負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

将棋って超才能ゲーだよな、結局天才には勝てない

最近将棋界に彗星のごとく現れた天才中学生の藤井聡太が話題になっている。

将棋に普段興味がない自分でも、この話題は耳に入ってくるほど世間をにぎわしている。自分は将棋ではないが中学時代チェスをやっていた立場でありまさに藤井君と同じ年齢ぐらいの頃には「無限の頭脳ゲームの世界」に夢を見ていた。

 

しかしながらこの手のゲームは知れば知るほど「才能が大事」という事に気付かされていく。本当にこの業界で活躍している人は天才の中の天才だけで幼少期から物が違うというエピソードが多い。

成人してから努力で頭角を現し始めた人もそれほど多くなく、そもそも小学校に入る前から大人を軽々倒していたという棋士も多い。

しかも最近ではコンピューターやAIが人間を凌駕する時代になっており、天才にも勝てないし、その天才に勝ててもコンピューターに勝てないという時代があと10年もすれば完全に訪れるだろう。

 

競技の業界として盛り上がり、民間でこのゲームが普及し親しまれていること自体は素晴らしい。世界的に見てもこれほど頭脳ゲームの分野がエンターテイメントとして盛り上がり民間でもプレーされている事例は少ない。

欧米はもちろんの事、かつてのチェス大国ロシアでも実際それほど民間の文化として根付いているわけではなく、中国でも象棋(チャンシー)と呼ばれる競技はそれほど行われていない。

そう考えたときにこれほど将棋の話題が日夜テレビやネット上の話題になり関心を集め、多くの人がプレーしている文化は国民の平均IQの向上に寄与しているかもしれない。

 

しかしそれ故に上級者や本当に才能がある人、毎日プレーしている人、昔からプレーしている人との差を実感するケースが多く、同じレベルの人とプレーをしたところでそれは最底辺に過ぎずそこを抜け出しても業界全体で見ればまだ下層でしかないという途方も無さがある。

そして人生のすべてを才能の無い人間が将棋に費やしても結局業界全体では大したものにならないということが明らかにわかってしまうのである。

 

究極いえば「才能ゲー」であることは明白であり、自分自身もチェスを才能がないことを悟って辞めた立場である。正直自分がこういった計算に向いているタイプではなく、頭が悪いという現実に気付くのである。

 

とにかく将棋やチェス的なボードーゲームの才能がなければ伸びない人はとことん伸びない。また努力で補える部分がそれほど多くなく、才能があるならば中学生にコロッっとやられてしまうのがこの世界である。

更に頭脳の伸びしろというのは大人になって頭が固くなるほど限られてきて、経験もそれほど役には立たない。

ある程度の領域に差し掛かればそこが限界で、生涯のうちに伸びる領域、伸びしろというのは決まっているのである。

将棋やチェス自体には無限の世界があるが、自分が達することのできる世界は非常に狭い、その現実に気付いたとき「このゲームって才能至上主義のゲームで、これから自分は伸びないな」という事に気付かされる。

 

結局本当に好きで才能ある人には勝てないし、その努力を他に投じたほうがいいという事に気付くのである。人生論になるが大人になると浪漫ばかりは追いかけていられないもので「がんばって得するものと得しないもの」の区別がつくようになる。

役に立たないけども好きだから一生懸命やるということができるのは10代までで、20過ぎると「これは極めたら役に立つかどうか」が努力を投資する基準になる。

同じようなことで言えば最近自分がイラストを書かないのも結局ピクシブで上手い人がいくらでもいて、専門教育をうけたライバルには敵わないという事に気づき情熱を無くしているからでもある。

 

結局人間には向いてることと向いてないことがあり、向いてなくても好きだから続けられる時間というのは限られている。学生時代か老後だけで、大人になってくると「役に立つかどうか」「楽かどうか」「見返りが得られるかどうか」が一番の基準になってくる。

理想なのは好きであることと、利益になることが両立できていることである。

例えば今更自分が才能の無いチェスを本気ではじめても、それが利益になる可能性は低い。こういったジャンルは本当の天才にのみ活躍の場合があり、世間的に需要があるのはトップ層に限られる。

芸術や競技などは実際の所上位10%しか食っていくことができないし、世間からは認められない。才能ゲーの中で更に才能ゲーが繰り広げられているのがこういった世界である。

「最初からうまい人はいなくて、皆努力で成長した」というのは綺麗事で実際はほとんどのジャンルが才能ゲーに近い。

 

