負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

我慢し続けるのも人生なのかもしれない

自分の人生に残された唯一の勝利方法は地味に我慢し耐え続け、一回のワンチャンスを決める生き方である。とにかく耐え忍んで自分のターンが来ることを地味に待ち続ける、そしてワンチャンスがやってきたときにしっかりと決める。

これはサッカーにおける守備を固めてカウンター戦術を決めることに近い。とにかく相手にボールを持たれてもいいと最初から割り切り、90分間の中で訪れる数回のチャンスを1つ決めて1-0で勝つという戦法だ。

まさに弱者の戦術であり、有名ビッグクラブのように華やかにパスサッカーや攻撃てサッカーをして勝利するという戦法ではない。自分にはそのような才能もなく、弱者の勝ち方を志さなければならない。

地味に耐え続けて、我慢しながら楽しくないことを続ける。楽しくないことをやるということを割り切って弱者の勝ち方に徹しチャンスを待つ。

チャンスはそれほど多くやってこない、華麗なポゼッションサッカーのように常に攻撃し続けてチャンスが多く回ってくるような才能のある生き方はできない。地味に地味に楽しくないことを続けて自分のターンがやってくるのを待つ。

 

もともと華やかな生き方や派手な攻撃的サッカーのような人生を志向していたが、自分にはそう言った生き方ができないという現実に気付かされる。才能も魅力もない自分はただひたすらに地味にした仕事を頑張る労働者タイプを極めて勝たなければならない。

弱者や無能はただ黙々と文句を言わず挑戦し続けなければならない。

何もかも失敗するがそれでも最後まで諦めない。

才能があるならばときに簡単に結果を手に入れるが、自分のような弱者や持たざる者に残されているのは失敗覚悟でとにかく成功するまで食らいつくことである。

 

夢見ていたことや華やかな事に見切りをつけ、地味にひたすら弱者の戦術に徹する。時々なぜ自分はこんなことをしているのだろうかと虚しくなる時があっても決してあきらめない。どれだけ割り切ってリアリストに徹することができるかが全て。華麗なパスサッカーへの幻想は捨てて現実的な戦法で勝利を模索する。

弱者が勝ち組を目指そうと思ったらそう簡単に順調なルートは歩めない。ひたすら地味なことをやり続けワンチャンスがやってくることを待つ。そのために地味に挑み続けることに徹して何度も失敗することを受け入れる。100回やったら99回は上手くいかないような努力でもその1回勝てれば儲けものということをどれだけやりきれるかが大事になる。

大半は我慢の時間であり、自分のターンではない。

しかし弱者はそこを割り切り、一発のカウンターチャンス、逆転のチャンスを待ち、そこを決めきる。大半は耐えて我慢するだけの地味な時間であることを割り切りそれを受け入れる。見返りの無い努力であっても腐らずにやり続けることが弱者の人生論なのである。弱者が底辺生活、負け組生活を脱するためには地味な報われない作業も受け入れていかなければならない。

年金とかいう完全に破綻している制度www

今未納率が凄まじいことになっているのが年金制度であり、もはや欠陥制度であるということが白昼に晒されている。若者の貧困問題が加速し、もう日々の生活で精いっぱいでほとんど貯金がなくカツカツの中で月に1万ちょっとの出費ですらしたくないし、そもそもできないというのが今のリアルな若者の現実である。

多くの若者が底辺で生活をしており、カツカツの経済状況で生きている。

その中でもらえるかどうかのものにお金を払いたくないし、払っていられない。後から払うからと先延ばしにしている人も多い。

 

この問題個人的には絶対に払いたくないという人はそこまで多くないように思う。

払う余裕があるならばそこは払うという人はいるだろう。しかし現実的に払いたくても払えない、その日ぐらしで生きていて惨めな日々を生きてる中で老後のことなどかまっていられない現実がある。いずれ支払開始は先延ばしにされて75歳ぐらいになってからようやくもらえる数万よりも今月の1万数千円の方が大事というのがリアルな考え方だ。

