負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

渡辺麻友は卒業後女優として大成するだろうか

AKB48のメンバーには必ず卒業の時期がやってくる。どんな功労者もいずれはこのグループを去らなければならない。そしてそれは渡辺麻友も例外ではない。

いつまでもAKB48としての渡辺麻友は存在しないだろう。

もしかしたら彼女が「最後の選挙」と語る2017年の第9回選抜総選挙のスピーチの場でその決断を下す可能性もあるだろう。AKBにいつまでも居座り続けなければならないメンバーと違いある程度知名度がある渡辺にとって卒業というのは現実的なキャリアアップの手段でもある。

 

そしてAKB48を卒業するという事はたいていの場合アイドルを卒業するという意味まで含んでいる。彼女がAKB48を卒業したとき、アイドルまゆゆという存在も過去のものになるだろう。

最も既に自分にとってアイドルのまゆゆという存在は過去の存在になっているのだが。

正直なことを言えば自分はもう渡辺麻友が好きではなく最新の渡辺麻友の姿を見ると「あれ、こんなんだったかな」と思わずにはいられない。容姿の面でもキャラの面でも全てにおいて渡辺麻友ではなくなったというのが正直な感想だ。

「 渡辺麻友ってツインテールじゃなくなってオワコンになったよな」思わずそんなことを独り言でつぶやいてしまう自分がいる。

懐古厨になってしまうがやはりツインテールの事の方が似合っていてよかったなと思うし昨今の髪型は自ら似合わない髪型をやっているようにしか見えない。

 

だがこれも本人が志望する憧れの女優へのステップなのだろう。

もうかつての渡辺麻友ではないが本人の意思を尊重したい。

しかし実際問題渡辺麻友が卒業後女優として成功する姿は想像しにくい。

「戦う書店ガール」では大失敗し、現在放送中の「サヨナラえなりくん」も驚くほど話題になっていないし自分も全く見ていない。現実に低視聴率でありもはやファンの中でも限られた精鋭しか見ていないのが現実だろう。

やはり渡辺麻友に女優は向かなかった。

二度の失敗をしもはや今後渡辺麻友を主演女優として起用する稀有なドラマは現れないだろう。脇役を固める女優ならば今後変わりはいくらでもいる。卒業後AKBの肩書もなくなりファンが減少傾向にある渡辺麻友には女優としての需要があるかどうか、そう考えたとき暗い見通ししかできない。

 

演技までは絶望的に悪いとは思わないが世間的な需要がない。結局のところAKB自体がオタ専のコンテンツになっていく中で、渡辺麻友は更にオタ専メンバーであり一般人気路線への脱却を図ろうとした結果むしろかつてのファンが離脱をするだけになった。

自分の価値を勘違いしてオタク以外の世界でも人気になれると思ったのかもしれないが、その価値はなかった。大学デビューをし懸命に路線変更を図ろうとしているような姿にかつてのファンは何を思うだろうか。

オタク人気で成り上がったメンバーがオタ向け脱却を図るという計画は結局上手くいかない。

 

とはいえいつまでもツインテールでかつてのアイドル路線を今続けていてもそれはそれで批判されるだろう。結局「あの頃」には戻れないのである。 

渡辺麻友クラスですら変わりはいくらでもおり、人気が落ちていく時はあっという間。AKB卒業生を見ても生き残っている人はそれほど多くない。渡辺麻友もその系譜に連なる存在になるだろう。

女優業以外の強みを見つけなければいずれは芸能界から消えるだろう。

 

AKBメンバー猫も杓子も女優志望だがファンはそんなことは求めていない。

あくまでアイドルとしてそのメンバーが好きだったわけであり、女優業をやる姿にそこまで期待していないのである。それならばアイドルとしてギリギリまで居座ろうとしている柏木由紀のようなメンバーの方がよほどアイドルとしての生き様を全うしている。

柏木は柏木でいろいろと問題があるメンバーだが、下手に女優業に色気を出さずアイドルが自分のステージだと割り切っているところには好感が持てる。

 

アイドルが自分は女優でも通用すると勘違いし始める姿ほど見ていて悲しい物はない。

そして案の定ブレイクできずに芸能界からフェードアウトしていく。

指原莉乃のようにトーク力やバラエティ番組出演の方面でスキルを磨いているならまだしも、渡辺麻友は見込みのない女優業での成功をいまだに信じ続けている哀れな「元アイドル」である。

かつて渡辺麻友は天性のアイドルであった。

しかあまりにもアイドルとしての才能が有り過ぎたが故に、アイドル以外の面では何もない存在になった。

アイドルとしては天才、それ以外は凡人、そんな渡辺麻友からアイドルという肩書がなくなったときどのようなキャリアが訪れるだろうか。

女優として成功するか、全く違う道を見つけるのか、どうなるか様子を見てみよう。

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アイドルの建前「恋愛するのは今じゃないし卒業してから恋愛します」

アイドル本音「むしろ恋愛するのは今でしょ!

