気がするんだよなぁ」という漠然とした感想なのかもしれないが、そもそも趣味ブログみたいなもの自体も減っているように感じる。

テンプレ的な人が増えて個人感が無くなった、SNSや動画サイトに移った、まとめサイトコメント欄で会話を済ませば十分、現代のネットの風潮を表せばそういった表現に行き着く。

「あの頃にいたネット民どこに消えた」という話で、怪しい軍事オタクやエアガンマニアのサイトがまた戻ってきてほしいなと思う。

昔のRPGはいい意味で不親切で面白い

先日の懐古ゲーム記事以降、水を得た魚のようにゲーム熱を取り戻している自分だが機能もついつい深夜までRPGの世界に没頭していた。

RPGを大人になって始めようとすると最初続けられるかが重要で、ある一定のレベルまで行けばクリアまで一直線という状態になる。

その世界観に愛着を持てるかどうか、システムを理解するかどうかが重要だ。

 

よく「昔のゲーム難しいけど最近はゆとり仕様になっている論」を聞くのだが、今基準に慣れるとゆとり全盛期の「ゲームボーイアドバンス」の時代ですら十分難しい。

特にRPG系はある程度RPGのシステムに慣れた人向けに作られていることが多い。

 

今ちょうどやっているGBAのサモンナイトクラフトソード物語の初代は「俺小学生でよくこれクリアできたな」という要素が多い。

懐かしいのが当時自分がやっていたチャットサイトみたいなところで、攻略方法がわからなくなってダメ元で聞いたら全然違うゲームのサイトなのに教えてくれた人がいたという事だ。

「この攻略法そういえば聞いたわ」というのが懐かしくて、一回やったゲームというのは今やるといろんな思いが込み上げてくる。レトロゲームをするとその当時の自分のリアルな生活エピソードまで懐かしくなってくる。

 

今思えばセーブの仕方を苦労したのも懐かしい。

おそらくこのサモンナイトクラフトソード物語を今始めた人はセーブの仕方やゲームシステムの理解に苦戦するように思う。

 

やはり昔のRPGはセーブで苦戦してナンボで、説明書呼んでなかったら苦労して味わいがある。それでいえば「最近ゲームの説明書無くなった」という話も良く聞く話で、漠然と世の中のゲーマーが「最近のゲーム簡単になった」と嘆いている。

そう言う意味で昔のRPGやオフランゲームをすると不親切な要素があり懐かしくなる。

 

ただ最近のゲームはむしろ「オンライン対戦」に特化して、むしろこちらはガチ化して非常に難しくなっている傾向にある。ゲームの難易度で言えばむしろオンライン対戦はオフラインゲーム全盛時代よりも難しくなっている。

そしてそんなオンラインに疲れて行き着くのが「オフラインゲームで中々楽しいゲームない」という話であり、結局懐古目的のレトロゲームしかやる物が無くなるという現象が起きている。

 

自分がRPGで理想としているのは「苦戦しながらクリアしたい」ということであり、ストーリー中に何度か負けたいという思いがある。

例のクラフトソードにしても油断していたら負けるケースが多く、既に自分は何度か負けていて「そういえば昔も同じように苦戦したなぁ」と懐かしくなっている。

 

順調にクリアしたゲームはあまり印象に残らず、負けた敵のほうが良く覚えているということは無いだろうか。

昔のRPGを楽しもうと思えばあえて苦戦するというのも大事で、定期的に負けたほうが実はクリアしたときの感動や達成感がある。

 

それで言えば最近やりごたえのあったゲームは3DS版のポケモン超不思議のダンジョンなのだが、ラスボスで結構苦戦したことを覚えている。この時は意地でもネットで攻略情報を調べず自力でクリアしたため、何度も負けることになる。

オフラインでここまで難易度が高く、「これ小学生クリアできないだろ」というゲームは少なくなっている。むしろ小学生がすぐにネットで最適解や攻略法を調べる時代だ。

 

