負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ゲームをするよりもイラストを描いたほうが良いことに気付いた

ここ最近自分の趣味について新しい考えが浮かんできている。

「どんな趣味をした方がいいのか」という効率を突き詰めて言った結果、改めてイラストや絵を描くことは良い趣味なのではないかという事である。

 

ここ最近の自分は物心ついたときから好きだった絵を描くという事に対して冷めており、絵を描くこと自体が嫌いになっていた。もうペンタブでイラストを描いたことは1年以上も前になるのではないかというぐらい絵を描くことから遠ざかっている。

 

しかしここ最近になって再び絵を描きたいと思うことが多くなっており、やはり自分が好きなのは絵を描くことだと気付かされ始めてきている。絵は自分にとって唯一無二の表現手段であり、真剣に極めるならばやはりゲームより絵が良いのではないかと考え直してきている。

本当に自分が表現したいものはやはり絵の方がやりやすく自由にできる。ゲーム以上に好きな表現がイラストはできる、その自由度の高さはゲームにはない。

 

結局のところ自分は自己顕示欲の塊であり人に見せるためや評価されるために創作活動をしている部分があるし、ゲームもいつか人に自分のプレー動画を見せたいから技術を鍛えて練習している。

本当に趣味で自己満足で描いているならばわざわざピクシブに投稿していないわけであり、ネット上に創作を投稿している人は全員自己顕示欲や承認欲求の塊なのである。

 

自分自身創作をしてていて思うが、それは100%断言できることであり「自分の好きなことやってます」というスタンスの人は所詮ポーズに過ぎない。

評価されるためにやっているし、承認欲求のためにやっている、自分はそう開き直っている。下手に隠すよりもその部分について正直になったほうがいいと思うし、イラスト投稿者なんて自分も含めてそんなもんですよ。

 

そう考えたとき評価されることや人に見せることが目的ならば、もはやゲームさえやめてイラストに集中したほうが良いのではないかと思うようになっている。

正直今自分がやっているFIFAというゲームはユーザーが限られていて、なおかつゲーム動画としてそこまで需要がない。

FIFAで真剣に自分のサッカー極めてそれを動画にしたところでおそらく見る人は限られるだろうし上を目指してもきりがない。

 

自分はFIFAで理想的なサッカーを追求したいと思ってこれも創作の一環だと思っているが、実際サッカーゲームのプレー動画を見てその質や創造性に気付いてくれる人が多くいるかと言えばそうではないしそもそも現実のサッカーを見たほうがよほど楽しいのである。

結局ゲームの動画というのは投稿している人自体の面白さによるところが大きく、真剣に内容を見ている人はそれほど多くは無い。ゲームプレーの質で評価してくれる人はそこまで多くはないし、キャラの面白さを見ている人が大半である。

 

またいくらゲームを極めたところで、それは本当に自分が表現されているとは言えず自分の考える自己表現とは程遠い現実がある。いくらゲーム内で華麗なサッカーをしたところで、自分がサッカー選手のように扱われることは無い。

FIFAやゲームは息抜きだと割り切って本当に極めるべきなのはイラストだと考えたほうが良いのではないか、最近の自分はそう考えている。

 

FIFAだと見ている人はサッカーゲームファンに限られるし、自分の表現したいこともサッカーをある程度知っている人にしかわからない。

かといって他の興味のないゲームを人気の為だけにする気にもなれない。

 

一方でイラストや絵の技術というのは絵が上手ければ様々なジャンルについて表現することができる。「需要がない」ということに気付いた場合、簡単に需要のあるジャンルに移行することができる。

FIFAはそればかりやっていてもサッカーゲームでしか通用しないスキルであり、そのシーンで評価されなかった場合何の意味もなくなるが絵の場合ある程度基本的スキルがあればいろんなものを描くことができる。

イラスト

ただそのイラストも今まで通り再開するかと言えばそのつもりはない。

最近思っているのが「専門学校に入ろうかな」ということであり、デジタルイラストやCGを専門的に教育している機関に入って基本から鍛え直したいと思っている。

ピクシブやネットにおけるイラスト投稿をやって気付いたのが「もう素人の手作り感に需要は無い」という事であり、専門的な技術が必要になる時代に突入している。

 

「下手だけど中身や工夫を見てください」というスタンスでは誰も興味を持ってくれないし評価もしてくれない。結局のところ画力が最も重要なスキルであり、この問題は避けては通れない。今の時代に創作活動を行うならばどのジャンルでも最低限のスキルが必要であり、もうインターネットというのは素人がアングラで投稿する場所ではなくなった。

プロと同じ土俵で勝負しなければならないわけであり、見る人の目も肥えておりこの時代の変化には適応していかなければならない。

 

素人レベルの事をやって数少ない人が見てそれで満足ならばそれを永遠に続けていれば良いが、自分が目指しているのはそこで満足することではない。

サッカーでいえば草サッカーをしてサークルで楽しくやっていれば良いというわけではなく、本当にJリーグに所属して海外に行って日本代表に選ばれるようなことを目指している。

自分の創作を使って本気で何かをしたいと思っているのが自分であり、素人レベルで自己満足をしていてももう面白いと感じられなくなっている。

 

