負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ワイ、ネイマールの現在に悲しくなる・・・・

サッカー界で最も「小者」という言葉が似合う選手といえば、有名どころではブラジル代表のネイマールだ。

ある意味でサッカーの醜さや汚さ、姑息さを凝縮したような選手であり、スポーツマンシップに欠ける行為で悪名高い。

 

ブラジル代表といえばサッカー王国を長年牽引してきた歴史があり、往年の有名選手を上げれば枚挙にいとまがない。

セレソンにおける代表での得点数を考えれば決して小者という言葉が相応しい選手ではないどころかむしろ上位であり、年齢を考えればなおさらその価値は評価されるべき選手ではある。

よくロナウジーニョと比較されるが、得点力やシュートセンスに関しては間違いなくネイマールの方が上で、フィジカルやファンタジー性ではロナウジーニョが勝る。またロナウジーニョの場合ワールドカップとバロンドールを獲得したことに加えて、いわゆる"舐めプ"でも許されるどころかライバルチームのサポーターに拍手を送られるほど圧倒的な存在だった。

それがロナウジーニョだからと許されるのに対して、ネイマールはヒールリフト、ポルトガル語ではソンブレロをするだけでバッシングを浴びるほどそのプレースタイルが問題視されている。

 

ネイマールの場合、勝負が決まっている時に舐めプ気味にトリックプレーをすることに立敷いてロナウジーニョはそれを真剣勝負の舞台で実戦の領域に高めていたという違いはあるのかもしれない。

 

ネイマール

更にネイマールの評判を落としているのがいわゆるシミュレーション行為であり、ファウルをもらうためにわざと演技をすることが、今回のロシアワールドカップでも大々的に取り上げられた。

特にビデオ判定が導入されたことにより、演技が明らかに判定される様なったことはネイマールに追い打ちをかけた。今後サッカーの試合においてビデオ判定は更に普及する可能性が高いので、ネイマールのやり方は今後通用しなくなっていくものだと思われる。

 

今でも一応はメッシ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ第三の名手としてネイマールは選出される傾向にあるが、ロシアW杯でブレイクしたフランス代表のエムバペのような下の世代が台頭して来たり、エデン・アザールやモハメド・サラーのような似たプレースタイルの選手も覚醒したりしてきており必ずしもその地位は安泰ではない。

 

このまま典型的なブラジル人選手にありがちな早熟型で終わるのか、それともここから復活を遂げるのか。個人的にはネイマールの汚いプレーや、大人になりきれないところに人間味を感じて今でも応援しているし、そのプレースタイルはとても気に入っている。

サントス時代にブラジルの新星だと言われていた時期に、ちょうど自分も新生活を始める時期だったことで自分の人生と重ね合わせていたこともあるし、バルセロナに鳴り物入りで加入してからの過程を見てきたからこそ思い入れもある。

ネイマールに関しては他人事ではいられないというか、憧れもしているし嫌いになれないというか憎めない選手だ。自分自身、そうして賛否両論や好き嫌いが分かれて、物議を醸す選手や嫌われ者的な選手を逆張りで好きになりがちなので、ネイマールにはもう一度栄光を手にしてほしいという思いはある。

 

ただ現実問題として、2013年のコンフェデレーションズカップ優勝が彼のキャリアの中で絶頂期だったというサッカー人生になる可能性も否定できない。

コンフェデレーションズカップなど実際には、ワールドカップ前の予行演習に過ぎず既に廃止が決まっている大会だ。日本代表も参加したあの大会でブラジル代表は当時のディフェンディングチャンピオンであったスペイン代表を破り圧倒的な優勝候補として地元開催のブラジルワールドカップに臨んだ。

 

その結果がコロンビア代表との死闘でスニガのラフプレーによって負傷し、欠場したドイツ戦では1-7という歴史的敗退を喫し別の意味で歴史に残る大会となってしまった。

そしてロシアW杯では同じく優勝候補と目されていたものの、後に「ネイマールチャレンジ」として揶揄される醜態を晒しながらベルギー代表に敗れ去った。

 

正直なところサッカー選手のピークを考えると、この二大会のどちらかで優勝を手にしておかなければならなかった。

次回の2022年カタール大会はもちろんまだ可能性がある大会であり、20代で挑める最後のワールドカップなので是が非でもここで獲っておきたいというのがネイマールの立場だ。

 

しかし現代サッカーではもはやナショナルチームもクラブと同じような洗練された組織の時代になっており、更にシミュレーション行為が厳しく取られるようになっているので南米勢には向かい風が吹いている。

2002年の日韓共催W杯でブラジル代表は優勝しているので、ちょうど20年ぶりの戴冠ということになればきりが良いが、当時のブラジルとは状況が違う。

ブラジル代表といえば実質的に世界選抜であり、どのポジションの選手も名前が知られていた時代ではなくなっている。

確かにスターがいないと言われながらも何だかんだで選手は湧き上がってくるのがブラジルであるし、実際コウチーニョやジェズズといった選手はネイマール以外にも存在する。

ただ「ネイマールがセレソンの10番」と言われると、もう現時点では頼りなく感じるし優勝するイメージが沸かない。

そもそもリオネル・メッシですら個人の力ではアルゼンチン代表を優勝に導けず、マラドーナの領域に辿り着けないと言われる時代だ。

 

南米の選手がエースとしてチームを率いてワールドカップで優勝するという光景自体がもう過去のものになってきているし、両者ともにそもそも南米限定のコパ・アメリカですら優勝できていない。

かろうじてネイマールはリオ五輪で優勝してブラジル史上初の金メダルを獲得したし、メッシも北京五輪では優勝を果たしている。しかしサッカーの世界でオリンピックの覇者というのはそれほど大きな意味を持たないのも事実だ。

 

クラブレベルでいえばメッシは間違いなくレジェンドであり、バルセロナで獲得したタイトルは数えきれない。その一方でネイマールは代表だけでなく、クラブでも物足りないキャリアになってしまうのではないか。

 

確かにネイマールはバルセロナ時代リーグ優勝も果たしているしUEFAチャンピオンズリーグを制覇しているが、これはMSNトリオとして一時代を築いたメッシやルイス・スアレスあっての物で彼自身の力で率いて獲ったという印象は無い。

だからこそパリ・サンジェルマンに移籍して、フランスで正真正銘のエースとして新しい時代を切り開こうとしたはずだったのだが、ここでも評価はいまいち上がらない。ネイマールがフランスでやったことといえばヒールリフトを得意げに疲労してバッシングされたぐらいで、所詮は準トップリーグの中の強豪で王様をしているという評価に過ぎない。

ヨーロッパの舞台でPSGを王者に導けば評価は上がるかもしれないが、そのミッションも現実的には難しいどころか、レアル・マドリード移籍のための腰掛でしかないような印象さえ受ける。

