負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

NHKの赤報隊事件再現ドラマが結構面白かったという感想

未解決事件を特集したドキュメント番組やドラマというのは興味深く、ネットや書籍などでもこういったことを調べると面白い。

今回自分が見たのはNHKが「赤報隊事件」について制作した再現ドラマであり、未解決事件にワクワクしてしまうような不謹慎な厨二病人間としては中々見ごたえを感じた。

 

赤報隊事件というのは、1980年代の後半に右翼組織によって行われた一連のテロ事件の総称であり主に、朝日新聞を敵視し彼らを反日分子と規定し"処刑対象"として標的にした。

 

自分は戦後の政治運動についてある程度興味を持っていながら、実はというとこの事件について知らなかった。

内容としては朝日新聞の阪神支局に猟銃を持ったテロリストが現れ、2人を襲撃し1人は死亡した末に、現在は時効を迎え未解決事件になっているというものだ。

この事件に加えいくつかのテロ活動があり、世紀末の時代の雰囲気を感じさせる。

脅迫電話があったり犯行声明文が送りつけられたり、朝日新聞の特命班が右翼団体と接触するシーンが再現されていたり、ドラマとしては1時間ほどのものだったが非常に興味深い内容だった。

 

1980年代の歴史教科書問題や、当時の中曽根康弘総理による靖国参拝問題などの背景があり、その文脈で現れた赤報隊という謎めいた地下テロ組織というのは今で言えば厨二病なのだが、実際に行動するところは今とスケールが違う。

 

昭和が終わり時代が平成に変わり世紀末へと向かう激動、そして最後の昭和的な政治事件であるとこの赤報隊事件について自分は考えている。

 

「もう現代においてこういうデカい事ってないんだろうな」と、政治活動の主戦場がインターネット上に移行した今になってこの頃の話を聞くと一抹の寂しさを覚えないわけではない。

戦後の凶悪な政治活動と言えばどうしても連合赤軍や東大安田講堂事件、三菱重工ビル爆破事件、渋谷暴動事件、よど号ハイジャックなどのような極左活動を連想する。

 

しかし不謹慎な言葉を使うならば「右翼も結構頑張ってるな」とこの赤報隊事件の再現ドラマを見て感じた。

右翼はどちらかというと2.26事件のように戦前の活動のイメージが強いが、良く考えてみれば三島由紀夫による自衛隊駐屯地でのクーデター未遂と、1960年に社会党の党首を当時17歳の少年が刺殺した暗殺事件などが存在する。

 

自分は右翼でも左翼でもなく、もはや現代の政治に冷めている立場であり左右双方に幻滅している。

 

ネットで近隣諸国の粗探しをして、日本の都合のいいところだけ持ち上げる最近の右派にしても、平和や反原発を叫んでお祭り感覚でデモをしていれば世の中が平和になると思っている左派にしても、どちらも正直「つまらない」と感じている。

どちらもネットでお互いを非難して喧嘩し合っているだけのただの面白くない政治厨でしかなく、政治面で面白い人たちはもういないと悟り興味も無くなっている。

 

また未だに核マル派はアジトで活動しているが完全に劣化しており何かを起こそうという気配はなく、歴史を変えるような凄いことをしそうな人は左右双方に存在しないのではないかという感覚がある。

それゆえにかつて存在した赤報隊という組織を知り、久しぶりにドキドキ感というかワクワク感のようなものを感じ、「20世紀の激動やっぱすげえ」と厨二病的な感情を抱いた。

 

今の中途半端な政治厨は左派も右派もつまらない、しかし実際に事件まで起こしたかつての極左と極右は"面白い"というのが自分の発想だ。

一貫したまともな政治信条など持っておらずただ単にエンタメ感覚で面白いかどうかを優先する自分が、最近の左派を「お祭り感覚」と揶揄するのもダブルスタンダードな話だろう。

赤報隊の秘密復刻新版 朝日新聞連続襲撃事件の真相 [ 鈴木邦男 ]

 

とにかく戦後昭和の活動家は漠然とした表現かもしれないが情熱のようなものがあった。

未来がどうなっていくかわからない激動の時代だからこそ、本気で未来を良くしようと熱くなれた時代だったのかもしれない。

この頃は左右共に自分の活動の生命を賭けているのでスケールの大きいことができた。逆に今はネットで政治活動をすればそれなりに戦った気になれる時代なので、中途半端な「小者」が多い。

ネットで簡単に活動できないからこそむしろ高いモチベーションをもって彼らは活動をしていた。

 

また現代人はもう未来が壮大に発展していくとも考えておらず、そこに命をかけてまで活動する気にはなれないのかもしれない。人は未知の物に対しては情熱を持てるが、ある程度分かり切っているときにそれほど情熱を持つことはできない。

 

政治活動や革命運動に命をかける若者は絶滅危惧種であり、もう"20世紀的な激動"が起きていく可能性は皆無に近い。だからこそ自分のように刺激が欲しい厨二病のような人間にとっては現代の情熱の欠如が虚しく感じるのかもしれない。

濃い奴が集まってそうな政治ですらつまらない浅い奴ばっかりになったんだなという時代に、優先されるのは結局いつものようにささやかな日常の癒しなのだろう。

 

そして自分自身が既に最近は歴史や政治のドキュメント番組を見ず、普通にユーチューバーを見ているという典型的な現代人になって来ているという皮肉な状態に陥っている。

 

だかららこそ久しぶりに赤報隊事件のドラマを見てちょっとワクワクしたというか、中曽根総理ですら生ぬるいと脅迫し様々なテロをおこし、散弾銃の扱いに慣れていた右翼の存在にまるで小説の登場人物のようなスケールの大きさを感じたのだ。

 

今でこそ日本の戦争には正統性があったという類の見方をする人は増えているが、1980年代というのはまだネット右翼という言葉が存在しない時代の話であり、憲法改正という言葉ですらはばかられた時代だった。

思想やその行いに共鳴しているというわけではないのだが「そんな時代に右翼活動していた人って相当ガチだな」と凄さは感じる。

 

今の時代というのは右派は右派、左派は左派とまるで原理主義のように分断されている上に、お互いをただ非難し合うだけのスケールの小さい争いに終始している。そして非難して終わりでしかないので尚更つまらない時代だ。

逆に言えば政治活動にそれだけ本気で熱くなれた時代という空気というのは、今振り返れば貴重だったのかもしれない。

 

現代人が大人しくなっていくと言うのはあらゆることに共通しており、政治活動家も大人しくなっていくし、不良や走り屋でさえ軟化していき芸能人も昔ほどギラギラしていない。そしてゆとり世代に代表されるように若者自体が夢を持たず大人しくなってきている。

世の中そんな凄い方向に向かっていくことはもう無くて、コアなオタクやネット民も減ったし高級なものに憧れるよりもソシャゲをして満足で、革命家や政治活動家も何か凶悪な事件を起こすわけではない。

情熱に満ちた時代が20世紀ならば21世紀の現代は虚無感に満ちた時代と言える。

 

この再現ドラマでは「赤報隊はまだ潜んでいる、いつか活動を再開するかもしれない」という終わり方で締められていたが、はたして彼らは再び表舞台に登場することがあるのだろうか。

それともそのような激動の時代が訪れることはもうありえないのだろうか、20世紀的激動や衝動の終わりと共に赤報隊は役目を終え姿を消していったのかもしれない。

しかし時代が変わる時、再び同じような勢力が台頭してくる可能性は完全に否定しきることはできないはずだ。

〔予約〕記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実/樋田毅【1000円以上送料無料】