絵はゲーム以上に見てくれる人がいるし、やはり自分に向いている分野でもある。

創造や表現を目指すのであれば自分にとってその手段はゲームではなくイラストであると改めて気づかされた。

いくらゲームで上手くなったところで自分の人生には先がない。

先があるとすればまだイラストの方が可能性がある。

本田圭佑が「自分は成り上がるためにサッカーをしている」と公言していたが、自分もまさにそれで成り上がってもっとデカいことをする為にわざわざ人に見せる形で活動している。

本田圭佑という人間を大きくするための手段がサッカーであり、エルケン、つまり自分を大きくするための手段が文章や絵である。

 

何の野心も無ければ投稿する必要もなく見せる必要もないわけで、野望があるからわざわざ人目に付く形で活動している、それは隠すこともない素直な実情である。

そう考えたとき自分が成り上がれないジャンルで勝負しても仕方がないし、これ以上可能性や見込がないならばきっぱり辞めたほうがいい。ゲームは自分が勝負する場所ではないと割り切ることも必要でありいろんなことをどっちつかずで中途半端にやっても今日と同じ明日がやってくるだけでしかない。

 

これもまた本田圭佑が言っていたことだけども「成り上がるためにサッカーをやっていたら、サッカーが好きなことに気付いた」というのと一緒で、改めて絵の面白さに気付かされた自分もいる。

絵は成り上がるために描いてきた結果、成り上がれなかった。それゆえにモチベーションを無くしてしばらく絵から遠ざかっていた。

それでもある日「また絵を描きたいな」と思う時がやってきた。

ワールドカップに負けた本田が絶望の中でサッカーをしてたら、ふとその純粋な面白さに気付かされた。

それと一緒でイラストで成り上がろうとして夢が叶わず落ち込んでいたら、なぜだか不思議とまた絵を描きたいと思うようになった。もう絵なんてやってもこの分野で通用しない、そう諦めかけていたら時間はかかったけどもまた絵を描きたいことに気付かされた。

 

まだこれからの計画については完全に不透明で学費をどうするのかとか生活拠点をどうするのかとか、何をしていくのかというのは決まっていない。

ただそれでも唯一明らかなのが「やっぱり自分は絵だな」ということであり、文章や絵の様な手段で評価されたいし勝負したい。

今度は本当に極めようと思っているしこうやってブログを書くことも文章力を上げるためであり絵の方も専門的な教育を受けてしっかりやり直したいと思っている。一度夢破れた人間のリベンジとして今度はもう一度準備を整えて挑みたい。

 

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安い合成ワインでも十分美味しいよな

ここ最近自分はワインにはまっている、と言えば聞こえが良いがワインは低品質な物から高品質なものまで非常に幅が広くその種類は多岐に分かれる。

自分が飲んでいるワインはその中でももっとも低品質な部類に属するものであり、コンビニで720mlが400円代で売られているようなものである。

もはや瓶ではなくペットボトルに入っているようなものでありここ最近こういったワインを常飲している。

 

基本的に自分は飲むときは一本飲みきることにしているためむしろこのペットボトルの方がありがたく、軽く持ちやすいためまるでジュースのように手軽に飲むことができる。

グラスに注ぐことすら億劫なため基本的に直接ペットボトルで飲んでいる。

空腹も満たせるため食事抜きでこのワインだけを飲みきること最近の生活習慣にもなっている。400円で牛丼を食べるのであればワイン一本飲んだほうが酔える上に空腹も満たせる、そんな価値観で食事代わりにお酒を使う事すらある。

 

こういった格安ワインは有名なメーカーが日本で製造していることになっているが、基本的には合成酒である。「複数の国から取り入れてブレンドしました」と聞こえの良い事を書いているが実態は原価の安い南米チリ産のワインであり、それらを合成しているに過ぎない。

国内で加工すれば原産国を表示しなくても良いため大手メーカーが大量に輸入したワインをこういった形で販売しているのが現状である。

しかしこの廉価な価格帯の割にはそれなりに飲める味であり、目的が酔う事だと考えた場合は十分コスパの良い商品である。

アル中が行き着くのは甲類焼酎だと言われているが、さすがにそういった焼酎類ばかりだと楽しくないため最近ではこういった合成ワインを飲んでいる。

あまりにも味度外視で飲んでしまうと結局楽しく酔えないため、少し味重視で最近は選ぶこともある。

 

実は日本というのは質の低い悪酒が多い国であり、ここまで低価格で酔う為だけのアルコール類が出回っているというのは珍しい事でもある。

それゆえにお酒の本当の味がわからず、「味覚教育」という観点で考えたとき必ずしも良い事ではないと言われている。

スペインやイタリア産のワインですら欧州では安酒として扱われているが、もはや欧州産のワインすら高嶺の花でありただ酔う為だけにワインを飲んでいるのが日本の底辺生活者である。

自分が今まで飲んだワインで最も高級だったのはサッカースペイン代表のアンドレス・イニエスタがプロデュースしている白ワインだったが味自体は非常によかった。ワインの値段としては平均的な物だったが、最近飲んでいる廉価なワインに比べると天と地ほど違う質だったことは覚えている。

 