ここ最近特にAKB関連でスキャンダルが発覚することが増えている。つい数日前にもAKBの小嶋真子というメンバーがお泊り誕生会をしていることが見つかったり、宮脇咲良の裏アカウントが発覚したりと騒がしい。

ただむしろ女性アイドル側からするとジャニーズと関係があることが発覚するのはむしろ夢であり、恋愛真っ盛り中だとそういうスキャンダルすらヒロインになった気分になれるため彼女らはきっと喜んでいるだろう。

建前では「卒業してから恋愛します」と言っているが、実質的には「今恋愛しなきゃいつするの、今でしょ」なのである。

 

AKBやアイドルという肩書がなくなったらただの一般人に過ぎない彼女らが人生で一番良い相手と付き合えるのは若くてアイドルという肩書がある今なのである。卒業すれば途端にジャニーズから相手にされなくなる、それをわかっているから彼女らはスキャンダルを止められない。

 

そんな普通の女の子たちがジャニーズと付き合う夢のようなチャンスはアイドルやってる時くらいしかない。

そう本人たちは自覚しているのだろうと思う。

「私の彼氏ジャニーズだったよ」と言えるか言えないかで人生の価値が違ってくる。

テニス選手が年間グランドスラムを成し遂げてるか成し遂げてないかで後の評価や格が違ってくるのと同じで「ジャニーズが彼氏だった」という事実は人生に箔がつくのである。ワールドカップ出場経験があるかないかでサッカー選手としての価値も変わるように、ジャニーズと付き合ったことがあるかない化でアイドルとしての価値が変わってくる。

 

結局アイドルにとってファンとはその箔をつけるための養分でしかない。

モテたいしジャニーズと付き合いたいから彼女らはアイドルになる、ファンに奉仕して握手したいからアイドルになりたいわけではないのだ。ヒロイン気質で自己顕示欲や承認欲求の塊でなければわざわざアイドルなど目指すわけがないのである。 

オタクと握手という重労働をやれるのもジャニーズと付き合うという夢があるからであり、ジャニーズと付き合うという夢がかなえられないなら誰がオタクと握手などするだろうか。

 

結局のところアイドル産業というのは心の隙間に付け込んで搾取するビジネスだ。

何かに満たされない人間に夢を見せ、幻想を見せるビジネスだ。

キラキラした夢を見せてくれるものではなくその先にあるのは現実である。むしろ芸能界や人生の現実に気付かせてくれるのがアイドルであり自分自身もその現実に気付かせてもらった立場である。

どれだけ現実を知らない人間を騙せるかがアイドルなのである。

そして現実を知ったとき人間は成長する。

 

自分もかつては純粋はAKB48ファンだった。

しかし今はこうやって斜に構えて見ている。

これがアイドルなんだと悟る時がやってくる。

ただアイドルや声優にはまらなければその醜い現実を知ることもなかった。その現実を教えてもらえただけでも無駄ではなかったしそもそも自分は大金を投じていないため一瞬ショックだっただけで案外すぐに立ち直っている。

本当に精神的なショックを受けているのはCDやグッズを大量購入し握手会にまで行っていた人々だろう。

 

しかし彼らはそれでも少女の夢を応援することの人生を捧げるのである。

シンデレラを応援することが彼らの生きがいであり人生そのものである。

指原莉乃のような顔が60点の子がついにはジャニーズを彼氏にできるまで成り上がるというのがシンデレラストーリーだ。ある意味彼女らは夢をかなえており、その夢を応援するオタクの夢もかなっているのである。

応援する少女が夢をかなえたのだから喜ぶのがオタクの勤めである。

そんな誰かの背景にしかなれない人生が嫌になり自分は異性のアイドルやら声優やらを応援することをやめたのだ。

女性アイドルを応援し続けても自分はその人にとって永遠にどうでもいい存在でしかない、彼女らはちゃっかり裏で楽しんでいるのだ。

しかしそんなこと関係なく彼らは少女の人生の背景になることを率先して行い、喜びや人生の意義を見出している。

これだけスキャンダルがあるのに相変わらずAKB系列を応援している人がいることは不思議だが、ある意味彼らは自分とは別の悟りの領域にいるのかもしれない。

そのことに喜びを見出す境地に達するとアイドル応援は辞められなくなるのだろう。

今日も彼らは少女の夢を応援するために働きに出る。

渡辺麻友、速報4位になり無事オワコンになる。

今月に開票が迫ったAKB選抜総選挙だが、この選挙のシステムでは一度速報が発表されて暫定の順位が発表されるようになっている。

あくまで目安に過ぎず、速報順位と最終順位は全然違う結果になるのが好例だがそれを差し引いても今回渡辺麻友が4位だったことは衝撃として伝えられている。

本人としてもAKBキャリアにおいて最後の総選挙として挑み、無理だとわかりながらも1位を宣言しているがこのままでは1位どころか2位にすらなれないのではないか、そんな予感さえある。