むしろ払っている人が少数派になっている時代に「払わない奴は負け組で底辺、まともな職に就いていない」と馬鹿にしたところで、素直に払う気にはなれないのが自然な考え方だ。払わない人、いや払えない人を一方的に上から批判し馬鹿にするのが既得権益層であり、欠陥制度を擁護する悪しき勢力である。

 

払うのが厳ししいという若者から搾取して、更にもらえませんとなればもはや絶望である。

年金は投資じゃない、これが役人の言葉であり「社会を支える制度だからもらえる貰えないにかかわらず払え」というのが彼らの本音だ。

また年金を説明するマンガでも「お年寄り世代は社会保障が充実していなくて大変だったから、上の世代がもらえて下の世代がもらえないことは不公平ではない」という説明がされており、これが厚労省の本音なのである。

上の世代はもらえること前提で若いころの貴重な金を払ってきたが、今はもはやもらえるという保証もない。「年金は投資じゃない」という説明にも納得は行かないだろう。

若いころの2万は年取ってからの10万並の価値があり、今の生活を大事にする、裕福になってから収めると漠然と考えている若者も多い。

 

かつてベトナム戦争の時徴兵カードをアメリカの若者は破って徴兵制度撤廃に追い込んだ、もはや今日本の若者やゆとり世代が年金手帳を破り捨てる時期に来たのではないか。

 

ゆとり世代の意地を見せて権利主張し要求するしかなく、いつまでも搾取され続ける都合のいい存在になってはいけない。しかしそれができないからゆとり世代でもあるのが皮肉だ。

社会では上から搾取されネットでは「これだからゆとりがは」と叩かれる。ネットでも社会でも政治でもいじめられるのが悲しいゆとり世代である。そして自分たちは戦わず主張しない、若者の奴隷化を許さないという意気込みが欠けている。

権利のために戦い言いなりになるないという反骨心はゆとり世代にはない、ただ黙って利用されるだけである。シールズみたいな馬鹿みたいな革命ごっこじゃなくて本当に成功させるようなやり方をしなければならないが、ゆとり世代で戦っているのはお祭り騒ぎをしたいだけの勢力でありこれでは勝てない。

ゆとり世代は全然上には刃向わないし、刃向ったとしても革命ごっこ酔ってるだけなのが現実だ。

これだからゆとりはと言われても仕方ない。

しかし現在「払わない」という無言の抵抗は行っている。

この問題がより深刻になったときこの制度は抜本的に改革されるかもしれない。

払わない側が勝つか、払わせようとする側が勝つか究極のデッドレースが今行われている。

最近の若者はなぜ戦争アニメを見なくなったのか

よくガンダム好きの知人と議論を交わすことがあるのだが、とにかくもう今の若者は「戦い」にそこまで興味がなくなっているという答えに行き着く。アニメを見るときにそこまで難しいことを考えたくもないし、そんな辛い事を見せられても癒されないという考え方になってきている。

 

実生活で疲れてる中で難しいアニメを見せられても更に疲れるし、今のアニメはとにかく簡単にてっとり早く異性のキャラクターが楽しそうにしてるのを見たいだけ。

男はけものフレンズみて、女はおそまつさん見る時代。ゆるい異性のキャラクターがワイワイして、その声優の音声を楽しみたいだけになっている。

 

今時ガンダムのようなロボットや戦争を題材にしたアニメを見て考察するような濃いオタクはもういなくなって、オタク界やアニメ界ですら一般リア充的な薄っぺらい世界になってきたというのが現代の流れでもある。

薄っぺらいというよりも、カジュアルにてっとり早く最優先のものを即自的に楽しむ時代でアニメのファストフード化ともいう現象が起きている。

数は倍増したが質は半減したというのが今のアニメ界で、逆にメジャーコンテンツのほうが濃い世界になってきてもいる。昔はそういうマイナーな世界の方が好きだったけど、今逆に超有名な芸能グループのほうが好きになって結局メジャーな物って面白いんだなとも思うようになっている。

 