しかし酔うためにガンガン飲んでいると、すぐ無くなってしまったり惜しいと感じてしまう高価なワインはやはり楽しめない。

結局行き着くのはこういった合成酒であり、ワイン飲みのなかでは最下層の人間である。

もう少し裕福になればイニエスタのワインを毎日飲みたいが現状まだこの生活を抜け出せない。

ワイン

ちなみにワインと言えば赤と白があるが基本的に自分は赤ワインの方が好きだが、白ワインも良く飲む。個人的な感想に過ぎないがワインは低価格帯の場合赤の方が無難であり、白の良さがわかるのはある程度値の張る物でなければならないという印象を感じる。

赤は廉価品でもある程度味が保障されているが白は低価格帯には向かないというのが、自分の数少ないワイン経験から導き出した答えである。

 

ただワインはあまり凝りすぎるとワイセラーを作ったりヴィンテージ物の高級ワインが欲しくなったりと非常に高価な領域に入ってしまうため、程よく嗜むだけにしたいと思っている。ワインマニアになると拘りが強くなりすぎて上限は広がっていく一方である。

凝るのであれば自分は日本酒が良いと思っており、1万あれば相当よいグレードの物が買える日本酒と、100万が入口だと言われるワインでは価格帯に差があり過ぎる。

それゆえに富裕層の娯楽となっているのだが、結局飲めば一緒のアルコール類はある程度美味しければそれで十分なのではないかと自分は思う。

洋酒は極めようと思えばきりがない、そういったイメージがある。

 

もちろん本当に楽しんだ上品なお酒の嗜み方をしたいし、いろんな物を飲んでいろんな人と飲みたいという思いはある。現状独りで安い合成ワインを飲んで酔いつぶれてそのまま寝て、良くない気分で起床することの繰り返しでしかない。

楽しくはないがかろうじて過ごせている、そんな生活である。本当に良いワインを知ったとき「今まで自分が飲んでいたのは粗悪な泥水だった」ということになるかもしれない。

イニエスタのワインは今でも美味しかったことを覚えているし、それ以上のワインとなればどんな味かも想像がつかない。そんな高級ワインを飲む日を楽しみにしながら今日もまた合成ワインを飲むことにしよう。

 

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やはり北朝鮮に旅行に行くのは危険なのか

自分は中学時代から共産趣味に目覚め、東側諸国や冷戦に憧れている。思想的には社会主義を崇拝しているというわけではなくむしろ右寄りの考え方に近いが、社会主義陣営のエキゾチックさやノスタルジーを感じさせる雰囲気を好んでいる。

 

その一環として朝鮮民主主義人民共和国、すなわち北朝鮮には興味があり、個人的に観光でいつか行きたいと考えている国の一つでもある。

北朝鮮旅行関連のブログや動画を見る事も好きであり、独特な雰囲気を求め実際に世界中が羅観光客が訪れており「北朝鮮ツアー」も存在する。

自分が初めて北朝鮮の旅行について知ったときは「本当に北朝鮮に行くことができるのか」と疑問を持ったが、実は北朝鮮は日本やアメリカが非難するほどの閉鎖国家ではない。意外と国交を結んでいる国も多く経済制裁を受けている割にそれなりの文明を維持している。

 

その北朝鮮観光記などを読むと観光客へのもてなしは厚く、北朝鮮政府からすると「重要な観光資源」であると同時に、帰国した際に北朝鮮の評判について宣伝するための「プロパガンダ要員」として期待されている。

つまり基本的に北朝鮮への旅行は安全で重要なVIPとして丁重に扱ってくれるため、旅行先としては実は比較的安全な部類に入る。

更に厳格な警備もされているため危険な目に合うことは少なく、管理され監視されつくしているがゆえに逆に安全という現象が起きている。政治的に管理されており、民間人との接触も基本的には禁じられているためむしろトラブルは起きにくい。

 

しかし共産主義国や独裁体制の国というのは西側諸国や民主主義国家の論理が通用しない部分も多く、それゆえに想定もしていなかったトラブルが発生することもある

 

例えば今回アメリカから北朝鮮ツアーによってその社会主義国へ旅立ったオットー・ワームビア氏の問題は世間を騒がせている。彼はホテル内に合った宣伝用の看板を持ちだそうとしたことで1年間拘束され、こん睡状態で帰国したのち1週間で絶命する形となった。

 

北朝鮮側からすれば国家の財産を持ちだそうとしたわけであり、更にスパイの潜入に対しても彼らは敏感になっている。政治問題を抱えていると通常の倫理では考えられないようなことに発展し、拘束されついには帰らぬ人となる可能性も皆無とは言い切れない。

北朝鮮側は"拷問"については否定しており、今回の件が米国と彼らによるプロパガンダ合戦に利用されている側面はあるが、いずれにせよ1年間拘束されたことは事実である。

その件を受けて北朝鮮観光ツアーについて再考する論評も寄稿され始めているが、ある種見過ごされてきた朝鮮民主主義共和国への旅行企画が今後見直されることになるかもしれない。

www.bbc.com

 

個人的な考え方を述べるのであればどの国の旅行にもリスクという物は付きまとう物であり、その国の特性をある程度理解してから旅行しなければ危険な目に合う事は当たり前なのではないかと思っている。

むしろ安全性で言えばアメリカへの旅行も完全に問題ないとは言い切れず、その国に適応した行動をしなければならないことは西側の自由陣営の国々でも変わりはない。

それぞれの国に一長一短の特性があり揉めてはいけない点については把握しているべきだった。今回のオットー・ワームビア氏もそもそもホテルの備品を持ちだそうとしたことが間違いだったのである。