 

ただ正直な話「残念だが当然の結果」であり、一時代が終わってしまった象徴なのだろう。

自分も数年前まではファンだった時期もあり、なんだかんだで気にかけている部分はあったが今は特に思い入れもなくむしろ指原莉乃のほうが好きな状態である。

正直今の渡辺を見ると「一体どの層に需要があるのだろうか?」という程支持母体が謎であり、未だに応援している人がいることがむしろ不思議である。むしろここまで指原と2位争いができていたことが奇跡で実質的な人気ではもう指原莉乃には敵いようもない。

ここからさらに順位を下げて、5,6位ぐらいでフィニッシュをしても何ら不思議ではないし、むしろ全盛期神7時代はそのぐらいの人気だったのだから定位置に戻るだろう。逆に1位、2位を争っているポジションにいる渡辺麻友のほうが違和感があり自分もそのぐらいの時期の方が好きだった。

 

1位になったら公約として黒髪ツインテールでコンサートをするというようなことを言っているが、今更やったところで過去映像には勝てないしやる気のないことを無理にやっても過去の魅力は取り戻せないだろう。

結局アイドルとしても中途半端に終わり、分不相応に女優を目指したせいで何もかもが中途半端になり今シーズン仕事も順調ではなかったことによってだいぶ離れたファンもいるだろう。

まさか最後の総選挙が自分がオワコンになったことを示すだけの選挙になるのか。

諸行無常であり、世代交代も進んでいくのだろう。

それに本人は1位に拘っているが、実際1度は1位になっているのだから決して無念ではないはずだ。

AKB48を黎明期から支え、間違いなく存在感はあった。

しかしどんなものにも終わりがやってくる。この最後の総選挙は自身が終わったことの象徴となるのか、それとも最後ここから巻き返すのか。

 

渡辺麻友はどこで道を間違えたのだろうか。

自分の需要をわかっていなかったのか。インスタグラムの事以外決定的なスキャンダルは無いが、いつからかもう「まゆゆ」じゃないんだなという雰囲気が漂い始め言動も変わっていった。ツインテールをやめたことは年齢の問題で仕方がないが、髪を染めてオシャレな髪形にし始めたことで完全に良くいる人になってしまった。

AKBは全盛期時代に髪を染めることが制限されていたため、その反動でとにかく染めたがるメンバーが多い。まるで大学デビューのように高校を卒業した途端髪を染め量産型になっていく。

茶髪が悪いとか清楚じゃないという事を言いたいわけではなく、単に自分が似合ってる髪型を客観的に見れないところにがっかりするし一度染めてそれなりに楽しんだらすぐ戻せばいいのにと思わずにはいられない。似合うなら茶髪でも金髪でも問題を感じないが、似合わないメンバーがいつまでも続けるのは大学デビュー感がしてしまい見ていて「変わったな」という思いしか感じなくなる。

 

結局そういうところを敏感に感じ取った層が渡辺麻友に冷めて離脱していったのだろう。正直NGT48の速報1位のメンバーを見たとき、これは渡辺麻友ファンを離脱した層の受け皿になるだろうなということを感じた。もう今更自分は女性アイドルを応援しようとも思わないが、女性アイドル熱があった頃の自分ですら今の渡辺麻友に要は無いだろう。

完全に変わったし終わった。

 

むしろ盛大に順位を下げて晩節を汚して去っていく姿すら見たいと思わせられる。そこから再起を誓ってまたリスタートするならばその新しい渡辺に興味を持つかもしれないが、今の中途半端な渡辺麻友には特に魅力も感じない。

そして皮肉なことに渡辺麻友以上に変わってしまったのは自分なのだろう。

渡辺も変わったが、自分も変わった。

人が何かに変わったと言ってる時はたいてい本当に変わっているのは自分なのである。

note.mu

GDP世界7位のインドが躍進する日は訪れるか

インド情報を調べると日本人の予想をはるかに上回るレベルで彼らインド人が優秀な野心家であるということがわかる。

現に有名企業をはじめ世界中の企業のトップがインド人になっており、起業をする人の数も世界有数である。インドはIT大国だけでなく経営大国、起業大国にまで成長しようとしている。

 

まず大前提として日本はインドに確実に抜かれる運命にある。

気付いたときには中国に抜かれており数年で大きな差をつけられ、今では「よく中国のような巨大国家より上だった時期があったな」とむしろ中国に追い抜かれている状態が当然という感覚にさえなっている。

しかしインドに対してはまだ遅れた国であるという認識が強く、英語や技術、人工に関する強さを認識できておらず「どうせまだカースト制度が残っているような国」と軽視している部分がある。

