負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

1人で外国語を学んでいるときに感じる孤独

外国語を勉強していると、そのモチベーションをどう維持するかが最大の問題になってくる。

一番良いのはその外国語を話す友人や恋人なりが存在することだが、そう簡単に作れるものでもない。第二にその外国語を学ぶ仲間を作れば、受験勉強の時のように励まし合うことができる。

 

ただそれも結局のところ環境に依存する物で、自分のように周りに一切語学を勉強している人がいない時、そこには孤独感が発生する。

なんというか今の自分は外国語を学んでいる時の孤独感が半端無く、孤軍奮闘という状況になっている。この孤独感をどう乗り切るかも語学における戦いの一つだ。

 

ただでさえ先行きが長い旅を一人でやっていくというのは、メンタル的に大変なものがあるのかもしれない。

つくづくこの社会に自分の居場所が無いという事を感じるし、自分の理解者や仲間がいない孤独というのはつらいものがある、そしてこれは多くの外国語学習者が感じている事なのではないだろうか。

特に自分のような過疎地域にいる人間は、外国人がいるわけでもなく、人間関係が非常に狭い物になってくるし、海外志向の人などいるはずがない。

今は一応ネットで外国人の日本語学習者を探すこともできるが、それは少し敷居が高い。

 

学生の頃ならまだしも大人になってから一人で外国語を勉強するというのは結構大変だなと感じるし、とにかく周りに語学の話が通じる人がいないという状況にいる。

最近の日本人はとにかく内向き志向になっていて、外国語に対する意識が非常に低下しているように思う。

日本が暗くなっていく時代に日本の事しか考えない、日本の状況にしか関心が無い人が多く、底辺にもかかわらず妥協し日本に居つく人生を選ばざるを得ないような状況になっている。

滅びの美学でもあるのか、今の日本人は終わりゆく国にむしろ忠誠心を高めつつある。

 

むしろ底辺や負け組の人間こそ今の時代真剣に外国語を学ばなければならないだろうし、特に若い人ほど早めに日本に見切りをつけるべきだ。

しかし自分のように日本にもう見切りをつけて、外国語を勉強しているという人はそれほど多くなく似たような境遇の人を見つけることが難しい。

落ちぶれて衰退していく日本にこの先ずっと住んでいく覚悟がある人は凄いなと思うし、何もワクワクしない国になろうとしていることに気付いていないのかもしれない。

それなりの範囲内で揃う幸せで満足だし仕方がないという欲望低下の時代に適応しきった人があまりにも多い。

 

SNSに行けば外国語を勉強している人はいるのかもしれないが、その横の繋がりを維持することが疲れるし、SNSが目的になってしまいそうなので躊躇している。ワイワイしているところに今更自分が入っていくのも難しそうだし、かといって掲示板でそういった話題を見るというのも、その時間で勉強したほうが良い気がしてくる。

意識高そうな空間は今の自分には疲れるというか、底辺がなんとか勉強している感じの雰囲気の場所が中々ない。

 

当然周りに外国語を勉強している人はいないし、学生でもなければ帰国子女でもない。

本当に普通の一般人として大人になってから語学勉強してる人って中々いないよなぁという孤独感がもどかしい。外国語の勉強はしているが、海外移住を目指しているわけではなく資格やスキルとして学んでいる人も意識が高くちょっと雰囲気が自分とは違う。

こうしていろいろ自分と似た人を探そうとすると、なかなか見つからないのが現実だ。

自分の外国語学習に共感してくれる人がいるわけでもないし、日本における外国語学習者というのはマイノリティとして孤独を抱える運命にある。

 

ただそもそも日本に居場所が無いからこそ海外に行こうとしているわけで、日本で孤独でなかったらそもそも外国語に夢は見ないだろう。

この孤独感はむしろ大事で、逆に自分の勉強している外国語を聞くと安心したり、その国の動画などを見ると今の日常と違う場所にいる気がして楽しく感じることもある。

 

自分と似た境遇の語学仲間が欲しい一方で、この孤独感こそが外国語を学ぶ動機にもなるのではないかとも考えている。

真剣に日本を出たいという思いをもっと強く持って、本気で勉強する時が来たのかもしれない。日本の日常が嫌で嫌で仕方がないというぐらいのほうが、逆に外国語や海外に対する情熱も上がるのではないか。

 

問題は語学を大変な事と考えるか、むしろ自分の居場所だと考えるかだ。

大人になってから新しいことを始めるのは結構大変で、また最初から語学を勉強するとなると億劫なことも分かる。日常の生活で疲れているときに、語学の勉強までするというのは結構な負担ではあるのも事実だ。

 

その一方で日本での人生が終わっているような人こそ、海外に夢を見て、ある意味日常からの逃避として外国語を勉強するという考え方もできる。

自分の場合外国語を勉強しているときは嫌な日本の日常から離れた気分になって、擬似的な海外旅行をしているような感覚になる。

中々海外旅行に行けない時代に、外国語の旅行動画を見て気分転換と語学学習をするというのは一石二鳥だ。

日本語しかできなければどこにいても日本という日常が付いて回る、それは現実社会でもネット社会でも同じだ。

日本人との関係だけで終わる人生にするのか、別の世界を見つけに行くのか。

日本の日常の中でどうしても視野が狭まっていく時代に、語学というものは大幅に視野を広げることができる手段だ。

自分の感じる世界や住む世界の狭さに嫌気がさしている人は、そこを飛び出すために思い切って外国語の勉強をしてみると人生観が変わるかもしれない。

note.mu

スペインの至宝イニエスタ、ワインのために中国リーグに移籍へ

中国の爆買いはサッカーの世界でも今非常に大きな話題となっており、様々な有名選手が中国スーパーリーグへと移籍している。

これまで移籍した選手を上げればキリがないが、ついに今回その食指が正真正銘のメガクラブにまで伸びたことになる。

アンドレス・イニエスタ、世界最高のミッドフィルダーでありFCバルセロナで長年活躍し続けてきたクラブの象徴だ。

 

