負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜ日本人はエアコンを贅沢品だと考えるのか

毎年この季節になるとエアコンがつけられなかったり我慢したりして熱中症になる人が現れる。特に経済的な余裕のない高齢者などが病院に運ばれるケースは多い。

 

こういった事情の背景には日本人がエアコンを贅沢品や甘えだと捉えていることが存在する。昭和の時代に「スポーツをしているときに水を飲むことは甘えであり健康にも良くない」と水分補給が禁止されていたことと似ており、未だにエアコンを制限する価値観は根強い。

 

実は自分の家庭もそういった価値観が根強く、典型的なエアコンアンチ的な風潮がある。現在もエアコンがなく夏は暑く冬は寒い環境で過ごさなければならない。

そしてこれは自分の家庭に限らず日本社会全体に「エアコンはもったいない」という価値観が横行しており、28度制限という世界的に見てありえないような考え方も存在する。

 

更に平成生まれですら学生の頃は教室にエアコンがなかったという経験を持つ人は多く、自分自身ゆとり世代だが小学校の頃は暑い教室でひたすら授業を受けいていた。

さすがに現代の小学校でエアコンが無いというケースはレアだが、高校などはまだエアコンが導入されていないのところもあるのではないだろうか。

 

日本という国は見かけ上は先進国だがこういった古い慣習を廃止できていないことが多く、なおかつ多くの人がそれによって落ちている生産性を気にしていないことが多々ある。

「自分が我慢できるから他人も同じように我慢できるはずだ」

「自分は苦しんできたから下の人間も同じように苦しむべきだ」

こういった価値観が根強く、時として効率性や生産性を度外視してでも慣習を押し通すことがある。

例えばサービス残業を廃止できない事や仕事を早く終わらせれば帰宅できるという考え方が根付いていない事もその典型例だと言える。

年金という制度が現状のシステムのまま存続していること、新卒至上主義、未だに現金支払いが多い事、鬱病は甘えだという考え方、そして今回のようにエアコンを我慢することを美徳と考える価値観など上げればきりがない。

 

我慢を美徳だと捉えたり根性論がいまだに根強かったりする点も根本的な問題であり「皆で苦しんで我慢する」ということを強制する文化が根強い。

 

世界の暑い国は外は暑いが、屋内ではエアコンをしっかり効かせている。

しかし日本は暑い国であるにもかかわらずエアコンを贅沢だと考える風潮がある。

表面的な電気代だけを見て「もったいない」と考える人も多く、それで落ちている生産性と比較することあまりない。

更に「冷暖房は健康によくない」という迷信もこういった風潮に拍車をかけている。この猛暑の中で苦しむことの方がよほど健康によくないのだが、冷房や暖房を健康ではないと考える価値観もある。

それを自分の中だけの健康法として取り入れるなら良いが、他者に押しつける人も多く自分の家庭がまさにその典型である。

 

こういった謎の健康法は昭和の時代の水分補給禁止と同じく非科学的な事なのだが、わりと日本という国は非科学的な迷信が未だに国民の価値観から廃止できていないことが多い。地球温暖化を促進するからよくないという考え方も多いが、そもそも地球温暖化自体が迷信でもある。

どの国にもその国特有のしがらみや古い考え方があるのだが、日本は先進国にもかかわらずこういったことが非常に多い。マイナスイオンやコラーゲンが肌に良い、水素水が体に良いといった似非科学も未だに多く信奉されている。

こういったことを全て迷信だと暴いていくことはナンセンスなこともあるのだが、中には本当に変えていかなければならない価値観もあることは事実だろう。

 

また昨今の節電ブームもエアコンの"自粛"を呼び寄せており、むしろ数年前に比べて悪化すらしている。

「夏にエアコンをつけるのは当たり前であり、それは贅沢なことではない。むしろエアコンを我慢して効率性が落ちることの方がもったいない」という考え方をもっと普及させていかない限り、この風潮は変わらないだろう。

エアコンをつけるだけで甘えて贅沢をしているという目で見られるのは本当に変えていかなければならない事であり、日本という国は暑い国なのだから冷房を効かせることは真っ当な権利であるという考え方にシフトしていかなければならないのではないだろうか。

 

こういった価値観はいわゆる貧困家庭に多く、底辺の連鎖というのはしかるべくして受け継がれる。

「エアコンはもったいない」といった価値観で育った人は自分の家庭でもそれを継承することが多く、なおかつ他者にも押し付ける傾向にある。

特に自分の家庭は壊れたものをなかなか買い換えようとしなかったり、使えなくなるまで新しい物を購入しないことが多かった。例えば電子レンジが壊れたときは買うことがなかったし、テレビも地デジ化の直前まで一向に買い替えなかった。

 

こういった家電は新しい物の方が電気代も安く早く買い換えたほうが良いのだが、効率が悪いことに気付かない貧困家庭ではこういった買い替えが順調に進まない。

日本人の「もったいない精神」は美しい価値観ではあるが、それが時として本当のもったいなさに気付いていない事が多い。知的水準の高くない家庭はそこに気付いていないことが多く、生産性の低い物をいつまでも使い続ける傾向がある。

 

家にいる自由時間で集中して頭を使う習慣がない家庭は特にこうった気温や大気に対して疎い。頭を使うには快適な気温が必要なのだが、そういった習慣がない人はその重要性に気付かないこと多い。

家にいる時間に両親が何も現状を改善する工夫を行わず、それでなかなか収入も増えていかないという貧困の連鎖が続く。両親の悪い慣習は子供にも受け継がれやすく、貧困家庭出身者が同じように貧困に陥りやすいことには相関がある。

 

つまり「エアコンがもったいない」という家庭で育った人は両親と同じように貧しい人間になりやすい。エアコンに限らず効率が悪いことに気付かない家庭で育つと知的水準が向上しにくい。

こういったことを防ぐためにもやはりエアコンはもったいない贅沢品だという価値観は変えていかなければならないだろう。そんな時代遅れな考えを持っている人は少ないように思えるが、実は未だに価値観を抱いている人は多い。

「冷房は28度まで」という謎の制限が多くの職場などで廃止できていない事はその証左でもある。

 

エアコンをつけることははもったいない事でもなく、甘えでもなければ贅沢品でもない。分煙や受動喫煙対策が昭和の長きに渡り推進されていなかったことや、少し前まで運動中の水分補給禁止が横行していたように日本という国は我慢古い慣習が好きであり外圧がなければ中々変わっていかないことが多い。

エアコンに対する制限や残業制度に関してはまだその変化の途上にあるのだろう。

こういったことを声を大にしてはっきりと主張していかなければ中々日本の慣習は変えていくことができない。

長い物に巻かれるだけの傍観者にならず、しっかりと個人が主張していくことが大切なのではないだろうか。