インドに追い抜かれるのはまだ当分先だろう、今考える事じゃないという考え方があるが実はインドはもう5年もすれば世界1の人口を兼ね備える国になるのである。気づけばもう2020年という近未来感溢れる時代に突入しようとしているが、2022年にはインドの人口は世界一になると目されている。

「そういえば世界一の人口が中国だと思ってた時期があったよな」と思う時代が後にやってくる。

少し前の感覚で言えば「人口13億の中国、人口10億のインド」という感覚だったが今や「人口13億弱の中国と、人口13億の大台に突入し始めたインド」という時代になっており、日本人の想像を上回る勢いで彼らは拡大し続けている。

 

更にそれは英語人口にも反映されておりインドの私立学校では教育のすべてが英語で行われており、母国語レベルで英語を話せる人は1億人以上だと言われている。これはイギリスの人口6500万を上回り、もはや本家のイギリス以上に英語話者が多いのがインドである。

もはや英語という言葉はアメリカとインドの言葉と考えたほうが良い時代になっている。エリート層はほぼ英語を話せるため、「英語=インド語」と考えても差し支えないだろう。英語を勉強する目的の一つにインドは含まれるのだ。

実際自分も海外のチャットルームのようなサイトを英語勉強のために使っていたことがあったが、とにかくインド人が多かったことを覚えている。日本人はまだインド人をレアな存在だと思っているが、ネットの中でさえ少し海外サイトに出るだけでインド人は数多く存在する。

もはや英語と言えばイギリスよりもインドの方が重要視される時代になっている。

アメリカ、インド、中国、10年後の「世界三大超大国」の内2か国が英語を公用語にする国であり、英語の重要度は今後一層高まるだろう。

 

そう考えたとき、インドがもう少し発展した場合「英語ができる日本人」にとってはインドは新しい移住先の候補になれるかもしれない。巨大な人口を抱えるインドは日本企業が市場を求めに進出する候補になっており、既に莫大な市場を求めて自動車メーカーも多数インドに参入している。これから新しい中流階級が続々と登場するのがインドであり、そこには莫大な需要が発生する。

 

中国も昔は「日本人が住めるわけがない」と言われてたけが今や日本人も住みやすい国になった。その内インドも首都や大都市は先進国水準に成長していくだろう。ガンジス川で水を浴びているイメージはもう古く、たった数年のサイクルで日本の人口そのものに匹敵するような大卒労働者や技術者を輩出している国がインドである。

「毎日のように変化し発展していく国」としての刺激は高度経済成長期の日本のような面白さがあるかもしれない。緩やかに停滞していく日本より大きな刺激がインドにはあるだろう。

日本人がアジアで英語を使って仕事をするならシンガポールやマレーシアあたりが良いとされているが、数年後にはインドがその候補に躍り出るはずだ。

日本人のインドに対する感覚は20年前の中国に対する感覚と似てるが、その中国はもはや日本以上に裕福な環境になりつつある。

インドもその内先進国出身者でも十分に生活できる環境に発展し、インド製が中国製のように世の中を席巻する時代が来るだろう。なぜなら彼らには英語力によるマーケティング能力や、圧倒的な理系技術者養成力がある。

インドは徹底的に英語や理系技術といった実利的な教育を重視しており、莫大な人口を抱えている。

インド

インドは間違いなく世界一の国を目指そうとしている。

本気でアメリカや中国に並び、越えようとしているのがインドである。

アメリカ対ソ連の時代が終わり、アメリカ対中国の時代に突入し、ついには中国対インドの時代が訪れるかもしれない。

アメリカも現在のイギリスのような立場になり、いずれアジアの国同士で世界の覇権を争う時代がやってくるという予想はもはや安直な架空の話ではなくなっている。米ソ冷戦が終わり、米中冷戦に突入し、その後中印冷戦の時代がやってくるのではないか、数十年後のアジア情勢は間違いなくこの二カ国が左右する時代になりその時代に日本はどのような立場にいるだろうか。

 

インド人最大の特徴はやはり英語力の高さと理系技術の高さだろう。

未だに日本人はダルシムのイメージでインドを見ており、世界の先進国で最も対インド観において前時代的な感覚を持っている。

遅れているのはインドではなく、日本人の対インド観のほうだと言えるだろう。

これまで日本人はインドを中国の向こう側にある遠い国だと考え、あまり意識してこなかった背景がある。

第二次世界大戦インパール作戦の失敗によってインドは果てしなく遠く、たどり着けない場所というようなイメージがある。更に遡れば「天竺」として幻想にも満ちた別世界のような遠い場所というイメージすら存在する。

同じアジアだが中国程近くは無くリアルな存在として認識していないというのが日本人の対インド観の実態であり、未だにダルシムガンジス川のイメージが強い。インドの首都がデリーだということを知っている人がどれだけいるだろうか。彼らは次世代の技術大国、英語大国、IT大国、起業大国、経営大国、人材輩出大国、そして人口大国である。