若者が戦争アニメや戦いを題材としたアニメにそこまで興味がなくなったのは結局のところ見るのも疲れるし、それを見たところでSNSでコミュニティを形成できないというのがある。

語るのが難しい物はなかなかコミュニティが成立しにくい。結局誰もが簡単に意識低く語れてうわべの定型文で擬似的なコミュニティの一員感を味わうのが今の目的になってる。もうオタクすら何かを人とやらないと駄目なコミュニケーション重視の時代になってきていて、難しい戦争アニメはそれがやりにくい。

なんJで定型文で会話するのが流行ってるのもコミュ障にとっててっとり早く会話した気分になれるからであって難しい会話スキルが必要な物って今は求められていない。

議論や考察ということはもう難しくて面倒なものでしかなくて、てっとり早く「癒し」「コミュニケーション」を得られる底の浅い物が今は人気になっているしそこに人が集まる。

アニメを考察してみるような層は減り、単にコミュニケーションツールの場と化している。アニメの内容自体よりも、その視聴によって生じる人間関係が目的となっているともいえる。

 

日常アニメやハーレムアニメ、異世界無双アニメが乱造されてアニメを見ることで苦労したくないんだろうなという時代になり、耐えながら考えながらアニメを見たくないのが主流意見になってきている。アニメの世界まで戦って喧嘩しないでほしい、それじゃ癒されないという時代。

いわば戦いを題材にしたアニメは肉料理であって皆肉食じゃなくなってきている。

日常アニメやハーレムアニメは甘いお菓子で、戦争のないアニメは菜食主義者向けの野菜食で肉は胃もたれするからお菓子と野菜だけ頂戴という時代。

人間の本質を描いた物はもはや必要とされておらず、アニメの中にしか存在しない幻想だけを凝縮したようなものが求められている。

今のアニメファンはわざわざ疲れたくなく、癒しや仲間意識を最優先としている。

 

戦争とかロボットとか兵器とか、銃とか軍事が苦手な菜食主義者が増え、ミリタリーが好きなようで実は艦これみたいにそこに付随している萌えキャラが好きなだけだったりする。

重厚な肉料理、つまり戦争を題材にした料理は敷居の高い物でもう限られた人にしか需要がない。肉興味ありません、スイーツ好きです、とか健康志向で野菜食べてますみたいな人がアニメオタクやゲーマーでも増えたのだろう。

ただこういったアニメオタクの戦争離れが進んだ反動として十年後ぐらいに逆に戦争アニメや戦い題材にしたアニメが面白いという再評価の流れが来る可能性もある。今極端に日常アニメや声優重視アニメが量産されてる中でいずれ飽きられる日が来る。その時にどのような時代やトレンドがやってくるかは楽しみである。

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悲報:キッズ世代、完全にロボットを見捨てる

子供のロボット離れはもう深刻な領域に達していて、もう子供が大きな兵器や機械に憧れる時代でもないんだなぁということは感じる。

世の中ももう宇宙開発や技術立国という時代ではないし、大人も子供もロボットとか開発とかメカとか戦いとかそういうことに冷めてきてるとは思う。

大人は社会人としての疲れを癒すために日常アニメ見て、中高生はてっとり早く自分が強くなった気分に浸るために異世界無双ラノベ原作アニメを見て、そして子供の憧れはモンスターとか生身で戦う感じの物が多くロボットは本当に閉じコンになってきている。そして数少ないメカが好きな人は史実の戦車や戦闘機、軍艦、銃にはまっていて架空のロボットには興味がない。

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子供「ロボットは時代遅れ」

悲しいなぁ。

ほんと好きな人だけ好きな状態でありもうかつてほどの人気は無いに等しい。漠然と巨大なものを開発することに情熱を抱いていた時代でもないしいろいろと時代遅れだなとも感じる。

特にキッズがロボットかっけええって時代じゃなくなったのは悲しいし、もうガンダムとかも流行ることないのかなと思うとガンダムファンとしては寂しくもある。ロボット興行を担う若者が育つ土壌はもうないのかもしれない。