このイニエスタという選手がどれだけ凄いかというと、メッシやクリスティアーノ・ロナウドが二大巨頭だとすればその次のカテゴリーに入る選手であり、欧州ベスト11に何度も選ばれたことがある選手だ。

スペイン史上最高の選手だと言っても過言ではなく、スペイン人と話す場合イニエスタについて話せば非常に盛り上がることが多い。

スペインのワールドカップ優勝やバルセロナのCL優勝を決定づけるゴールを決めるなど、大舞台での活躍が印象強く、また小柄ながら技巧的なプレーで体格の大きい選手の間をするすると抜けていく様はもはや芸術の極致にある。

 

そんなイニエスタがまさか今回、ついに中国スーパーリーグに移籍することになるとは衝撃的だ。「イニエスタ・コラソン」という家族が経営するワイン事業の拡大のために移籍するらしく、まさにワイン移籍だと言える。

ちなみに自分はこのワインを飲んだことがあり庶民的な価格で楽しむことができる。そこまでワイン通ではないが、スペイン産ワインらしい味わいがあったことを覚えている。

 

まだミッドフィルダーとしてはトップレベルなだけに別の欧州のクラブで見たかったという声もあるが、同時にヨーロッパではバルセロナ一筋だったことを評価する意見も存在する。

そして何より中国という事は日本から行きやすいので、イニエスタを観戦しに行くということが現実的な夢になり得る。

中東カタールに移籍したシャビは遠いが、イニエスタはすぐそこの中国だ。

自分は金銭的に余裕があれば今すぐにでもイニエスタを見に中国リーグ観戦に行きたいと思っているほどだ。3年契約なので、この3年の間に1回は見に行きたい。

そもそも日本人の中国観というのは一昔前で止まっていて、日本が圧倒的な先進国で中国は途上国だったという価値観のまま進んでいない。

現実には中国の方が新しい技術や壮大な予算で都市開発が進められており、インフラなども新時代のものになっている。老朽化したインフラが中々更新されず景気低迷に喘いでいる日本とは異なる。

 

「中国人は最先端の日本に憧れて旅行にやって来る」と日本人は考えているかもしれないが、実際はもはや中国人は日本に昔懐かしさや田舎のような癒しを求めるような時代になっている。

日本に来た中国人の本音は、最先端の部分や見習うべき市民意識はあるが、いろんなものが古くて懐かしくどこか寂れていて小さいという時代だ。

むしろ日本の方が遅れたシステムに取り残されているし、様々な物が古くなってきている。

 

だからこそ自分はいつか中国大陸の壮大なスケール感を見に行きたいと常々考えており、今回のイニエスタ移籍によってもう一つ中国旅行に行きたいという理由ができた。

最近の内向き志向の日本人は国内旅行が一番安定しているという考えになり、海の向こうの事情を見に行こうとしないが、イニエスタきっかけに中国の現実を見に行く人が増えればこうした考え方も変わってくるかもしれない。

そもそもアンドレス・イニエスタやバルセロナに興味があるという時点で、日本人が活躍することにしか興味が無い人々とは異なった価値観を持っているだろう。

 

また国家主席の習近平は大のサッカー好きとして知られており、グローバルな感覚を持っている。ついには任期が延期され、サッカーファンとしてはむしろずっと習近平がアジアのサッカーの発展に尽力するのならば歓迎だ。

サッカーファンの間でも未だに中国リーグに対して批判的な人は多いが、21世紀の大国がここまでサッカーを強化していることは、大きな発展を予測させるので個人的には楽しみな事でもある。

 

Jリーグや日本国内のサッカーに期待しても仕方がないという考え方に最近の自分はなって来ていて、衰退していく日本の替りに発展する中国のサッカーが盛り上がれば問題ないという考え方にすらなって来ている。

もしかしたらアジアで最もサッカーがコンテンツとして根付くのは中国かもしれないし、実際に既にリーグ戦は大きな関心を集めているようである。

新興国でサッカーが人気なことは明るい将来を感じさせるし、サッカーは拡大し続ける。新興国とサッカーの組み合わせは今の衰退していく日本とは真逆に大きな夢を見れる世界だ。

 

日本人選手もアジア枠があるのだから近場の中国リーグに移籍しても良いだろう、もう中国リーグがお金のために最後に行くリーグだという価値観は古くなってきている。

パウリーニョが中国スーパーリーグからバルセロナに移籍した例ができたことで、中国から欧州にステップアップできるということも証明された。

そして今回あのイニエスタが中国を選んだ、確実に世界は変わりつつある。

サッカー日本代表本田圭佑「平和のために何もできない自分が虚しい」

本田圭佑、サッカー日本代表であり事業家であり、教育者であり、ファッションアイコンでありその肩書きは一つに限定することができない。

つまるところ彼は「本田圭佑」なのだ。

本業のアスリートとしてのサッカー選手が彼の全てではなく、その情熱や関心は多岐にわたる。

 

ワールドカップを目前に控え、鮮烈なゴールで猛烈にアピールしている本田だが、彼の今の興味の対象はサッカーばかりではない。

 

今本田がもっとも関心がある問題と言えば、現在アメリカがシリアへの攻撃を決定したことであり「日本で報道が少なすぎる」と自身のSNSで発言し、これが大手ネットニュースでも話題になるなど注目度は高い。

正直なところサッカーファンの間では「本田は一体何を探しているんだ」と冷ややかな目線が多く、"迷走"しているような扱いをされることがある。

 

最近では資本主義の現実に目覚め、ロストチャイルド家の謎に迫ろうとしていたり、アメリカの銃規制問題について積極的に発言したり、そして今回のようにシリア問題について触れたりとツイッターを開始してからは大忙しだ。