常識的な行動を取らなければならないのは北朝鮮であっても変わりはない。北朝鮮政府が通常の設備と比べて、宣伝用の備品について敏感なことは本来ならば想定しておくべきだったのではないだろうか。

 

そういったことを踏まえれば今回のことで北朝鮮への旅行が危険だと判断するのは安易であり、むしろその計画されつくしたツアーは海外旅行初心者にとっても参加やすいのではないかと考えることもできる。

政治関連で問題を起こしさえしなければ安全でなおかつ、非日常感や異国情緒を味わうことができるのが北朝鮮旅行であり個人的にいつか行きたいという思いに変わりはない。

仮にトラブルが起きた場合日本は自己責任論が強いため「北朝鮮に行った人が悪い」の一点張りになることは想像がつくが、リスクを避ける考えであればそもそも海外旅行に行くべきではない。

 

政治問題に発展した場合の解決は非常に難しいが、完全なる計画旅行であるため海外旅行特有の民間人との余計なトラブルが発生しにくいという利点もある。

他に問題点があるとすれば停電が起きやすい事と会話は基本盗聴されているということだが、余計なことをしでかそうとしなければ基本的には社会主義陣営らしく計画的にことが進んでいく。

 

いつか自分が楽しみにしていることでもあり、今回の一部の常識はずれの観光客の行動でこのツアーがなくなってしまうことになるならば自分としては非常に残念である。しかし危険なものとして扱われ観光客が減ることで、再び「レアな旅行」としての価値も高まり数少ない観光客への扱いもより良くなる可能性もある。

 

ソ連時代のような共産圏の雰囲気があり、しばらく過ごせば日本の風景とあまり変化が感じられなくなる韓国よりは北朝鮮旅行の方が面白いのではないかと自分は思っている。

羊角島国際ホテル、平壌高麗ホテルはプロパガンダ目的もあるためかなり豪華らしく近々「世界最大の廃墟」と言われていた柳京ホテルもオープンされるらしく見どころ自体は豊富である。平壌に限れば国威発揚の社会主義的建造物が多いため、実は韓国以上に観光資源は豊富であり出される食事なども見たところではクオリティは高い。

北朝鮮凱旋門

個人的に最も訪れてみたいと思っているのが平壌にある凱旋門であり、小学校時代に図書室にあった世界各国の特徴を紹介した図鑑で見たときから自分の中で憧れになっている。この凱旋門を図鑑で見たときさすが軍事国家だと圧倒させられ、正直かっこいいと思った自分もいる。

冷戦が終結した現在では希少な社会主義国家であり、タイムスリップしたような感覚にもさせられる。

 

たとえば同じく社会主義国のキューバはかなり昔のアメリカ車が現役で走っているらしく、こちらもレトロでノスタルジックな雰囲気があると言われている。

また金正日誕生の地だと宣伝され、朝鮮民族の聖地だと言われている白頭山は、非常に綺麗な自然を楽しむことができ平壌以外の景勝地も豊富である。

やはり海外旅行に行くのであれば旅情を感じさせる国や珍しい物がある国に行きたいものであり、そう考えたとき実は北朝鮮は隠れた名所だと言えるだろう。

 

しかし唯一の問題があるとすれば未だに朝鮮戦争の最中にある国であり、休戦中ではあるがいつ再開されるかわからないという危険がある。むしろ一番のリスクは第二次朝鮮戦争の開戦であり、昨今ミサイル問題によるトランプ政権との緊張関係によってその危険性は高まってきている。

こればかりはもはやどうにもならない事であり、開戦した場合帰国が困難になるどころか攻撃の巻き添えになる可能性すら存在する。

その一方で平和に慣れ切った日本人にとっては戦争や軍事の存在を日常で感じる機会が多い北朝鮮旅行は貴重な体験にもなる。

全体主義国家の空気を現代で味わう事は難しくなっているが、その珍しい国が実はかなり近い場所に存在しているのだ。

 

前述のように北朝鮮当局を刺激するような余計な行動さえとらなければ実は安全性が高く、観光客への扱いも良く非日常的な空間を体験できる旅行先だと言える。

自分自身いつかそういった北朝鮮ツアーに参加したいと考えており、その時が訪れた場合はこのブログでその旅の様子について報告してみたい。

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日本脱出までのタイムリミットはあと20年しかない

自分はもう日本社会に希望を感じておらず、いつか海外に脱出しようと考えているが、明日すぐにというわけでもなければ数年後と具体的に考えているわけではない。

海外留学自体は数年後を想定しているが本格的な移住についてはもっと先の話である。

 

現状日本が停滞し危機が迫っていると言ってもまだ先進国であり、少子高齢化も本当に深刻な段階ではない。本当に日本がヤバくなるのは2,30年後の話であってそれまではまだ"賞味期限"が残されている。

日本の賞味期限は残り20年であり、20年はまだ日本で過ごすことができる。

そうはいってもただ生きているだけの底辺生活になるのならばその20年すら早めて、数年後本格的に海外移住するのも有効だ。完全に移住することはなくとも半年は海外で凄し半年は日本で過ごすというようなスタイルも可能である。