スポーツ好きな子供が野球選手や力士からサッカー選手に憧れるようになった流れと似ていて、今アニメやゲーム好きな子供はロボットよりもモンスターとかカードに憧れるようになっている。ガンプラブームやマジンガーZとかに憧れたような子は今の時代レアなんだろうなぁと思う。

ゆとりですらガンダムSEEDが流行ってた時はみんなロボットやメカが好きだっけど、もうそのレベルですらないんだろうなぁ今のキッズ世代は。ロボット離れを変えるために何か画期的な物が欲しいけど実際の所もう潜在的な需要そのものが枯渇してきている。

 

実際自分もロボット絵を描いていた時期があったけどマイナージャンルだというのはひしひしと感じるしやりがいを感じないというのも正直な部分。

効率を重視するならば他の絵を描いたほうがいい。

描きたいけど時代のニーズと違うし、世の中に浪漫がない中で自分だけロボットへの浪漫持ってても頭打ち感はある。

自分が描きたいだけではモチベーションが続かない。マイナージャンルな上に、数少ない見てる人たちはハイレベルなものを求めるのがロボット絵というジャンルだなと思うし斜陽コンテンツと言われても仕方がない。

 

個人的には盛り上げていきたいと思うけど閉塞感があることは否めない。

そしてこれは個人の創作に限らず市場全体としても言えると思う。

企業側もロボットでは売り上げが見込めないし盛り上がらないというのを認識している。

利益重視ならばモンスター物やカード物、キャラクター物やる方が大事でもう大人も子供もロボットや戦争に興味がない。

キャラクターとか見ても皆人間キャラクターかモンスターキャラクターの方が好きで、機械は機械としか思われてないのかもしれない。そこを作る浪漫みたいなものはどんどんなくなってきている。

 

個人的にはそういう物に興味がある人が開発に進んでほしいとは思うけどそれは理想よね、とは思う。

自分だってだってロボット物を描きたいけど、需要がないし技術的にかなり難しいし手間もかかるのがロボットのイラストでもある。ピクシブのロボット絵ジャンルを見ても数少ない人が書いて数少ない人が見てる状態で個人的には頭打ち感を感じた。

作るのも難しい受けるのも難しい、全てにおいて難しい。こういうジャンルには新規が参入しづらい。現実の世界でも玩具にしろ実物にしろ開発費用が掛かりすぎて低コストでどこでもできるわけではない。わざわざそんなものを作る必要もないという時代の風潮でもある。

自分自身が諦めた一人だしもっと別のジャンルを極めたほうが幸せなんじゃないかと思ってる。高齢化コンテンツの筆頭がロボットだともいえる。

 

企業側からすると興味あるのが男性だけというのも問題で購買意欲の高い女性客がジャンルを支える。今はグッズをガンガン購入してくれる女性客を狙って企業も力を入れている。男女ともに高い人気があるポケモンはそう考えると有能コンテンツでやっぱモンスターは強いなとも思う。

とはいえ少し昔はガンダムSEEDや00がむしろ女性ファンからも人気で、子供ファンからも人気だった。1stやWも女性人気は凄かったし、少し前はコードギアスマクロスFなども女性人気が高かった。結局盛り上がりに必要なのは女性、子供人気の2つで男だけで盛り上がることには限度があるのも事実。この部分を活性化させる以外にもう打開策は無いのかもしれない。

ヒカキンとかいう天才ユーチューバーwww

最近他のユーチューバーが酷過ぎて逆にヒカキン再評価の流れが来ていることが面白い。自分自身あまりユーチューバーに好意的ではないが、ヒカキンはまぁ時々見てても面白い。笑いの沸点が下がって超意識低く見るときはあのチープさがたまらない。

あといろいろと安心して見れるし、結構視聴者のこと考えて作ってるなという感じはする。自分本位でやってるわけじゃなくて人喜ばせようとしてる姿勢は感じる。

エアロ・スミスと共演したあたりはまだ懐疑的な人は多かったけど最近本当に評価され始めてるし見てる時は大人も子供に戻れる。

 