 

その内、今回のワールドカップを最後に代表とサッカー選手を引退し、かつての中田英寿のように「世界を見て回る旅」にでも出るのではないかとさえ予感させる。

もう本田さん、かつて南米を放浪していたチェ・ゲバラにでもなってしまうのかなという雰囲気さえあり、資本主義と戦うことに生涯を捧げようとしているのかもしれない。

その一方で総理大臣の安倍晋三ともツーショットを撮っていたり、同じく与党の麻生太郎とも会談を行い気に入られており、将来的に自民党から出馬する気満々なところも流石の「伸びしろ」である。

 

はっきり言えばこの人はリアル中二病であって、だからこそ自分は惹かれている部分もある。2010年の南アフリカワールドカップでの活躍以降、もうずっと本田圭佑を追い続けている自分としては、「やっぱり本田は見ていて楽しい」と感じる。

何をするかわからないところ、何を言うかわからないところ、全てが予想外でその発想の大きさが今の小さな日常に適応しきった日本人と大きく異なる。

今時ここまでスケール感が大きく、何かしら考えている人というのは珍しい。

今の時代、真剣に語る人間というのは、空気が読めない暑苦しい人間と思われたり、和を乱す絡みにくい人間だと思われる傾向にある。

本気になることがかっこ悪く、その姿を冷笑する冷めた人が多い時代に本田は真逆を行っている。

 

実は誰もが現実に適応しなければならないから冷めていながらも、どこかでやはり夢や熱さを追い求めているのだろう。

ツイッターを始めたときもやっと始めてくれたかという感覚で、現役選手だからこそ影響力がある事を自覚して発言をしている本田は確実に世界を変えている。

このシリア問題に関しても第一報を聞いたのは本田がきっかけであり、最近のネットでの情報収集を主体とする世代にとってはいわゆる「インフルエンサー」であるとも言える。

 

自分はここ最近「最近の日本人は情熱が無く、世界を変えようとする気力が無い」と世の中に対して冷めていたが、まだアツい情熱的な男はいる。

漠然と世の中に面白い革命家がいるのではないかと夢を見つつも、そんな濃い人はいないという寂しさの中で、まさにそれは灯台下暗しだった。

何年も追い続けてきた本田こそ、自分がやはり魅力を感じる人物だと今になって気付いた。

決して何かに逆らっているだけの昂揚感を味わいたいだけの「革命家ごっこ」で終わらず、実際に世界を変える影響力を持ち現実的に活動をしているのは本田圭佑だ。

そして何より若いことが本田の特徴であり、かつての学生運動を懐古してデモをして楽しむような、そんな浅いタイプではなく確実なビジョンがある。

 

若いころの学生運動や市民運動の情熱が忘れられないだけの、時代遅れのダサい暑苦しい人々と異なり、本田圭佑は若者受けするカリスマ性がある。

確かに一部「意識高い系」という批判も存在するが、やはり若者からの支持率は高いし、現実に影響力があり、行動力もある。

そして世界的な人脈もある。

 

本田圭佑が「世界一のサッカー選手」になり、メッシやロナウドと競合しバロンドールを勝ち取るという夢は本人も既に終わったと公言しているが、同時に「引退してからのほうがビッグになる」と未だにその情熱は衰えない。

 

自分は本田圭佑の引退後サッカー熱が下がるのではないかと危惧していた。

それはかつて村上龍が「中田英寿が引退してからサッカーを見なくなった」と語っていた様な現象と同じで、自分にとってサッカー熱=本田圭佑熱だったのだと気付くようになるのではないかと。

 

しかし本田はむしろ引退後のほうが期待ができる。

中田英寿の事業が今も注目を集めているように、本田も同様にサッカーの現役から離れた後の方が可能性を感じさせる。

「スポーツ選手は同業者としか会って話さないので交友関係が限られている」と言っていたが、本田はスポーツ選手だから会える人との交流を今から逆算して行っている。

全面的に自分は本田圭佑の考え方を支持しているわけではないが、とにかくこの男、熱い。

現実に冷めきった人が急増する時代に、本田は今時珍しいほどに熱く何かやってくれそうな存在だ。

ワイ、シンカリオンを見て少年の心を思い出す

ここ最近ロボットアニメ少なくなって、子供がロボットに興味なくしてるのではないかと漠然と考えていたが唯一の例外がある。

それは『新幹線変形ロボ シンカリオン』というアニメであり、今日日珍しい典型的なホビーアニメであり、更にその玩具がセールス的に好調だと言う事も昔懐かしの現象を感じさせる。

 

自分がなぜこのアニメを見たのかというと、「久しぶりにキッズ向けのアニメ見たいな」と思ったからだ。ロボットアニメ自体がもう絶滅危惧種になっているのではないかと思っていたが、かろうじて子供向けに放送して流行っているアニメがあるということでシンカリオンを知ったのがまずはきっかけだ。

そしてテレビ番組欄にちょうどシンカリオンがあったので、とりあえず1話だけ、具体的には13話を見たのだがこれが非常に面白かった。

 

なんというか典型的かつ王道の子供向けアニメのような展開で「そういえば俺ってこういうの育ったし、憧れてたわ」となるような内容になっている。

こういう変な髪形したクールなキャラクターや優しいお母さんキャラいたし、こんな変形シーンのバンクよくあったわと、まるで大人になってヒーローショーを見たような感覚になる。

 

このアニメを見ると確かに日常生活の疲弊た現実の中で忘れていたような少年の心を取り戻すことができる。

過去に放送されたすべての話を見たわけではないが主人公は子供で、秘密裏に悪の敵と戦っており今回の13話では母親が薄々気づいているという展開になっている。

都会のマンションで母親のキャラクターが夕飯作って、それを子供の主人公が食べるシーンって昔のアニメよくあったよなあというのも懐かしくなった。自分が結婚生活を送ることが無縁な昨今の独身男性にとっては、こういうシーンすら貴重で、そんな光景すらイメージが沸かなくなっている時代になっている。

