バーチャルユーチューバーって現代の闇を表してるよな
バーチャルユーチューバー市場がここ最近拡大しつつある。
実際に再生数を見ても非常に多く再生されており、もはや一大ジャンルとして確立されたと言っても過言ではないだろう。
バーチャルユーチューバーの流行が示している本質、それはつまり「結局、最近のオタクは可愛い女の子を見たいだけ」ということに尽きる。
オタク層が好む作品の変遷を辿れば、まずアニメの中だからこそ描けたスケールの大きい作品が減り、女性キャラクターしか出てこない日常アニメの時代になる。
そしてもはやストーリーや背景すら必要とされなくなった結果、そこに残ったのはキャラクター、つまり今のバーチャルユーチューバーとなったのだ。
必要最低限の物だけに絞った結果、もはやキャラクターだけいればいいじゃんという時代になったとも言える。
今までは面倒なストーリーのアニメを見て、そのキャラクターが少ししか登場しないような話まで何とか見ていたのがオタクだった。しかし今の忙しい時代に毎回1話ずつ、しかも目当てのキャラが登場しないようなシーンまで見るというということは現代人のライフスタイルに合わなくなってきている。
バーチャルユーチューバーの流行はそんな「最低限の物でいい」「必要なものだけでいい」という現代人の嗜好を象徴している。
壮大な夢物語はもはやアニメの中ですら非現実的な物なり、ましてキャラクターが命を落としてしまうような作品など「癒し」を求める最近のアニメファンにとってはご法度なのだ。
ただでさえ現実に忙しく疲れている時に、アニメの中ですら夢を思い描く余裕も体力もなく、傷つきたくもない、それが現代人の本音なのだろう。
時間と金がない、恋人も友達もいない、そんな孤独と貧困にまみれた疲弊しきった日本社会にこのバーチャルユーチューバーという存在は見事にマッチする存在だ。
可処分所得はなかなか増えていかずお金が無いので楽しい事は何もできない、そして社会人になれば自然とかつての仲間たちとも疎遠になっていく。
学生時代の人間関係と違い、職場で中々気の合う友人を作ることは難しい。
仮に交友関係があったとしても、平日ではなかなかスケジュールが合わず結局孤独に苛まれることになる。
ネットの表面上の人間関係を小まめに維持することにも疲れ、そして当然のことながら彼女は作ることができない。頑張って婚活しても、いずれ高額な不妊治療が必要な人としか結婚できないとなると誰もが諦める。
これが今の平均的な成人男性の実像なのではないだろうか。
みんな疲れているし諦めているのだ。
バーチャルユーチューバーの再生数がそのまま日本の孤独な独身男性の数だと考えれば相当に闇は深い。
これまでそんな孤独な男性層を癒してきた三次元のアイドルや配信者も、昨今は様々なな問題を起こしておりどうせ裏切るからと信用できなくなっている。
そんな時に手軽に自分の好きな時間に見れて、視聴者に寄り添ってくれるバーチャルユーチューバーは心の隙間を埋めてくれる存在なのだろう。
一人でストロングゼロを飲みながらバーチャルユーチューバーを見て晩酌するのが現代人スタイルだとも言える。
安い居酒屋ですら低所得者には行けない時代に、仕方なくストロングゼロを飲みながらyoutubeの動画を見ているような底辺の人間を誰かが助けてくれるわけでもない。
バーチャルユーチューバーのコメント欄は社会の吹き溜まりであり、どこにも居場所が無い人が集まっている日本で最底辺の空間だろう。
最底辺だからこそ似たような人々にとっては居心地がいいし、そこにいれば擬似的に仲間がいるような気がしてくる。
こんなささやかな一員感さえも今の日本人にとっては貴重なのだ。
悪いのはバーチャルユーチューバーに癒しを求める彼らなのではない、こういった可愛そうな男性を大量生産してしまった日本社会なのではないか。
社会からも女性からも必要とされない哀れな成人男性がみんな虚しくバーチャルユーチューバー見て即自的に癒されてる、これが日本の現実だ。
そして社会からも男性からも必要とされない哀れな成人女性はネコ動画を見て同じく癒される。
今の日本人が求めているのは大きな夢ではない、小さな癒しなのである。
その小さな癒しやささやかな日常の幸せすら手に入らなくなったのが現代なのである。
アニメを見るには忙しく、他の楽しみを得るには金もない。
恋人など当然作れないし結婚など夢のまた夢、かといって風俗には経済的余裕がないので行けない。
職場に友達もおらず、学生時代の友達は疎遠になったり日ごろはスケジュールが合わなかったりする。かといってネットの人間関係は面倒なうえに表面上だけで、誰も自分にしか興味が無い。
そんな世の中からあぶれた男性の最後の拠り所がバーチャルユーチューバーなのだろう。
アニメはバーチャルユーチューバーに食われて、漫画は漫画村に滅ぼされる。
ゲームもソシャゲに全てを持っていかれ、もうこれからかつてのような面白いものは作られなくなるだろうと言えば老害の懐古厨呼ばわりされるかもしれない。
予算も需要もどこにもないのでもう凄いアニメは作られないだろうし、漫画やゲームも壮大なスケールで製作されることは無いのだろう
バーチャルユーチューバーに限らず、日常の中で最低限手に入るようなもので満足するようになったのが最近の日本人だとも言える。
誰もが元気が無く疲れていて、冷めている。
夢を追いかけても無駄だと本能的に悟りきってしまっているのだ。
弱り切った心がやっとの思いで求めるのが癒しであり、今の日本人を象徴している。
経済が良くお金があった時代に作られたもののほうがよかったかもしれないが、もう過去のものを超えるものは出てこない、そういった停滞感が日本全体に漂っている。
幸せな時代はいつまでも続かない、その現実に誰もが気付き、夢なんてなくても日常で幸せだし持っても無駄だという時代になってしまった。
大人しい現代人はスポーツ観戦も興味ないし、アニメの中で傷つきたくない。
派手な生活がもてはやされた時代から、地味な生活でも良いという時代になった、いやそうせざるをえなくなった。
オタクは結局可愛い女の子見たいだけなので、それに特化したバーチャルユーチューバーが流行る国になってしまった。
日常アニメよりさらに意識低いものが現れたとも言えるだろう。
スーツはオーダーメイドだった時代から、量産のものでも全然かまわないという価値観になったように、安い物や手軽なものでいいという考え方が日本人の平均的な感覚になっている。
可処分所得が少なく、未来は良くなっていくわけでもないという時代に適応しきったのだろう。
もはや初音ミクのように歌う必要すらなく、ただ自分に話しかけてくれるだけでいい、それがキズナアイなのだ。