確かに小学生とかが憧れるのはわかるし自分の笑いのレベルが小学生レベルでもあるからパンチングマシーンを一人で殴ってる動画は結構爆笑した。あの変顔やサムネはヤバイし面白い。子供もを喜ばせることに特化した姿勢はむしろ大人が見ても好感が持てるし、最近謎の善人キャラ扱いされるほど再評価されている。

他のユーチューバーがあまりにも外道なため、越えちゃいけないラインを理解しているヒカキンは安心して見れる。

 

ただあれをヒカキン以外の一般の人が同じことをやっても絶対つまらない。つまらないことを面白く見せられるのがヒカキンであって今更同じやり方でやっても面白くないし。それにもかかわらずヒカキン真似たような二番煎じのユーチューバー志望の子がいるからそこは功罪の両面がある。

そしてそのつまらないことを面白く見せられるというのがまさにヒカキンの才能であり天才である所以でもある。

冷静に見ればつまらない物も雰囲気で面白く見せられるというのは才能だし、実際ユーチューバー収益ビジネスの黎明期から活躍しユーチューバーというジャンルを日本で確立させた先駆者でもある。海外ではそれまでyoutuberという単語があったけど、日本で「ユーチューバー」として通じるようにしたのは間違いなくヒカキンの成果の一つ。

 

仮にヒカキンがいなかったらユーチューバーはもっと別のあくどいイメージになっていたかもしれないし、逆に言えばヒカキンのせいで子供がユーチューバーに憧れるようになってしまったともいえる。

youtubeに低年齢層が流入したという意味ではそれまでユーチューブという動画サイトを使っていた層にとって余計なことしやがってという側面もある。当初ヒカキンが叩かれてたのはそれが理由でもあるし、自分もその一人だった。

 

ただこれも時代の流れで便利なサイトが多くのユーザーに使われるようになって子供まで利用するのは仕方がないし避けられない事でもある。

そこに文句を言っていても仕方ないし、逆に最近では皆ヒカキンを認め始めている。

頑なにユーチューバー批判したところでこの流れはあまり変わらないように思うし、諦めにも似た感情もある。逆にヒカキンがなぜ上手く行ったかを研究したほうが有益であると思うしわりと深いことを言っている。

「昔の自分がいいという人もいるけど、全員の要求にこたえることはできない。ただ昔みたいなことをやりたいと思う時もある。どうやって今に適応するかは自分の中でも難しいよね」

この前も24時間ほとんど寝る時間がなく動画制作活動を続けていたけども、視聴者の事や求められてることを考えてやっているところは結構頭いいなとも思った。

あと小学一年生の付録についていたドラえもんのピアノのおまけみたいなのを結構上手く弾いていたのを見てさすがボイパ出身者だなとも思ったしそういうスキルがあるから成功したともいえる。

 

誰でもできるようなことをやってるように見えて実はもともとはボイパで成り上がった能力の持ち主でもある。本当に何の特技もない一般人が「自分もヒカキンになる」といって簡単になることはできない。

・もともとボイパという特技があった

・視聴者の事を考えて柔軟にキャラを変えられる

・面白くないことを面白く見せられる才能がある

・ライバルが少ない初期からやっていた

この4つがヒカキンが成功した理由であるように思う。

そう考えると結局どの才能も誰にでも備わっている者ではないし、やっぱりこの競争激化時代にヒカキンやユーチューバーを目指すことは難しいように思う。

 

あなたに視聴者のこと考えて毎日動画作る労力やスキルがありますか?

人にはない特技がありますか?

面白いことをする才能や面白く見せる才能が有りますか?