 

ネイマールの前にPSGのアイコンであったズラタン・イブラヒモビッチにはまだ王者として人を引き付けるカリスマ性があり、パリ市民にも愛されていた。このブラジルのファンタジスタはこの点で欠けており、歴史を作る存在だとは思われなくなりつつある。

 

ブラジルの新星として登場したときはメッシ、ロナウドの次の時代をリードし、セレソンを復活させる才能だと思われていた。終わってみれば代表でもクラブチームでも大した実績が無く、よくいるブラジル代表の中の名選手の一人という評価となっているかもしれない。

他国なら間違いなくレジェンドではあるかもしれないが、それだけブラジル代表はサッカー界において特別な存在でもある。そう簡単に偉大な歴史に名を刻む存在にはなれないし、それだけブラジルサッカーの歴史は重い。

現実的には次のカタールワールドカップが全盛期で迎えられる最後のチャンスだろうか。その人間の真価は、その国や組織の時代が終わりゆく時に復権させられるかどうかで問われる。サッカーという競技自体、厳しい時に戦えるかどうかで名手であるかそうでないかが分かれる。果たしてネイマールはどちらの選手になるであろうか。

ここ最近昼夜逆転生活になりつつある

昔は徹夜なんて余裕でできていたけど、身内に合わせるという事もあってしばらくの間朝起きて夜に寝るという極めて健全な生活を続けていた。

しかしここ最近体内時計が昼夜逆転状態になっていて、夕方起きて深夜に過ごして朝に寝るというリズムになっている。

その上当然お酒も飲んでいるので廃人状態だ。

 

一人暮らしをしていた時期はそれこそ昼夜逆転状態が普通だったので、この感覚は懐かしくあるし、できればまた一人暮らしをして深夜に過ごしたいという思いもある。

ただ現状田舎暮らしなので、深夜に起きていたところで本当に何もないのは刺激が無くてつまらない。都会だと深夜に徒歩や自転車で出歩いてもそこそこやっている店があったりして、街が生きている感じがするし気ままにルートを決めず旅をしても何かしら発見があってが楽しいが田舎は本当に閑散としている。

こんな場所にこんなお店があるんだという発見があるだけでも刺激がある。

 

かつて暮らしていたところは都会と言ってもそれほどの場所ではないのだが、一応活気がある場所だと深夜に外に出て夜明けに帰ってくるという事もよくしていた。しかし田舎だともう大体のところも知っているし、街灯もガチで少ないのであまり夜に出歩いても面白みがない。治安に関してはむしろすこぶる良いが、流石に飽きるというか人がいなさすぎてつまらないしお店も無い。

自動車で行ける範囲内には深夜3時頃まで営業しているカラオケ居酒屋みたいなところが数店ある物の、中高年の常連客向けだしそもそも車なので飲むわけにはいかない。

自分自身露骨に体力低下を感じいて、ちょっと前ならそれでも徒歩で言って深夜の街を歩いて缶酎ハイ片手に飲んで、酷い時は極寒の中、外で寝ていたなんてこともあった。

ただ今はもうそこまでの気力もないというか、部屋でいいかなとなる。

 

ここ最近で夜に出かけた経験と言えば禁酒期間中かろうじて飲んでいない時に、勢いでもっと遠くにある24時間営業の量販店に行ったのはちょっと前のことながら懐かしい。その時は突発的に欲しい物があって軽自動車でいって、まぁ田舎なので深夜は空いていてだいぶ走りやすかった。

自分はその量販店に行くと、大抵安売りされている総菜パンとミルクティー的なものを買って一息車内で過ごすのが好きだったりする。駐車場に戻ってきてもうその日は乗らないと決めれば車内停的に車内で飲んで翌朝まで過ごすこともある。

 

ここら近辺だとすき屋とコンビニを除いてガチで深夜営業のところが少なく、マクドナルドも日付を越えずに閉まる。

24時間営業のマクドナルドがあるだけでもだいぶありがたいのだが、それが田舎と都会の違いだ。ファミレスに関してはかろうじてまだ24時間営業のところがある物の、もう深夜のファミレスが若者のたまり場という時代でもないしここもあと数年で深夜営業を辞めるかもしれない。

底辺生活の中でもう何年も行っていないけれど、無くなる前の今のうちに思い出づくりにいってみようかなと思う。

そんな感じで深夜に過ごすと何かと自分の中では懐かしいひと時が作れるのはちょっとした楽しみだ。

 

そえゆえに昼夜逆転生活自体はそこそこ楽しい一方で、起きた時が精神的にキツいというのはある。

前日の酔いもあるので起きたとしても二度寝をして、5時の鐘が鳴っても起きれず、一日が日が暮れてから始まる感覚というのは自己嫌悪感に苛まれる。酒が脳内の幸福物質を消費させているので、どうしても孤独感やこれまでの人生への後悔とこれからの人生への不安が押し寄せてくる。

とはいえここ最近、なるべくアルコールの分解に必要なタンパク質を取ることを心掛けていたり、酔いが抜け切ってから飲むことを心がけたり、単純に寸前で飲む量を抑えているのでそこまで深刻な二日酔いにはなっていない。

 

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なのでちょうど深夜になると当然のことながら飲む。

前日の酔いを醒ますのに時間をかけて疲れたのだから、ご褒美として飲んでも良いじゃないかと飲んでしまう、そしてそれでまた前日に戻るという悪循環だが気にしない。今日さえよければいい、そんな人生観で生きている。

 

本日のメニューはこんな感じだ。

キリンが出し始めたザ・ストロングは抽象的な表現かもしれないが透き通っていてこの手の酎ハイとしてはかなり味のクオリティが高い。このホワイトサワーはその中でも更に直近に出始めた物で、ちょうどひろゆきの配信で話題にしてる人がいたので飲んでみた。

味としては甘ったるくなく程よい苦みもあり、カルピス風味で中々いい。甲類焼酎を飲むときカルピスウォーターやカルピスソーダで割っていた時期もあるのでちょうどその味に似ているかもしれない。

そしてその後はワンカップも芋焼酎を飲む。準備や後片付けも面倒なのでもう大体こんな感じだ。こういった底辺感のある画像は好きなのでこうしてスマホのカメラで撮ってみたがいかがだろうか。

 

ちなみに深夜に何をしているのかというと、ここ最近はほぼyoutubeで語学系の動画を見ている。

某匿名掲示板の専門板を見ていたのはほんの少し前の自分内流行だったのだが、なんというか面白い書き込みも減っているし、何よりもうSNSの時代になってBBSというジャンル自体が過疎っている。面白いスレだと思ってみてみると残っているのといえば、よくわからないコピペを繰り返すようなイカれた荒らしぐらいしかいないし、かといって最近のネットのノリにもついていけない。

