負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

【祝】令和開節これからの日本が探る未来とは

勢いでタイトルを決めるとよくないっていうパターンですよ。

よく古市とかひろゆきみたいな社会学者風の連中がいいがちな言葉に「これからの日本はソフトランディングの時代になっていくので、お金を使わずとも斜陽と絶望の国で幸せな個人を目指していくべき」みたいな論調がある。

 

正直頭では理解できても納得できない自分がいて、簡単にそんなんで片付けられていいのかって思いもあるわけですよ。大体この二人ってがっつり既得権益層と癒着してるか、旨い汁を先行者の利で吸えていち早く海外逃亡した人であって、本当にガチで苦しんでる底辺の人に寄り添っていないのだ。

とかいいながらここにホリエモンと落合陽一を加えると私的論者四天王としてちょくちょくチェックしているので、だいぶ思想的にヤバい奴らの影響を自分は受けている。

いくらこの人の意見は凄いなとか共感できるなと思っても、やっぱ納得できない部分はあってしかるべきでそれは、ひろゆきも「時々堀江さんの言ってることおかしいと思うときもある」と語っている。

 

どの元号もそうかもしれないけど、急に変わると言われて何が変わるのかといえば名前が変わるわけで魔法ではない。

天皇陛下が生前退位を決断してくださったお陰でこれだけ明るいお祭りムードで迎えられるというのは、31年前に自粛ムードで自身が迎えた経験があるからかもしれない。

しかもその数年後にオウムや震災やらで、マジで平成天皇陛下すげぇよ。(もう今上陛下ではないんだな)

 

だからこそこれだけ勇気ある決断してくをしてくれた庶民派天皇の意向みたいなのを次いで、今度は令和日本という実態を変えなくちゃいけねぇんじゃねぇかなと自分は思うわけだ。

形は物凄い覚悟で200年ぶりの生前退位という形で変えてくれたし、新時代の天皇像も体を張って変えてくれた。

 

平成って停滞の時代と言われながらも実は変化が物凄く激しかった時代で、技術革新と価値観の革新がたった31年で目まぐるしく起きた時代だった。

もう平成を過去形で語ることになる寂しさを感じつつも、何だかんだで平成楽しかったよねと。

 

もしかしたら明治天皇と同じくらいに変化に寛容だったのが平成天皇だったのではないか。国家を富国強兵に導く元首ではなかったが、その変わりに庶民目線で寄り添ってくれた。

 

昔祖父が天皇皇后両陛下の写真を家に飾っているのを見たことがある。それはカラー写真で昭和天皇のものだ。

天皇制というものは2000年の歴史でその時々で変化し、その時々で日本人がどう思うかの反映だった。だからこそ、自分が素直にどう思うかというのは今後平成天皇が基軸になっていくと思う。

 

リービ英雄というアメリカ人ながらに日本語で執筆した作家の作品にこんな言葉がある。

「おまえが皇居の前で天皇陛下万歳と叫びながら切腹をしたところで日本人はおまえを日本人と認めないだろう」

これはアメリカ大使館の役職を勤める父親が日本語を大学で学ぶ息子に告げる、『星条旗の聞こえない部屋』という作品のワンシーンだ。舞台設定は、ケネディ元合衆国大統領の追悼式が登場するので1960年代を振り返った叙述形式だ。

 

確かに戦後に昭和天皇が敗戦で焼け野原になった日本を全国行脚したというエピソードはある。ただそれでも天皇は幻想的な存在だった。

かといってイギリス王室の庶民化とエンターテイメント化が正しいとも思わない。

平成天皇は失礼な言葉ながら、いい塩梅というか中間で抽象的な表現かもしれないが「人徳」があったと思う。

 

もう日本は終わる国だから緩やかな衰退を受け入れて、上手く穏やかに着地していくべきというのは話としてはよく分かるけど、なんかつまらないじゃねぇかと自分は思う。

 

仮に明治天皇が江戸までの時代をダタダラと継承してたら明治維新はなかった。平成天皇はやるべきことをやりきってくれたのに、令和に生きる当の日本人が惰性で変わらずにいたらこの改元はなんだったのかということになる。

名を変えるのは天皇の役割だが、実を変えるのはその時代に生きる人々の役割だ。

日本を「令和」に変えていくのは一人一人の日本に関わる現代人であるように思う。