そして今からやってももう遅いですよというのが今の動画収益の現実に他ならない

再生数1万以下の動画が収益化できなくなったしもう新規参入者が何とかなる時代ではなくなった。

素人がやっていた時代から企業や組織、事務所に属するプロがやる時代になったし実際ヒカキンの事務所は完全なるプロ集団と言ってもいい。

既に固定客に人気が集まっていて今更素人が何も持たずに参入しても、組織や能力のあるライバル、そして既得権益層に歯が立たず再生数1万も稼げず泣く泣く去っていく結果にしかならない。

 

一つ一つの再生数は少なくてもそれを量産して合計で稼ぐということができなくなって質が求められる時代になったし、芸能人もガンガン参戦して組織化している時代。この時代に無名の素人の個人が参戦するのは難しい。

それだったらブログやサイトでアフィリエイトやったほうがよっぽどマシというか現実的な手段ともいえる。

ユーチューブの場合クリック報酬の代わりに単価が非常に小さく苦労して1万再生数得ても実際は500円前後というのが相場になってきている。そして一つの動画で1万再生数って実は相当難しく、ある程度有名人でも厳しいレベル。

それに比べて直接商品の広告を貼ることができるアフィリエイトは商品一つ売れるだけで数千円入る案件もあったりして究極言えばアクセス数少なくても一人買ってくれる人がいれば数万再生の動画よりよほど稼げるのが実情。

有名どころで言えばA8.netアフィリエイトBは必須と言われてるぐらい大手でアフィリエイターは皆使ってる。

ブログとサイト作って、A8やアフィBに記載されてる広告を自分のブログに貼るだけで下準備が完了する上に利益単価が広告によってはかなり高い。

小規模なブログでも利益が出るときは出るし、そこは弱小ではほとんど何にもならないユーチューバーとの最大の違い。

 

ヒカキンが成功した理由でいうところの初期にやって固定客のいる人が有利な動画に比べればブログはまだ逆転の方法があるし、努力次第では何とかなる。あとは動画の撮影に比べて文章だけで書けるブログは手間も必要なく、リスクも低いというのも見どころ。

結局動画はいろいろ機材が必要だったり撮影する物や人が必要で結局のところ「持つ者」「既得権益層」のビジネスになっている。一方ブログはもはや撮影機材もなく文字を打つぐらいの事しかできなくてもチャンスがあるという意味では「持たざる者」「新規参入者」でもなんとかなる世界でもある。今ヒカキンになろうとするならむしろブログや文章、テキストメディアで勝負したほうがいいんじゃないかなと自分は思う。

ロシアとアメリカはやはり対立する運命にあるのか?

今回のシリア問題を巡ってロシアとアメリカが対立している構図はかつての代理戦争を彷彿とさせる。

ドナルド・トランプが大統領に就任したときはトランプVSプーチンのドリームマッチが始まると期待したが最初の内はむしろ友好ムードでお互いシンパシーを感じていたような雰囲気があった。

また北朝鮮問題ではロシアに根回しして問題の解決を図ろうとしているように見える。

 

しかしシリア問題に関してはお互いに譲れないのか対立構図は続いておりNATOのミサイル配備地域の拡大などについてロシアが脅威に感じていることは明白である。ロシア人は領土や安全保障に人一倍関心が強く今後トランプが「偉大なアメリカ」を掲げて再びアメリカの勢力図を拡大しようとするならばやはり米ロは対立する運命を避けられないかもしれない。

第二次冷戦が起こるとすればプーチンとトランプがそろい踏みしている今だろう。

強力な指導者VS強力な指導者というのはいつの時代も面白い。客観的に見るならばこの勝負どちらに軍配が上がるかは見どころであり再び冷戦時代のような軍拡競争や宇宙開発競争が見れるのならば楽しみな部分もある。こういった開発競争は科学技術の発展に大きく貢献する為今の閉塞した状況にブレイクスルーをもたらすかもしれない。

何もかも民間で低コストでやる時代になってきているが、やはり政府主導で大きく開発競争を行う時代のほうが迫力があった。

 

プーチンソ連への回帰ではない」「ソ連に憧れない者は情熱がないが、ソ連に戻ろうとする者は知性がない」というようなことを言っているが個人的にはソ連的なロシアも見てみたいというのが本音だ。