日本のユーチューバーなんてくだらなすぎて見てられないし、PCはグラボが損傷している上に修理する予算も無いのでゲームもできず、かろうじてみれるyoutubeで時間を過ごしている。

 

ただこのyoutube漬けの生活はわりと気に入っていて、特にほぼ海外系のコンテンツばかり見ている。具体的に言えば韓流関連で、ちょうど韓国語の勉強も兼ねられるので自分の中では「これはダラダラと過ごしているのではなく勉強しているんだ」と言い聞かせている。

「デザインとエンターテイメントと語学の勉強」と称して、その内実ただ韓流系の動画を見ていて、時々中国と英語の動画を挟んでいるのでもはや脳内がカオスだ。

色んな言語が飛び交うので脳にとっては良い刺激で活性化されて進歩しているいる感じはあるし、そう言い聞かせないとメンタル的にやっていけない。

 

イケメン東大生みたいな人が「計算すると勉強の時給は4万円」と算出していたので、その理論に基づいていると自分はなんと生産的な時間を送っている事だろうか笑

こうしてお酒を飲みながら文章を書いているのもコンテンツ生産能力向上の訓練だと言い換えれば、実に生産的な行為だ。

読解力や人間的な文章というのはしばらくの間はAIに置き換えられにくいものとされているので、語学と合わせて将来の生存戦略に必要な有意義な行動である。

 

語学に関してはこうして遊びながら習慣づけていくのが大事だと思う。

どうも日本人は堅苦しい勉強だと考えて大変なものだと語学を避けがちなところがあるけれど、こうして意識の低い勉強も続ければそれなりに進歩はしてくる。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

お酒を飲みながら韓流動画を見る習慣は我ながら中々いい趣味だと勝手に思っている。

同じ底辺系の方でもお酒を飲みながら音楽を聴いて夜を過ごすという人は多いし、懐かしのゲーム音楽メドレーやアニソン集はかなりの再生数を誇っている。

みんなそうやって現代のつらい社会を生き抜いているのだろう。

K-POPというのは無理やりテンションを上げることに特化しているのでお酒と相性がいいと言うか、一人で見ていてもそこそこ楽しいというか憂鬱さは紛らわせられる。

夏はフィーバーして盛り上がろうぜという気概があったものの、秋になってからは一人でこうして過ごしている。

韓流に限らず洋楽なんかも英語の勉強になるし、こうしたアップテンポな音楽を聴きながらお酒を飲んで過ごすというのはわりとおすすめだ。

同じく洋楽でも海外コンテンツの吸収というのはアートセンスを鍛える意味でもいいし、語学以外の面でも役に立つ。

 

意識してこうした海外系の動画を語学目的で見るようになるとリスニング能力はそこそこ鍛えられるし、実際多少韓国語も以前に比べてクリアに単語を聞き分けられるようになってきつつある。

そして第二外国語を聞いていると、聞き分け能力自体が聞き分けられるので自然と英語も聞き取りやすくなってきている。

外国語を聞いて理解するというのうは脳の機能の部分である程度共通しているので、違う言語同士でも無駄にはならない。また韓流アイドルの場合英語を使うメンバーが多かったり、英語字幕が充実している物が多いので、同時に二か国語勉強しているという状況も発生する。

 

そうやってポジティブに自分は将来のためになることをしていると考えるのは、言い訳かもしれないけれど多少は精神的な支えになる。ただ虚しく酔ってしまっただけでは無駄に思える時も、まぁ何かしら進歩はあったからいいやと思えれば元気は出てくる。

まぁそんな感じの底辺生活のここ最近の日常だ。 

PSVITAが来年で出荷終了 携帯ゲーム機という斜陽産業

一昔前はソニーのPSPかニンテンドーのDSかと比較される程、並び立っていた二大巨頭も時代の変化と共に消えゆく運命にある。

PSPかDSのどちらの派閥かということで争っていた時代は、今思えば携帯ゲーム機が華やかに栄えていた時代限定の事だったのだろう。

その二つはどちらも姿を消しつつあり、DSシリーズは3DSを最後にニンテンドーSwitchという携帯機体と据え置き機を合わせたものになり、PSPはVITAを最後に後継機の予定はなく2019年を最後に出荷は終了することが発表された。

 

そもそも携帯ゲーム機というものが日本特有の物であり、いわばガラケーのような存在だったのかもしれない。かつてゲームボーイが欧米市場を席巻した時代や、日本国内でも爆発的に流行った時代はどちらも裕福な時代だったことに加えそもそも本体価格が安かったという理由も挙げられる。

 

また携帯機が衰退していく背景においては、海外の場合は据え置きが主流である事、そして日本ではソーシャルゲームのようにスマホが主流になっていく事が存在する。

よく言われるがスマートフォンは万人が持っているゲーム機のような物で、そうなればゲームのためだけの機器をわざわざ手に入れようとは思わなくなる。スマホが普及したことと高性能化したことで、いよいよ役目を終えて姿を消す時が来たのだ。

 

自分個人の感覚としてはやはり携帯ゲーム機には思い入れがあり、なおかつスマホでゲームをするという感覚になれないので寂しい思いはあるがこれも時代の流れとしては仕方のない事なのだろう。

コンシューマー機のほうが好きな自分も、ではPSVITAを所有していて日常的にプレーしているかといわれればそうではないし、現状据え置き機も持っていない。

やはり現代人のライフスタイルにもうコンシューマー機は適合しない物になってきているのが現実だ。

お茶の間でテレビ番組を決まった時間に家族で見るという文化が衰退したように、かつてのゲーム文化もまた過去の光景になりつつあるのだろう。

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そもそも日本人の感覚としてクオリティの高い良いゲームをすることよりも、皆がやっているゲームをやるという感覚が強い事や、今の時代その良いゲームというのは敷居が高いものになっているため忙しい日本人の生活ではそもそもやる暇がないという現実もある。

カジュアルで手軽な方向に人が流れるという流れはもはや避けられないことだ。

 

実際自分もゲームをする習慣はほとんどなくなり受動的な趣味に移行しつつある。

熱量を持ってゲームに没入できていたのは昔の話であり、だんだんと少ない労力で暇をつぶせることを優先するようになってくるのが人間の悲しいところだ。

自分は見ていない物のここ最近話題のハイスコアガールというアニメでは、露骨に懐古趣味が描かれているようで、多くの人がゲームに熱中できていた時代を懐かしがっているのが現代日本の実態だ。

 