 

中国人が世界屈指のスーパーコンピューターを開発する時代が来ることを30年前の日本人は想像もしていなかった。日常の家電製品ならば中国製で十分な時代が来ることも考えてはいなかった。

次はインド人が中国人の様に躍進する時代が来るだろう。

GDPで世界7位というのは日本人感覚で言えばまだ余裕がありそうにさえ感じるが、人口の3分の1が高齢者の国がはたして人口の半分が24歳以下の国に対抗できるだろうか。そしてその国は数年で世界一の人口大国になる国であり、年々英語と高い技術を兼ね備えた野心のある大学卒業者を輩出している。

 

インド工科大学というインド版東大の卒業生が世界中の大企業から争奪戦に合い世界中に高額報酬で引き抜かれている。

日本で東大出る以上に人生が変わるインドドリームがある。

このような国では誰もが懸命に勉学に打ち込む。

日本で東大出たところで人生が劇的に変わることはそれほど多くなく東大を卒業してもフリーターやってる人まで存在する。しかしインド工科大学を出たインド人は生活が天と地ほど変わる。今インドには人生を変えるために勉強をしている人が数多く存在し、インドはその夢を追いかけられる環境になっている。学問や勉学に夢を見ることができる国は強い。

 

また彼らインド人は語学プラスアルファで様々な高い能力を兼ね備えているため世界中に移民している。すでに世界的企業の経営トップがインド人になるケースも多く、いずれ世界中どの企業にもインド人がいる時代がやってくるかもしれない。イギリスの高級自動車メーカー「ジャガー」がインド企業に買収されたのはもう10年前の話である。

そして彼らの世界進出はインド人にとって有利に働き、インド人の時代がやってくることを意味するだろう。

 

しかしインドには最大の問題点が存在する。

それは時として悪名高く語られるカースト制度」である。

インドを他の民主主義国家や近代国家と同列に語ることができないのはカースト制度が存続していることが要因だと言われている。

近代的な枠組みの中にない国が、果たして21世紀の時代に本当に大国や先進国になれるのかという事には疑問符が付くことも多い。

実際にインドの現状を見てもまだ改善しなければならない部分は多く19世紀以前の文化や慣習が残されている地域も存在する。

人種も宗教も言葉も多様であり、様々な文化が混在する。

それゆえに「世界一の人口大国」を考えることができない部分もあり、19世紀的な生活をしている人も実は多数存在し文明国になりきれていないのも実態だと言える。

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しかしその文明国や民主主義国家という価値観は現在の先進国から見た考え方であり、その枠組みで考えること自体がナンセンスなのかもしれない。全ての国がアメリカ的な民主主義国家にならなければ発展しないという考えのほうがむしろ古い考えになっていき、いわゆる近代国家とは違う新ジャンルの国が台頭する時代になるのではないか。

現に中国は改革開放によって市場経済を導入しているがブラックボックスな部分もあり、必ずしも西側先進国と同様のメカニズムで動いていない部分もある。

そしてむしろこれからの時代に置いてはそういった近現代のメカニズムにとらわれないような国の方が躍進するのではないか。むしろこの近現代の停滞を打破する人材が現れるのは「カオス」が存在している国であり、インドはまさにその条件に合致する。

カースト制度も実はインドのような様々な文化が混在する巨大国家を統治するには必要な制度なのかもしれないし、「カースト制度に関係なく出世できる」という動機によってインドのIT産業は発展した。

 

更にインドはまだ成長の過程にある国であり、ついに目覚め始めた国だ。

日本も身分社会が存在した時代から文明開化を行い急激に近代文明の仲間入りを果たしていき、戦後は焼け野原から先進国の仲間入りを果たした。

ある時何かのエネルギーを持った国は急激に躍進する。かつて日本人自身がその立場であり、間近で中国の躍進を見届けた。次に我々が目撃するのはまさインドの躍進なのかもしれない。

本当に中国に行けばいい暮らしができるのだろうか

最近日本の若者が中国に職を求めて海を渡るというドキュメント番組を見た。

月収で言えば日本円でよくて10万円程で日本の最低時給にも満たないような給料事情だが、暮らし自体は非常に良く、まるで高級ホテルのような高層マンションに住んでいる人もいる。

月収10万円でも現地の平均月収にくらべれば3倍で、日常で実感する生活の質としては日本より良いと語っている人がその番組では多かった。

「日本を捨てたのか日本に捨てられたのか」というフレーズが非常に印象的であり、日本に居場所が無かったり日本でカツカツの生活を続けるよりはよほど良い暮らしができるという印象は感じた。

 

