負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

今の時代やはり暴力革命は成立しえない

理想的共産主義社会の実現のために若者が革命を志していた「政治と闘争の季節」は1960年代までであり、70年代に入りカジュアルな文化や新しい庶民の生活スタイルが普及するようになると見限られるようになっていく。

 

サブカル文化を取り扱った番組を見て、70年代から現代の若者文化に近い潮流が始まったと知った。ものすごく簡単に言えば政治がそこまでかっこいいものじゃなくなったり、他にもっと楽しいことができたり、あまりにも暴力的で過激になり過ぎたことで若者から見放されていったというのが大きな流れだ。

他に楽しいことができたし、物凄く戦わなければならない理由も無くなった。

 

70年代ですら見限られて衰退していった暴力革命を今しようとしたら誰もついてこないだろう。

実際極左が多いイメージのある京都大学でもかつての中核派的な活動をしようとしていた学生が、一般学生に排斥されているようである。

結局日本の左翼というのはそういう活動の昂揚感にしか興味が無く何かに反対している興奮が好きな人が多いが、どう頑張っても少人数で細々とやり何も実現できない「左翼ごっこ」の領域を出ない結果にしかならない。

 

京大のような高学歴大学に進学すれば革命を志している凄い過激派がいるんだろうなという漠然とした幻想はは一般学生から白い目で見られて崩壊するのである。

matome.naver.jp

このまとめでも「反対することが多くて忙しそう」と皮肉られていたが、反安倍だの、反改憲だの反原発、反米だのやることが多すぎてしかも少数しか集まらないため結局過激な暴走に少人数だけが走るようになる。

しかしそんなものは連合赤軍が山荘において少人数が猟銃で訓練する程度にしかならず、フルオートのアサルトライフルで武装した組織には勝てないのである。

 

若者だけでなく多くの人が「そんなことをしてもしょうもない、第一自分の生活で忙しい」と思っており、興味もなければ情熱を抱く体力すらない程に疲弊しているのが現代日本社会だ。

 

更に60年代と70年代前半の極左過激派があれだけ元気だったのは、それだけ世の中が激動の時代だったという事でもある。

東西冷戦真っただ中で、いつソ連と戦争が始まってもおかしくない状況だった上にまだ沖縄も返還されていない時代だった。

沖縄に核兵器が配備されていたことに関するドキュメント番組を見たのだが、当時の冷戦の状況は今とは比較にならない程緊迫していた。

 

最近の若者がなぜ政治熱が無いのかといえば、状況が違うというのもあるのかもしれない。あれだけ面白い材料やニュースがあれば、それは政治熱が高まるに決まっている。

ベトナム戦争やキューバ危機が歴史の教科書に出てくる単語ではなかった時代の話なのだ。

逆に言えば今何か特別昂揚感を刺激するようなニュースがあるかと言えば、せいぜい北朝鮮がミサイルを発射するぐらいでそれすらもう日本人は感覚が麻痺して慣れ切っている。それを言えば更に日本人が血気盛んだった戦前はもっと大きな出来事のオンパレードだったため若者が情熱を持ちやすかった。

ソ連すら知らない今の世代がせいぜい北朝鮮が虚勢を張っているだけの小粒化した共産陣営に抵抗しようとも思わないし、そこに憧れを抱かないのも必然だろう。

 

言葉に語弊はあるかもしれないが、当時の極左は今思えば楽しかったのではないだろうか。未だに学生運動の情熱を持っている当時の世代が、今も中核派や核マル派を一応続けているらしいが当時の熱狂を忘れられない時代遅れの人々かそこに憧れる世代しかもはや存在していない。

かつて従来の既成左翼を批判した新左翼が今は旧左翼になっている、そんな皮肉もこの記事では綴られている。

www.news-postseven.com

そしてこの記事で旧世代の左翼を見限った新世代の左翼の代表格だったSEALDsですら結局は平和と叫んで心酔したいだけのお笑い集団でしかなかった。

 

