将棋はなぜつまらないのかについての考察
将棋というボードゲームは日本において非常に人気であり、面白いと思っている人の方が多い。しかし中には将棋がつまらないと感じる人も多く、そういった人に共感してもらうためにこの記事を書きたい。
決して将棋を面白いと思っている人の邪魔をしたいわけではなく、面白いと思っている人はぜひご自由に楽しんでくださいというスタンスである。
またこの記事は将棋だけでなく囲碁やチェスといった同様のボードゲームについても共通する内容である。
まず大前提として自分はこういった頭脳系ボードゲームが非常に好きだった時期があり楽しんでいたこともある。しかし最近はめっきりやらなくなったし、余程の切っ掛けがない限り再開することもないだろうと思っている。
なぜ自分が将棋やチェスをつまらなく感じるようになったかと言えば、この競技をやっていても「自己実現」できないことに気付いたからである。
もっと簡単に言えば自分には将棋の才能がなかった。
基本的に将棋のようなボードゲームは才能が重要であり、次に経験が重要である。才能がある人間や幼いころからやってきた人にはどう頑張っても追いつけないのである。
成人して劇的な脳の成長が起こらなければ伸びしろは極端に限られるようになる。
平均的なレーティングが1200だとして、その平均を維持することすら経験者が多い場所では困難である。どれだけ真剣に能力を磨き上げたところで1400にたどり着けるかどうか、人より少し上手い程度が自分の限度だと大体想像がつく。
こういった世界において自分が自己実現できないことに気付かされた時、その競技に対するモチベーションは下がる。
その結果「他のことをした方がいい」とい結論に行き着くのである。
将棋を楽しいと感じる人は昔からやってきた人や、才能がある人、そしてその雰囲気が好きな人だろう。「雰囲気が好き」という曖昧なモチベーションはある時自分の好みが変わったとき、急に飽きがやってくるため続かない。
実際自分がこういったボードゲームをやっていたときは、その雰囲気が好きな事も続ける理由にはいっていた。
ボードゲームの雰囲気自体が好きだったのである。
次に「まだ10代だからプレーし続けていけば伸びるだろう」という期待があった。
今現在自分はもう10代ではないため「もう成長の時期は終わった」という感覚の方が強い。
たしかに勉強し続ければまだ伸びるであろう、全くの素人状態からは抜け出せるかもしれない。しかし伸びしろはそれほど残されていない。
この伸びしろの無さを感じたとき、急激にモチベーションは下がる。
おそらく自分が頭が良く才能があれば将棋やチェスを今も楽しいと感じていたかもしれない。
しかし「自分は頭が良いはずだ」という幻想が崩れたとき、その情熱を維持し続けることは難しい。つまり自分は頭が悪いことに気付いたのである。
頭が悪い人間がいくら続けても伸びしろは限られる、そのことを想像したとき頑張るなら他のことで頑張ったほうがいいと考え方を変えるしかない。
いくらこの世界で頑張ったところで末端の弱小プレイヤーにしかなれないよりは、もっと実益のあることに取り組んだほうがいい。
「何もトップや上級者になることが全てではない、将棋をすることで頭脳は鍛えられる」
そういった反論も自分の中では確かにある。
全く何もしないよりは将棋やチェスをやっていたほうが頭脳は研ぎ澄まされるだろう。しかしそもそももう自分は頭が良くなりたいとすら思っていない。本当に頭脳を大切にしたいならばそもそもアルコールを摂取しないだろう。
最近の自分はもはや積極的に頭が悪くなろうとすらしている。
なぜならばこの社会は何も考えない頭の悪い人間の方が楽しいからである。中途半端に頭が良い事はただ悩みがちな人間にしかならないのだ。
さらに頭が良くなりたいのであればもっと別の勉強をした方がいいだろう。
論理的な思考ならば哲学や数学、科学などを学んだ方が良く、そのほうが実益が得られる。仮にそういった勉強をするならば資格が得られる分野を勉強するだろう。現に自分は外国語の勉強に取り組んでいる、なぜなら外国語は習得した場合利益が大きいからである。
一方将棋というのは上手くなったところでそれ自体に価値は無い。
要するに極めてもそこまで得ではないのである。
将棋そのものが上手いことで利益が得られる人は本当にわずかなトップオブトップの人に限られる。
末端の経験者にすら追い付くことができない人間が、実益を得られるレベルに達することは不可能だろう。昔からプレーしてきた人に追い付けないような競技をいくらやったところで無駄でしかない。
また前述のように頭脳を鍛える事が目的ならば他にやることがある。
上達することよりもプレーすること自体が楽しいという人や、自分が下手なことが気にならない人はどうぞご自由に楽しんでもらいたいし自分はそういう人の邪魔をしたいわけではない。
世の中自分が下手でも楽しめる趣味と、自分が上手くないと楽しめない趣味がある。
また習得して得な技術と、そこまで得ではない技術もある。
これらをまとめると自分にとって将棋のような頭脳系ボードゲームは「自分が上手くもならないし、習得したところでメリットがない趣味」になる。
このような場合面白さを感じることは難しい。
こういった競技や勝負事は勝てなかったり上達しなければ楽しくないのである。経験者や才能のある人間には永久に敵わない、それよりは他のジャンルで勝負したほうがいい。
何も世の中将棋だけが全てではないわけであり、将棋が得意なことはそれほど評価される才能ではないのである。
自分には才能がない上に、その才能が無くても決して困らない。
本当に好きでもなければ無理にやる必要もない事であり、上手くなくても恥ずかしい事ではない。
世の中いくらでも楽しい事は多いわけであり、やってるだけで楽しい物や、少し上手くなるだけで実益が得られるものもある。
最下層の人間でも楽しめる趣味や、少し上手くなるだけでも得な技術、新しい趣味として何かを選ぶときそういったものを選んだ方が幸せになりやすい。
将棋を極めても幸せになれないし自己実現できない、そう自分は判断した。
おそらく将棋というのは客観的に見れば非常に面白いコンテンツであることは間違いなく、それゆえに1000年の歴史がある。
しかしその面白さを主観的な観点で見た場合、それは個人の才能によって感じ方が左右される。
よって将棋は世間的には面白いものだが、個人的な観点で見た場合自分はつまらないと思っている。
将棋がつまらないというよりも「自分にとってはつまらない」であり、そういったことを感じている個々人に向けで自分はこの記事を執筆した。
「自分は将棋が楽しいと感じられない」
わざわざこの一言を言いたいがためにこれだけの文章を書いた。
共感してもらえれば幸いである。