負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

平日の昼間から酒を飲むニートwww

一時的に断酒生活を行い、更にそのあと社畜になり、お酒を大量に飲むという生活からは遠ざかっていた。

昨日久しぶりに休日があり1日中飲んで過ごすという生活をしていたが、改めて自分がどれだけお酒を飲むかということが再確認できた。今日はどうやら身内の冠婚葬祭関連の用事があるらしく平日だが仕事は無いため、これも久々に前日の二日酔いと格闘するというニート生活時代の懐かしの感覚を味わっている。

 

仕事や労働にポジティブな要素を見つけるとするならば、とにかくやる事を作ることで半ば強制的にお酒から遠ざかることができるという事だ。仕事終わりに飲むことがあっても翌日のことを考えるためセーブして飲むようになる。

当然ながら給料が入ってくることに加え、出費も抑えられるためニート生活をしている日と働いている日では手元に残る金額に大きな差ができる。昨日のような生活を毎日のようにしていたのがかつての自分だった。

 

お酒を飲むと調子も良くなり食欲もわいてくる。

そうなるとお酒のつまみとしていろいろ食べることになり、これも更なる出費となる。社会に希望も居場所ないニートとなると何も楽しみが無くなりアルコールという即自的な快楽しか求めなくなってしまう。

その上時間だけは無駄に多いためやることも無くなり1日の殆どをお酒を飲むためだけに使い気づけば貯金は大きく減っている。そして翌日は二日酔いからスタートし、お酒がなくなっていれば買いに行くというのが基本的な生活リズムになりこれがループのように続く。

 

ただ自分はそういった自由気ままなニート生活が好きであり、今こうして社畜として働いているのもいずれその生活に舞い戻るためである。

労働監獄から出所しシャバに戻れば再びニートになることは決めている。数か月働いて半年休んで貯金がなくなればまた数か月働く、そんな人生のリズムがあってもいいのかもしれない。

普通に長期間働き続ける事ができない人間というのがいても良いはずだ。

働くことや真面目に生きる事、世間体を気にして体裁を重視すること、そんなことから解放された新しいタイプの新人類がまさにニートなのだ。

 

今回の事で1日中酒を飲むことや、平日の昼間から飲むことはやはり自分にあった生活だと再確認した。

懐かしいのはスーパーやコンビニの飲食スペースで気ままにお酒を飲みながらチップスや干物などを肴にすることで、去年は暇さえあればそうしていた。最近は引きこもりがちになり家で飲むことが多かったが昼間から外で一杯やる生活というのは今思えば懐かしい。

田舎のスーパーともなると平日の昼間に来る客層というのは優雅な年金生活者か主婦層が大半であり、自分のような男がその光景に混ざることはある種のプレミア感があったことも懐かしい。

 

人生に自暴自棄になり即自的な快楽だけを求め、意識低く飲み続けることは楽しかった。スーパーやコンビニで現実逃避しながら、騒ぐわけでもなく静かに酒を飲むことは今思えば優雅な生活だったのかもしれない。

先のことなど何も考えず、今さえ楽しければいいと開き直った生活はその日暮らしの刹那的な生き方でもある。しかし途上国などに行けばそうやって酒に溺れているだけの浮浪者など大勢おり、日本でも大阪の新世界周辺でワンカップ酒を昼間から飲んでいるおじさんはお笑い芸人のネタにもなっている。

 

夢があるとするならば昼間から空いている居酒屋で過ごすことなのだが、そういった金銭的余裕も無く最低限の安酒とつまみで過ごすことが多い。酎ハイのロング缶やワンカップ焼酎と袋のスナック菓子か干物、それすら余裕がないときは1本10円程度のスナック菓子を数本買う事だけに留めていた。

酔う事が目的なため居酒屋は高すぎる上に、今住んでいる場所は本当に何もないため遠出することも億劫になり家で飲むことが定番になっている。

安い居酒屋に行く客層よりも更に底辺の人間が自分であり、これが貧乏ニートやワーキングプアの実態でもある。場末の居酒屋にすらいけない底辺の貧困層が日本でも増えてきている。

そしてそんな底辺の生活ですらそれが日常的な習慣になってしまうとその出費は軽視できない物になる。

 

底辺の人間に落ちぶれると本当に出費が食費だけになってしまいエンゲル係数は上がっていく。物欲も下がり欲しい物が無くなり、最近はほとんどお酒とおつまみ系しか買っていない。食費は職場の弁当があるため実質夕食しかかかっていないのだが、これもスナック菓子で済ませることが多く実質的に晩酌と同化しておりミニマムな生活をしている。

日本経済における自分の役割など砂粒よりも小さいだろう。

少し前まではかろうじて雑誌を買うことが多かったがこれも節約のために自重しており、そもそも書店に寄る機会自体が減ってきているためもはや数か月前の話である。

「消費しない若者」と言われるが使うお金がない以上どうしようもなく、お金を持っている人が回してくれないのだからこの貧困の連鎖からは抜け出すことができない。

もしかしたら誰が悪いというわけでもなく、誰かの貧困が自分を貧しくしており、そしてまた自分の貧困が別の誰かを貧しくしているという連鎖構造になっているのかもしれない。

 

本当は欲しい物が無いわけではないのだが買えないとなると徐々に物欲は下がっていき、即自的な快楽を味わえる産物に走るようになる。

漫画カイジのセリフに「ショーウィンドウの向こう側にあるものが自分にとって縁のない物だと感じるようになると諦めるようになる」というようなセリフがあるのだが、どうせ買えない物に興味や関心が失せていくことはまさに自分に当てはまる。

新発売のゲームにワクワクできる感情をまだ失っていない人はきっと幸せだろう、その感情を無くしてしまえば夢も希望もない人生に突入する。

 

物欲は以前に比べて激減しており、最近一番ワクワクした買い物は段ボール箱に入った酎ハイ24本ケースを買ったときである。

昔は手元に残らない食品関連にお金を使う事はもったいないと思っていたが、今では手元に残る物品にはほとんど興味が無くなっている。

お酒やスナック菓子、そして缶詰などが部屋に大量に置いてある事に安心感を覚え、「しばらくの間ひもじい思いをしなくて済む」という感情がある種の楽しみになっている。

 

今の自分がもっとも欲しいのは時間と自由、そして安心だろう。

つまりしばらくの間ニート生活ができるという保証が欲しい。その状況を作るために今社畜としての懲役期間に入っており、出所してまた自由な日々を送りたい。

自分は自由を愛し協調性が無い人間なのだ。

絵や文章を書く時間が膨大にある事、街を気ままに散策して立ち寄った場所で財布を気にせずお酒を買う事、そして明日何も予定がないという安心感を持って眠れること、そんな何気ない些細な幸せに満ちた生活にまた戻りたい。

誰に縛られることもなく、合わせる必要もなく社会とは距離を置いて過ごしたい。

システムという枠組みの外にいる自由人になり、自分のリズムで行きたい。その自由を獲得するためにはやはり戦わなければならない。

明日からはまた仕事だが「後のニート生活のために」を合言葉につまらない今の期間を乗り越えていこうと思う。