例えばGACKTはマレーシアと日本を行き来している生活をしているが、10年後はGACKTの生活を始めて20年後には完全に日本を見切り持てる限りの資産を持って「日本脱出」という計画も可能である。

 

この計画は決して特殊な一部の人にしかできないことではなく、20年もあれば多くの人が実行できるアイデアだ。外国語を勉強することや資金を貯める時間としては十分である。

たとえばオーストリアリアやカナダのように移住希望者に対してある一定の収入や資産を条件として貸している国も存在する。海外移住というのはそう簡単にできるものではなくある程度準備は必要である。

そう考えたときに日本の賞味期限が20年というのはまだ猶予があり、タイムリミットまでは時間がある。

逆に言えば20年を過ぎた後の日本は本当に深刻な状況に陥っており、その期に及んでもまだ日本在住を希望するのであれば相当恵まれた状況でなければならない。

賞味期限が過ぎて腐敗した食べ物は捨てるように、賞味期限が過ぎた国は捨てる、至極当たり前のことである。

悪いのは腐らないように管理してこなかった人々であり、間違っていたのは自分ではない。

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脱出できない状況にある人だけが取り残されて完全に後進国に落ちぶれる前に、日本を逃げ切れるか、"亡命"できるか、そしてその時何も考えず計画を立ててこなかった人間は後悔することになる。若者を大切にしてこなかった日本社会はいずれ若者によって捨てられるだろう。

「自分を評価しなかった忌々しい日本社会を捨ててやる」

それぐらいの思いを持って真剣に海外への脱出を考える時期に来ているのではないか。そういった強いモチベーションがなければ外国語の勉強も続かない。

 

もう日本の少子高齢化構造は取り返しのつかない段階に差し掛かっている。

この状況で日本を変えようとしても不可能である。今の日本人に革命を起こす気概は無い。この社会を良くしていこうと真面目に頑張る人は報われず損をするだけなのである。そんな日本を変えること自体諦めて、自分だけ都合よく脱出する。

卑怯者と罵られようとも若者や負け組を追いつめた日本社会の方が悪い。

20年後という一番日本が大変な時期に、沈みゆく時期に裏切り見捨てて逃亡する。

日本に見捨てられ裏切られたのだから、今度は自分が裏切り見捨てる。

 

終わることになっているし、変えることもできない、それが今の日本の構造だ。

底辺や負け組が今から頑張っても、やっと這い上がったところで今度は日本自体がいよいよ終わりに差し掛かる段階になっている。

それならば今後の人生において海外への脱出を前提に計画していたほうがいいだろう。

これから発展の見込みもなく、さらに少子高齢化が加速するのが未来の日本であり、アジアをはじめ新興国はちょうどよい段階に発展している。

一番大変な時に日本を見捨てて、一番美味しいときにアジアに行く、今日本人が真剣に考えなければならないのはそういった計画である。

 

個人の努力ではどうにもならない段階に差し掛かっているのが日本であり、今以上に勝ち組になれる層は限られてくるだろう。

今でさえ勝ち組の椅子は少なくそこからあぶれた人間が大勢いるのに、その勝ち組の椅子自体が更に少なくなっていく。残り5,60年の人生を全て日本で過ごそうと考えたときそこには絶望しかない。20年後ですら不安しかないのに50年後の日本などもはや国として存在しているかすらわからない。

タイムリミットはあと20年、終わりゆくこの国から脱出するための猶予時間である。

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外国語のリスニングに必要な能力は共通している

最近外国語の勉強をしていて面白いことに気付かされた。

自分はここ最近基本的にスペイン語に集中してリスニングに取り組んでいたが、英語の音源を聞く機会があって「久しぶりに英語でも聞いてみるか」と軽くリスニングをすることにした。

 

そしたらこの英語が驚くほどクリアに聞こえ、ネイティブ音源も以前より聞き取れるようになっていることに気付いた。

英語のリスニングを集中して勉強していた時期には聞き取れなかった領域も聞こえるようになっており非常に驚かされた。

つまりここ最近ほとんどわかりもしないスペイン語をネイティブ音源や早送りで聞いていた自分にとって聞きなれた英語など取るに足らない者になっていたのだ。ある意味過酷な第二外国語と格闘していた自分は思っている以上に鍛えられており、知っている単語や勉強経験のある英語など今さそれほど難しい物ではなくなっていたのだ。

 

ここしばらく英語をほとんど勉強していなかったブランク期間があり、昔ほどの英語リスニング能力は衰えているのではないかと不安だったがむしろそのリスニング能力は上がっていた。

つまり仮説を立てるのであれば「外国語脳」というのはある程度共通で、特に聞き取る能力は英語もスペイン語もそのほかの外国語も基本的に似た部位を使っているのではないか、それゆえにスペイン語しか聞いていなかったにもかかわらず英語のリスニングを集中的に練習していた時期より聞き取れるようになったのではないか。

 

この実体験を基にするならば、英語のリスニングはスペイン語にも役に立ち、逆に言えばスペイン語のリスニングも英語の役に立つ。片方の言語を勉強しているときの経験は、もう片方の言語の勉強にとっても無駄ではない。

 