こういった家庭的な何気ないシーンが現代人にとっては非常に和やかに映る程、現実が悲惨な社会になっている。

昨今の晩婚化を考えると、主人公が小学生の中学年ほどの年齢なことに対して両親が若すぎるというのもあるが、ある意味アニメの中だからこそ非現実的な事ができるということに現代人は立ち帰るべきなのかもしれない。

ストーリー展開や設定、オープニングやエンディングにしても本当に良くあるような典型的な作りになっていて、昔のホビーアニメの王道になっている。今時こんなホビーアニメがあるのかということに驚き、忘れていた感覚を取り戻せる。

「そういえば自分って少年だったんだな」とこういうことが懐かしくなる。

こういったロボットや乗り物が好きだということすら失っていく時代の中で、今の時代にこれだけ全国区で大々的にホビーアニメを放映して商品展開をしているアニメはもはや貴重だ。

 

正直なところ自分は新幹線や電車という乗り物がそこまでかっこいいと思うタイプではないのだが、こういったロボットアニメ自体が貴重な時代にもはや詳細な好みに細分化する余裕はないのが現代だ。

自分はどちらかというと戦車や戦闘機のようなミリタリー系列の方が好きなのだが、実際に戦闘機に乗る機会は無いのが現実だ。

しかし新幹線というのは実際に乗りに行ける交通手段なので、こういったアニメを見て新幹線に憧れた子供が、親にねだって乗りに行ってどこかに行きそこで食事でもするのならばそれは経済への良い刺激となる。

途中に入るコマーシャルには実際にJRのものがあり、このアニメを見た子供はきっと新幹線に憧れ、将来的に運転手になりたいと思うかもしれない。今の時代壮大な戦いが起こるわけでもなく、こういった日常の中の乗り物に夢を感じるほうがきっと正しい路線だ。

 

昨今のネットの風潮はレジャー施設が高いとか、交通渋滞の中でゴールデンウィークに外出する家族連れは効率が悪いだとか、そういう後ろ向きの思考になっている。ネットの普及によりネット民的思考が世の中に広まり過ぎた結果、世の中が停滞しているとも言える。

日々のストレスの中で何かを叩く方向にしか向かっていかない悲しい時代だ。

ネットで真実を普及させれば世の中が正しい方向に向かっていくのではないかと期待していたら、そうならなかったのが現代なわけで、かつて当たり前に存在したライフスタイルの時代に回帰するべきなのかもしれない。

全国的にやっているロボットアニメやホビーアニメ自体が少ない時代に、そう考えるとシンカリオンはかなり頑張っている方だ。

本当に自分好みのものを選べるような贅沢な時代は終わっているので、新幹線に興味が無かったとしてもロボットホビーアニメを求めるならばシンカリオンしかないとも言える。

男性の購買意欲が低下していると言われるが、そこに人が集まり消費が活性化しもう一度男性向けのコンテンツが活気づき業界が潤うのならば未来を感じることができる。

何もかも衰退していく時代はやはり楽しくないわけで、こういった明るい話題が今は求められている。

そしてシンカリオンを見た子供たちはロボットに魅力を感じるだろう。

将来的に育った彼らがもう一度明るい時代を作り上げる原動力になるのかもしれない。

悲報:ハリルホジッチ解任、ごめんねハリル

サッカー日本代表指揮官のヴァイド・ハリルホジッチが解任されるという報を聞いて、人知れず悲しみに覆われてている。

確かに今の日本代表は停滞感があり、期待できるような指揮官ではなかったのは事実で日本サッカーのサポーターからも常に批判意見が飛び交っていた。

著名なサッカー評論家からも解任論が飛び交い、日本は「反ハリル」の同調圧力に染まっていた。大衆は何かの権力者を打倒し、引きずるおろすときに昂揚感を覚えるものだ。

 

自分はこのハリルホジッチという旧ユーゴスラビアのボスニア出身の監督を、ある意味で擁護してきた立場ではあるが、その結末そのものが見れない事自体が非常に悲しい。

日本人のサッカー観がハリルホジッチの思考にはたどり着くことができなかった。

カジュアル志向に染まり、目の前の即自的な結果しか求めなくなっている現代日本人にとって、過程はどうあれ本戦の大舞台で結果を残す「勝負師」のハリルホジッチは受け入れられなかったのだ。

親善試合で華やかな結果を残し、期待感を漂わせ、明るい未来に向かっていくと言う昂揚感に酔いしれたい日本国民は同じ過ちを繰り返すことになるかもしれない。

 

ハリルジャパンで惨敗すれば、これまでハリルホジッチ監督を擁護してきた立場として謝罪するつもりでいたがそれすら叶わない事が悲しい。

どれだけ批判されようとも一発勝負で結果を残すハリルJAPANに期待していた立場としては完全に青天の霹靂だと言わざるを得ない。本当に考えてもしなかったような急な人事だ。

 

ハリルホジッチという指揮官は安易にその国に迎合するような存在ではなく、本質を追求するような存在だった。

前任のアルベルト・ザッケローニは、日本人にとって非常に心地よい監督であったが結果はグループリーグで一生もできず日本代表の惨敗を招いた。確かに主力選手の高齢化や、ザッケローニによる指揮への選手の増長、そして本戦での思わぬ自体などがあったことは事実だ。そしてザックJAPANが日本代表史上最も輝かしい功績を遺したことを否定するつもりは無い。

 

