負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

1人で外国語を学んでいるときに感じる孤独

外国語を勉強していると、そのモチベーションをどう維持するかが最大の問題になってくる。

一番良いのはその外国語を話す友人や恋人なりが存在することだが、そう簡単に作れるものでもない。第二にその外国語を学ぶ仲間を作れば、受験勉強の時のように励まし合うことができる。

 

ただそれも結局のところ環境に依存する物で、自分のように周りに一切語学を勉強している人がいない時、そこには孤独感が発生する。

なんというか今の自分は外国語を学んでいる時の孤独感が半端無く、孤軍奮闘という状況になっている。この孤独感をどう乗り切るかも語学における戦いの一つだ。

 

ただでさえ先行きが長い旅を一人でやっていくというのは、メンタル的に大変なものがあるのかもしれない。

つくづくこの社会に自分の居場所が無いという事を感じるし、自分の理解者や仲間がいない孤独というのはつらいものがある、そしてこれは多くの外国語学習者が感じている事なのではないだろうか。

特に自分のような過疎地域にいる人間は、外国人がいるわけでもなく、人間関係が非常に狭い物になってくるし、海外志向の人などいるはずがない。

今は一応ネットで外国人の日本語学習者を探すこともできるが、それは少し敷居が高い。

 

学生の頃ならまだしも大人になってから一人で外国語を勉強するというのは結構大変だなと感じるし、とにかく周りに語学の話が通じる人がいないという状況にいる。

最近の日本人はとにかく内向き志向になっていて、外国語に対する意識が非常に低下しているように思う。

日本が暗くなっていく時代に日本の事しか考えない、日本の状況にしか関心が無い人が多く、底辺にもかかわらず妥協し日本に居つく人生を選ばざるを得ないような状況になっている。

滅びの美学でもあるのか、今の日本人は終わりゆく国にむしろ忠誠心を高めつつある。

 

むしろ底辺や負け組の人間こそ今の時代真剣に外国語を学ばなければならないだろうし、特に若い人ほど早めに日本に見切りをつけるべきだ。

しかし自分のように日本にもう見切りをつけて、外国語を勉強しているという人はそれほど多くなく似たような境遇の人を見つけることが難しい。

落ちぶれて衰退していく日本にこの先ずっと住んでいく覚悟がある人は凄いなと思うし、何もワクワクしない国になろうとしていることに気付いていないのかもしれない。

それなりの範囲内で揃う幸せで満足だし仕方がないという欲望低下の時代に適応しきった人があまりにも多い。

 

SNSに行けば外国語を勉強している人はいるのかもしれないが、その横の繋がりを維持することが疲れるし、SNSが目的になってしまいそうなので躊躇している。ワイワイしているところに今更自分が入っていくのも難しそうだし、かといって掲示板でそういった話題を見るというのも、その時間で勉強したほうが良い気がしてくる。

意識高そうな空間は今の自分には疲れるというか、底辺がなんとか勉強している感じの雰囲気の場所が中々ない。

 

当然周りに外国語を勉強している人はいないし、学生でもなければ帰国子女でもない。

本当に普通の一般人として大人になってから語学勉強してる人って中々いないよなぁという孤独感がもどかしい。外国語の勉強はしているが、海外移住を目指しているわけではなく資格やスキルとして学んでいる人も意識が高くちょっと雰囲気が自分とは違う。

こうしていろいろ自分と似た人を探そうとすると、なかなか見つからないのが現実だ。

自分の外国語学習に共感してくれる人がいるわけでもないし、日本における外国語学習者というのはマイノリティとして孤独を抱える運命にある。

 

ただそもそも日本に居場所が無いからこそ海外に行こうとしているわけで、日本で孤独でなかったらそもそも外国語に夢は見ないだろう。

この孤独感はむしろ大事で、逆に自分の勉強している外国語を聞くと安心したり、その国の動画などを見ると今の日常と違う場所にいる気がして楽しく感じることもある。

 

自分と似た境遇の語学仲間が欲しい一方で、この孤独感こそが外国語を学ぶ動機にもなるのではないかとも考えている。

真剣に日本を出たいという思いをもっと強く持って、本気で勉強する時が来たのかもしれない。日本の日常が嫌で嫌で仕方がないというぐらいのほうが、逆に外国語や海外に対する情熱も上がるのではないか。

 

問題は語学を大変な事と考えるか、むしろ自分の居場所だと考えるかだ。

大人になってから新しいことを始めるのは結構大変で、また最初から語学を勉強するとなると億劫なことも分かる。日常の生活で疲れているときに、語学の勉強までするというのは結構な負担ではあるのも事実だ。

 

その一方で日本での人生が終わっているような人こそ、海外に夢を見て、ある意味日常からの逃避として外国語を勉強するという考え方もできる。

自分の場合外国語を勉強しているときは嫌な日本の日常から離れた気分になって、擬似的な海外旅行をしているような感覚になる。

中々海外旅行に行けない時代に、外国語の旅行動画を見て気分転換と語学学習をするというのは一石二鳥だ。

日本語しかできなければどこにいても日本という日常が付いて回る、それは現実社会でもネット社会でも同じだ。

日本人との関係だけで終わる人生にするのか、別の世界を見つけに行くのか。

日本の日常の中でどうしても視野が狭まっていく時代に、語学というものは大幅に視野を広げることができる手段だ。

自分の感じる世界や住む世界の狭さに嫌気がさしている人は、そこを飛び出すために思い切って外国語の勉強をしてみると人生観が変わるかもしれない。

note.mu