負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

本当に幽霊はいないと断言することはできるのだろうか

夏と言えば心霊や怪談の季節という風物詩なぐらいに、この季節になると幽霊の話が増える。それに伴い幽霊は本当にいるのだろうか、信じている人はピュア、信じない人は面白くない人という議論も巻き起こる。

 

結論から言えば自分は典型的な幽霊否定論者である。

ホラー映画や心霊番組もほとんど見ないのだが、それはすべてが嘘だとわかっているので感情移入して見る事ができないのが理由だ。

 

まず幽霊が薄暗い場所や夜間に多く出没されているというのがおかしく、また夏に増えるというのも冷静に考えてみると意味不明である。幽霊は夏に増える夜行性の昆虫と似た特性があるというのも不思議だ。

 

更にホラー映画怖い話にありがちなこととして、幽霊は人間を襲い危害を加えようとする。しかし現実には幽霊によって死亡させられたケースは存在せず、現実にそのような事が起きていたら大問題になるだろう。

つまり幽霊がいると考えなければ証明できないような事象は存在しないのだ。宇宙人が原因だと考えても不思議ではない現象は存在しなくはないが、幽霊が原因だと仮定しなければ説明がつかないようなことは存在しない。

 

また決定打として自分がこれまで幽霊に遭遇したこともなく、心霊現象すら経験がないためどうしても信じることができないのである。

 

そうドヤ顔で幽霊や心霊現象を否定しているのだが、おそらく世の大半の大人が思っていることでありわざわざそんな当たり前のことを言ってイキりたいがためにこの議論を行っているわけではない。

「幽霊なんていない」と断言して大人ぶりたい中二病の時期はもう過ぎているのだ。

 

今回自分が考察したいことは幽霊だけを否定することの矛盾や整合性の無さについてである。実はこの考察をしている時にふと思ったことがある。

幽霊を否定するのであれば死者の魂や神までをも否定しなければ筋が通らないという事だ。自分は死者の魂や神々に対してはある程度敬意を払っているのだが幽霊だけを否定することに、線引きの曖昧さを自分で感じたのである。

 

幽霊否定論者ならばこういったオカルトごと全般を否定しなければ中途半端だろう。一度命がなくなったならば生物学的な活動は終わり、死後の世界は存在しないという科学的な見地に自分は立っているのだが、例えば死者の魂を祭る施設については一定の経緯を払っている。

戦没者を追悼する施設や、墓地のようなものにはどこか死者の魂が眠っているような気がするのだ。

また山や大木に精霊や神々が宿っているように感じるのも縄文の時代から続く日本人の感性だろう。

神や宗教と心霊は違うように見えて根柢の部分では通じている部分がある。

 

また幽霊などいないと断言している割には、行くのが怖いような場所もある。自分はお化け屋敷に怖がる年頃でもなく、深夜に一人で出歩くことは特に問題ないのだが本当の心霊スポットや夜中のトンネルなどは少し行くのが怖いと感じることはある。

 

現実には治安の悪い場所を出歩くことの方がよほど危険なのだが、悲劇的なことがあった夜中の廃墟で電気をつけずに朝まで過ごさなければならないと言われれば少し怖い。

そもそも人間が暗い場所に不安を感じるのは、夜行性動物ではない人類が危険を回避するための生物学的メカニズムによるものでしかないのだがやはり怖いものは怖い。

またメカニズム時代は解明されているが、こっくりさんも怖いので挑戦する勇気はない。ちなみに金縛りという現象は良く経験するのだが、これに関しては科学的に説明がつく現象なので特に恐怖を感じることは無い。

 

なぜ自分が完全な幽霊否定論者になれないかと言えば、実は自分は昔は神霊やオカルトファンだったからでもある。

小学生の時は誰しもが一度は心霊コンテンツに熱中するのではないだろうか。

自分の場合は小学校の図書室にあったオカルト本を熱心に読んでいた時期があった。田舎の小学校なので少し古い雰囲気が校舎全体にあり、書籍の更新なども積極的には行われていなかったため自分の世代より少し前の古い本が多く残っていた。

その中で少し古めの心霊本は人気が高く、自分もよく借りていた。

また本当にあった怖い話のような心霊番組も楽しみに見ていた。アニメ版の学校の怪談や四谷怪談の実写化番組なども楽しみにしており、本当に怖くなって夜中には眠れなかったことも今では懐かしい。

 

その時を懐古していて思うのが幽霊を全否定している今よりも、心霊を信じて怖がっていた頃の方が楽しかったという事だ。

自分の家庭は父親がこういったことに興味を示さず、母親が心霊番組をよく見るタイプだったのだが子供のころはそういった父親がつまらない人間のように思っていた。

しかし現実的には自分がそういったつまらない人間になってしまった。

自分に限らず幽霊を否定している人間は現実ではそれほど面白くない人が多い。理屈っぽく心霊現象を否定する人間よりも、幽霊はいるかもしれないとなんとなく思っている人のほうが面白い人は多いだろう。

 