それに加えて、何よりザッケローニは「親日家」であり、日本食を好みワサビを普段の食事でも愛飲するというエピソードを披露したり、イタリアとは違い電車の中でもプライベートの生活をリスペクトしてくれる日本人の国民性を賞賛したりしていた。

 

これがまさに日本人好みで、日本への褒め言葉を常に外国人に求める昨今の国民性に広く受け入れられた。

優しそうな風貌で日本人の国民性を賞賛し、日本人選手の主張を容認したザッケローニはまさに日本人好みの外国人指揮官だった。

 

しかしブラジルワールドカップでこのザックジャパンは崩壊し、かつてのジーコジャパンの二の舞を披露しその後のサッカー人気の停滞を招くことになった。

 

その対極としてハリルホジッチは、日本文化自体は尊重し理解しているものの決してそこに合わせるようなことは無く我流を貫いた。それが「良き日本文化を理解する寛容な外国人」を求める日本人の嗜好には合致せず、結局のところこのような解任を招いてしまった。

聞こえの良いリップサービスで大衆をまやかす指揮官のほうが、無愛想な姿で現実を追い求める指揮官よりこの国では求められるのだ。

 

FIFAワールドカップまであと2か月待てば未来は違ったものになっていたかもしれない。

果たしてこの直前の解任で一体何ができるというのだろうか。

コーチを務める手倉森誠が代理で監督を務め、2010年南アフリカワールドカップにおける岡田武史のような奇跡を起こすのであればこれは歓迎するべきことだ。

 

もちろんこの決断が吉となるならば批判することは無い。

結局のところサッカーという競技はすべてが結果論だ。

日本サッカーは今、壮大なギャンブルの賭けにに打って出たと言える。

ロシアという広大な大地でその采配がどういった結果をもたらすかに期待したい。

外国人女性と結婚して息子をサッカー選手にする夢

かつて本田圭佑は「人から笑われる夢を持った方が良い」を語ったことがある。

その笑われる夢で言えば、最初は半ば冗談のように考えていた外国人女性と結婚して息子をサッカー選手に育て上げるという計画について真剣に考え始めている。

 

ちょっとした適当な妄想で考えていただけに過ぎなかったこの壮大な計画も、考えていく内にわりとリアルにアリなんじゃないかなと思えるようになってきたのだ。

 

まず最大の理由は自分の結婚観の変化、すなわち子供がいない人生のリスクが急に不安に思えてきたという事にある。

今でさえ世の中に孤独死が溢れ、介護士不足が深刻化してきている時代に自分の老後が急に不安になってきたのだ。

正直自分はまだ若いのではないかという安心感もあったのだが、これもいつまでも続かないという現実にそろそろ気づき始めてきている。

それまでは独身貴族主義者であり、子供や家族は負担だと考え自分の人生を生きる計画をしていた。

 

しかし肝心のその自分が思ったような人間になれなかったこと、自己実現できそうにもないこと、ポテンシャルや伸びしろが今後限られている事に悟る機会が増えてきている。

一昔前までは自分一人で生きていく自信があったのだが、自分はそんなに特別な人間でもないという現実を悟ったことで夢や希望が欠如するようになっている。

 

未来が何か明るい方向に向かっていくという期待が無ければ、人生はこれほど空虚なのかということに気付いた。自分の場合まだ年齢的には20代半ば程であり、どこかにまだ大丈夫なのではないかと未来を先回しにするようなことしか考えていない。

しかしこの今の状態ですら先行きが無い事や、未来が発展していかないことにこれだけ精神的ダメージを受けているのだから、自分自身が衰えるていくような年齢に差し掛かればなおさら絶望的だと気付いたのだ。

 

こういう時子供がいれば、自分は確かに老化していくかもしれないが子供は成長していくのでほとんど気にはならないだろう。自分の老化も、子供の成長があれば心苦しくは無くむしろ楽しみな未来に溢れている。

これが自分一人でバリバリ生きて行けるような有能な人間ならば特に問題は無い。

世間的に有名な結婚願望を持たない独身主義者の人々の多くは優秀な人が多い。

その一方で実際に1人で人生を謳歌できるような人は少数派であり、「自分は一生独身で遊んで暮らす」という願いはどうやら叶いそうにないと言う事に自分自身気付き始めている。

 

そんな時、今まで絶対に興味はなかった子育てに人生の楽しみを見出せば、この空虚な人生は面白くなるのではないかと、これまでとは180度異なるコペルニクス的転回の思考に辿り着いた。

やることや情熱を傾ける事がこのままいけば数十年後には見つかりそうにない、だからこそあえて大きな目標を持つべきなのだ。

こんなことを言ってしまえば不謹慎な考え方かもしれないが、趣味と実益のために自分は子育てをしようという考え方になっている。

 

その計画のまず第一段階はこの10年以内に外国人女性と結婚することである。

自分と同レベルの日本人女性と結婚したところで、平凡な子供しか生まれてこないことは目に見えているので外国の血統に化学反応を期待したいというのが理由だ。

 

そもそももう日本人の血統自体が、2000年もの間、閉鎖的な島国で大きな変化も無く交雑してきたことに既に限界があるのではないかと自分は考えている。

これまでの日本の歴史を否定するつもりは決してないのだが、現代の新しい潮流の中でもはや単一民族はマンネリ化のような状態になっている。

実際に日本社会の中から突出した新しい人材はなかなか現れず、ぶっ飛んだような人は外国人の血が入っている人が多い。一見すると日本人と変わらない容姿をしているが実はクウォーターだったという人が優秀なことも多い。

かつての自分は単一民族を美化し、移民制度などに反対していたが日本の停滞を考えた時、打開するにはもう海の向こうからの風が必要なのだという現実に気付いている。

マンネリ化した遺伝子からは、もう突出した才能は現れない。

 

