負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本の戦後左翼史意味不明すぎワロタwww

最近の自分は昔への憧憬というか望郷みたいなものがあり、激動の昭和に惹かれている。

戦前も戦後も含めて20世紀の日本が経験した歴史というのは語り継ぎ考察していかなければならないだろう。

 

最近の日本が面白くないというよりも、自分の人生が面白くないから過去に思いを馳せている部分があるのは事実だ。

自分の今も面白くない、何かアニメや漫画を見ても面白くない、そういう情熱を無くしたゆとり世代の一人として「昭和の歴史おもしれぇ、結局史実なんだよなぁ」という境地に辿り着いた。

 

とくに戦後の新左翼系列の過激派の歴史は非常に興味深いトピックとして熱中している。

大坂正明が渋谷で暴動起こしたとか、重信房子がイスラエルで銃を乱射したり、森恒夫と永田洋子が連合赤軍を結成してあさま山荘事件を起こしたとか、大道寺将司や今も逃亡中の桐島聡がドイツ赤軍並に爆破テロをしようとしたとか、その辺の歴史は興味深い。

以前から何となく自分はそういった「極左」に魅力を感じていた部分があり、最近改めてその時代の昂揚感や情熱に憧憬を抱いている。

ドキュメント番組や映画で知ったり、ソ連への興味の延長で少し興味があったりしていたため最近勉学中の身だ。

 

まず前提として自分は基本的に「極右ファシスト」「天皇制擁護」の立場であり、むしろ政治の原点はアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツにある。その後ヨシフ・スターリン率いるソビエト連邦に惹かれ、今でもドイツ軍とソ連軍の趣味を行き来している。更に最近では戦前日本軍の魅力にも取りつかれ、言ってみればただ単なる軍事オタクに近い。

軍事については極右である一方で、教育や社会制度に関しては極左的な見方もしている。

「あなたは右翼か左翼ですか?」と言われたら正直返答に困るし、左右で分けること自体がナンセンスだとも思っている。

ナチスは保守的な事ばかりしたわけでもなく、社会福祉を充実させ制度的に実験的なことも行っていたし、ソ連がやったことはむしろ帝国主義だ。そしてそのどちらも好きな自分がいる。

右派だからこうしなければならないとか、左派だからこう考えているに決まっているとか、そういう画一的な話はもう飽きた。

 

とにかくいろんな政治思想や歴史や軍事に興味を示していく中で、最近は戦後の新左翼系の戦後史は面白いと感じている。

まずシンプルに「あの頃の若者すげぇ」と感じる自分がいる。

重信房子や永田洋子みたいな女子って今時いないでしょっていう悲しさもあるし、逆に言えば自分のような「ゆとり男子」もしょぼいよなっていう自虐めいた感情もある。

 

逆に言えば生まれる時代が違っていれば重信房子や永田洋子ってそれなりに顔いいからアイドルとかギャルとかになってたのかなという思いもある。

むしろ「オタサーの姫」的なノリで、左翼運動の姫だった元祖かもしれない。

実際永田洋子はその時々の交際相手に思想の影響を受けていることが多く、今でいう彼氏の影響でスポーツ観戦やゲームに興味を持っている女の子に近い側面があった。

 

その一方で指原莉乃や渡辺麻友のような「ゆとり女子」的な女の子もあの時代に生まれていれば学生運動に加わり過激派になっていた可能性も否定できない。

性別問わずとにかく「今そんな奴らいないよなぁ」的な憧憬みたいなものを勝手に想像しているのかもしれない。決して彼らの行いを美化するわけではなく、むしろ自分は戦後の極左は結局負けたことを批判している立場だ。

 

そして何よりも専門用語や組織の関係があまりにも複雑すぎて全容を把握することができていない。

内ゲバや内部分裂、組織の再統合などが多すぎて核マル派、共産主義者同盟と革命的共産主義者同盟、全共闘、赤軍派、中核派、スターリニズム、トロツキズム、日本赤軍、ドイツ赤軍etc、などいろいろありすぎて混乱している。

近年のスペイン政治で勢力を拡大している中道左派政党ポデモスのパブロ・イグレシアスが「これまでの左派は専門用語に拘り過ぎていた」と批判していたがまさにそのような難しい言葉が多い。

 

どの時代も歴史というのは複雑で日本の戦国時代や中国の三国志、ローマ帝国やギリシャの古代史など極めようと思えば覚える単語や登場人物、出来事の多さという煩雑さに行き着く。

その意味でむしろ覚えることが多い歴史というのはそれだけ新しい知識に出会うことも多いという事でもある。

元々「赤軍派」の森恒夫と「革命左派」の永田洋子が連合赤軍を形成したというのも実は最近知ったことであり、更にそこから登場する他の人物も多数存在する。

 

ただとにかく「昔の人たち凄い」感はある。

最近の若者がやっていることはもはや歴史にも残らず、知ろうとも思わないものが多いが史実に記録されるような人たちは彼らの行いの是非はどうであれ興味を誘う。

 

共産主義過激派の歴史に限定せず、戦後の極右活動も興味深い。三島由紀夫の「楯の会」の話も興味を誘う。

当時の極右と極左は本当に理論武装し、論理的にお互いを非難し合っていたのではないかとも想像する。少なくも憲法や選挙制度が何かすらわかっていない最近のお祭り左翼や、ただネットで近隣諸国を批判して海外の反応に満足するだけの右翼とは違っていた。当時も実はそれほどレベルが高いわけではなかったのかもしれないが、少なくとも重信房子や永田洋子のようなガチな人はいた。

 

むしろ今より女性がおしとやかであることが求められていた時代に過激な人がいて、一般的には女性の声が増大したと考えられている現代にはそういう女性がいない。

個性が弾圧されていた時代ほど個性のある人材がいたが、個性が容認されると逆に全員均質化するという理論に似ているのかもしれない。

ネット初期の方が面白い人がいて今は平均化が進んだとか、チェーン店やモール店が普及する以前の方が面白い個人店や商店街が存在していたとか、そういう話と一緒で、今はいろんなジャンルで「平均への回帰」が起きている。

 

自分がこうして戦後黎明期の政治史を調べているのはもしかしたら、「普通の人が増えたよね」という事に対するささやかな抵抗なのかもしれない。

例えそれが想像や憧憬に支えられた幻想であったとしても、漠然と今や現代に対して情熱を感じられない人は歴史を調べてみると、かつて失ったものを取り戻せるのではないだろうか。