負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

悲報:吉野家コピペ、もうオワコンどころか完全に過去の遺物になる

最近のネットがつまらない最大の理由は、何にでもマジレスする人が増えノリが悪くなったからだと自分は考えているが、その象徴が吉野家コピペマジレス問題だろう。

事の発端はソフトバンクの吉野家セールについて、吉野家コピペを応用したツイートをしたところ、そこに真面目な指摘が入ったという事である。

 

そしてこのニュースのコメント欄ですらマジレスコメントの応酬になっており、「最近のネット民は吉野家コピペすら知らんのか厨」VS「昔のネタを知ってて当然だと考えるのは老害だ厨」の争いに発展している。

 

もうこの時点ですでにユーモアも余裕もなく、マウントの取り合いに終始する最近のつまらないネットを象徴しているなぁと残念でならないのだが、これが最近のネットの現実なのだろう。

 

自分自身はネット懐古厨なので当然この吉野家コピペは知っている、そのため知らないユーザー層が続出している事に寂しさを感じないと言えば嘘になる。

しかし最近はもうネットがそうやって変化していくことは仕方がないことだとも諦めている。

それに加えて、自分だってネットスラングについてはよく知っているが、自分の知らない世代のお笑い番組のギャグを上の世代に持ち出されて「最近の人たちはこれ分からないんだなぁ、世代違うなぁ」と言われたらイラッと来るだろう。

 

ネットがもうそれだけ歴史の長いものになったとも言えるわけであり、今後最先端ツールに思えたインターネットです世代間ギャップが生じていくことになるだろう。

更にこれは世代や年齢層の問題に限らず、それほど若いころにネットをしていなかった世代が今になってスマートフォンでネットをし始めたというケースも存在する。例えば自分の母親はその典型例で、年齢は当然自分より上だが自分の方がネット歴自体は長いという逆転現象が発生している。

 

このニュースでもアンケートが「吉野家コピペを知っているか」というアンケートが取られているが、知らないのは最近の学生に限らず昔はネットをしていなかった層も含まれるという事を考慮しなければならない。

news.nicovideo.jp

 

そのことを踏まえると、むしろこの吉野家ネタを知っているのは学校のパソコンでフラッシュ動画を見ていたゆとり世代に多く、逆にスマートフォン普及後にネットを始めたような自分の母親世代の人の方が知らない事の方が多いとも言える。

 

ネット空間自体がまだ未発達で規模自体は小さかったからこそ教養共通項としてこういうネットスラングは知られていたが、もはやそれが成立しない程に今のネットは巨大化し多様化したとも言える。

ネットにおける常識というのはもはや成立せず「半年ROMれ」の精神は完全に失われたのだ。

つまりもうネットにかつてのノリの良さや面白さを期待すること自体が無駄なのであり、諦めの境地に入っているような心理状態でネットをする人が懐古厨になっているのである。

 

この吉野家コピペマジレス問題において、最大の問題は「吉野家コピペを知らない事」ではない。

知らない人が存在するのは当然であり、もうネット民なら誰もが知っている事など期待してはいけない時代になっている。それほど多種多様な人々が歴史の長いネットをする時代になっているのだ。

 

真の問題は「元ネタを知らなくともなんとなく冗談で言っているという推測がつかない人が増えた」という事である。

吉野家コピペに限らず、元ネタを知らずとも明らかに何かの冗談で言っているだろうという推測ができる物は多い。

しかしジョークが通用しない類の人はそれすらわからず、直情的にマジレスをしてしまうのである。そしてそのセンスが無い人が実は結構存在しているという事であり、ある程度冗談を理解するには最低限の知能指数が必要なのだ。

そしてその知能指数に達しない人までも最近はネットを使っているほどにネットが普及したとも言える。

 

ツイッターにかぎらず、動画サイトやまとめサイトのコメント欄でも冗談がわかっていない人たち程、速攻で感情的に書き込む光景が散見される。

明らかにネタスレをまとめたときにもマジレスコメントが湧くというのは良く見かける事であり、元ネタを知らなくともネタだと推測がつくこと自体がもはや高度な事なのである。

コピペらしきものを見かけたときに調べるという習慣自体がもはや誰にでもあるわけではない。

 

今のネットというのはつまり「ノリが悪くてつまらない人たちほど行動が早い」という空間になっている。逆に面白い人たち程もうネットの面白さを見限ってROM専になっていることが多い。

昔のネット:面白い人たちが率先して書き込み、そこに面白いツッコミがあった。

今のネット:つまらない人たちほど行動が早く、そこに同じようなつまらない人が反応する。

 