全ては時代背景に行き着く問題で、今真剣に厚く語れる政治問題そのものが存在しないというのが大きい。

ソビエト連邦という総本山がありまだ社会主義への幻想があった時代とは全てが違う。ベトナム戦争でかわいそうなベトナムの人々が犠牲になっているという共感できるニュースも無い。

 

渋谷で暴動を起こしたり、大学を占拠したり企業のビルを爆破したり山荘に強奪した武器を持って立てこもるには相当なモチベーションと情熱、そして信念が必要だろう。

日本で革命が起きない理由はそういったモチベーションを掻き立てる物や反対するものが無いということが大きい。

大多数の日本人はなんだかんだで米軍が日本の防衛に役立っているという事をわかっているため、特に反対しようという気にもならないし、かと言って中国や北朝鮮もそれほど脅威には感じられないため憲法を改正しようという危機感も無い。

左右両方の方面で特別エネルギーを沸かせるような要因そのものが無い。

福島の原発の事があったとしても電力が必要だという現実路線が日本人の中で優先されるし、北朝鮮がミサイル実験を断行しても憲法まで変えようという気にはならない。自衛隊と安保、日米同盟で十分対処できるしそもそも攻撃してこないということを現実的に理解している。

 

イギリスがその場の雰囲気でなんとなく後先考えずEUを離脱したり、アメリカでトランプが就任したりする姿を見ると日本人って飛び抜けた方向にはいかないというか平均的に賢いのかもしれない。

 

つまり日本人自体が非常に現実的な思考をしている上に、日常に忙しくそして疲れている、そして特に強い衝動を引き起こすような出来事もないため何も起こらないというのが実情だ。

中核派の学生が演説しても今時一般学生からは白い目で見られるのと同じで、あらゆる政治活動、いやいろんな流行や現象が今は「盛り上がっているのは一部だけ」という目で見られるようになった。

昔はオリンピックに興味がないと言う人は現実ではなかなか共感してくれる人がいなかったが、今ではネットでオリンピックに興味が無い人でも集まれる。

ハロウィンが新しく文化現象になろうとしても、一部の馬鹿が騒いでいるだけということをネットで言いやすくなった。

「そんなことする体力よくあるなぁ、興味ないや」という意見が言いやすくなったし、実はそういう人たちがサイレントマジョリティだった。

 

一回立ち寄った喫茶店のマスターと少し政治の話をしたことがあるのだが学生運動全盛期ですら「左翼は頭がおかしい」と思っている人が大多数だったようである。

 

今の日本はそういった静かな少数派が力を持つ時代であり、多くの人が実は静かな少数派の一人であることを自覚している。

そしてそういうサイレントマジョリティの意見がむしろ今はむしろメジャーな意見になっている。

例えば「流行に興味がない」という人が増えたが、昔もおそらく何らかの流行に興味が無い人の方が多数派だったがそれを言いにくい空気があった。

今では逆転しており、流行に盛り上がる人の方が恥ずかしいという冷めた空気感が漂っているし、特にネットはそういう現象を叩く傾向にある。流行に興味が無い事や冷めていることが恥ずかしい事ではなくなった結果、特に大きなことも起きなくなったというのが今の時代だ。

 

既に日本は大きなムーブメントが発生しにくい土壌になっており、大多数がそれなりに満足できる妥協案が最も強いという民主主義の原則が支配的になっている。

 

日本というのは自ら変わる国ではなく外圧で変わる国でもある。

ペリー来航や欧米列強の脅威が迫らなければ今も江戸時代や徳川幕府が続いていた可能性も否定できないだろう。

実際徳川幕府は世界でも例を見ない程続いたある種の軍事政権の一つであり、天皇制の歴史も非常に長い。

余程変わらないといけない大きな理由、多くの場合は外圧がない限り日本で大きな変革は実現しえない。

変える理由がない時は変えないという当たり前の事であり、無難な日々や昨日と同じ日常を安全に迎えられることに幸せを見出してきた農耕民族でもある。

無計画でもなんでもとにかく行動して変えてやろうという強い衝動を持ちにくく、忍耐力のある民族であることは間違いない。

 

