負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本人はなぜ外国語にそれほど興味がないのか

日本って世界の先進国の中では最も外国語に興味がない国だと言えるし、別の言い方をすれば自国の言語が最も充実している国ともいえる。

とにかく諸外国と比べたとき外国語を日常生活でそれほど見かけないし、当然ながら使いもしない。外国語を話す人もそれほど多くなく、日本人の中でも外国語の習得に熱心な人は稀である。

殆どの場合受験や学校で必要だから仕方なく英語を学んでいるだけで日常的にそれを使う習慣もなく、熱心に学んでいる人もそれほど日常においては見かけない。

ビジネス英語として勉強してる人もアジアの国と比べたとき少なく、世界で最も外国語の習得が自国民にとって必要ない国ともいえる。確かにビジネス英語を学んでいる人は多く英語学習熱は高いのだが逆に言えばビジネスマンであっても全く英語を勉強しない人がかなり多いのも現実だ。

 

ただそれは決して悪い事ではなくむしろ9割以上が一つの民族によって占められ一つの言語だけが公用語でその言語使ってるだけで十分にやっていける国はむしろ恵まれていると言えるし、そう言った国が経済的にも文化的にもここまで充実しているケースはほとんどない。

見方を変えるならば日本人が日本語しか使えなくても何とかなるというのは実はありがたい事でもあり自国の言語だけで生活できる国も珍しい。エリート層ですら英語を使えなくても問題がなく、国民のほとんどが一生外国語を学ばずともそれなりに裕福な生活がしていける。更に文化や娯楽の面でも書籍や映像などが一つの言語だけで十分な程充実しており、楽しみのためにわざわざ外国語を習得する必要がない。

外国の物もほとんどが翻訳されてはいってくるし、日本人が一生日本語だけで何とかなるのが現実であり「日本で英語使わないじゃん」で十分通用してしまうのだ。

 

よくアメリカ人やイギリス人は英語だけでいいと思ってるとか、フランス人はフランス語しか使わない、イタリア人はそもそもイタリア語しかできないといわれる。

しかしグローバルな国であったり、陸続きで内陸に属する国々はなんだかんだで外国語が入ってきやすくそれらを使うことが多く必要性に駆られるケースは日本より多い。

生活向上のために真剣に外国語を学ばなければならない新興国はもちろんのこと、欧米の国々もなんだかんだで外国語への関心は高い。

 

歴史的要因、地理的要因、文化的要因、様々な要因によって日本人は外国語への関心を持つ機会が少ない。良く言えば日本語や日本の内需経済が充実しており、ほとんど一つの民族で多民族国家などに比べたとき民族問題においては平和にやれているという面もある。

結局言語というのは必要性がなければ習得出来ないものであり、自国民が外国語の習得の必要性を感じないというのは裏を返せば実は幸せな事でもある。

例えばインドでは知的な書籍を読もうと言えば英語が必須であり英語が使えなければ学習することすらできない階級社会がある。その点日本はカジュアルなエンタメから高度な内容のものまで全て母国語で揃うという恵まれた状況にある。

娯楽の多様性で言えば世界トップクラスであり、技術や経済のレベルも昔ほど圧倒的ではないが依然として高水準にある。

 

つまるところ日本人が外国語を習得するメリットはそこまで大きくなく、いらないと言えばいらないということに行き着く。

それゆえに本当に言語に関心があって趣味でやっている人や、よほど海外志向の強い人でなければ外国語を学ぶことは無く現実に外国語を熱心に勉強している人と合う事はほとんどない。

 

また日本人は外国語に対して2つの先入観を持っている。

1つは外国語と言えば英語だという事

そして2つ目は外国語は難しい物だという事

日本で語学学習といえば大抵の場合英語になり、留学先なども英語圏が多い。言語学習の多様性で言えばほとんど英語一強になっているのが現状だ。実際自分も第二外国語の習得につい最近まで熱心ではなかった。

そして日本人は外国語はとんでもなく難しく今更習得できるものではないと思い込んでいる。

 

日本人が外国語が不得意というよりも、必要性を感じないしとにかくあまりにも難しい物でハイレベルなスキルと自分で壁を作っているようにも思える。深層心理の面で外国語に対して見えない壁を作っていたり、とてつもなく難しい物だという虚像を抱いているのではないか。簡単に考えたほうがいいところで難しく考えすぎてしまったり、完璧に使おうと考えてしまう傾向にあるように思う。

実際日本人が日本語を学んだ時に間違いながら覚えてきたし漢字の学習も小学生のころは苦労したはずである。今ある程度英語ができる人も最初はbe動詞すら意味不明だったのだ。

そしてそういった母国語のような習得方法は大人になってから出来ないものであり非常に面倒で時間がかかる物だという先入観もある。

 

確かに子供の頃程習得できないことは事実だがそこで諦めてしまう程のものでもなく、外国語の学習は何歳から始めてもできないことは無い。

「若いうちにやっていなかったから今更やっても遅い」という半ば神話にも似たものがあり、それもまた外国語学習への関心を削いでいるのではないか。若いころの方が有利なのは事実だがあまりにも難しく考えすぎてしまい、自分で難しくし過ぎてしまっているように思う。

思い込みでも「外国語の勉強は簡単」と言い聞かせながら勉強したほうが実は見えない壁がなくなり飲み込みも早くなる。難しいと思いながらやるよりも簡単と思いながらやったほうがすんなりいくというのは何も言葉の勉強に限ったことではない。

 

そもそも必要性を感じていない、そして難しいと思っているせいで必要性を感じても最初からあきらめてしまうことが日本人がそれほど外国語に関心がない理由なのではないだろうか。

語学能力=特殊な才能だと考えすぎていて新しい言語の習得に億劫になっている。

そして勉強して習得しなくても一生別に困らないのが日本という環境でもある。

これからこの環境がどう変化していくかはわからないが、日本が劇的に外国語重視の国に変貌することはよほどのことがない限り起こり得ないだろう。あくまで個人が自分の中で必要性を感じるかどうか、そして自主的に勉強するかどうかが全てと言っても過言ではない。その中で習得するしかしないかは自由なのである。