果たして本当に中国に行けば日本よりいい暮らしができるのだろうか。

実態として夢物語でない部分もあり、ただコールセンター業務で日本人なら誰でもできる仕事をしに中国に行った場合「日本にいるよりはマシ」ぐらいの生活が上限である。

決して豪遊などができるわけではなく、中国ならではの問題もあり日本人が生活するうえでの快適さは総合的に見て絶対的に中国の方が良いともいえない部分もある。

 

それでも日本の若者の中国流出は止まらない。 

転職説明会などでも中国方面への説明会はしばしば開かれていたり、ネットの求人でも「日本語だけで生活できます」という条件があるらしい。とくに中国の大連は日本語だけで生活し、仕事もできるほど日本企業が進出しておりコールセンター業務などは人件費の安さから現地で日本人を雇って行っているようである。

現地に渡った日本人「正直やりがいは感じない」

つまり、日本社会で上手くいかなかった人が中国に行った程度ではほどほどの努力で日本よりちょっといい程度の生活ができると言うだけの話でその「ぬるま湯」につかりスキルアップの向上をしない社員もいるようである。

 

中国人「こっちに来ている日本人は日本語ができるだけでスキルがなく、中国語を覚えようとしない」

はっきりこのように言っているわけではなかったが、そのような趣旨のことを言っており実際大連に渡った日本人社員も「せっかく中国に行くなら中国語を覚えようとして2年経ったけど案の定中国語を覚えなかった」と語っている。

結局のところ大連は日本語が使える場所が多いため、真剣に中国語を覚える機会もなく日本と同じような生活ができてしまう。ただ日本語ができるスタッフのいる日本式美容室や日本の書籍などは倍以上の値段でありそこに出費が消えてしまうというのも実態のようだ。

 

中国語を覚えようとしている日本人もその番組内には出てくるが、よほど意識を高く持っていなければ中国に行ったからと言って中国語を覚えることにもならず日本と同じような生活をしているという典型的なパターンになる人も多い。

逆に言えばそれだけ日本的な環境が充実しているともいえる。

日本の都会でギリギリのフリーター生活をして狭いワンルームに住むなら中国に行ったほうが生活の質自体は高くなりそうだし、意識を高く持てば中国語を覚えて更にキャリアアップができる可能性もある。

日本である程度貯金してからいけばしばらくの間はかなり良い生活ができそうだとも感じた。しかし中国で得られる給料だけでは日本に帰国して生活を始めるだけの費用が貯められないため、ノープランでいけば一方通行になって変えることができないという危険もある。

 

番組の冒頭で中国に渡った日本人が「環境を思い切って変えたかった、人生をリセットしたかった」と語っていたが海外に行くというのはそれだけ環境が変わるため人生を孵らえれた気分にはなる。

「漠然と海外に行けば人生が変わる」というのも、何も考えずに日本の底辺に定住する由はまだマシだが、その漠然とした思いだけでは結局海の向こうでも日本と変わらない生活をズルズルとしてしまい数年が過ぎる結果になる。

中国に行って働いてるから相当意識が高い人ばかりなのかと思いきや、その内実日本よりちょっと良い生活に慣れて、そこに定住して大きな野心もあまりないという人も多いという印象を受けた。

 

ただ、そこまで野心を持たずとも少しいい生活をするためにいいところに行くという軽い考え方でどんどん海外移住をしてもいい時代になってきているのではないかとも思う。

無理に日本で先行きの見えない生活をし続けるよりは、中国に行って日々の生活の質が少し上がればそれでいいという考え方もありかもしれない。ぬるま湯も決して悪い事ではなくちょうどいいぬるま湯があるならその環境を必要とする人もいる。全員が野心を持って人生を頑張る必要はなく、程よいぬるま湯が中国にあるならばそこを選ぶのもまた人生だろう。

日本の若者冷遇の構造は一度若者が海外に流出して深刻な事態にならなければ変わらないだろう。

日本に良い環境がないなら海外に移民する時代は既に訪れており、多くの若者が海外に現実的な職場を求めて旅立っている。もう今の若者が海外移住も選択肢の一つに入れなければならない程、日本の若者に対する環境は劣悪なものになっているのが現実だ。

海外に行けば夢物語だというわけではないが、日本に居続けることももう夢物語ではないのがこの国の実態でもある。

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ヒカキンのサムネってヤバすぎるよなwww

自分はあまりユーチューバーが好きではないが、ヒカキンはわりと面白いと思っていてたまに見ることがある。

自分が消防キッズだったら間違いなくはまって毎日見て、ヒカキンキッズとして「将来の夢はユーチューバー」と言っていたに違いない。おそらく今の小学校のパソコン室ではユーチューバーの動画を開いて騒いでる小学生なんかがいるんだろうなぁ、とかつてフラッシュ動画を得意げに見ていた自分は思う。

 

