負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

俺も藤井聡太みたいになりたかったなぁ(遠い目)

自分が若いと思っていた時期は終わり、徐々に年下に追い越され始めることが日々の実感になってくる。まだ自分には可能性があるからと思っていたら、いつの間にか才能や努力で差をつけられた新世代に軽々と追い抜かれていく。

 

そんな虚しい日々を過ごしている自分に眩しく映るのが今の将棋界で話題の藤井聡太、中学生の天才棋士である。

前人未到の連勝記録を打ち立て羽生善治という棋界のレジェンドにも打ち勝った。天才ともてはやされ、偉業を成し遂げれば号外が出され通っていた食堂にはファンが押し掛ける。

輝かしい未来が彼の人生にはこれから広がっているだろう、そうまるで暗闇の人生しか訪れないことが確定しているような自分と違って。

 

「俺もこうやって天才だってチヤホヤされたかったなぁ」と遠い目で見つめずにはいられない。自分の場合将棋ではなく厳密にはチェスを真剣にやろうとしていた時期がある。

まさに今の藤井君とほぼ同じ年齢の時に『コードギアス反逆のルルーシュ』というアニメをみてチェスを始めた典型的な中二病の少年だった自分は、いつからかその世界でチャンピオンになることを目指していた。

「自分は頭がいい、才能がありいつか開花する」「俺は頭脳キャラだ」

そんな痛いことを考えていた自分はチェスの高度な頭脳の世界に惹かれ、「グランドマスター」という称号をめざし日本人で初のチェス世界チャンピオンになろうとしていた。

 

「俺は海外に行きルルーシュのようにチェスで世界を席巻する!」

そう思っていた時期が自分にもあった。コーヒーを飲みながらインターネットのチェスサイトを見たり対戦サイトに入り浸り日々"棋力"を高めようとしていた。

チェスに関するドキュメント番組を見てホビー・フィッシャーとボリス・スパスキーの一戦に憧れて自分もその世界で戦いたいと思っていた。

将棋は目になく、チェスで世界に出ることを夢見ていた。

 

しかし人間は現実に気付く時が来る。

自分は典型的なおしゃれな雰囲気が好きなだけで実際なそれほど中身を追求していなかった似非チェスプレイヤーだったのだ。「将棋よりもチェスのほうが世界は広い」とチェスの優位性を説いたり、自分をルルーシュだと思い込んだりしていた。

今の中高生が自分をSOAのキリトだと思いこむことを批判できない。

将棋

そういった浅はかな自分にこの世界はあまりにも広すぎた。

頭が悪い人間には伸びしろがない、どうあがいても天才には勝てない。

天才や頭脳キャラに憧れていた自分は、頭が良くないという現実を受け入れもはや頭がよくありたいとも思っていない。普通の受験ですら自分を受け入れてくれないのだから、天才が跋扈する頭脳ゲームの世界など居場所はなかったのである。

 

しかし藤井聡太君をみると、そんな日々が懐かしくなる。

正直に言えば嫉妬の感情が強い。

負け組の底辺の自分が将来が軽い藤井君に抱く感情と言えば醜い嫉妬の心である。

「なりたかった自分」「こうあるはずだった自分」を藤井君に重ね、なぜ自分はそうなれなかったのか、そう生まれなかったと苛まれる。

 

まるでガンダムSEEDに登場するナチュラルの少年が「なぜ僕をコーディネーターにしなかったの?」と聞くように、「なぜ自分は天才じゃないのか、なんで何も才能がないのか」と悲しくなる。自分は天才キャラでありたいのに凡才以下の無能でしかない。

何をやってもうまく行かない自分にとって燦然と輝くこの天才棋士の少年は眩しすぎる。

 

ライトノベルやアニメには10代の若者が大人に勝つというストーリーが多い。

そんなものは空想の世界だけだろうと思っていたら、藤井聡太がそれを現実のものにした。そして自分はそういった天才に蹴落とされるただのやられ役の無名の大人になろうとしている。

自分が特別な存在であり主人公であると思っていたら、特別でもなんでもないどころか平均より遥か下の惨めな底辺だったことに気付く。

 

「俺もあの頃は自分が特別だと思っていた、無限の将来が広がっていると思っていた」

そう信じていたら時が過ぎ、惨めな生活だけが訪れた。

自業自得と言えばそうなるのだろう。

訪れるはずだった輝かしい未来はどこかへ消えた、いやそんなもの始めからなかった。

この世界は成功する星の下に生まれた人間と、何をやってもうまく行かない星の下に生まれた駄目人間の二種類が存在する。

藤井聡太君が、この惨めな負け組の戯言を見ることは決してないだろう、住む世界が違うのだから。

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