負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

今の時代は上級者じゃないと楽しめない趣味が多すぎる

インターネットはあらゆる競争を加速化させ、ガチ化を進行させた、これが自分の持論である。ネットが無い時代やマイナーな時代の方が面白かったというインターネット論である。

今は何もかもネットが当たり前であり、昔に比べて誰かとの比較に晒されやすい時代になった。

ネットがアングラだった時代は終わりむしろネット上の評価が優先される時代が現代である。

 

あらゆるゲームがネットのオンライン機能が前提になり、ネットを見ればすぐまとめサイトがでてきてそこでマウントの取り合いが始まる。現実で自分が負け組だという事を自虐し合っていた時代から、現実でも自分は勝ち組で優秀だという事を主張し合う時代になった、時に嘘さえも交えて人に勝つことが重要になった。

こういった競争の時代に疲れている現代人は多いのではないだろうか。

 

自分が好きでやっていることも、実力や順位、そのコミュニティでの立ち位置を意識しなければならない。

今の学生はSNSをすることが当たり前で、ここでまた「フォロワー」の多さを競い合うマウントの取り合いが始まる。

「人気」というものも今は数値化される時代になったのである。

フォロワーが多くないと人気者ではない、レートが高くなければゲームが上手くない、そんな価値観が横行している。

 

好きでマイペースで楽しむということが今は難しい時代になってきている。どんな趣味を始めてもその世界における自分の立ち位置が気になる。

周りを気にする日本人ならなおさらそのことを感じやすいだろう。

自分が強くないと気が済まない、誰かに興味を持っていてもらわないと安心できない。

そんな批判をしておきながら自分もまたその価値観に染まっている一人なのである。

 

誰もが競争し上を目指し、上級者になろうとする。

今の時代ネット上にいる誰かというのは蹴落とさなければならない競争相手なのである。心休まる空間を見つけることは難しくなっている。

匿名掲示板でもすぐにマウントの取り合いが始まる時代だ。

かつて自虐し合っていた人たちはもういない、匿名の場所でも虚勢や見栄の張り合いがすぐに始まる。

 

ゲームではレーティングというものが強さとして明確に表示されるようになり、ネットではフォロワーという人気度合が数値化され、そこに囚われる人が増えた。

今の時代ツイッターで500人以上フォロワーがいない人は人気者ではなく陰キャらしい。

もう自分はとっくの昔にツイッターなど辞めたが、あのSNSのフォロワーなどお互い営業をしあってフォローし合えば自然と増えていくのである。そんな数値上の人間関係に何の意味があるのだろうか。

「フォロー返しします」というアカウントをフォローしつくせば表面上は人気者になれる。そんなどうでもいいことが日々行われているのである。

 

ゲームだって同じだ。

ローカルな地域では強かったプレイヤーも今ではすぐにオンライン対戦で現実を思い知らされる。

勝つためのテンプレ的なやり方を攻略wiki通りに行って、誰かが教えてくれたやり方で勝てば自動的に実力は上がっていくのである。自分独自のやり方や本質を追求しようとすることはこの世界では無意味なことになっている。

 

大衆や流行に染まる、そのことが今の世の中では最適解になっている。

最適解を重視し、そのコミュニティの上級者になって下級者を見下す、インターネットはそんなマウントの取り合いのツールになってしまった。

どんな趣味を始めても競争に晒され、上級者になることを強いられ、そして疲弊していく。

 

最下層の人間でも楽しめる、そんな趣味は今の時代消えつつある。

ネットは競争を激化させた。

誰かとの比較ばかりが行われる、そんな風潮の世界で生きなければならない。

「ネットには自分の居場所がある」

そうやって現実で負けた人間が居場所を求めたバーチャルな世界は今、現実に浸食されていようとしている。むしろネットの方が初心者と上級者、持つ者と持たざる者の差異を明確にする世界になっている。

インターネットに入り浸れば入り浸るほど、自分の小ささが浮き彫りになる。

そんな強制的な競争にさらされる時代に現代人は生きているのかもしれない。