そしてやはりあの変顔サムネはヒカキンの代名詞と言ってもいいだろう。

自分が子供のころから精神的に成長できていないせいか、あの変顔は今の自分でさえ笑ってしまう。これが自分がリアルに小学生だったら更に大爆笑していただろう。

ヒカキンは子供のツボを押さえ、子供が受けることを良くわかっている。キッズは延々と動画を見てくれるため再生数の向上に最も寄与する存在だと言っていい。

それゆえにyoutube広告側からは「お金を払わない子供がいくら広告を見たところで意味はない」ということにもなっているのだが、単に再生数を上げることが目的であるならばキッズ向けというのはこの時代最適解の一つでもある。

 

「子供を笑顔にして金を稼で募金をする畜生」と言われるが、体を張って子供を笑顔にするというユーチューバーの鑑でもある。

そもそも今の時代変顔だけでは注目してもらえずそれ以上のことをやらなければならない時代になっているため、変顔ですらまだ軽い部類にすらなっている。

 

ヒカキンのいいところが真剣に子供のためにやっているような雰囲気があるところでもある。「子供を利用して儲けてやろう」と思っている感じはしないし、もう今や世界の有名人とコラボする日本屈指の有名人でもある。内心どう思ってる鎌ではわからないが、世の中「子供を利用して金儲けをしてやろう」という雰囲気を隠すことすらできないユーチューバーも多いため相対的にヒカキンの評価も上がっている。

 

サムネと変顔だけで消防キッズを笑わせるヒカキンはある意味天才である。

ソシャゲで大当たりが出たときに狂ったように喜んでいる動画も面白いしリアルに消防男子がやるようなくだらないことを大人になってもやっているから受けているのかもしれない。

子供はこういうのを面白く感じるし、シンプルにくだらないことをやるということにも需要はある。ある意味消防男子と同じ目線に立っているのがヒカキンであり「小学20年生」みたいなことを自称しているように、本気で小学生と同じ立場に立てているのも彼の魅力である。

 

そういう雰囲気を子供ながらに感じて「俺の友達」「面白い兄ちゃん」みたいな感じになれてるのがヒカキン人気の理由なのかもしれない。

どうしても大人になると子供と同じ目線ではいられなくなるが、ヒカキンは大人になってもそういうことができる、またそう思わせることができる才能がある。

子供と同じ目線に立つというのは、子供を見下していてはできない。

「この人は僕らと違う大人なんだな」という雰囲気を感じ取られてしまっては子供からの人気は出ない。

心の底から小学生と同じ目線になりきれるかどうか。

小学校の男子コミュニティでわけのわからない変顔をしたら笑いが巻き起こって人気者になれるみたいな雰囲気と同じで、小学生男子の中では変な事や面白いことを出来る奴が偉い。

でも大人になると、いや中高生になる段階でそんなことをやめてしまうのが男子でもある。実際初期のヒカキンも今とは違う雰囲気で若干かっこつけている。

そこから路線を転換して本気で小学向けに馬鹿をやり始めたことがヒカキン成功の秘訣かもしれない。ユーチューバーに限らず、子供に人気になろうと思ったら同じ目線に立つ必要があるのかもしれない。

 

昔自分が親に「このゲーム面白いよ」といったとき、忙しいから相手にされなかったことがあるし、そういう経験は誰にでもあるのではないだろうか。

そして自分も大人になると「忙しいから後でね」という大人になるのである。

かつて親に「ポケモンおもしろいよ」と言って相手にしてもらえなかったが、今度は自分が「妖怪ウォッチおもしろからやってよ」と言われたときに相手にしない立場になってしまう。そのエピソード自体はまだ妖怪に力があった数年前の話なのだが、今思えば自分もつまらない大人になったなと感じる。

大人にとって子供と同じことを本気でやるというのは案外難しい物なのである。

子供が爆笑するような変顔も大人になると恥ずかしくてできないようになる。周りの目線を気にする大人になってしまうのだ。

それゆえに子供相手に全力で面白いことができているヒカキンの才能や努力は素晴らしいのだろう。誰にでもできそうだしくだらないものだと思ってしまいがちだが、実は「子供と同じことを本気でやる」というのは大人にとってとても難しい事なのだ。それができるヒカキンが人気になるのはある意味必然なのかもしれない。

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AKB48宮崎美穂「アイドルは体重増えたら仕事減る」

AKB48における最大の育成失敗の1人が宮崎美穂だろう。

全盛期の容姿レベルやキャラクターの面白さで言えば宮崎美穂は確実に選抜クラスであり、自分自身もAKBにハマっていた時期は「推し」とまでは行かないがそれなりに好きなメンバーだった。

犬キャラ、反抗期キャラの時は本当に面白く番組のコーナーでもAKBメンバーにたてつくようなコーナーがあり楽しみにしてた自分もいる。

「おい篠田、とろべぇ大人買いしてんじゃねぇよ」

「アキバ48さんだっけ?」

こんな感じで狂犬反抗期キャラをやっていた時はまさに全盛期であり将来が期待できるメンバーの人だった。渡辺、宮崎、小野で歌ってる映像もあるがそれはまさにレジェンドであり、3人とも将来が期待できたが実際に生き残ったのは渡辺麻友だけである。