また一つそんな時代の終わりがやって来たのだろう。

DSが先に消え、後を追うようにプレーステーションポーダブルも消えていく。

現実問題としてただでさえVITAはソフトが少なく、その上手ごろな価格帯で無かった事は普及を阻害する要因になった。

その上、現代はスマホが必須とも言える社会になり、どうしてもコンシューマーの携帯機となれば3DSでも十分であるしスイッチは非常に流行っている。

かつてワンダースワンという幻のゲーム機があったのと同じで、いわゆる負けハードということになってしまったのがPSVITAの評価になるのだろうか。ありがとう、さようならPSVITA、とくにやったことなかったけど。

元々携帯ゲーム機というものが中途半端なニッチ産業で、代替品となるものが普及すればもう居場所はない。かろうじて残るとするならばスイッチが選んだ形式は上手い生き残り策だと言えるかもしれない。

ゲームという物は性能やスペック、クオリティではなく、アイデアやイメージ、そしてカジュアルさであることのまた一つの事例がPSVITAの撤退ということになった。

こうしてゲームを取り巻く環境も刻々と変化していくのだろう。

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ワイ将、今季限りでストロングゼロ選手との契約を打ち切る

ここ最近焼酎オンリーの晩酌習慣にしてから、その効能の違いにマジで驚いている。

分解のプロセスがシンプルで、不純物が少ないと言うだけでここまで大きな違いが出るとは思ってもいなかったというかもっと早く気づいておくべきだった。

 

そもそも自分はふりかえってみれば焼酎漬けの生活をしていた時期があり、その頃が今思えば一番お酒を楽しんでいた時期だったと記憶を取り戻しつつある。

ここ最近例のストロングゼロのような9%系の缶チューハイが主力選手だったため、どうしても悪酔いや二日酔いがきつくなり精神的にかなり荒んでいた。ただでさえ飲み始めてから楽しめる時間が少ないことに加えて、悪質な頭痛になり朝目覚めたときは本当に憂鬱で気分も悪かった。

 

自分自身強がって「ストロングゼロで悪酔いするとか言ってる奴は酒の弱いだけ」と粋がっていた時期もある。しかしここ最近悪酔いが多発するようになっただけでなく、思い返してみれば普通に昔も悪酔いしてたなということに気付いた。

「くぅ~意識低く生きる底辺最高ゥうぃ~!」なんていうテンションでストゼロを飲んでいたから自覚しにくかっただけで、良く考えればがっつり悪酔いしていたのだ!笑

 

そこから本当にどんどん泥沼にはまりついには人生の希望どころか、自分の好きな趣味の楽しみまで失い朝起きては嘔吐し虚ろな目で匿名掲示板を見るだけの日々が続いていた。

あの頃はまさにどん底だったというかお酒の楽しみまで失っていて、本当に何のためにお酒を飲んでいるかもわからない時期だったように思う。

 

elkind.hatenablog.com

そこから二日酔いや悪酔いのメカニズムをもう一度勉強し直して、習慣を見直すことを始めたというのが前回に書いたことだ。

よくアメリカ人が「ケチャップとポテトは野菜だからヘルシー」みたいなことを言うというジョークがあるが、そのギャグに乗るならば「芋焼酎と麦焼酎は実質野菜ジュース」というネタも成立する。

 

ただこれは確かにアル中が頭がおかしくなっているような冗談ではあるが一理ある事で、昨今流行りの度数の高い缶酎ハイと比べればはるかに自然体で体への負担が少ない。

 

最近の自分は9%系の350ml缶を3缶飲んだら本当に翌日酷くなり、もうどんなに多くても2缶までにしようとさえ思っていた。以前はロング缶を2つ飲んで、発泡酒や焼酎でもう少し補うという生活をしていたのにここ最近明らかに弱くなっていた。

朝起きて飲めるコンディションならばだらだら飲み続けるという習慣が続き、夜は頭痛に耐えながら横になりそれでも回復せず翌日まで持ち越してしまうなんてことも日常だった。

 

そもそもなぜ以前は焼酎だったのに、酎ハイにしたかといえば、それは焼酎に飽きて甘味のある物が欲しくなったり季節が夏で爽快感がある冷たい炭酸系を欲したからだ。

しかしもう夏も終わり涼しくもなってきたので、爽快感にこだわる必要もなくまったりと芋焼酎でも飲むことがちょうどいい季節になってきた。

それでもう一度戻してみたら、飲める量と酔い醒めにも歴然とした違いがあることを実感することになった。実感というよりも再確認と言ったほうが良いかもしれない。

 

自分の場合焼酎を飲む場合、200ml25度のワンカップ焼酎を愛用している。

コップに注がなくていい事と常温で保存しておいてもある程度飲めるので、これを生(き)で飲むのがマイスタイルだ。コンビニなどでも手に入りやすく置き場所もかさばらない上に、様々な種類を選べる。もちろんグラスに注ぐこともできるし、飲み方は自由だ。また缶酎ハイの空き缶と比べて飲んだ後物理的に溜まる物が少ないのもメリットだろう。

数本あれば余計な作業も必要なくじっくり長く楽しめるので、一人まったり過ごすにはちょうどいい。

 

本当は水割りやお湯割りをしたり、ロックにしたりしたほうが香りも良く味も良いのだが、何かしながら飲む場合にはそういったことが面倒になって来るので自分はもうそのまま飲んでいる。正統派の楽しみ方ではないが25度という事もありちびちび飲みながらだと酔うにはちょうどいい。

乙類焼酎ならば250円ちょっとで、甲類や混和ならばもっと安い物もあるが流石に味が落ちるので滅多に選ぶことは無い。度数のことを考えれば実はそれほど缶酎ハイと大差がなくこのスタイルはもっと知られていいかもしれないと勝手に思っている。

ストゼロや氷結で乾杯し合うよりワンカップ焼酎で乾杯し合う方が楽しい時間は長く続き、終わり方も綺麗だ。

 

それを昨晩は久しぶりに3杯綺麗に飲みきることができて、「久しぶりにここまで行けた、前はこれくらいで来ていた」と感動を覚えている。

ストゼロだともう350ml缶を二つですら酷い二日酔いになっていた人間が、焼酎だとまたここまでできた上に、眠りも良く、多少酔いは翌日に持ち越されたものの自然な感覚で今はもうその感覚は霧が晴れるように消え去っている。

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感想(1件)

よく悪酔いするのでちゃんぽん酒をしない方がいいといわれ諸説あるが、やはりシンプルなものが一つの種類だけ単純にある方が分解しやすいのは至極当然の原理だ。

やはりいろいろ混ぜたくってそれを長期間保存できるようにした類の酒類は分解に手間がかかる上に、悪酔いの原因になる成分が多い。

同じ酎ハイでも甲類焼酎などにソフトドリンクやソーダ、酎ハイの原料をその場でアレンジして作るようなものはそれほど悪い物にはならない。よく居酒屋などで出される酎ハイやサワー系はそうして作っているので、缶酎ハイほど悪酔いはしにくい。