プーチンは歴代ロシアの指導者の中でもレーニン、スターリンゴルバチョフに並ぶぐらいの存在でありロシアに大きな変化をもたらす存在になるかもしれない。実際にロシア国歌をソ連国歌のメロディで復活させたのはウラジーミル・プーチンでありクリミア併合以来支持率は急速に高まっている。強い指導者が再びロシアに現れたことは事実でありもはや彼が独裁者であることは公然の秘密である。

 

それに対抗するようにアメリカにドナルド・トランプという強烈なキャラクターを持つ大統領が現れた。わかりやすい言葉で人々を煽るトランプはわかりやすい敵を見つける。シリア問題によって対立する両国が今後バチバチしたムードへと発展する可能性は否定できない。既にプーチンオバマ政権時代からアメリカの政策を批判し続けており、トランプもいつ対露批判で暴走するか予想がつかない。

ある時急にこの対立が鮮明になるときが来るのではないか、そしてその時が第二次冷戦の幕開けかもしれない。

アメリカにとってソ連って必要だったんじゃないか説

今になってアメリカもソ連がいたころを懐かしんでいるんじゃないだろうか。

自由主義を布教する聖戦はなかなか着地点を見つけられない、打倒しても打倒しても次なる敵が現れる。ファシズムの次は社会主義国家、そして今は独裁国家テロリズムとの戦いの日々に明け暮れている。

 

ソビエト社会主義共和国連邦というラスボスを倒した後に平和と民主主義の時代が訪れるかと思いきや次はさらに厄介なイスラム過激派との戦いの時代がやってきた。

アメリカはソ連の脅威を取り除いたが現在泥沼のイスラム過激派との戦いが続いている。また急激に台頭する中国脅威論もある。世界唯一の超大国になると思いきやむしろアメリカの力は衰えより複雑な問題を抱える時代がやってきた。

 

解決の糸口が見つからない中でトランプを大統領に選ぶほど迷走しているのが今のアメリカだ。やはり彼らには米ソ冷戦時代への憧れや懐古感情が存在するのかもしれない。 

ほどほどに米ソでプロレスやってた方が世界は安定していた。

確かに代理戦争は起きてたかがアメリカ本土やヨーロッパが危険な目に会う事は少ない。

その一方で今やテロは無差別に市民を攻撃する。

ソ連にアメリカ本土を攻撃されることよりも、過激派がアメリカ本土でテロを起こす可能性の方が高くアメリカ市民も恐れている、その脅威を取り除くために難民に対して厳しい政策を取るドナルド・トランプが選ばれた。

移民問題も米ソ冷戦の時はそれほど深刻ではなかった。今やアメリカ、欧州、ロシアそれぞれが移民やテロの脅威を抱えている。

 

また何よりソ連があったほうがワクワクできたという思いもあるかもしれない。資本主義と社会主義というわかりやすい対立構図があったことで堂々とソ連を敵視できたしスパイ合戦などで盛り上がることができた。

多きな敵がいてこそ創作も盛り上がる。

今中国を具体的に敵視するわけにもいかず更に批判しにくい移民や難民という問題もあり、かつてのような派手でわかりやすい対立構図ではない。

レッドアラートのようなゲームが作られていた時代ほうがもしかしたら彼らにとって面白かっただろうし、その冷戦構造は軍拡、軍事開発などの点からも急激な進歩をもたらした。良くも悪くも戦後は米ソ冷戦の構図が文化、創作、軍事、技術など様々なジャンルに影響を与えた。ソ連脅威論の緊張感の中で様々に競い合っていた時代はある意味で華があったのかもしれない。宇宙開発競争のようなスケールの大きい競争も行われていた。

 

現在ロシアは急速に落ちぶれている、もはや一人あたりのGDPでは世界70位ほどに落ち込んでおりかつてほど張り合いがなくなっていることをもしかしたら悲しんでいるアメリカ人もいるのではないだろうか。

あの日に戻れるのならとソビエト連邦と切磋琢磨していた時代を懐古する意見も実際に存在する。もしかしたらアメリカにとってもっとも必要だったのはソ連というよきライバルだったのかもしれない。