その中で必ずしも上位10%にしか居場所がないジャンルばかりではなく、上位30%には居場所があるようなジャンルも当然存在する。

大人になってから究めるべきなのは競争が厳しい世界ではなく、上位半分以上に入りきればある程度その才能が認められたり何かの役に立つジャンルである。

 

例えば将棋は例の藤井君が「まったくモテない」といっていたように、実際将棋が上手い事は世間から評価があまりよくないのである。

逆にサッカーだともはやうまくなくてもサッカー部というだけでモテるし、ギターも弾けるだけでモテたりする。

モテるためだけにやることが全ては無いけど、「人から認められにくい上に、その世界の競争が厳しいジャンル」って実は努力に対するリターンということを考えたときに非常に効率が悪い。

「がんばって上手くなっても得しないジャンル」「ちょっと上手くなるだけでも得するジャンル」って間違いなくあって、上位層にしか需要がない世界と中位層や下位層でも必要とされる世界は間違いなく存在する。

この例で言えば語学や調理も少しできるだけで人から認められやすかったり必要にされることが多いが、逆にゲームは総じて実生活で需要がないことが多い。

「社会的な評価なんて気にならない、俺は好きな事だけ真剣に極める」っていうマニアが多い世界というのは本当にすべてをその世界に捧げている人が多く、将棋に関しても格ゲーに関してもオンラインゲームのレベルは非常に高く初心者がすぐには勝てない。

しかし実際の所、人生の全てを捧げて極めても人からの評判は良くならず更に言えばその世界ですら「その他大勢の中の1人」にしかならない。

 

結局才能ゲー、人生の全てを捧げてるマニアしかいないようなジャンルはやってて効率が悪いというのが自分の結論である。

ただこれは効率重視で好きなことをやらないというわけではなく、「好きな物の中から比較的効率が良い物を選ぶ」ということが良い生き方なのではないかと自分は思っている。

例えば自分はポケモンというゲームも昔はオンライン対戦をしていたのだが、その世界には「人生ポケモンだけあればいい」って人が大勢いて中級者の実力を保つだけでも精一杯なのである。

しかもポケモン強くなったところでお金になって人気者になれる人はごく一部で、実生活ではもっと役に立たない。更にポケモンってもはやガチ化していて難しいゲームになっていて「好きなポケモンだけを使って勝つ」というのがよほどガチに極めている人しかできない時代になってきている。

自分の個性を出したり他人に認められたりすることを求めるならば、確実にもっといいジャンルがあってその努力で世の中もっとすごいことができるんですよ。

 

見返りが期待できなくても好きな事だけやっていればいいのは学生時代や老後、リタイア後だけの話で、ある程度趣味の中でも「見返りが期待できるジャンル」をなるべく選ぶことが必要になってくる。

もちろん見返りだけが全てでやっているわけではないけども、「全く役に立たないけど好きだからやる」ということが厳しいのが世の中でもある。

 

昔の自分は世間体気にしなくてオタク極めてればいいやって思ってたけど、その心理状態でいられたのって10代まで何ですよ。

悲しいかな、人間って大人になると現実に気付き始めて「効率や見返り」求め出す嫌な人間になってしまうのである。繰り返しにはなるが、もちろんすべての趣味を見返りの為だけにやっているわけではなく本当に好きだから見返り関係なく続けていきたいという趣味もある。

 

どちらかというと趣味を人生に役立てる方向に工夫していくという考え方かもしれない。趣味もお金にすることができると言えばできる時代で何らかの方法で人生の役に立てることができる時代にはなっている。

例えば将棋も決して自分自身が強くなる必要はなくて将棋マニアのサイト作ってそこをアフィリエイト化すれば自分自身が強くなくても生活の役に立てることはできる。

自分は棋士やプレイヤーとして強くなるというよりもその棋士やプレイヤーを盛り上げたり、初心者向けに開設するという事をするならば可能性はあるかもしれない。

アプローチの問題で、競技として究めようとしたら才能が壁になり「才能ゲー」になるが、競技以外の分野で勝負するならば可能性はなくはない。

「将棋自体の実力や棋力は弱いけども、将棋棋士の私生活ネタには滅茶苦茶詳しい」という人もいるかもしれない。今後はそういうニッチ産業で生きていくことが「趣味」を最大限に楽しむ生き方になっていくかもしれない。

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