また缶酎ハイもピンキリでいろいろ種類はあるので悪酔いしにくい物は当然あるので、単純に一括りにはできない。

 

ただ「お芋のジュース」というわけではないが、自然原料のものをそのまま蒸留したようなものはやはり抽象的な表現かもしれないが自然は自然だ。

実際にその生活に戻してみて、散々苦しめられていた悪酔いと二日酔いから解放され、お酒を飲む楽しみを取り戻した自分が言うのだから間違いない。またお酒好きで知られる嵐の櫻井翔も芋焼酎という境地に行き着いているという話もある。またつるの剛士も芋焼酎を好んでいて、大学生が黒霧ロックでなんていう時代だ。

落ち着いてくると焼酎に行き着く、サクラップとつるのもお墨付きを与える真の魔法の水はストゼロではなく焼酎だったのだ。

これから肌寒くなる季節、芋焼酎や麦焼酎のお湯割りもまた美味しくなるだろうし気分の悪い酔い方に苦しんでいる人は焼酎選手を採用してみると成績が向上するかもしれない。

焼酎のような蒸留酒が悪酔いしにくいのは本当

久しぶりにお酒を飲んで判明したことがある、蒸留酒が悪酔いしにくいという説は間違っていないという事だ。

しばらくの間お酒を飲まない生活を続けた後、再び解禁したのだが、飲んだ酒種の違いに拠ってこうも違いが出るかということを身をもって体験した。

まず前提として自分は以前に比べてややお酒に弱くなっているような気がするというか、ダウンするまでの時間が早くなったように思う。

またお酒の疲れが抜けにくくなって来ていて、悪酔い二日酔いが頻発するようになった。

ただこの話には裏があって、自分が長時間お酒を飲めて夜遅くまで楽しめていた時に飲んでいたお酒と、ここ最近悪酔いが続いていた時のお酒では大きな違いがある事に気付く。

 

禁酒期間が明けてからこの三日間、初日と二日目は悪名高い缶酎ハイを飲み、三日目の今日は芋焼酎を飲んだ。芋焼酎を飲んだ今日は少し休めば、多少気分は悪い物の何らかの作業が出来る状態に回復したことに対して、9%系の缶チューハイを飲んだ日はとにかく頭痛がひどく、悪酔いの後二日酔いにもなった。

 

それで調べてみたところ悪酔いしにくいお酒としやすいお酒があることを知り、悪酔いの原因は不純物の有無にあることを学んだ。実はこの知識自体は以前からなんとなく知ってはいたものの、勢いに任せて飲みたいお酒を飲んでいればなんとなかったので特にこれまで意識することはなかった。

しかしいつまでも勢いに任せているのは続かないという事と、流石に悪酔いや二日酔いがきつくなり耐えられなくなってきたことで、なるべく良いお酒を飲む方向にシフトしていくという決断に辿り着いた。

 

お酒というのは酔っている最中にどう楽しめるかということよりも、酔い終わった後にどれだけ心身ともに負担が少なく終えられるかという後処理のほうが大事だという事に気付く。

子供の頃におもちゃで遊んだたら後片付けが大事だと言われたり、スポーツをすれば用具の片付けを厳しく教え込まれたりするし、お祭りや何かのイベントの後では持ってきたものを持ち帰るという基本的な常識があったりする。

それらの事と同じように、お酒も楽しんだ後どう終えるかのほうが大事だなという境地に達しつつあるというか、とにかく飲んだ後後悔することが本当につらくなってきている。

 

そのため酔い醒めの良いお酒をなるべく選ぶように心がけようという考えになったのだが、まず本日の実験結果として焼酎と缶酎ハイでは雲泥の差がある事を身を持って体験している。

 

確かに焼酎も飲み過ぎれば多少頭痛や気分の悪さはあるのだが、少し横になって休めば回復する上に単なる飲み過ぎによる疲れでしかない。自然な疲れという表現は的確ではないかもしれないが、不自然な違和感がない。

逆に添加物の多い缶酎ハイだと頭痛の質が非常に悪い上に翌日まで残っててしまう。何か悪い物質でも脳に届いてしまったかのような感覚が続き、そのような状態だと当然精神状態も悪くなり後ろ向きな考え方ばかりするようになる。

 

これはなぜかというと蒸留酒は何度も蒸留を繰り返すため、不純物が少なく分解の負担が体にかからないという理由によるようだ。

昨今手頃に飲みやすい缶酎ハイや第三のビール、発泡酒が普及しアルコール度数もあがっているがやはり安酒であり悪酒だ。戦後混乱期に粗悪なカストリ酒が出回ったのと同じで、今の社会情勢から逃れるためにこのような酒類の消費が増えている。

 

ただ同じ安酒であっても甲類焼酎は味はともかく蒸留を繰り返しているため、クリアな成分になっていて同じく悪酔いしにくい。しかし甲類の難点は価格が下がるほど直接飲めるような代物ではない程に味が落ちていく。

酔う事が目的で経済性を追求するならば、高類焼酎や混和焼酎を味は我慢して飲んで、そのあと即座にチェイサー類で流し込むという手法が良いのではないかと思うので今後試してみたい。味の良くない酒はどれだけ混ぜたところでまずいものはまずい、それならば最初に飲み干してその後味の良い飲み物で口直ししたほうが後味が良いのだ。

 

結局のところ人間というのは科学や文明の発展によって進歩したが、人体自体は自然からの贈り物でありナチュラルなものだ。

自然の物には自然の物があうし、西洋医学による化学的な薬品よりも、漢方や民間療法のほうが効くということは現代でも多い。それと一緒で様々な添加物を含み無理やり合成したようなお酒は、分解しにくいような成分が入っていてどうしても負担がかかりやすい。

特にメタノールは大敵で、この成分が含まれているとエタノールに優先して分解しようとするためアルコールが体内に留まりやすい。また除光液に含まれるようなアセトンも、微量ではあるが含まれている酒類がありこういった不純物が悪酔いの原因とされているようだ。

そのためエタノールの純度が高い蒸留酒は比較的に分解の過程がシンプルで二日酔いにもなりにくい。

 

不純物が多いという意味では日本酒やワインのような醸造酒も悪酔いしやすい。

自然な味わいや甘味がある一方で蒸留酒に比べるとやはり純度は下がる。これは自分自身何度も経験があり、日本酒やワインを飲み過ぎた後の頭痛の質は頭にズキズキと響くようなものがある。

もちろんこれはお酒のせいだけでなく、自分の飲み方にも責任があり正しく飲めばこういった悪酔いは軽減できる。日本酒も純米酒のように余計なものが含まれていない物は特に悪い酔い方はしにくいようだ。

更に言えば全てのお酒に共通することとして、値段に比例して質も高くなり手間がかかっている分だけ純粋な成分になる。

 