最近の子供たちはもしかしたらオフランゲームの中で負けることがあまり好きではないのかもしれない。

「あの敵キャラに負けたよな」と思い出で語れるゲームが今は少なくなってきているようにも思う。

強い敵や不親切なシステム、そういう理不尽な部分もいつか思い出になる時が来る。

最近の便利なものを批判して過去の理不尽を美化するというのはよく昔の世代がする事であり自分自身それを批判しているはずなのに、ゲームでは過去を美化するというダブルスタンダードだ。

 

そして昔のRPGというのは実は大人になってからやったほうが台詞が理解できるという側面もある。子供のころはとにかく戦いたくて仕方がなかったしクリアしか考えていなかったが、今ではRPG特有のセリフに深い意味があったとも思わせられる。

「そういう意味でその台詞作っていたんだな」という感傷もあり、一回クリアしたゲームも今セリフ目的でもう一度プレーする価値はある。

RPGというのは現実逃避してその世界に没頭してナンボであり、「現実とは違う別世界」に心酔したほうが楽しめる。

よくある実際の家族よりRPGゲームの世界観にいる家族のほうが愛着を持てるという話に近い。

 

懐古目的で昔のゲームをすると思わぬ発見がある、そんなことを感じずにはいられない。昔やったゲームをしてみると、最新のゲームにはない別の発見があるかもしれない。

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noteで自分のアカウントを作ったら結構簡単だった

自分が前々から興味があったサービスがnoteというものなのだが、よくありがちなノマドワーカー的な人がよく利用しているのを見ていつか自分も始めたいと思っていた。

 

名前だけはなんとなく知っていて、端的に言えば自分の記事に収益を発生させる系の奴だと認識していたがここ最近調べていくうちに少しずつシステムや傾向を把握して来て、ついに重い腰を上げて自分でもアカウントを作ることにした。

 

こういうサイトでよくあるのが、「思ってたより簡単だった」というパターンで身構えるものでもなかったなと感じた。今殆ど何も投稿していない状態だが、いろいろできそうな感じはある。

note.mu

なぜ始めようかと言えば端的に言ってお金がないからであり、かといって通販サイトの欲しい物リストやカンパサイトを公開するのも乞食っぽいので、なんらかのコンテンツの対価として収益を得たいと思ったからだ。

更にアフィリエイトにも限界があり、今の時代商品を売るためだけに特化したセールス記事じゃなければ中々買ってもらえない時代で、自分はあまりそういうセールス記事ばかり書くのが好きになれなかった。

そう言った経緯もあって、好きな事や得意な文章を書いて、それにお金を払ってくれる人がいるというnoteに自分は惹かれた。

 

ただ始めるのは簡単で、その後からが難しい。

アカウントを作って販売すること自体は誰でもできる。

このサイトどういうシステムなのかと言えば自分のテキストや画像を100円から1万円の範囲内で販売できるというものなのだが、当然無料でも公開できる。

 

ツイッターっぽい呟き機能もあり、DL販売にもなり小説や論評記事の販売にもなったり、実質的に有料ブログっぽいことができる感じにも見える。

 

これも良く最近普及している考え方で「ばら売り」的なフレキシブルな販売ができると考えたほうがよさそうだ。

つまり従来の有料メルマガ(ホリエモンや世沢翼がやってるような奴)がコンシューマーゲームだとすれば、noteは基本無料のソシャゲに近い。課金制度でそれぞれが自由に購入するというイメージだろうか。

ゲームに例えるならば、好きなキャラクターだけ追加で買うというDLC販売にも似ているかもしれない。有料メルマガは登録して全て見る感覚だが、noteは好きな記事だけ買えるという感覚らしい。

 

どうやら「投げ銭」というシステムで、クリエイターを支援するようなイメージに近い。

結構無料で公開している人も多く、一部の記事が有料というパターンが多いようである。

 

そして、まずこの「投げ銭」は普通にやってるだけじゃ絶対売れないように思った。

はっきり言って今の時代「ネットでタダで手に入らない情報」なんてどこにもないわけで、記事の質や内容で勝負しても中々売れないように思う。

 

基本的にネットを見ている人というのは無料で時間を過ごしたいからインターネットを見ているわけで、わざわざお金払ってまで見たいようなブログはあまりない。

いくらでも変わりがあるから、わざわざお金払う面倒なステップがある時点で避ける可能性が高い。

 