 

現在の宮崎美穂にもはや「みゃお」としての面影はない。まず最大の問題は容姿の劣化であり、年齢より劣化というよりも単に自身の体重管理の不足が原因である。

しまいには番組内で「宮崎大サーカス」としてダイエイット企画をやらされるほど激太りし、もはやアイドルだと見えない程にまで体重を増加させてしまい顔も頬の肉が主張し始めるようになる。

 

「ぶくぶくと激太りして、衣装も前が閉まらなくなった。1年で10kg以上太りました」

撮影前に篠田が2日感絶食しプロ意識を保ってた時に、カップ麺の食べ比べをしていたのが宮崎美穂である。

その結果テレビ番組内で「アイドルは体重増えたら仕事減る」と発言し、痩せて以降も人気は戻らなかった。宮崎美穂が失った時間はあまりにも大きい。

現在では「絶対にやめない」と宣言しAKBにしがみつく老害と化しており、ファンからの評判も最悪である。

 

しかし宮崎美穂がAKBに居座ることに安心している自分もいる。

正直AKBや女性アイドルにそこまで興味を持たなくなっておりAKBを見ても知らないメンバーばかりで、かろうじて知っている全盛期の生き残りを見ると不思議と懐かしい気分になる。

総選挙のシーズンになったときだけ昔を懐かしむが、その時やはり全盛期のメンバーがいると「まだ細々とやってるんだな」と安心する。

また一回スキャンダルあったメンバーのほうがファンとしても冷静に見れるという良さもある。若いメンバーに幻想抱くより、落ちぶれた哀愁漂うメンバーのほうが変な期待もせずに済むし昔を懐かしむのも楽しい。

全く選抜どころかその下のアンダーガールズなどにも入らなくなった宮崎美穂をみて「落ちぶれた」と思いながら諸行無常の人生の哀愁に思いを馳せることもまた一つの楽しみである。

 

バラエティ能力は非常に高く、キャラとしては抜群に面白かっただけに容姿をストイックに維持していれば今頃かなり人気キャラだったのではないかというイフの想像も面白い。個人的には「SONE」をやっていた時が好きだったりする。

全盛期はガチの美少女だったが「君写真と違わない?」と言われるまでになり、ついには完全に太ってしまいスキャンダルもあり人気は凋落していく。

 

「握手会も3人~4人程度がずっとループしている感じ。(太っていた時代にも来ていた人は)名前や顔を覚えて家族みたいな関係になった」

しまいには握手会も3,4人とループしている状態になり過疎時代を乗り越えたが結局全盛期の人気は回復できず、体重の増加と引き換えに仕事は減ってしまった。

それに加えてAKBというブランド人気もライバルの乃木坂や欅坂、若い新興グループに取られ本人も老害扱いされただひたすらに哀愁が漂う。

 

本人が悪いと言えば悪いがこうやって落ちぶれるアイドルを見ると、人生の諸行無常を感じずにはいられない。とはいえ過疎時代の握手会はそれはそれで面白そうであり、変にアイドルとして期待していくより「場末のアイドル」のような感じで落ちぶれた目立たないメンバーのところに行くのも面白そうである。

 

ツイッターなどをみても全盛期のメンバーが必死に「私の握手会は楽しいよ」とアピールしているが、客寄せに頑張ってるかつての人気メンバーを見ていると最新の人気メンバーより対応良さそうにも思える。

かつてテレビで人気者として映ってた人が落ちぶれて、地方の営業に来るような感覚で、そういう哀愁が自分は好きだったりもする。

握手会に行ったこともないしもう情熱もないが、もし仮に行くのであればそういった落ちぶれメンバーの所に行きたいなと思う。

 

そして宮崎美穂本人はこれからの人生をどう考えているのだろうか。

おそらくAKB48にありがちな「女優」という夢も叶わないだろう。

結局芸能界ではその他大勢に過ぎず女性アイドルは若くなくなれば需要がなくなる。

それゆえにぎりぎりまでAKBにしがみつきたいのではないだろうか。本人としても卒業後の仕事がない事は理解してるだろうし、これから更に落ちぶれていくのが現実だろう。

その内地方に営業にやってくるかもしれない。

ただ一度こういった華やかな世界を知ったメンバーはその世界を抜け出すことができない。高城亜樹のようにユーチューバーになるかもしれないし、小野恵令奈のようにキャバ嬢のようになるかもしれない。ある意味今後の落差が最も気になるメンバーの一人でもある。芸能界にまだ活路を見出すか、それとも新しい世界に旅立つか、宮崎美穂の明日は予測できない。