ただそれは経済性との両立を考えると簡単に実現できるものではない。

だからこそ手頃な価格帯で入手しやすい焼酎類は、定期的に常飲するような場合に有力な選択肢になり得る。

自分のライフスタイルを振り返ってみて悪酔いや二日酔いに苦しむことが多かったのは、ここ最近だけでなく更に前でもやはり缶酎ハイに頼っている時期が多かった。ビール感覚でテキーラショット数杯分に匹敵するような量を飲めてしまうのはやはりよくないだけでなく、何より成分の純度が低いのが余計な負担を強いる。

その一方で冒頭で少し触れたように、遅くまで酒を長く飲めていたのは甲類、乙類問わず焼酎類を常飲していた時期だった。

 

後悔なんて後からすればいい、今日はひたすら浴びるように酒を飲んで楽しむ、そう勢いに任せていられるのはほんの一時だ。ここ最近の自分はそういった悪酔いや二日酔いによって、特に精神的に疲弊していた。

だからこそ「酔い醒めの良さ」というのは今後自分の中でお酒を選ぶ基準になっていくだろうと思う。

蒸留酒という意味ではウイスキーやウォッカ、ラム酒、泡盛も良いらしく、特にメタノールが含まれていないという意味ではウォッカにも興味が湧いてきている。

蒸留酒は一つの素材を原料に蒸留しているため、余計な物が入りにくく自然な状態に近い。だからこそ体内での分解の手間も複雑ではなく、二日酔いしにくい。アルコール度数を下げてより体への負担を軽減するという意味では、お湯割りやお茶割りもよい飲み方だ。

 

またアルコールの分解を助けるという意味ではタンパク質が重要な役割を果たしており、おつまみ類もそれに合わせて最近は変更しつつある。これまではスナック菓子類が手頃だったのでそれらを食べていたのだが、これからは干物や魚肉ソーセージに切り替えていく予定だ。なるべく原型に近いたんぱく質が良いという意味では干物がよく、なおかつ場所もかさばらない、そして焼酎類とも相性がいい。

缶詰は確かにお酒との相性は良いのだがいかんせん箸が必要であったり、空き缶の処理が手間になったりと、日ごろ常食するには面倒がある。その点、魚肉ソーセージは安売りしていることも多く手軽さという意味ではスナック菓子の代用として使えそうだと思い既に導入し始めている。

 

良いお酒の飲み方を追求すればきりがない上に、そもそも飲まないというのが一番なのだが、できる範囲内で少しだけでも改善しようというのが今の自分が取り組んでいることだ。

お酒を飲まない日の過ごし方なども工夫し始めていて、昔のようにやみくもに酔うというスタイルからなるべく脱しようと試みている。

というよりも悪酔いが心身ともに本当につらくなってきたことがそもそもの発端で、そうせざるをえなくなったとも言えるかもしれない。後悔するような呑み方をすると飲んでいる時も心の底から楽しめないようになるし、何のために飲んでいるかもわからなくなる。

そもそも体内に取り入れるものなので体質に合うものを選ぶというのは基本中の基本だ。お酒に限らずどんなものも取り入れ過ぎれば負担になるし、体質に合わない物も当然ながら良くない。

自分に合う物を見つけ、自分に合ったやり方で付き合っていくのがお酒に限らずあらゆるものに言えるだろう。

北海道民の今の精神状態ヤバそうだな・・・・

しばらくネット断ちしていてテレビも見ておらず、新聞も取っていないので北海道が大震災に陥っていることを数日遅れで知った。

サッカー日本代表のチリ戦が中止になったという話を通じてようやく自分にも情報が伝わってきた。そういえば2011年の3.11の時もワールドカップ後で、ザッケローニ体制が始まっていく頃だった。

そのザックジャパンはブラジルで惨敗するのだから、震災と共に始まった森保ジャパンは早々に不吉なスタートダッシュだ。

 

それにしてもテレビとネットを断てばまるで実感が無いことを考えると、同じ日本でも情報が隔絶されていれば何も知らないのが現実なのだろうと思う。

実際、同じ地域でも県が違えば災害と言われても他人事のように思えるし、そもそもこれだけの災害大国でいちいち気にしてたらやってられない。

 

正直、今年は自然災害があまりにも連発しすぎていてもう自分自身疲れている。

連日暗いニュースばかりでさすがに嫌気がさしてくるし、最近は雨が降っているだけで気分がどんよりして嫌になる。自分も今この時間雨と曇りが交互に訪れている状態で、陰鬱な精神状態だ。

 

こんな時お酒でも飲めればよいのだが、禁酒期間に入っているのであまりテンションを上げて盛り上げるようなことも書けない。

これを異常気象だという人もいるかもしれないけれど、元々日本という国は災害大国なので昔からこういうことを繰り返してきた歴史がある。

農耕民族として天災の影響を常に不安視して生きてきた日本人は、どうしても何かを不安に感じやすい遺伝子を持っている人が多い。農耕民族と災害大国という組み合わせが日本人の性質を作り上げてきたのだろうし、特に3.11の東日本大震災で戦後日本の裕福な時代が終わりを告げた。

 

あきらかに東日本大震災以降、この国の雰囲気は陰鬱な方向に変わってしまったし日本人は現実を悟ってしまった。盛り上がるとすれば何かをバッシングしている時だけで、ポジティブな話題が無い。テレビをつければ連日ネガティブな報道ばかり、ネットも何かを叩くツールとしてばかり使われている。

何かに反対して叩いている時の一体感が日本人の言う「絆」なのだろうし、集団で何かを叩いている時の昂揚感以外に楽しみも無いのが現実だ。

 

自分は最近、北海道についてのエッセイ集を読んだことがあり北海道への関心が高まっていた。

そこに書かれていたのは、北海道の夏は本当に短く、冬は陰鬱で長く嫌な物でしかないというそこで生まれ育った人にしかわからない感覚だった。

だから北海道の人に「北海道の夏は涼しいですね」というと嫌味に聞こえるらしく、短い夏が終わればすぐに迫りくる冬が不安になるようだ。

 

そのエッセイ集は30年ほど前の物なので、今とは当然気候も違うかもしれないが、それでも北海道の冬が厳しいことに変わりはない。

自分のように比較的温暖な地域で育っている人間には憧れに見える北国も、実際に住む人にすれば雪は忌まわしい物だ。

実際、田中角栄が新潟で選挙運動をしていた頃に「雪ばかり振らせるあの山をダイナマイトで破壊する」と公言したほど北国の人にとって雪との戦いは厳しい。

その新潟県民は自分の県の自虐ばかり言うらしく、更に鬱の発生率も北へ向かう程高くなるというデータがある。

 