昔のネットというのは社会から閉ざされた独自の空間だからこそ、面白い人たちが隠れてふざけることができたし、それに対して温かみのある突っ込みがあっただけでなく同じように更にふざける人が多かった。

今のネットはもう面白い人たちがネタやってもつまらないマジレスしか飛んでこないだろうなと見限っており、結局謎の正義感がある真面目な"正義マン"ばかりが行動する時代になってしまった。

何かの面白いことに対してそれ面白いねという反応よりも、自分が理解できない物は全てつまらないという反応の方が多い時代になり、くだらない小さな反論や上から目線の指摘ばかりが蔓延るような空間になったのが今のネットだ。

 

ダウンタウン以降のお笑いのネタを見ればわかるように、実は冗談やユーモアというものはある程度の頭の良さや素養が必要な物なのである。

そしてその知的水準に達しない人が実は多く、そういう層ほど無駄に行動が早いのだ。まさに吉野家コピペにマジレスしたツイッター民やニュースと喧嘩しているヤフコメ民がその具体例だろう。

更にたちが悪いのは、こういったつまらない人たちはそれがネタだと言われたときにムキになって意地でも釣られたことを認めないことにある。

「それ冗談だったんだ」と素直に認めず、そんなネタを使う方が悪い、知ってて当然だというのは老害だという"逆ギレ"を起こす。

人間の器というのは冗談だと言われたときの後の対応の仕方に違いが現れる。そもそも今の世の中自体が軽い冗談を許容できない息苦しい社会になっているので、もうそういう人の方が多数派だと思った方が良いのだろう。

 

いや実際には彼らはクレーマー気質のノイジーマイノリティ(うるさい少数派)であり、本当は冗談を理解している人の方が多い。

しかし今のネットは冗談をわかっている人や、その意見に同意している人は行動を起こさない、文字通りのサイレントマジョリティ(静かなる多数派)になっている。

今のネットがつまらない最大の元凶はこういったクレーマー正義マンがうるさい世の中になったからであり、もはやそれはインターネットという空間に限らず世の中全体の問題になっている。

 

テレビのやらせにマジになる人が増えたというのもこの文脈上の事であり、つまらない人ほど声が大きく行動が早い世の中になった。

実はこういう人たちは昔も当然いたのだが、それらは家族や友人と言った身内の会話で処理されていた。

しかし今は誰でもネットで意見を発信することができる時代になり、こういったつまらない人たちにも発言権が与えられてしまったのだ。

選挙権が誰にでも与えられると実は理想の民主主義は実現せず、単なる衆愚政治に陥り、結局は制限選挙や独裁政権の時代の方が安定し洗練されていたということが世界中で起きている。

まさに選挙権が誰にでも与えられたことでかえって民主主義が劣化したようなように、今のネットは誰にでも発言権が与えられるようになったことで、かつては家の中で独り言や身内の会話として処理されていたものが、簡単に世の中に出てくるようになっているのだ。

 

elkind.hatenablog.com

最後にもう一つ吉野家コピペが廃れた理由を挙げるとするならば、単にネットユーザーの中でもそれが流行遅れになったという事である。

使われない物は廃れていくというシンプルな理由であり、お笑い芸人のギャグでもたった数年で忘れ去られていく。

古いギャグが使われなくなるのと同じ構造であり、徐々にかつてのフラッシュ動画のようなノリは通用しなくなっていく。

 

個人的な意見としてはこういった昔ながらの文化が廃れていくことに寂寥感を感じるのも正直な本音だ。

語り継ぐ人や保存する人が減れば、それはいつしか風化し消えていく。

もうこうしてかつてのネット文化について語る人すら最近は激減しており、本当に世の中から昔の文化が失われつつある。文書に残っていない古代文明の詳細がわからないように、段々と初期のネットの雰囲気というものがこのままでは消えゆく運命にある。

懐古ネタを語ってもそれに「そんなことあったね」と同意してくれる人も減り、それどころかまずそのネタがわからないという人の方が実はもうネット全体では多数派になっている。

 

かつて当たり前に存在するかのように見えた物も案外儚く消える運命にあり、消えるときは一瞬であり脆く危うい。

まだ吉野家コピペは動画自体が残っているので見ることができるが、実は今探そうと思っても動画自体が存在しないフラッシュのほうが多い。

語る人がいなくなれば本当に消えてしまい過去の遺物になる、それを証明したのがまさに今回の吉野家コピペマジレス問題だと言えるだろう。