負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

「働からない」ってそれだけで価値があるよな、仕事がないことの幸せ

ここ最近自分の生活は仕事をしておらず、アルバイトで貯めた貯金で食いつないでいる。

つまり実質元フリーターの今はニートである。

バイトを辞めて思うのが「働かなくていい」ってそれだけで心の底から嬉しいということ。明日仕事がないということがどれだけ幸せな事か、明日仕事があるかないかだけで感情は大きく変わってくる。お金を得る事や成功することよりも、何かに縛られない自由の方が自分は好きなのだ。

 

元々自分は社会やコミュニティに溶け込むことが上手いタイプではなく、子供のころから明日学校行くというローテーションや毎日の習慣的な規則が嫌だった。

とにかく明日やらなければならないことがないということが自分にとっては気楽である。バイトをやめてこのありがたみが自分はわかったし、もともと大学を中退したのも気軽にサボれるから行かなくなってしまった結果である。

高校の頃も早く卒業したいなと思ってしかいなくてしかたなく通い続けていた。親がいるから学校に行かないといけなかったし最低限高校を卒業しなければ大学受験ができないという思いもあった。

その高校は夏休みまで補習があるような学校で、たびたび隙を見つけて最低限出席を確認されるとこまでは出て早めに帰ることが多かった。

学校の補修は役に立たないから家に帰って勉強する、というのは建前で実際帰ったらダラダラとネットサーフィンなどをしていた。

 

要するに自分は典型的な怠け者であり、やりたくないことはしたくないし組織に向かない人間なのである。とにかく最低限の労力だけで生きていたいし真面目に頑張りたくないのだ。人間関係も最低限でいいのである。

世の中には二種類の人間がいる。

物凄く頑張って大きな結果を手に入れようとするタイプと、いいものよりも何もしなくていい状況が欲しいというタイプだ。

分かりやすく言うならば後者は激務で月給60万よりも、生活費ギリギリもらえて数万の予算でニートをしていたいタイプだ。世の中頑張る人は物凄く頑張って色んなものを手にいれたらいい、でも自分はそこについていけないし競争しても勝てないからもう最低限のお金で最低限の生活をして世間からは何の価値もない人間に思われてもいいとも考えている。

 

何かを頑張って成し遂げたいという思いは数年前に比べて圧倒的に減少したし、夢を追う事や何かの努力をして結果を手に入れることに失敗してから少し冷めている部分もある。また自分の友人もそういった性格であり、意識低い生活で最底辺を楽に生きるぐらいでいいんじゃないかなとも思っている。

とにかく生きるための費用も、目標も、人間関係も最低限までそぎ落として屍のような生活を送っているがこれで幸せなのである。

世間の目線なんてどうでもいいし、その日暮らしをしていたいだけだ。

サボれるならとことんまでサボるし、凄いことを成し遂げるための意欲やパワーもない。その日暮らしで好きなことをしていたい、明日のことは考えない。

 

例えばスペインなんて若者の半分が失業者なのである。世界を見渡せばダラダラ適当に生活している人がいるし、昼間から酒を飲んでいるような人もいる。

 

何かを先送りにして今日を適当に生きる、やりたいことをやれる。大きな成功はできないが別にそれでいい、老人になったとき何も残らなかったと思ってもそれでいいのである。

10代の頃のように世界を変えたいとも思わなくなったし、世界に認められたいとも思わなくなった。その代りちゃんと頑張って大きなことを成し遂げようとしているスポーツ選手や芸能人を応援する、自分ができないかわりに才能がある人間が頑張ればいい。自分にできるのは彼らの応援だけである。

「自分より上手く行ってる人間を応援していて何が楽しいんだ」という人もいるけど、逆に才能のある人間が自分の代わりに頑張ってくれてるともいえる。

人の成功であってもその人が好きで共感できる人ならば、その人の成功はうれしい。

頑張りたい人はどんどん頑張ればいいし、自分のようにもう頑張ってもどうしようもない人はなんとなく生きていればいいのである。

 

そしてこのニート生活中に何らかの形で収入を作っていく努力をする。もちろんいつまでもニート生活ができるわけではなく、その資金は無くなる。恒常的に40年間働くのが嫌なだけで、お金が無くなったら働くし働いてない期間中はサイドビジネスのようなものを考える。

例えば自分はA8.netアフィリエイトBなんかでアフィリエイトをやっているが、これも不労所得作りの一環である。仕事は嫌だけどブログを書くことは好きだから、ブログで稼げるならアフィリエイトをやるという話である。

現状それほど稼げているわけではないが最低限生活費を保証できるレベルになることがゴールなので元々目標は低い。目標は最低限の収入が不労所得になって最低限の労力で生活することである。

あとは貯金が付きそうになったら1か月だけまとめてバイトするとか、物を売ったりして最低限数か月は食いつなげる貯金を一時的に作るという生活が自分のライフスタイルである。

その間にまたアフィリエイトやって、なるべく軌道に乗せていけるようにブログなどを補足していく生活である。基本的にアフィリエイトによる収入とはすぐに確保できるわけではなく数年単位で地道にブログやサイトを作り続けていくことが必要であり、その末に不労所得や副収入は完成するのである。

最低限のニート生活をするための資金を作り、働いたり働かなかったりと必要な時にお金を作る生活である。わかりやすく言えば働かなくて済む期間を定期的に作っていくやり方である。そして何もしなくてもいい時間を作れるからアフィリエイトを充実させることもできる。

 

どう考えても懲役40年働き続けて老後やっと働かなくて済むようになるというのがおかしく、それは自分には耐えられないのである。

正社員とかまともに職を持っているとかそういう世間体のために40年も我慢したくないし、半年働いて半年は何もせずに生活するというスタイルがあってもいい。

確かに後者は生涯で稼げる収入は40年きっちり勤め上げる人に比べて少ないかもしれない。でも結局時間で言えばきっちり働き続ける人は圧倒的に少ない。

お金を大事にするか時間を大事にするかの2つである。

何も週に5日8時間働いてそれを40年も続ける必要はないのである。

週に3日働いて後の4日は限られた予算の中で自由に過ごす。その自由な時間にサイドビジネスなどにもチャレンジすればいいし、好きなことで食べていけるように工夫することもできる。

 

1か月働いて、次の月は完全に休む、そしてその後の1か月はまた働く、そういう生き方があってもいい。生涯収入だけが全てではないし、真面目に働き続けても今の不景気ではそこまで収入は良くならない。

目指す物は最低限にして目標は下げて、世間体を気にせず仕事をやったりやらなかったりすればいいのである。

老後に自由をまとめて持ってくるよりも、体が動く今に自由を持ってきた方が楽しめるしそもそも老後まで生きてるとも限らない。

 

人生組織から自由になれるのが本当に老後しかないというのはもったいない話である。

 来月のニート生活のために今月は頑張る、そういう考え方があってもいい。ニート生活とフリーター生活を交互にやるという意識低い生き方でも幸せな人は幸せなのだ。

人から認められるとか何かを成し遂げるというのはガッツや野心のある人がやればいいのであって、とにかく何もしなくていい事や明日休みである事の気楽さのほうを重視することもまた一つの生き方なのである。

何かを頑張っていいものを手に入れることも幸せならば明日何もしなくていいという事に喜びを見出すことも一つの幸せなのである。