負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

少子高齢化対策には本当に移民しかないのか?

日本の人口ピラミッド構造はかつて歴史上のどの国も経験したことが無い領域に足を踏み入れようとしている。

このままいけば未曽有かつ絶望的な超少子高齢化社会が訪れる事は間違いない。

 

その果てに今の若年層は高齢者層の世話をするためだけに働く人生が訪れ、年金が貰えず疲弊した頃に切り捨てられる。そしてその時日本はもはや先進国ではなくなり、外貨も稼げず国際社会の競争から完全に脱落しているだろう。

資源の無い日本で労働力も補えず、国際競争力も落ち数少ない体力のある残された人々は高齢者や既得権益層に搾取され手元には何も残らない。

要するに今の若者はこのままいけば数十年後、貧しい国で貧しい生活をして高齢者の世話をするためにだけに働かされて何も実現できない人生が待っている。

もはや本人の努力ではどうにもならない程に根本的な欠陥が日本社会には存在する。

 

この少子高齢化の社会構造を解決する方策としていくつかの方法が議論されているが、自分は4種類の解決策を提示したい。

1:移民を入れる

2:安楽死制度を導入する

3:富の再分配を行う

4:自分が移民する

 

真っ先に解決策としてあげられるのが第一の解決策である「移民の受け入れ」だ。

人口が増えていく構造が終了している以上、人為的に新しい国民を受け入れなければならないという議論は多く見かける。

個人的に移民は条件付きなら賛成だ。

つまり無作為に受け入れるのであれば治安が悪化し、西欧諸国のような現実に直面するだろう。日本という国は欧米の後追いをする国であり、特に西欧諸国、北米諸国が実行したことを取り入れる傾向がある。

 

しかし現実に西欧諸国を見れば移民政策や多文化主義が様々な社会的な歪をもたらしていることは明らかだ。

更に日本という国は島国であり他民族と日本列島において共存するという歴史をほとんど経験していない。わずかながら他民族を受け入れてきた時期があるが、西欧諸国が受け入れてきた移住者と比べてそれほど多くないにもかかわらず様々な問題が発生している。

 

また移民というのは一度受け入れた場合、よほど強権的なことをしなければ後戻りできないという一方通行のシステムであり現実に西欧諸国はその後遺症に苦しんでいる部分もある。

日本の移民受け入れに関してはもう少し慎重に考えるべきであり、単純に労働力を増やすという考え方はできない。

一定以上の教養や財産を持った移民なら受け入れるという条件を課すならば賛成だが、おそらくこれからの日本の状況を考えたときそういった上位層の優秀な移民はわざわざ日本を選ばないだろう。

 

つまり移民を受け入れるならば治安が悪化しこれまでの文化が大きく変化することを覚悟で、教養的であると認定することが難しい層の人々を受け入れるしか方策がない。

 

良い移民には来てほしいが母国において高水準の教育を受け一定以上の財産を持つ上位層の移住希望者はわざわざ多種多様な移住先が存在する国際社会において日本を選ばない。そのためその基準に満たない移住者を受け入れるしかないというのが日本の移民政策に突きつけられている現実だと言える。

 

"理想的な移住者"に恵まれないため財産を持たず高等教育を受けておらず、日本語も話せないという層を受け入れるしかない。

民族的にも文化的にも近いアジア出身者ならば適応しやすいが、これから発展の可能性が大いにあるアジアの国からわざわざ少子高齢化を迎える日本を選ぶ人はそれほど多くないだろう。

母国で食事にも困窮しているような難民層を受け入れるぐらいにしかこれからの日本には魅力が無く、もはやそれならば少子高齢化と共に衰退していくことの方が最低限の治安は保証されるだろう。

 

次にこの少子高齢化の解決策として2番目の「安楽死制度の導入」という物が上げられる。

理想としては一定の年齢に達した場合健康に問題が無くても安楽死を選択できるという社会にしたほうがよいが、こういった過激な変化は非現実的であり難しいだろう。

ベルギーのような日本人が進んでいると考える西欧諸国でも安楽死制度を採用してるが現実的には抵抗がある。

苦しむ本人もその介護や医療費の負担に喘ぐ周りの人間も不幸なのだが、こういった合理的な選択をすることができないのが日本という国でもある。日本人は情緒的な民族だと言われるが、このような判断を理性的に行うと大きな反発が起きてしまうため不可能である。現在の感情を度外視し長期的な視点で見る事は日本人が最も苦手とする事だ。

 