秋になったとはいえまだ日中は夏模様の地域に住んでいる自分ですら、夏の終わりが寂しく感じるし夕方以降徐々に吹く風が秋色に変わり始めていることに気付く。

そう考えると北海道は自分が想像している以上に、夏の終わりは早いだろうし既に秋が本格的に始まっているだろう。

 

そんな時にこの度の震災だ。

ただでさえとうとう夏が終わってしまったかと感じているときに、この震災なわけで、その精神状態を察するに余りある。

実際、災害にあわれた人は過度に不謹慎ムードを作らないでほしいと聞くし、日常が暗いのでせめて明るい話題でも見たいだろう。

ただそもそも今の日本で本当に心の底から明るくなれて楽しんでいる人がどれだけいるのだろうか。災害など無くても日常は陰鬱なのだから、人の不安まで気にしている余裕などないのが現実だ。

 

こういう時はお酒でも飲めばいいのではないかと自分のような人間は考えてしまう。

酒は現実逃避の友だ。

北海道の震災の規模が分からないし、インフラがどうなっているかもわからない。同じ北海道内でも被害の度合いには差があるだろう。

道内のコンビニやスーパーからストロングゼロや氷結が一気に消えるという現象が起きているという話は伝わって来ていないけども、自分ならそういう時酒に頼ってしまうのではないかと思う。

 

ただヤケ酒に走ってしまい、次の日起きたら現実は変わっていないどころかより強く押し寄せてくる。結局お酒など脳内にある幸福物質であるセロトニンの前借りに過ぎないし、アルコールで無理やり使い切った分だけあとでツケが来る。

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北海道の人は北国には珍しく、開放的で明るいという話も前述のエッセイ集で読んだ話として覚えている。

東北に比べると北海道は様々な出自の人が集まって開拓してきた歴史があるので、ある種大陸的というかアメリカ的のような多民族的なところがあって、同じ北国でも事情が違うようだ。

偏見と言われることを承知で、同じ北国でも北海道は陽東北は陰のイメージがある。

そう考えると北海道の人はこの震災もわりと上手く乗り越えて引きずらなそうな気はするし、原発のような二次災害が起きていないことは幸いだ。

東北が今もあの震災を引きずってるのは放射能という消えない負の遺産のせいだろう。

自分はそういった震災番組に関心を持ち、原発関連のドキュメント番組などをこれまで何度も見てきただけに、その過酷な実態は多少知っているつもりではいる。

 

肉親を失っている人もいるだけに、「日本人のテンションが低くなって陰鬱な国になったのは3.11のせい」なんて不謹慎なことは言いたくないのだが、もうこれ以上災害でどんよりするムードになってほしくはないというのが本音だ。

さすがにうんざりするしこの夏だって振り返ってみれば災害の話ばかりだった気がする。

 

物は考えようで日本列島は災害大国だからこの島国は呪われているというのはネガティブな発想だ。

確かに資源も少ない上に災害大国ではあるし、それほど国土も広くは無い。

その一方で国防の面ではかなり有能で、日本海の荒波があるおかげであまり他国から攻め込まれたことが無い。じゃあ地震が無い代わりに、列強に囲まれ定期的に戦争の通り道にされてきたポーランドやベルギーのような国が羨ましいかと言われれば悩むだろう。

イギリスとフランスの間にあるドーバー海峡よりはるかに日本海というのは防波堤として優秀だ。

陸は狭くても領海は広く海洋国家を目指すこともできるし、実際そうした時期もあった。太平洋へは常に開かれているしこれから海底資源が見つかればバブルだって始まるかもしれない。

 

これまで日本は攻めにくい上に、占領してもあまりメリットがないというのはある意味で平和の要因でもあったし、大陸からある程度距離を置いていられることで長らく独立を保ってきた。太平洋戦争だって本土決戦を避けられたわけで国土が本当に外敵に蹂躙されるような経験はほとんどない。

それこそ古代史にまでさかのぼれば何かまだ発見されていないこともあるかもしれないが、ほとんど他国に占領される時期というのを経験していない。

もちろん世界情勢がこれから大きく変わっていく可能性はあるが、他国の兵隊が乗り込んでくるのはそれこそ敗戦直後に進駐軍がやって来たことぐらいだ。

この度の北海道だってソ連に狙われたが終戦を早く済ませたことで無事だったし、冷戦でも自衛隊の戦車を集中的に配備して厳重に警戒していたのに結局ソ連は乗り込んでこなかった。幕末に当時の帝政ロシアから異国船がやってくることもあったが、その後明治時代に日本の一部になっていく。

 

人生の何事にも悪いところもあればいいところもあるわけで、あまり思いつめない方がよいのではないかと最近自分は開き直っている。

日本人は遺伝子の問題として過剰に不安を感じやすいし、自然災害に怯えてきた農耕民族としての生い立ちも関係している。

ただその分、国防には向いている場所にあるわけで災害は多いけど戦争は少ないと考えればプラスマイナスゼロどころかプラスの方が大きい。

また中国大陸から離れていることで微細粉塵はかなり軽減されている。韓国など連日、微細粉塵の話ばかりで綺麗な青空も中々見れないようだ。

もう自然災害に関してはどうせ定期的にやって来るのだから、あまりそのたびにネガティブになり過ぎず、時々やって来るものとしていなすように付き合う以外にないだろう。

人生の目的は極上の美味い酒に出会う事である

ここ最近人生の虚無感と向き合う時間が多くなり、俺の人生って今後楽しいことあるのかなぁなんて思うことが増えている。

端的に言ってこれのために生きたいと思える希望が無い。

 

そもそも無欲で無気力で無趣味な人が現代は増えているわけで、楽しみが無く惰性で生きている人々に溢れている。

自分個人の趣味や欲望としても、欲しい物がなくなったとかやりたいことがなくなったとかそういうことが日常になってきた。

 

そこでいろいろ自分の心の支えとなる物を探していくと、やっぱり自分にはお酒だと気付く。

基本的に自分は飲めるときは安酒をごくごく飲むことが大半で、あまり美味しい飲み方や綺麗な飲み方を出来ていない。

そろそろ嗜むような上品な飲み方をする段階に来たのだろう。

 

ここで美味しいお酒の条件を考えてみたい。

1:良い空間、雰囲気、仲間と飲むこと

2:お酒自体の質や、何を食べるか

3:調整しながら飲む技術

 

「良いお酒」というのはある種の複合的な物であって、一つだけ良ければいいという物ではない。

一つ目の条件はまとめると「シチュエーション」という表現が適切かもしれない。

気に入っている居酒屋やバーで飲むと、家で独り酒をするよりは思い出に残る。

振り返った時いい酒だったなと思えるのは、そのお酒自体よりもどういう状況下で飲んだかということに左右されることが多い。

誰とどこで飲むかとか、何をしながら飲むかといった雰囲気作りが大事だ。

気の知れた仲間と外でバーベキューをしながら飲むとか、テラスで夕日を眺めながら飲むとかすると普通のビールや酎ハイも美味く感じる。

また一人酒であっても、最近は酒場めぐりのような番組が増えていて、そういうのを見ながら飲むと良い雰囲気を味わえる。

実はこういったお酒そのもの以外の工夫は改善の余地が大いにある。

 

