負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

葬式や法事の雰囲気が好きな奴いる?

唐突に昔が懐かしくなる現象が最近続いているのだが、今度はお葬式や法事の雰囲気が懐かしくなってきた。

不謹慎なのかもしれないが、子供の頃に親に連れられて行った葬式や法事って謎のワクワク感があったよなぁと思うのだ。

 

実は自分は成人してから一度もそういった法事に行ったことが無いので、もうかなり昔のことになる。

家族構成や住んでいる場所などにも関わってくる問題でもあるので世間的に実際どのくらいの頻度なのかわからないが、とにかく自分が法事に参加したのは10年以上前のことになる。

子供の頃に親に連れられていく法事と、大人になってから参加するマナーが問われる場とは異なるだろう。スーツを着たり、料理代を出したり、大人としてのマナーがあったり長時間正座でお坊さんの念仏を聞いたりしなければならない。

 

一方子供のころはそれは大人がやることだからどこかで暇をつぶしてきなさいと言われ、同じく来ている他の親戚の子供と遊んだり兄弟と過ごしたりしていて、きっとその光景が懐かしいのだろう。

土日に家族とどこかに外出するというプレミア感のようなものがあったのかもしれない。親戚でなくとも親の友人の葬式なども参加したことが子供の頃にはあり、とにかく知らない人の所に行けることが楽しかった。

料理も美味しかったり、独特のお寺の雰囲気、そして知らない場所に行けるワクワク感、そして子供は面倒なことを免除されていたりまだその意味がわからなくただのイベントのように感じる。

そういうセピア色の世界にある遠い過去だから楽しかったと美化されているのかもしれない。

 

そして成人してから大人としていくとその煩わしさに気付くことになるだろう。

自分が近いうちに行くとするならば母方の祖父がそろそろかなという時期で、数年以内に参加しなければならなくなるだろう。

ただ現状だとあまりにも遠すぎて交通費が払えないため物理的に参加できない。スーツもどこやったかなというレベルで社会不適合者そのものの自分がいる。

 

自分を一番大切に可愛がってくれた祖父の葬式に交通費払えないし法事用のスーツないから行けない自分が情けないが、別に行かなくてもいいと思ってる自分もいるのも事実だ。

まともな大人になれなかったというだけの話で、ここまで来たら大事な祖父の葬式にすら参加しない薄情者になってみてもいいかもしれない。

新幹線代や飛行機代というのは地味に高い物で、場合によっては宿泊費も含まれるイベントに参加する人は凄いなと素直に思う。

 

地元の高校から同窓会の誘いが来たのだが、近くにもかかわらず参加しない自分がいる一方でおそらく県外からわざわざ参加しに来る人もいるだろう。

しかもその高校は県外から進学してきた人もいるので地元に泊まれるところがあるのかは心配になる。仲良かった人の所に泊まるというケースもあるかもしれないが、とにかく「みんなちゃんと社会人やってんだなぁ」と尊敬せずにはいられない。

 

そもそも言う程再会が目的で同窓会に参加する必要あるかと言われれば、本当に仲がいい人は今も連絡を取り合っていて独自に会っているだろうし、わざわざ近況の姿を見たいとも思わない自分はやっぱり社会不適合者なのだろう。

 

葬式や法事も本当に会いたい親戚なんかは、既に年末帰ったり行ったりとかで会う機会があり、再会目的で行ったとしてもあまり大したことにはならない。

 

それで言えば結婚式も本当に参加したのは4歳ぐらいの頃であまりにも遠い昔のこと過ぎる。

最近身内に結婚した人はいるのだが、最近ありがちな結婚式開く余裕がないパターンで結婚式への参加は無かった。自分が開くこともないだろうし、結婚するような友達もまずいない。

そう考えると結婚式もレアなイベントで、これも大人になると参加費やご祝儀なんかも必要になる。大々的な結婚式を開催で来たり、わざわざ他人の幸せのためにお金を出せる余裕がある人って中々いないんじゃないだろうか。

そもそも結婚する人が減っている時代にその中で更に結婚式開催の余裕がある人がどれだけいる事やら。ちょっとした知り合いが結婚式に参加したという話ぐらいしか聞かない時代になってきている。

いつかその結婚式を開けなかった身内のために結婚10周年ぐらいの時に何かイベント支援して上げられないかなとは思っているが、これは離婚していないことが大前提になるだろう。

 

結局大人になるとマナーやら参加費、交通費やら様々なものが必要で休日がつぶれる煩わしい物になり、子供の頃に何の負担も無く行ってた頃とは違う。

冠婚葬祭がイベントとして楽しかったのは子供の頃だからの話なのだろう。