実際にサッカーのような競技でも、もう劇的な変化は発生せず正直ここ数十年間日本のサッカーを見たところで何かがあるようには思えないのだ。

自分は大のサッカー好きであり、自分にとって一番の娯楽だと言っても過言ではなく、最後の情熱の拠り所でもある。直近のワールドカップで惨敗したにもかかわらず、結局惰性で今日までサッカーを見続けてきた程だ。

 

サッカーが一生の趣味や興味の対象ではあるが、同時に自分がサッカー選手になれなかったという心残りもある。そもそもここまで本格的にサッカーを好きになったのも最近なので、どう考えても年齢的にサッカー選手になることは難しかった。

15歳までの成長が基礎として重視されるサッカーの世界では間に合わなかったのも現実であり、そもそも自分にそれほどの運動神経は備わっていなかったので絶対的に叶わない夢だ。

 

そのため自分は寝る前に自分が海外のビッグクラブと日本代表で活躍する妄想をして、ゲームで自分を選手にしているのだが、これも時々虚しく感じることはある。

正直ここまで情熱があるのもサッカーだけなので、もう思い切ってサッカーの人生を捧げるべきなのではないか。まだ平均寿命までの時間を考えれば数十年あるわけで、育成に楽しみを見出そうという考えにシフトしている。

よくよく今後の人生を考えた時、特にやりたいことは無いというのが本音で、自分自身が特に何か自己実現できるほどポテンシャルや才能に恵まれているわけではない。

何も目指すものが無い人生であり、もう終わった人生だったとも言える。

 

日本人女性との結婚を考えるからその先には平凡な人生しか待っていないように思えるが、外国人女性との結婚ならば何か大きな夢を思い描くことが可能だ。これも幻想にすぎず、大したことにはならないしそもそも叶わない果てしない夢でしかないというのは重々承知だ。

しかしわずかな可能性であっても何かが起こるのではないかという期待は精神的な支えになる。

別に今日や明日に成し遂げようという早急の課題ではなく、残りの人生をかけた数十年単位の計画だ。特にもう夢も無かったのでその空白を埋めるには、子育てという今まで一切興味が無かった希望が上手く合う。

 

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「最もサッカーの才能がある人種」と考えた場合、自分は旧ユーゴスラビア系の人々だと考えている。

ブラジルやドイツのようにナショナルチーム自体が強豪ということはないが、その人口からは考えられない程に世界中で旧ユーゴ系の選手が活躍しているのは驚愕する事実だ。そもそもサッカーに限らず、バルカン半島系の民族は球技全般に才能が有りテニスやバスケなどでも活躍が目覚ましい。

そしてサッカーにおいてもかつて旧ユーゴスラビア代表はドリームチームであり、クロアチア代表はワールドカップ3位の成績を残したことがあるほどだ。

 

次の候補はスペインやポルトガルといったイベリア半島系の人々だが、国籍にそこまで強いこだわりがあるわけではない。自分はこの人種の女性は好きになれないという考え方は持ち合わせておらず、条件となるのはとにかくフィジカル的な素質だ。

また頭脳の面でも実は海外のほうが優れた天才が多く存在する。

生物学の基本に照らし合わせれば、そもそもなるべく離れた遺伝子の組み合わせのほうが健康で優秀になるようにできており、もう2000年も同じ民族だけで交雑すること自体が限界に達しているのである。

 

例えば自分が今らの人生で年俸数十億を得るような人になることはまず不可能だろう。

しかし何人か外国人の血を引く子供を作れば、何かしら起きるのではないかという希望がある。男子ならばサッカーに限らずジャニーズになるならばそれも自分にとっては重要な夢だし、女子ならばテニスや芸能人にも期待できる。

よくアイドルが父親と仲が良さそうにしているのは楽しそうであり、本来は自分が父親の年齢なはずなのに握手会に行くよりはよほど充実した人生だ。

こんな現金な考え方をしているとゲスいと思われるかもしれないが、「将来子供に食わせてもらおう」という考え方も今の少子化時代には十分な動機づけになるのではないか。

 

別にこれは個人的な具体例でしかなく、それぞれ思い描く将来像があっても良い。

少なくとも何の夢も持たないよりは良いだろう。

日本人男性がもったいないところは、自国の女性に夢を見出せなくなった時なぜかアニメやゲームのキャラクターに夢を見て現実逃避するというところだ。

国際結婚は負けという価値観もそこにはあるのかもしれない。

ここら辺は日本人女性の方がむしろ柔軟な考え方をしているのではないか。

 

普通自国の女性に夢を見いだせない男性は、海外に夢を見る傾向があるがここ最近の草食化した日本男児、バーチャルユーチューバーやらソシャゲの嫁キャラクターだかに閉じこもってしまっている。

アニメやゲームのキャラクターは結局架空の存在であり、直ぐに孤独は癒しやすいかもしれないが逆に言えば何も残らない。

数十年後も架空のキャラクターに情熱を向けていることなど不可能だろう、その内現実に気付き冷める時が来るのだ。

自分の人生を考えた時、今はまだその段階じゃないと言っているうちに何もない人生だったと気付く時が訪れる。

 

よく方言女子が好きだと言う人がいるが、外国人女性の話す日本語というのは不思議な魅力があるので自分はなぜかそこに惹かれている。近場の国でも話し方や発音、そして行動が違っていてまるでアニメキャラクターを見ているように感じる時もある。

最近日本人男性は内向きになっているが、今だからこそ外国人女性の可愛さを再評価するべきなのではないか。

 

また海外の異性に夢を見ることは、語学を勉強する上でもモチベーションとなる。

外国語を学ぶときモチベーションは中々維持することができないため、突拍子もない夢であっても動機づけになるならばあったほうが良い。

壮大な夢はかなわなくても、語学の勉強を続ける役には立ったのならばそれは十分に良い結果だろう。

 