そもそも今は世の中全体としてこういったやらせや嘘、作り話に寛容ではなくなってきている。またCGの技術が発達したことやテレビの画質が向上したこと、そしてインターネットですぐに真実が暴かれることもこういった心霊番組の減少に拍車をかけている。

今はネットの力が大きくなりすぎてしまい、あらゆることにつっこみや指摘が入るようになっている。ネットで真実を追求することも行き過ぎれば世の中を面白くなくしてしまうのだ。現にネット上のオカルトサイトや掲示板も衰退しており、またユーモアのある人が減り真剣に指摘をする人が増えたこともその背景にあるだろう。

全てが作り話認定されるよりも、怪しげなオカルトサイトがあった時代の方が面白かったように思う。

 

今の世の中が息苦しい事の原因は中途半端に賢いインターネット脳の人が増えてしまったことや、誰もがネットの触れられる環境を手にしたことにあるだろう。

実は大部分の人間がメディアや企業に騙されている時代の方が幸せで活況としていたし、アングラ文化やオタク文化もその対極として面白かったのである。どんな番組もやらせ認定し、どんな流行も捏造認定する時代が本当に面白くて活気があることなのかは疑問だ。

ネットが小規模だった時代にはその過程も面白かった部分はあるが、真実を全て暴けば世の中が面白くなると思って訪れたのは冗談の通じない監視社会でしかなかった。

elkind.hatenablog.com

 

少し話が飛んだが、自分は幽霊は信じていないが宇宙人未来人、UMA、陰謀論は信じている。日本人に多いのだが典型的なダブルスタンダードのタイプであり年末はキリスト教のイベントに始まり、仏教式の除夜の鐘を聞き、新年は神道式の生活を送るというスタイルの人間である。

幽霊はいないと言ってるのに少し怖い場所があったり、神や死者の魂は信じていたりする。

 

それと同じようにオカルトの批判的であるかに見せかけて、宇宙人や陰謀論には好意的に見ているのである。

本気で信じているというよりは「いてほしい」という願望にも似たものかもしれない。ただ涼宮ハルヒの憂鬱でいうならば宇宙人と未来人はいるが、超能力者は存在しないという自分の中だけの謎の基準もある。

また森の精霊や大木に宿る神様のようなものも、もののけ姫の世界観が好きだからであり信じたいから信じているという完全に主観に過ぎない。

 

その一方でキリスト教については否定的であり、クリスチャンの知り合いが進化論を本当に否定したときは驚愕させられた。しかし海外サッカー選手が十字を切って、天に感謝している姿はかっこいいと思っているためこれもダブスタである。

その上、神道や仏教文化は肯定しており何だかんだで聖書も読むと面白いと思っている。

 

妖怪は信じていないが、昔の妖怪は今でいうUMAのような概念に近く解明されていない生物や現象自体はどの時代にも存在する。そういう意味で自分はUMAを信じている、というよりも今では有名な生き物も元々はUMAだったのだ。

ツチノコもいないとは説明できずUMAの一種だろう。

ただイヤホンを絡ませる妖怪とリモコンを隠す妖怪は間違いなく存在するはずだ。

 

結局のところ自分は他者の信仰を本気で否定するつもりもなく、自分の信仰を押し付ける気もない。それぞれが自分の信じたい神や観念を信じればよいと思っているタイプであり、そのクリスチャンの知り合いの人の前で創造論を否定することもしない。

 

宇宙人や陰謀論も面白そうだから信じているだけであり、それを本気で否定しにかかってくる人がいたら嫌悪感を覚えるだろう。

フリーメイソンやイルナミティのような陰謀組織がいたらなんとなくワクワクする、そうあって欲しいから話半分で軽く信じているだけに過ぎない。

幽霊や心霊番組も、信じている人にわざわざそれは嘘だと言ったり論破したりするつもりはないしそういった話やコンテンツで楽しんでいる人がいるならばそれでいいと思っている。

彼らを幽霊否定論者に"改宗"させても、特に意味はないし楽しんでいる人の邪魔をしても仕方がないのだ。

 

前述の「全てをやらせ認定すれば世の中が面白くなる」という理論と同じで、こういったオカルト要素を全否定するとワクワクがなくなってしまうのである。全てを否定し真実を追求しても、現実はそれほど面白くなく浪漫もないという事に気付かされるだけでしかない。

 

結局無いことを証明することは難しく悪魔の証明であり、証明できない以上楽しんだほうが得でもある。

神や心霊現象にしろ、宇宙人や陰謀論にしろ全否定しにかかっている人は余裕が無く、あまり楽しそうには見えない。

自分の信じたい物だけ軽く信じて楽しむスタイルが一番気楽で面白いのである。陰謀論を信じている人が中二病と見せかけて、実はそれを全否定しにかかる人のほうがこじらせた中二病なのだ。

ネットにも身の回りにもそんな人がいないだろうか。

少しは騙されているぐらいのほうが面白い、そんな余裕が今の社会にはあっても良いのかもしれない。