二つ目は至極当然のこととして、お酒の質であったり、おつまみの食べ合わせであったりが問われる。自分の場合近所で市販されている安酒はあらかた飲みつくしていることで、ちょっと飽きているのかもしれない。

缶チューハイの味をちょっと変えたところで、所詮酔うための物でしかないので大きな感動は無い。ワイン、ビール、ウイスキー、日本酒、焼酎、果実酒など低価格帯の物は大体どれも一緒で、似た様なローテーションが続く。

 

そして底辺だと酒の肴は節約気味になり、最低限のスナック菓子などで済ませることが多くなる

安酒と最低限の食品を、虚しい人生を舞台に口にしたところで満足感は得られない。

 

つまりこの良い酒に出会うという旅が人生なのであり、「酒探し」を今後自分の人生のモチベーションにしていきたいと考えている。

酒ぐらいしか楽しみが無いなら、酒に本気に成っても良い。

個人的な事情としてここ最近、あまり果実酒を飲めていない。理由は単純で、コップや氷を準備するのが億劫だとか、そもそも手頃な値段でそれほど飲めないという事情もある。

 

自家用でいろんな果物と漬けている人をたまに自分は見るのだが、ホワイトリカーとの組み合わせでいろんな果物を試してみるというのは今後自分の楽しみになるかもしれない。

ウイスキーはコンビニの景品で普段は飲まない価格帯のものを手に入れたときはとてもおいしかったので、ワインや日本酒、焼酎と並んで奥深い世界だ。

ただワインは拘り出すときりがない。

それこそ某GACKTのようにワインセラーを作ったり、最高級の肉と食べたりとあまりにもお金がかかり過ぎる。

そりゃ高級レストランで、美味い肉料理を食べながら極上のワインを飲み、理想の異性と夜景を見ながら過ごせば楽しいに決まっているのだが、それが簡単にできたら苦労はしない。

 

さすがにワインを極める路線は厳しそうなので、自分で果実酒を漬けるとか、全国の地酒やクラフトビールを取り寄せるくらいの趣味が現実的な範囲内の目標だ。

もしくは単純に、大衆居酒屋や安めのバーをもっと巡ってみるのは新鮮な感覚を得られるかもしれない。部屋で独り酒よりはマシなので趣味としては十分に面白いし、一つ目のシチュエーションという条件も満たせる。

自分は「北酒場」という言葉に憧れがあるので、北陸や北海道で拠点を移して、現地の人しか知らないような場所を開拓していくのはありかもしれない。

 

三つ目の条件はもっと基本的な事であり、例えばチェイサーをなるべく飲むとか、そもそも飲まない日を作るとか飲む量を増やしすぎないとか基本中の基本だ。

結局気分が悪くなるかどうかや、二日酔いになるかならないかというのは、血中アルコール濃度の調整で左右される。

二日酔いで終わるとどんな良いお酒も台無しだとつくづく感じる。

日本人やアジア人の体質として、あまりお酒には強くないわけでその限界を超えない範囲でなるべく巧く飲む。

面白い話で、芸人のドランクドラゴン鈴木が「閉めにレッドアイを飲むと翌日調子が良い」と語っているのをテレビで見たことがある。

レッドアイというのはビールとトマトジュースを組み合わせたカクテルで、「そんなお洒落な物を飲むのはキャラじゃないと思われる」みたいな笑い話にしていた。

 

その話はともかく、最後にこれを飲んだら自分の中で調子が良いという組み合わせを見つけるのはお酒を飲むうえで必要なテクニックだ。

良いお酒の飲み方をしている人は、そういうのを実際の体験で覚えて行くのだろうし、科学的に解説されている本などからも知識を得ることもできる。

人間というのは誰しも年を取るので、いつまでも勢いに任せて飲んでいくわけにはいかない。

現実に誰かから教わる機会があまりない人間は、間違った飲み方を続けてしまう。だからこそ経験を積んだり、勉強したりする機会を増やしていかなければならない。

そういうお酒の話を研究していくというのも、今後自分の楽しみになっていくかもしれない。

 

そしてこれらの三要素をどうトータルで組み合わせるかというのも大事になってくる。

同じお酒でも、普段飲まない場所や違うシチュエーションで飲めば不思議と新鮮に感じることがある。お酒は味や質だけでなく、体験として何を得るかという事も重要だ。

いつもと変わり映えの無い空間で、ただ酔うために最底辺の安酒を飲んでいるだけだと、二日酔いの後悔を除いて本当に何も残らない。

そういう工夫をなるべくして、変化をつける努力が必要となるし、それを極めるというのは立派な趣味の一つだ。

よく料理にそこまで興味はなかったのに、良いお酒を飲むために、おつまみの作り方を覚えたという人がいる。

釣りに行って手に入れた魚をあてにして飲めば、総合的な体験として面白い。もはや自分で干物を作るまでになったという例もあるし、別の趣味と組み合わせるパターンも存在する。そこから広がっていけば、人生に飽きている自分の感覚も変わるかもしれない。

 

とにかくただ現実から逃避して酔う為だけのお酒というのは、根本的に何も解決はしないし先行きが無い虚しさに迫られるだけだ。

良いお酒を飲みたいという最後に残されたモチベーションからどう人生を広げていくかという試みは面白い。

 

よくやたらコーヒーや紅茶にこだわっている人を見かけることがある。

飲むものについてこだわり極めるというのは実は十分趣味と言える世界だ。

珈琲のためにカフェめぐりをしてる人はいるだろうし、最近インスタ映えばかりが持てはやされる時代にあえて豆の質にこだわったお店がうけているという話も聞く。

お酒の世界も焼酎や日本酒は産地や蔵元にこだわっている人は多いし、自分もその領域を目指し見るのも面白いかもしれない。書店に行けばお酒の本は多いし、利き酒をしたりソムリエのような資格もある。

 

そういった味や質ガチ勢になるのも良いし、自分の好みの雰囲気に合う居酒屋を見つけて常連客と仲良くなるという方向も楽しめる。作るのが好きなタイプなら果実酒を漬けたり、オリジナルカクテルを考案するという事も可能だ。

そろそろ最低限の安酒を飲むだけの生活もやりつくした感があるというか飽きが来ているのだろう。

とにかくどうせお酒以外に楽しみが無いのならば、お酒方面で新しい楽しみを見つけようと思う。

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