自分がこれだけ好きな欧州サッカーの華やかな世界も、現状のままではいつまでたっても他人事だ。

今後数十年間寂しくサッカーを見続けて、日本代表も大して強豪になれず一生欧州サッカーと自分は縁が無いというのがこのままいけば現実だ。

それが現実的な夢になることなど想像もしていなかったが、仮に息子がバルセロナやレアル・マドリードに移籍してスペインの高級住宅街に居を構えるなんてことも宝くじ当選ぐらいの確立かもしれないがあり得なくはない。

少なくとも日本の当選金額の安い宝くじを一生買いつづけるよりは、息子が数十億円を稼ぎ出す選手に成長することを期待するほうが夢がある。

自分が今から選手になるという確率皆無の夢よりはさらに可能性がある。

 

正直なところ今の日本サッカーの育成では到底世界に追い付けない。

日本も進歩はしているが、世界はもっと進歩している。

FIFAワールドカップの優勝など一生かかっても見ることができないだろう。ただでさえ少子化で世界との差が開き始めている時代に、もうワールドカップ優勝は多くのサッカーファンが諦めている。

 

しかしそれでは面白くない、ならばいっそのこと自分で直接選手を育てればいいのではないかという発想の転換だ。

男性に限らず女性のサッカーファンも含めて、外国人と結婚して子供を育て上げるという事をやり始めれば数十年後には成果が出るかもしれない。

別に日本代表を選ばなかったとしても、スペイン代表のダビド・シルバのように日系選手として活躍するケースだってあり得る。

突拍子もない夢かもしれないが、それだけ華やかなことを思い描く想像力が今の日本人には必要とされているのかもしれない。

人から笑われる夢を持つべき、そう本田圭佑は語ったのだから。

子供をアスリートにしたければ外国人と結婚するのが一番

最近日本のアスリート界に明るい話題をもたらしてくれているのが、ハーフやクウォーターの選手たちだ。

例えば女子テニスの大阪なおみは現在最も活躍している新星の一人であり、野球楽天イーグルスのオコエ瑠偉やサッカー日本代表の酒井高徳といった選手も存在する。

野球で言えばダルビッシュ有がイランにルーツを持つ選手であることは広く知られている。

 

卓球の張本智和やサッカーのハーフナー・マイクのように両親ともに外国人だが、日本育ちで日本語を話すという選手も含めれば海外にルーツを持つ選手の活躍の機会は増えてきている。

 

実は自分はかつては国粋主義的な思想を持ち、純血主義に夢を見ていた時代があった。

例えばサッカー日本代表が「純日本人」だけで構成されたチームにより、ワールドカップを制覇したらサッカーの歴史を見ても単一民族による制覇は少ないため快挙だと考えていた。

バスク民族だけで構成されたアスレティック・ビルバオというスペインリーグのクラブのように、日本人だけで構成された純血の代表にW杯を制覇してもらいたいという夢を自分は抱いていた。

 

しかしサッカーの現実を見れば見るほど、育成や努力ではどうにもならない程の絶望的なフィジカル差という現実に行き着く。

かつては移民系選手が多数派を占めるフランス代表に批判的だった自分も、今ではむしろフランス代表はとてもかっこいいと考えるようになっている。純血に拘り何も期待できないチームよりは、可能性に溢れたチームの方が見ていて楽しいというのも真実である。

 

正直なところ日本人の血統だけに頼った場合、サッカーに限らずスポーツでは限界があるというのも事実だ。

例えばテニスにおいても錦織圭はやはりフィジカル的な限界に直面しており、彼がグランドスラムのタイトルを獲得する姿は残念ながらもう思い浮かばない。

大型選手が世界のトップを占めるテニスという競技の中で、錦織圭がここまでやれているのは日本のスポーツ史上もっとも偉大な活躍である事は事実だ。一時的にもテニスというメジャースポーツで世界ランク4位につけ、ジョコビッチやマレーのような世界的選手に打ち勝ったこともあることは間違いなく伝説である。

 

その一方で日本自体が少子高齢化に直面しており、ここから更に少なくなる子供の数で今後世界と競争できるかどうかには疑問符が付く。

サッカーのような世界との激しい競争に晒されている分野を見るとやはりその現実は厳しいと言わざるを得ない。

例えばゴールキーパーやセンターバックのようなポジションに、ハーフ系の選手や外国にルーツのある選手がいたらどれほど頼もしいかとよく考える。仮にハーフナー・マイクが彼の父親と同じようにGKになっていたならば今ごろ日本代表で不動のスタメンだったのではないか。

 

バスケットボールなど更に絶望的だ。

日本人の中で身長190cmを超える男性は0.2%ほどだと言われており、アジアの中でも弱小なのが日本バスケの現実である。ただでさえ少子化で子供が少ないのに、日本は人気なスポーツが細分化しており、どこも数少ない人材に取り合っている。

フィジカル的に恵まれない日本人の中で、いくつものスポーツが人材を少子化の時代に取り合っているというのは先行きに乏しい。

 

日本人アスリート史上最も身体能力が高かったフィジカルエリートと言えば室伏広治だ。両親共にオリンピック選手だったため規格外の身体能力を誇っており、室伏広治がサッカーをやっていれば凄い選手になっていたのではないかという事は良く議論される。

母親がルーマニア人の室伏広治と、母親がドイツ人の酒井高徳は似たような境遇を持っている。

 

これは風の噂で聞いたような俗説でしかないのだが、子供の身体能力というのは母親の影響力が大きいという説も存在する。

父親が外国人というケースの方が多いが、日本人男性が外国人女性と結婚するケースが増えていけば子供が子供がアスリートになるケースは更に増えていくだろう。

それは非常に夢がある事であり、独身で虚しく一人で海外スポーツや日本代表の試合を見るよりは、いつか自分の息子が海外のチームに移籍し当事者になることを夢見たほうがスポーツ観戦は楽しいだろう。

