早く働き始める方が得か、それともまだ人生に悩んでいいのか
今の時代、昔に比べて社会人としてデビューする年齢には大きく差がある時代になって来ている。働き始める年齢は人それぞれだ。場合によっては10年以上開きがある事があってもおかしくはない。
典型的な例で言えば高校卒業と同時に就職するパターンと、大学卒業後就活をして就職するパターンの二つがある。
戦後初期までは中学卒業と同時に「金の卵」として上京して上野駅に降り立つというケースもあり、高校は比較的勉強できる人が行く場所とされていた時代もある。
また高校を中退したり、そもそも高校に進学せず今も中学卒業後就職を選ぶケースも少数だが存在する。
例えば高校を中退するパターンならばキングカズこと、三浦知良が高校を辞めブラジルに夢を追い求めに行き日本代表にまで上り詰めたという例がある。これは上手く行ったケースであり、実際には学校になじめず退学するというケースが多くそこから公認を取って大学に進学する場合もある。
そして高校進学を選ばず就職を選ぶパターンとして自分が知っているのはマグロ漁船のドキュメントで見た少年だ。その少年は15歳で都会からマグロ漁船がある地域に憧れてその道を選び、ほとんどを遠洋漁業用の漁船の上で過ごし通常なら高校生の年齢ながら1年で300万円以上を稼ぎあげた。
この少年のケースを見て個人的に思うのが、体を動かし技術や肉体で通用するケースならばむしろ若いほど良いということだ。
今の時代大卒でも年収300万など行かない、30代でも月収20万の壁を越えられない人など大勢いてそれがもはや珍しい事ではなくなっている。それが高校1年生で300万ともなれば学生のバイトとは比較にならない。
更にこういった職場は経験を積みその場所で実績を積み重ねていけば昇進していく。
この番組は過去の物なので今は20歳ぐらいになっているかもしれない、そして一般的に大卒の年齢になったころには既に社会人6,7年目となっている。当然年収も大きく上がっているだろう、漁師は稼げることで有名だ。
都会の大学を出て地元に戻ってきたら、勉強などろくにせず漁師になった同級生が結婚もして大きな家を建てていたなんて話も良く聞く。
無名の私立大学を出て妥協してブラック企業に就職して薄給で独り暮らしをするのと、中学卒業後若く体力と情熱のあるうちに本当に自分の好きなマグロ漁師をやって経験を積むのと、どちらが勝ち組かは判断が難しい。
前者は大卒、後者は中卒、しかし漁師という過酷な職業に若い情熱をもって適応できた人間と無名の私立大学で腑抜けのように規律を失った人間と、どちらが情熱をもって仕事に打ち込めるかという疑問はある。
ましてその大学を中退したり、就職浪人をしてしまえば末路は悲惨だ。
25,6歳の時に既に同世代に仕事を10年続けてバリバリ出世している人がいてもおかしくないのだ。そのマグロ漁師の少年が20代半ばの時は年収が500万近くに達していてもおかしくはない。この不景気の時代これほどの収入は大学院を出ても中々この年齢では稼ぎだせないだろう。
本当に良い大学を出て順調に就活をしてホワイト企業に就職できたならば中学や高校を出てすぐに働き始めた人に追い付けるが、無名の私大を最低限の単位だけとってそれ以外の努力をせず惰性で卒業、もしくは中退したともなれば悲惨な結末しか待っていない。まさにその実例が自分なのでよくわかっている。
今になって思うのが情熱や体力のあるうちに労働を知ることがどれほど重要かという事だ。
よく高校生でバイトをするべきかどうかというテーマがあるが、個人的には余程時間に困っていないならばやったほうがいいと今になって思う。
なぜならばどれだけ安い時給であっても高校生にとっては大金であり、若く情熱と体力もあるので「わりにあってる感」が得られるからだ。
「大人になってこんな薄給のバイトなんてやってられるか」というようなものでも高校生の時ならば新鮮な感覚で打ち込める上に、その時給も十分なものに感じる。生活費に回す必要もなく学生の金銭感覚では体感としては大人の時よりも多く感じる。