3番目の「富の再分配」は最も現実的に不可能な事だろう。

今の日本社会は高齢者層が多くシルバーデモクラシー状態になっているため民主主義的な解決方法を想定するならば実現は難しい。富の再分配どころか若者から搾取し良い部分だけを味わう世代の犠牲にならなければならないのが今の若者である。

この傾向はむしろ加速し今後"敬老ファシズム"の時代になる。老人が全てを支配し高齢者至上主義時代が訪れる。

彼らは民主主義を数の暴利で支配しておりもはや新しい世代は立ち向かうことができない。

そのため若者から政治への情熱や関心が失われているのは必然と言えるだろう。

選挙に行かない若者と批判されるが、一票の有効投票数が数倍に拡大されない限り改善は実現できない。そしてそのような優遇策は民主主義という概念を根底から否定する物でありやはり実現できない。

 

数少ない政治に関心のある者も日本の政治議論というコンテクストにおいてはネット上で右派と左派がレベルの低いレッテル張りや人格批判を行うことに終始しており、現実的な解決策は発案されず当然ながら実現もされない。

若者が集まって「年金廃止しろ、富を再分配しろ、既得権益を手放せ」というデモをしても難しい。

この少子高齢化社会から逃げ切れる高齢者層は自分の事ばかりで若年層を支援する気が無い上に、民主主義において最も有利な「数」を支配している。

そして今の若者は政治的な解決方法を諦めている。

 

以上の理由から2番目の「安楽死制度の導入」と3番目の「高齢者層による若年層への富の再分配」の実現性は低い。

人権という言葉を乱用する勢力と既得権益層に反発されるため、民主主義制度の中でこういったラディカルな政策は実現できない。これらの解決策は独裁政権でも現れない限り不可能であり、現実的に議論する価値はそれほど存在しない。

 

このような状況では社会の大きな変革を悠長に待つよりも自分を変える方が早い。

それぞれの人間が自分の人生と生活がある。

この変化を恐れる国においていつまでも改革を待っていてはいたずらに時間が過ぎていく結果にしかならない。

この状況で必要なことは「日本が移民を受け入れるべきか」「日本の少子高齢化をどう解決するべきか」という実質的に解決不可能な問題を議論することではない。

 

発想の転換が必要であり日本の少子高齢化をどうすればよいと考えても無駄でしかない。実行できない机上の空論ばかりを唱えても何も生活も人生も変わらないだろう。

残酷な現実だがもはやこの国は変わらない構造になってる。

さまざまな抵抗勢力や既得権益層が変化を妨害し、未来よりも目先の利益に執着している。

 

今必要なことは移民を受け入れるのではなく、自分が移民するという考えだ。

それが第四の解決策「自分が海外に移民する」という事である。

これまで日本人は我が国に移民をどう受け入れるべきなのかという事ばかり議論してきたが、自分たちが移民になる可能性については考えてこなかった。

 

しかし日本人は中世の時代は東南アジア、近代の時代南米や満州に移住していた時期がある。実は鎖国気質のようにみえて海外に移住していた時期は存在するのだ。

そして日本の歴史において今最も海外移住が必要な時期に来ている。

日本人という民族は日本列島に住み、日本国籍を保有していることが条件ではない。その社会の構造やシステムに身を置くことが、自分がどのような人間であるかを完全に定義するとは限らない。例え海外に移住しても日本人としての心が失われ消えゆくことは無い。

自分は日本や日本人が嫌いなわけではなく、むしろ日本人が生き残るにはどうすればよいかという生存戦略を考えてる。

 

もはや日本の若者層は無条件で外国語を勉強しなければならない時期に来ている。

生活の為、生きるために必死に海外への移住を模索しそのために語学とスキルの習得を求めるしかない。

インド人が英語勉強しないと社会の上位層になれないどころかまともな書籍も読めず知識すら得ることができないのと同じように、日本人も外国語が必要な時期が目前に迫っている。人間というのは必要性を感じたとき、どれだけ遅くとも外国語を習得できる能力がある。

日本人が日本語だけで暮らせた時代は幸福な時代だった。

 

高齢者層が自分たちが最も尊いと考え、自身の利益だけを追求するならば若年層も同じ考えで対応しなければならないだろう。

着々と訪れようとしている敬老ファシズムにNOと突きつけなければならない。

海外という新天地、そしてその地で生き抜くための語学やスキル、今の日本の若者が必要としているのはこの2つだ。

絶望的な少子高齢化社会という沈みゆく船と心中するのか、いち早く抜け出すのか、そのことを真剣に考えなければならない日は刻一刻と迫っている。

elkind.hatenablog.com

elkind.hatenablog.com