例えばこのnoteで旅ブログ記事を販売している人を見かけたが、おそらく「買う人がいれば大多数は興味なくても成り立つ」系のやり方だとも思う。

その辺の無名の興味ない人の旅ブログはタダでしか見ようと思わないが、「ヒカキンの旅記事」だったらおそらくいくらでも購入者が現れるだろう。

ホリエモンのメルマガに会員いるのも、「ホリエモンのメールマガジン」というところに付加価値が発生しているからだ。

 

しかしすでにメルマガや情報商材もオワコンで、今更新しい人が初めても誰も有料登録はしてくれないだろう。

がっつり既得利権層や固定客層が固まっていて、新規の人がメルマガで生活していこうとしたら無理だと思う。

時代はこういうかなり安い金額で好きなコンテンツだけ"課金"する方向になっていくように感じる。

 

ただそれでも簡単に見る限り、大多数の人が無料か100円で公開しているがあまり収益を上げられている気配はない。

やるのはまさに自分がさっきやったように簡単で、そんな自分のものにすぐ値段をつけられるのかと驚いた。某フリマアプリと一緒で出品は簡単、購入者がいないと成り立たないというイメージだろう。

現状私エルケンに「課金してまで記事読みたい人がいるのかどうか」で、おそらくそういう人はあまりいないように思う。実際自分もnoteで現状誰かのものに課金したいとは思っていないし、魅力的なものは見つからない。

逆にヒカキンとかユーチューバーがやればすぐに課金者が集まるだろう。

「ほとんどが興味ない物ばかり」というのが現状であり、収益を上げられているノマドワーカー的な人はごく一部だろう。

 

現状始めたばかりで右も左もわからないのだが、とりあえず青写真としていくつかのアイデアがある。

・このブログで書いてることをもっとディープに書く。

このnoteというのは小説にかぎらずコラム記事みたいなものも単体で販売できるというところに強さがあるように思う。

 

・旅ブログ記事

ネットというのは今の時代お金を払う人がいれば何でも成り立つ時代になっている。1記事あたりの値段を増額して、少数の人が見てくれれば無限に旅に行けなくもない構造がそこに発生する。

むしろそういう人はネットが始まった頃から既に存在するが、需要と供給が全ての問題でクラウドファウンディングのように需要さえあればできる時代でもある。

考え方としては1000円では旅に行けないが、100人がそれぞれ1000円を出して10万円の資金にして一人の面白い人の旅記事を見るみたいな時代が来るかもしれない。「1000円で10万円の旅に行った気になる」ために、知ってる人に行ってもらう、みたいな考え方もできる。

 

「1000円でひろゆきのディープな旅記事見れますよ」だったら自分は払うし、逆に普通に知らない人の旅記事ならいくらでもタダで見れる物があるから払わない、という人間の価値に行き着く問題でもある。

逆にもしかしたら自分が「北陸のアングラバー巡り記事書きます」「北朝鮮や旧満州、ロシア、カザフスタンみたいな怪しい国中心のレポ書きます」といえば見たいと思う人はいるかもしれない。

 

無料でいくらでも代替品が見つかるコンテンツにお金払ってくれる層を創り出そうと思ったら結構難しい部分があるというのが真実に近いだろう。

他にも個人創作のイラストや小説を公開するというアイデアもあるのだが、個人創作も同様にいくらでもタダで無数の人が公開している中でわざわざ興味を持つ人は少ないように思う。収益さえ得られればいくらでも作りたいが、現状は無料でも興味がないという人が大半かもしれない。

 

旅にしても文章にしても創作にしても「どうしてもこの人のコンテンツが見たい」というところにすべてが行き着くのではないかとnoteを見て感じた。

もっと言えば「付加価値」が大事であって、無名の人がやっている有り触れたことは、どこかの無料コンテンツで事足りる時代に「何」を創り出せるかという問題に行き着く。

単に有益な情報というものはネットにいくらでもある時代に、大事になってくるのは好きな情報や面白い情報であるかどうかだろうと感じた。