大人が1時間働いて760円では惨めな感覚しか持てないが、高校生ならばその760円が大金に思える。子供など親の肩たたきを1時間やって100円貰えればいい方だ、それに比べて時給は何と効率の良い事か高校生最高と体感としては思えるのだ。
そういった情熱のあるうちに労働の習慣や文化を身に着けることは必ず良い経験になるだろう。自分の場合高校の頃はバイトをしなかったが、無駄に過ごすのであれば少しでもお金と経験に変えていたほうが良かったという後悔もある。どうせ自由時間に勉強もしなかったのだから。
とにかく若いころの情熱や体力は貴重だ。
高校生からマグロ漁師になったその少年はむしろ一番体力がある時期に下働きをして下積み時代を終わらせることができたのならばかなり効率がいい。大人になってからはなぜこんなことをしているのかという疑問が芽生えるが、10代ならば情熱をもって打ち込める。そして若いころから始めることで体力や習慣を身に着ける事にも役に立つ。
むしろ高校生の頃の方が一番体力がある。体を動かす仕事なら10代にできないどころか、むしろ一番いい時期でもある。
1円にもならない部活動をして理不尽な上下関係に耐えてどうせプロにもなれないだけの3年間を惰性で過ごすのならば、思い切ってその体力を金銭に変える道を選ぶのもありだ。高校生の金銭感覚にとっては天文学的な報酬を得られるとなればただの部活よりやる気も増す。
どうせ高校の部活動経験が評価されるのは一部の人だけだ。
やる気も無く続けるよりはバイトにしろ就職にしろ実質的な金銭に変えたほうがよほど役に立つだろう。
結局働くかどうかは自分のベストなタイミングが重要で、やる気や情熱があるならば早ければ早いほどいいのかもしれない。いざ今度バイトや仕事をしなければならない年齢になると今度はやる気と体力がなくなっている。
マグロ漁師の下積みも薄給のバイトも大人になってからは情熱を持って取り組めない。そうすると技術も上がっていかないため永遠にそのままだ。
そうなるぐらいならやる気や情熱があって吸収する意欲のある時に始めたほうがいい経験になるだろう。
情熱、体力、そして金銭感覚、このバランスがいいのはむしろ10代で本当はこんなに大勢が大学に進学せず就職を選ぶ方がいいのではないかと最近自分は思うようになっている。モラトリアム期間など大衆には必要ないのだ、東京の上野駅を目指して中学卒業後すぐに地方から上京していた時期の方が日本には活気があった。
その一方で次はこのモラトリアム期間に対する肯定的な立場で考察してみたい。
例えば某公共放送で29歳以下の人生設計について取り上げた番組があり、たまに自分は見ているのだが中々面白い。
この前見たのは27歳ぐらいで美容師としてアシスタントをしつつ、同時にお笑い芸人の夢を追いかけている女の人を特集した内容だった。
一見するとキラキラ輝いた充実した人生を送っているように見えるが20歳の時に美容師資格を取って以来まだ7年間一度も実際にお客さんの髪を切らせてもらったことが無くほぼ雑用やシャンプーなどをこなしている。
そしてお笑いに関しても某お笑い事務所に所属しているものの、あくまで駆け出しに過ぎずほとんどお笑いで収益は得られていない。
本人はどちらも本気で「どちらも追いかけたい」と語っていたが、傍から見れば二足のわらじ状態にも正直なところ見えた。
しかし自分はむしろこの人に親近感を抱いた。
「皆こんなもんよね、いやむしろこの人はよほど自分より頑張ってる」と思った自分がいた。それにお笑いの世界など"遅咲き"がいくらでもある世界で、この人に限らず芸人を目指して何年も鳴かず飛ばずで過ごしている人など日本に大勢いるだろう。
声優や芸人、漫画家など限られた人しか人気になれず、更にプロになったとしても殆どが薄給で人気が落ちればまた逆戻りになる世界だがそれでも目指している人がいる。
今は「ユーチュバー目指して頑張ってます」みたいな人もここに加わるかもしれない。
20代は「まだ時間はある」と余裕を持ったり、「まだ自分より上の人が頑張ってる」と数歳上の人を見つけて安心するような年代でもある。
