負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

剣道は本当に実戦で役に立たないのだろうか

よく剣道の話になったとき「実戦では役に立たない」と言う人が必ず現れる。

別の実戦的な剣術の方が強い、フェンシングの方が強い、そういう人は一定数存在する。まるで軍事を覚え始めた中学生が知識自慢をしたがるかのように自分の理論を語りたがるのだ。

 

中二病というのは誰にでもあるもので、戦いや武器において「実戦性能」を最重視する時期がやってくることは多い。自分自身も武器や格闘技の魅力は実戦での強さだと考えている時期があった。

 

そんな指摘したがり人間にとって剣道は格好のターゲットである。

剣術や武器について勉強し始めたころは急に剣道を否定したがるのだろう。

確かに剣道は本当に実戦的な剣術に比べて実用的でない不合理な部分や要素もある。

しかしそんなことを言えばボクシングが蹴り技や寝技を使えない事、サッカーが手を使えない事までも批判しなければならなくなる。

スポーツや競技、武道というのはある程度ルールや規則の制限内で行うから奥が深くなる。サッカーが手を使えないルールによってより深みが増したスポーツになったように、剣道もまた防具と竹刀で行いルールの中で一本を狙うから奥が深い。

 

剣道に対して実戦的でないというのは、サッカーに対して「手を使えばもっと簡単にボールをゴールに入れられる」と言ったり、ボクシングに対して「寝技を使ったほうが勝てる」と言ったりするようなものなのである。

サッカーもボールを足で使うという特殊なルールによる状況下で発生するプレーが魅力であり、ボクシングはパンチに拘るから面白い。

そういったルールによって競技や武道が発達し、日常の文化に根付いていて愛好家が多いならばそれは素晴らしい事なのではないだろうか。

制限を設けてルール化しているから競技人口も増え、成熟する、そしてそこに文化が芽生える。

 

そしてそもそも実戦性能を重視したところで大部分の一般人には関係がない事なのである。

現実に真剣で一対一の勝負をする機会など現代には存在しない。そもそも剣や刀という武器自体が実戦における強さにおいては槍や弓、銃には敵わない。

仮に剣や刀に限定した場合でも、その剣や刀にもさまざまな種類がある。

現代においてそういった実戦が発生しないのは当然だとして、都合よく同じ武器を使える局面など存在せず武器性能で決まることは多い。

剣道のルールの中で戦うことが非現実的ならば、お互い剣術だけで戦うという状況ももはや非現実的なのだ。「剣術が何かは問わないが剣しか使ってはいけない」というルールそのものがその時点で実戦的ではない。

本当の実戦が何かを追求すればキリがなく銃を使うことが最適解になるか、そもそも勝負が成り立たないだろう。

 

実戦性能をしきりに求めてもそもそも実戦を求めること自体が非現実的なのである。

現実的な実戦に遭遇すること自体が非現実的であり、むしろ競技や武道として確立された試合に挑むことの方が現実的なのである。

こういった競技として整備された世界の方が実は日常生活の中で出会うケースが多く、鍛錬を積むことに意味がある。

実戦を実践するケースはそれほど多くなくむしろ非現実的であり、一般の人間はむしろ競技化された分野の方が実践をする機会が多い。「意味がない」ということを判断基準にするのならば、そもそも独学で実戦訓練をする事の方が意味がないだろう。いくら最強の剣術を極めたところで、実戦ならばそもそも他の武器を使ってくるだろう。

逆にルール化された武道やスポーツは現実の日常の中で試合がいろんなところで行われているため使う機会が多い。

 

つまり実戦にこだわったところで実戦をする機会は無く、そこにこだわることの方が実はリアリティを欠いているのだ。仮に実際に自分が傭兵であったり軍人なのであればこういった実戦を重視しても良いが、大部分の人間が実戦性能を説いたところでそれほど意味は無い。

それよりは日常で出くわす機会の多い武道やスポーツをルールの範囲内で練習したほうが良いだろう。ルールがあり整備されているからこれだけ日本全国で大会が実施され、道場も存在する。文化とはそういったものであり、日常における普及という事に大きな意味がある。

剣道

また剣道は完全に実戦的でないわけではない。

剣道で培われる体力や反射神経は他の剣術にも応用が利く。更に剣道の経験者が実践において剣道のルールだけで戦闘を行うわけではない。

よく「この剣術では剣道家に勝てる」という人がいるが、実戦になった場合剣道家が剣道のルールだけで戦ってくれるという前提がそもそも間違いなのである。

こちらがルール度外視ならば向こうもルールの範囲外の行動をしてくるだろう。剣道家が剣道のみの剣術しか会得していないわけではなく、それ以外の剣術の経験もあるかもしれない。そしてその剣術が仮に強かったとしても、今度は槍術や射撃を習っている人から「剣を極める事自体に意味がない」と言われてしまうだろう

 

更に「実戦」を重視すればそもそも、戦争や戦いを模したほとんどの競技が意味をなさなくなる。

例えば将棋やチェスも現実として都合よくお互いが同じ数の駒をターン制で同じ局面から操ることは無いのである。現実の戦争では相手が自分たちより強力な駒を持っていたり、こちらが気付いていない場所に駒が隠れている可能性もある。更に相手が駒を増産して来る可能性もあり、指揮を任されるのは不利な局面からかもしれない。

格闘ゲームもFPSも実戦でないと言い切れるし、サバイバルゲームもエアガンが発射するBB弾の射程の範囲内で行われる物であり実戦とはかけ離れている。

柔道や空手もボクシングもやる意味がなく、格闘技ならばイスラエルの軍用格闘術であるクラヴ・マガをやることが最適解になってしまうだろう。

 

そしてどんな格闘技も銃や刃物を持つ相手には勝てない。かといってナイフ戦闘術を学んだところで、実際いつ使う機会があるというのだろうか。軍人になったり危険な場所で生活することを想定していたりするのならば必要かもしれないが、日々の生活の中で「勝負に勝つ事」や「自身を鍛錬すること」が目的なのであれば競技人口の多い分野のほうが対戦相手にも恵まれるだろう。

実用的な剣術や軍用格闘術を学んだところで実際に日常生活で使う機会はほとんど訪れない。

 

それよりは日本で生活するのであれば剣道や柔道を学んで、その大会に参加したり、道場のメンバーと練習後食事に行って親交を深める方が充実した人生を送れるだろう。自分が参加しなくとも地域の大会を観戦をしに行くだけでもそれは楽しい。

結局本当に実戦的な物は使う機会もなく対戦相手もおらず、現実に見る機会もなくモチベーションが続かないのである。文化として根付き試合環境が充実している競技の方が鍛錬のモチベーションもあがり、実際の試合の中で学ぶこともできる。

「実戦的」であることを重視して独学で勉強したところでそれは説得力の無い物にしかならないだろう。

少なくとも"実戦的な技術"を机上の空論だけの独学で学んでいる人よりは、日々厳しい練習を積んでいる人のほうが強いのではないだろうか。