おそらく次の衆院選は政権交代には至らないが、かと言って改憲が可能な程与党が大勝するわけでもないというどちらとも言えない結果になるだろう。

現政権を打倒しなければならない強い理由もなければ、現政権を強化して憲法を変えるほどの脅威もやはりない。

当然ながら私設組織や地下組織が独自に武力革命を起こすこともないだろう。

また少し平和を叫んでいれば楽しくなったような気になる市民団体がちょっと出てきて話題にもならず選挙後消えていくだけでしかないはずだ。

革命

激動の時代を味わいたいとか、凄い変革を見たいという人はあまり期待しない方がいいだろう。

そういう雰囲気に熱狂する体力もないほど今の日本人は疲弊しており、まずそういう興味や衝動を持っている人が限られる。

貧しいなりに娯楽が充実していてそれなりに不満も紛らわせたり、ささやかな楽しみと最低限の安全は存在する。

「昔に比べてしょぼくなったがそれでも絶望的に悪いわけではないから仕方ない」と受け入れる、それが日本人の基本的な考え方になっている。

皆それぞれ不満はあるがそこまでして変えようと思わないぐらいには我慢できる忍耐力があるのが日本人でもある。ただしその堪忍袋の緒が切れたときには思ってもみなかったぐらいの行動を起こすが、それでも実は江戸城の無血開城を実現したり本土決戦を回避したりどこかで優しく大人しい部分はある。

 

今の日本は特に何かを起こさなければならない時期でもない平和な期間だともいえる。

江戸幕府がものすごく長く続いたのと一緒で、戦後日本という体制はせいぜい70年程度の物で体制という物は続く時は大きな変化も無く続く物なのである。

 

大きな変革や革命が起こるとするならばやはり何らかの外圧がなければならないだろう。基本的に和を尊び妥協案を探すか、大人しく忍耐する日本人が我慢できない程の何かが起きればそれは起きるかもしれない。

 

そういうエキサイティングな何かが見たければ海外に行くという手段もある。

チェ・ゲバラがキューバ革命を実現した後にボリビアにまた革命をしに行ったのはもしかしたらその昂揚感が目的だったのではないかと自分は思っている。

フィデル・カストロが現実的な政治を行い、ゲバラが理想とする更なる革命を実現しなかった姿を見て彼はボリビアに次なる戦場を求めた。その結果彼はこの世を去ることになるのだが、ゲバラ的なロマンチストは理想と闘争を求めずにはいられないのかもしれない。

 

実際日本人でも日本赤軍はパレスチナに軍事訓練に行ったり、よど号で北朝鮮に向かおうとした。彼らは海外で軍事訓練を受けて日本での革命のための準備をしようとしていたようだが、革命や理想のために頑張っているという充実感を欲するならばそれは海外にあるだろう。

ある意味今の日本で革命が起きなくてつまらないと思っていたりそれが不可能だと諦めている人たちの先駆けが彼らだったのかもしれない。

 

国内で余程大きな歪が生じるか、何らかの大きな外圧が起こる以外、今特に大きな変革を望む必要性は左右両方の面で存在しない。

「70年間戦争をしなくて済んだ」というのは平和主義者の常套句だが、日本の戦後の八方美人外交というのはある意味日本が国際社会で生き残るための最適解だったと数百年後歴史評論家に語られる時が来るのではないだろうか。

 

天下太平の世では革命など起こす必要が無い、江戸幕府発足後70年の頃に生きていた人たちはまさかアメリカの歴史並に長く続くとは思ってもいなかっただろう。

案外戦後日本の体制はこれから大きな変革も無く江戸幕府のように200年以上続く体制なのかもしれない。