 

例えば自分はFCバルセロナというスペイン北東部にあるカタルーニャ州のクラブチームが好きなのだが、日本人である限り結局のところ自分には縁が無い他人事でしかないという現実もある。

しかし仮にスペイン人やアルゼンチン人と結婚して息子がバルサの選手にまで育った場合、その日から極東の島国の無関係な観戦者ではなくなると考えることもある。

 

海外のスポーツを見ていると結局そこがコンプレックスになり、脳内外国人の領域を脱することができないのだ。

日本人が縁もゆかりもない海外のチームを応援して何が楽しいのかという意見がある事も事実で、今から当事者になるには現地に住むか自分の関係者がそのチームに移籍するしかない。

 

また兄弟がそれぞれそれぞれ別の国の国籍を選択して、代表チームに選出されるというケースもある。

例えばチアゴ・アルカンタラとラフィーニャの兄弟は、それぞれスペイン代表とブラジル代表を選択しており父親の立場からすると両国が対戦する時は格別だろう。

クロアチア人と結婚して兄が日本代表、弟がクロアチア代表を選択しFIFAワールドカップを舞台に対戦するという夢物語も考えたことがあるようにとにかく夢は広がる。

 

正直なところ自分と同じレベルの日本人女性と結婚したところで、大きな夢を見ることができないというのも本音だ。

自分自身、両親が共に平凡であり当然ながら受け継いだ遺伝子に特別な才能は備わっていなかった。

あらゆる能力が平均以下だと幸せな人生を送る事なんてできないという現実をこうして嫌なほど味わっているため、もし子供が欲しくなった場合はせめて母親の素質には拘りたいという切実な願いがある。

自分と同じような惨めな人生を送らないで済むようにするためにも、せめて子供には良い能力を継承させてあげたいのだ。優れた能力に恵まれない人間の人生がどれだけ悲惨であるか、その実例がまさに自分なのである。

 

そんな人間が優れた外国人女性と結婚できるはずがないというのは確かにその通りだ。

しかしどっちにしろ優秀な日本人女性と結婚できる可能性も低いという現実にも変わりはないので、せめて何らかの奇跡が期待できそうな外国人女性との結婚に期待したいという思いはある。

現在は一切結婚願望は無く、別にこの話も今は関係ない夢物語なのだが、仮に子供が欲しくなった場合は外国人女性を候補にしたいと思っている。

何らかの奇跡が起きて美人のハーフが生まれてくればモデルや女優といった職にも期待できるので、女の子の場合でも大きな夢を感じられる。

 

子供の人生に親が決めた道を強制するつもは一切ないが、スポーツ方面で活躍してほしいと考えるならば高度な教育をするよりも素直に遺伝子にこだわったがよいだろう。

頭脳や芸術の方面で活躍を期待するならば日本人同士でも構わないが、スポーツだとどうしても遺伝子という才能が重要になる。

スポーツの世界においてフィジカルは絶対的な才能であり、陸上の為末大も才能が一番重要だと断言している。

 

子供にさえ夢を見れれば良いと思っているならば、お金や日本国籍目的の外国人女性と結婚しても一向に構わないのだ。

南米のチリ人やコロンビア人と結婚すればサッカー的には非常に恵まれたフィジカルを得られるだろう。ビダルやハメス・ロドリゲスのような選手だって誕生するかもしれない。それで世界のビッグクラブに移籍すれば一生かかっても稼ぎ切れないような収入を息子が稼ぎ出すことだってあるかもしれない。

実際にブラジル人サッカー選手の両親には金銭面にシビアな人が多く、ネイマールの父親はその代表格だ。

 

その一方で自分とレベルの近い日本人女性と結婚したところで、平凡な才能しか生まれてこないことは容易にイメージできる。そもそも日本人トップクラスの身体能力を持った選手でも、やはり海外の舞台ではそのフィジカル差に直面している。

日本人の血統自体に限界があるという現実を考えれば、やはり遺伝子の輸入ということも今後考えていかなければならないのではないか。

自分の場合はあくまで特に結婚願望も無く真剣に考えているわけではないが、本当に子供をトップアスリートに育てたいという夢がある人は外国人に可能性を見出すべきなのではないだろうか。

日本人同士で結婚しても息子がNBAの選手になることはほぼ叶わない夢だが、結婚相手が外国人の場合少なくとも日本人同士の結婚よりは可能性があるだろう。

 

ブルゾンちえみという女性芸人が「世界に男がどれくらいいると思う、35億」というネタでブレイクしたが逆に言えば女性も35億いるのである。

最近結婚できない独身の日本人男性が増えているが、日本に可能性を感じないなら一度視野を広げてみるべきかもしれない。

 

別に自分のようにそれほど強い結婚願望があるわけではない人間にとっては、切実な問題ではないのだが、結婚できなくて悩んでいる日本人男性を見ていると素直に国際結婚を考えるべきなのではないかという考えになる。

よくある婚活番組で余り者として晒されている惨めな男性を見ていると、とても同情的にならざるを得ない。そして仮に結婚できたとしても、それほど明るい未来は描けないという組み合わせが多い。

こんなことを言ったら本当は失礼なのかもしれないが、結婚する年齢が遅かったことで高額の不妊治療の負担に困窮している夫婦など見ていて本当に惨めで仕方がない。

 

近年外国人観光客も増えており、日本人女性目当ての外国人男性も来るが、多少なりとも日本に関心がある外国人女性が同時に来ているのも事実だ。

「世界の日本人妻」と言った言葉のように日本人女性の国際結婚は華やかに美化されて語られるが、日本人男性の国際結婚は現在もネガティブなイメージで語られる傾向がある。

そんな風潮に負けずに前向きに進んでいこうとする日本人男性がいるのならば、同性の立場として自分は応援したい。