これは罠のようなもので本当はもうしっかりと人生を見定めたほうがいいのだろう。こうして悩んでいる内にも順調なルートを歩んでいる人には差をつけられ、10代から頑張っている人は経験を多く積んで出世している。
特に学歴が関係ない世界など早ければ早いほどいい。
今の時代は「学歴があったほうがいいのではないか」という強迫観念と「まだ時間はある」という幻想に騙されている若者が多く溢れている。
そしてそんな無為に思える時間の中で何かの"答え"があるのではないかと模索することでしか自分のアイデンテイティを安心させることができない。まさに自分の事だ、人生の路頭に迷い何も先が見えない底辺の中ですべてが嫌になってくる。
司法試験浪人や公務員試験浪人をしている同年代など大勢いる、大学受験で浪人したり大学で浪人した人も含めればまだ大学生の人も大勢いる、浪人して大学院にまで行った人だと30近くになってから社会に出るケースも少なくはない、そんな人を見て安心するが彼らとは将来が違い過ぎる現実にも気づく。
「その人たちが数年後公務員や弁護士、医者になることはあってもお前がそうなることはないんだから仲間じゃないぞ」という声が聞こえてくる。
もちろんその中の全員が夢をかなえられるわけではなく、ただ弁護士や公務員を目指す振りをしていただけで結局何にもならなく時間だけを無駄にしたという人も現れるだろう。そんな人を勝手に想像して、「みんなこんなもんよ」と安心する駄目な自分がいる。
20代の努力が後に大きな差になることは事実だ。
「まだ時間がある」と余裕を持つ事はむしろ危険な考えであり、そろそろ30代のことを考えなければならなくもある。
例えば高1の時にしっかりと大学受験を見据えている人は合格しやすい。逆に高3になってからの1年を本気でやれば大丈夫だという甘い考えを持っていると案の定受験に失敗する。もっともこれは自分の経験そのものなのだが。
「20代はまだ時間がある」というのは完全に過去の大学受験における「高2まではまだ余裕、高3になってから自覚が芽生えて本気を出せるだろう」という過ちの繰り返しだ。また自分は同じ轍を踏もうとしているのかもしれない。
それでも自分は「まだ時間がある」と思う事にしている。
というより、そう思うしかない。まともに現実を見つめればもう既に遅いことに気付くからだ。先延ばしにできるところまで先延ばしにして現実逃避を繰り返して、最期はこれ以上完全に取り返しのつかないところで終わればいいとも思っている。
まともな人生はもう自分には無理だと気付いた。
どこかで順調な人生を諦めなければならない時が来る、それが遂に自分にもやってきただけのことだ。
今の所20代は"自分探し"をこの先も続けて、30代は旅人、40代は革命家と政治家、そんな漠然とした人生設計になっている。
何にもならない無為で充実感の無い無価値な日々など「自分探し」と言い換える以外に他無いのだ。
「アニメや映画も作りたいし小説家にもなりたい、中田英寿やチェ・ゲバラみたいに旅人になったあと革命家になるのが夢」
こんなことを成人にもなって語っている具体的な進路も見えない奴がいたら多分頭おかしい奴としか思われないだろう。
ただそんな頭おかしい奴が自分なのである。
人生が狂い過ぎて行き着いた結論「その内小説家か革命家になる」
ハリー・ポッターの作者も人生ギリギリのところで逆転したから大丈夫、そんなレアケースのなかのレアケースを見て自分にもまだチャンスがあるだろうと信じることでしか自我を保てないのだ。
まさかこんな状況になるとは思っていなかった、人生設計では今の自分はもっと輝いているはずだった。
そんな時もう自暴自棄になってわけのわからない夢を掲げる人と現実的な解決方法を探し直す人がいる。また自分はここに来ても現実逃避、そして愚かな選択をすることになる。
ただ後悔なんて後になってからでもできるのだ、後悔はいくらでも先延ばしにできる。それぐらい開き直った図太いメンタリティでもなければ散々な状況は乗り越えられないだろう。