この結果、自分は再び英語の勉強を再開することに決めた。

1:別の外国語を勉強することはもう一つの外国語にとって無駄ではない

2:トライリンガルになれる

3:なんだかんだで英語が一番必要

4:同じ言語ばかり勉強していると飽きる

この4つの理由で自分は英語とスペイン語を同時並行で勉強することに決めた。一つの言語を集中して勉強すれば効率が良い、英語はいくらでも上手い人がいるからスペイン語のプロフェッショナルになったほうが良い、これまでそう考えてきたが今回のことで考えを改めることができた。

まず第一の理由として英語を勉強している時間はスペイン語にとって無駄ではない。これはリスニングに限らず、スペイン語の勉強教材は英語の方が充実しており翻訳機なども「スペイン語→日本語」に翻訳するよりも「スペイン語→英語」に勉強するほうがわかりやすい。

 

第二、第三の理由としてやはりトライリンガルは今の国際社会において貴重であり、今後スタンダードになっていく可能性がある。もう一つの言語さえできればいいという時代は終わる。英語だけならば世界中に話者がおり、日本でも上手い人は本当に上手い。一方スペイン語だけでも実際のスペイン語圏はそれほど多くはなく、やはり英語ができなければ将来が不安でもある。

英語ができる日本人もスペイン語ができる日本人も多くいるが、日本語に加えて英語とスペイン語ができるトライリンガルは少ないというところに希少価値がある。そして英語はもはや避けては通れないものになっており、「勉強しなくていい」という考え自体が成立しない。帰国子女や留学生、ハーフに敵わないから勉強しないということは不可能で、敵わなくても勉強しなくてはならないのが英語だと言える。

 

そして第四の理由は個人的に凄く重要であり、やはり一つの言語を勉強しているだけでは飽きることに気付いた。ここ最近スペイン語漬けで少し飽きていた部分があり、久しぶりに英語を勉強したことは良いリフレッシュになった。

脳というのは変化や刺激を求めており、スペイン語ばかりで停滞していたところに英語という刺激が再び入ったことで活性化されたような感覚を得られた。

同じことを続けていると人間は飽きるようにできている。そう考えたときに2つの外国語を交互に勉強することは飽きることを防げて良い刺激になる、さらに共通している部分もある上に、トライリンガルになれる可能性も秘めている。

 

一つの言語を勉強していることに停滞感を感じてる人は何か別の外国語を勉強してみると思い白いかもしれない。

自分の場合スペイン語を勉強し始めたことで、趣味で外国語を勉強しているという感覚を得られるようになったし、久しぶりに英語を勉強したこと再び良い刺激にもなった。

実は外国語は交互に、そして同時に勉強することの方が一番効率が良いのかもしれない

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男は金持ちになったら人生逆転できるが女は逆転できない

男の人生が良いのか、女の人生が良いのかということは度々議論される。

「女の人生はイージーモードだからいいね」と男性は妬むし、「日本は男社会だから女性にとっては辛い」と女性は批判する。

そしてこの手の批判は自分の性別のメリットを享受している人の口からは出てこない。

自分がその性別であることに満足しているならばわざわざ異性に嫉妬する必要がないからである。その性別の下層の人間はどうしてもその性別であることのメリットよりもデメリットを感じることの方が多く、それゆえに異性に対する不満が出てきてしまう。

 

実は男女ともにそれぞれのメリットがあり、どちらが損か得かというわけではなく一長一短あるのである。しかし万人が自分の性別の長所を享受できるわけではなく「男であるにもかかわらず男であることで得られる利益が得られない男性」もいれば、「女性であることの利益をそれほど実感できない女性」もいる。

 

隣の芝は青い、それと同じように自分の芝の青さに気付けない人は異性が羨ましく妬ましく感じるのである。

自分は性別対立が好きではないが、昨今の痴漢免罪騒動の事もあり今では男女対立が深刻な問題になりつつある。

まるで男は全員悪であり、女は全員卑怯者であるかのようにお互いに避難し合っている。本当はこういった批判合戦に加わり極端な意見を言う人は一部なのだが、それが異性全員が考えているかのように見えてしまう。

 

このような無意味な論争を解決するならばやはり「どちらにも一長一短ある」という考え方をしなければならないだろう。性転換でもしない限り性別は変えられず、戸籍上の性別は変えられないのである。LGBTという考え方も普及してきているが基本的に生まれ持った性別と人生を共にしなければならないわけであり、お互いを非難し合ったり自分の性別を嘆いても仕方がない。

 

例えばよく男性が語る「女性は金持ちの男と結婚するという最後の手段がある」という理論も、「良い男と結婚できなかった女性は自立できない場合悲惨である」と考えれば女性も大変だなと思えてくるようになる。

男は負け組になれば悲惨だが、まだ逆転チャンスは残されており年を取ってからでもお金や権力を手に入れればいくらでも女性に相手をしてもらえる。お金を持って海外に行けばなおさら女性には困らない。

 

一方女性はいくら勉強してお金持ちになって偉くなったとしても、それが女性としての魅力に直結するわけではない。

むしろ勉強もせずお金を稼ぐ努力をせずに、女性としての魅力を磨いたほうがよほど自己実現ができる。女性は真面目に生きる方が損で遊んで自分磨きをしていたほうが魅力的になるのである。

年老いてからいくら権力をお金を得たところで女性として評価してくれる人はむしろ年々少なくなる。

お金持ちの中高年男性が若い女性と関係を持つという事は世の中にあふれているが、お金持ちの中高年女性が若い男性と関係を持つ事はそれほどメジャーな事ではない。

 

つまり女性という魅力は強力な武器になる一方で、その魅力で勝負できなかった女性は他に逆転の手段がないという状況に陥る。

分かりやすく言えば近藤春菜がいくら芸能人として成功し大金を稼げるようになったところでモテるわけではないが、男性の不細工芸人でモテている人はいくらでもいるという構図が典型例である。

吉田沙保里がいくらアスリートとして活躍したところでこれもモテるわけではないが、男性アスリートはいくらかっこ悪くても競技で活躍すればモテるようになる。

 

この問題の背景にあるのは男性は結局のところ「母体として健康であるかどうか」が最優先の基準になっており、女性は「優れた能力を持っているかどうか」を基準に入れているという事だ。

いくら女性が権力やお金を手にしてもそれが女性としての魅力に直結して、男性にチヤホヤされるかと言えばそうではない。

しかし男性が権力やお金を手にすればどれだけ不細工でも一定数チヤホヤしてくれる女性が現れる。

男の魅力は金で買えるが、女の魅力は金では買えない。

たかじんや志村けんのようなパターンは女性ではなかなか成立しえないのである。

 

いくら近藤春菜に若い男性が寄ってきても、彼女の孤独は癒されない。なぜならば「私は女性として評価されているわけではなくお金で評価されているだけ」という虚しさが付きまとうからだ。

一方お金持ちの男性はそんなことは思わない。「お金を稼いでいることは自分の実力であり、それは能力が評価されている」という考え方に変換できる。お金で女性が寄ってくることを虚しくも感じないし、むしろ開き直ってさえいる人もいる。

たかじんや加藤茶が最後明らかにお金目的の女性と結婚したところで、それは男の人生として幸せな事であり、むしろ年老いても若い女性が寄ってくるほどの財力や権力があったことは誇りにさえなる。

一方女性はそのことを誇りには思えず虚しささえ感じてしまう複雑な心理がある。

「財力があるのは俺が凄いという証拠」と開き直れる男性と、「やっぱり女性として見てもらいたい」と考える女性の違いがあるように思える。

 

負け組、不細工、底辺でもこれから逆転のチャンスがいくらでもあり中高年になってからでも遅くないのが男性だが、女性の場合は現実的なタイムリミットが存在する。加齢することのデメリットを男性は権力や財力で補うことができるが、女性は加齢することのデメリットを補う手段がそれほど多くは無い。

 

ただこれは男が得であり女が損だというわけではない。

男の若さはそれほどメリットもなく評価されないが、女の若さはそれ自体に大きな価値がある。

これは不平等ではなく実は平等なのである。

男の若さ自体に価値はないが、その代りに後半逆転のチャンスが用意されているという事であり、逆に女性は若さに大きな価値がある一方で後半の逆転チャンスはそれほど多くないという帳尻合わせがある。

 

つまり異性のメリットばかり羨んでても仕方がなく、自分の性別というカードで勝負するしかないが人生なのだ。

自分の性別のメリットが何なのか、その部分で勝負すれば活路は開けてくる。

どうやったところで完全に異性にはなれないわけであり、異性の長所ばかり羨んでいても何の解決にもならない。どちらが損か得かというわけではなく、お互い違いがあることによって一長一短があるのである。

 

男女平等を実現しようと叫んだところで現実的にはどうしようもない違いが存在する。その違いを無理やり矯正し、平等を押し通したところでそれは歪な形にしかならない。

 

それよりは差は間違いなくあることを認めて、お互い良いところもあれば悪いところもある、プラスマイナスの総合で判別すればそれほど変わらないという考え方にシフトしていくしかないのではないだろうか。男女平等という考え方が叫ばれている現代において「男と女を同じにしよう」という方向に向かって行っている部分があるが、それは本質的な解決にはならないだろう。

 

どう考えても男女は違うわけであって、女性に「男の若さをもっと評価してください」と言ったところでそれほど考え方は変わらないし、男性に「女を若さや見た目だけで判断するのはやめて」と言ったところで本能は変えられない部分がある。

そういう風にお互い自然の摂理でできているわけであり、歴然とした違いが存在する。

その違いや差を矯正し、単に同化させていこうとすることが「平等」を意味すると自分は思わない。

「差別」と断言すればあらゆる意見を封じることができるようになっている現代だが、差別という言葉を乱用する勢力ほど自分たちによる差別に気付いておらず、自分たちの利点には目がいかず不利益だけを強調する。

そんな不毛な人々がいる限り、真の男女平等は実現しえないのではないだろうか。

なぜアイドルオタクはスキャンダルに懲りないのか

今回の須藤凛々花の結婚発表の件で須藤を批判した他メンバーの評価が上がるという現象が起きている。

例えば渡辺麻友は好感度が上がった一人であり、 須藤を批判した高橋朱里や真面目に頑張ることを公言した岡田奈々は評価を上げている。

 

典型的な「自分の推しだけは大丈夫」と考えているパターンであり、相変わらずアイドルオタクは懲りていない。

「女性アイドルは信用ならない」という方向に行くのではなく、推し変する方向に行くのだからアイドルの深みにはまっている人は抜け出せないのだろう。

 

須藤凛々花のファンも直前までは「りりぽんは大丈夫」みたいなことを思っていたが結局は裏切られた。自分もAKB48関連が好きだった時期もあり「自分の推しだけは大丈夫」という心理はわからなくもないが、今回の須藤の件で他のメンバーを評価するという方向に行くのが今は不思議で仕方がない。

 

渡辺麻友も口の堅い彼氏がいるだけありお互い恋愛が発覚したら困るという利害関係が一致する相手を選んでいるだけなのである。そう考えたとき大物ジャニーズである可能性が高く、渡辺麻友がしっかりとしたアイドルだと考えも無駄でしかない。

 

結局のところ「擬似彼女」としての役割をアイドルに求めることをどう取られるかという問題であり、どうしても擬似彼女が欲しい人はいくらスキャンダルがあっても結局変わりを求めてしまうのかもしれない。

自分の場合は「もうアイドルに擬似彼女の役割を求めても仕方がない」と考えているが、握手会に実際に行ったことがある人はその沼から抜け出せないのだろう。

そもそも自分はAKBオタク時代も擬似彼女であることを求めていなかったし、握手会にも行ったことがなく基本的にライトなファンだった。グッズもほとんど買わず総選挙にも投票せず典型的なお茶の間ファンでしかなかった。

 

それゆえに本当は握手会に行った人のことがわからないし、握手会がどんなものなのかもしれない。行ったことがある人は本当に彼女のように感じてしまうのかもしれないし、自分のことを覚えてくれたらもうその子が好きで仕方がなくなってしまうのだろう。

結局スキャンダルが起きれば粛々と推し変し、次にサービスの良いメンバーを見つけるだけでありAKB48や握手会アイドルというシステムからは逃れられないのかもしれない。

それだけ現代の世の中で彼女を見つけられない人も多く、その心の空虚感を満たすために握手会に足を運んでいるのである。

 

自分の場合ガチでお金もなく彼女もいない真の負け組だが、握手会に行く財力があるなら普通に彼女を作る努力でもした方が良いのではないかと思う一方で頑張ったところでアイドル並の彼女ができる確率はそう高くはない。

少なくともアイドルの握手会にいく層がお金を得たところで、アイドル並の彼女が作れるわけでもない。それでもそういった彼女が欲しいから握手会に行き擬似彼女としての役割を求める。

そしてアイドルに熱中しているときは自分に彼女がいない事がどうでもよく感じるのかもしれない。

 

アイドルにスキャンダルが発覚し裏切られたら、もう金輪際やめてちゃんと恋愛をしようとする思考に持って行けるだけまだ普通の感覚の持ち主なのだろう。

アイドルと言ってもいろんなメンバーがおり一括りにはできない。探せばまた恋人感覚を満たしてくれるメンバーが見つかるかもしれない、そう彼らは思っている。

 

更に言えばお金もなければ彼女もできない層がネットやテレビでアイドル見ることは結局何も失うものがないのである。どうせお金もかけずタダで手に入る情報で楽しんでいるのだから、実質的にそれほどダメージはなく推し変をするだけで問題はない。

例えば今回の須藤凛々花の結婚騒動でも本当にダメージがあるのは握手会や総選挙にお金を使っていた層であり、在宅ファンは推しメンさえ変えれば特にノーダメージなのである。

「変わりはいくらでもいる」という状況であり、また新しい推しメンを見つければいい。これまで応援してきたことで損をしているわけでもなければ、新しく応援することに追加費用が掛かるわけでもない。

そういったライト層は懲りるも懲りないもなく、そこまで入れ込まず適当に応援しているだけなのでスキャンダルが起きればまた推し変すれば何の問題もないのだろう。

 

そして握手会に行っている人も、じゃあ何か別に孤独を癒してくれるコンテンツがあるかと言えばそう簡単には見つからない。キャバクラに行けば良いと言っても、アイドルのキラキラ感が好きという人にとってはキャバクラでは満たすことが出来ないものがあるのだろう。

 

「もう異性のアイドルに入れ込むことは辞めよう」と思える人は実際の所そこまで入れ込んでいなかった人であり、本当に握手会や現場のコンサートなどを知っている人はもうやめられないのかもしれない。

「もういい加減懲りて辞めればいいのに」と思う自分は、結局のところコンサートにも行ったことがなければアイドルと握手したことがない、それどころか芸能人もリアルではほとんど見たことがない。

なんとなくかわいいから見ているだけのお茶の間層と、本気で恋愛並のモチベーションでやっている層との認識は異なる。

 

それは言ってみれば自分がお酒をやめられない事と似ているかもしれない。どれだけ飲んで、どれだけ気分が悪くなっても結局また飲む。お酒を飲んだことがない人やそれほど飲んでない人からは「なぜわざわざ嫌な思いをするために飲んでいるのか」と感じるかもしれないが、その魔力にとらわれた人間はどれだけ後悔しようがまた飲んでしまう。

きっとそれと同じことなのだろう。

もう理性では判別がつかない状態に陥っており、中毒になっているのだ。

傍から見れば依存している人の事は理解できないが、当の本人はもうそれがなければやっていけない状況に陥っている。他人が依存しているものは部外者から見たときに理解できない、しかし本人にとっては重要でありそれをやめるということはありえない。

アイドル文化もきっとそういったものなのかもしれない。

他に変わりがない、 ただそれだけのシンプルな真実があるのだろう。

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