負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本社会で通用しなかった人が海外に活路を求めてもいいよな

自分は間違いなく負け組であり、日本社会のレールから落とされた人間だ。もう日本社会では夢も希望もない、人生に行き詰まり感があり新しいことを始める気がしないという思いにとらわれる。数年後まるで明るい未来を想像できないのだ。挫折し失敗した後に同じ環境で夢を持つことは難しい。

また失敗するだろう、また認められないだろう、そんなことが自分の考えを支配する。

結局のところ自分は日本に向いてなかったのだ。

 

いつしかこの社会の停滞感に飽き飽きして、その社会で底辺に沈む自分に虚しくなり何の希望も持てずになっている。10代の頃に思い描いていた未来や抱いていた情熱は当に消え失せた。

「どうせ社会ってそんなもんよ」と半ばあきらめにも似た境地に達していた。

 

しかしその社会って何だろうか、世の中って何だろうか。

それって世界200あるうちの1つの国に過ぎない日本社会でしかないんだよということに気付いた。200もある国の中のたった1つの国で失敗しただけにすぎない。そして世界は日本だけじゃない。1/200の例を世界のすべてであるかのように語っていては世界観が狭い物にしかならないだろう。

 

そして自分は海外に活路を見出すことにした。ここ最近とにかく海外の事ばかり考えて将来的な日本脱出計画を具体的に考え始めている。

この感情、大学進学や県外に行くことを考えていた頃に似ている。

それまでの自分は所詮片田舎の一つの県がほとんどすべての世界だった。生まれ事態は都会とされている場所だが実際はほとんど辺境の田舎で育っている。

そんな自分にも高校生になると新しいチャンスが訪れる。大学進学で県外に出るチャンスがやってきたのだ。その時の高校生活はバラ色のキャンパスライフを思い描いてとにかく将来に対して明るい希望を持てた。今の高校生活はつまらなくても大学では一花咲かせる、県外では活躍できる、そう思い描いていた。

しかし現実には受験にも失敗し、流れ着いた志望していなかった大学でも失敗し結局中退することになる。

 

それ以来自分は日本社会の中で落ちぶれレールを踏み外し底辺をさまよい生きてきた。

そんな自分にもう一度「あの頃」のような希望が訪れる。

海外留学、海外への進学である。日本で大学を卒業できなかったとしても海外の大学に進学すればいい、そのことに気付いたのだ。元々この発想が生まれたのは自分がスペイン語の勉強をし始めたからである。しかしただスペインに行くだけでは漠然としている、そう考えたときにスペインで大学に通って卒業したいと思ったのだ。

実際スペインの大学は学費が安く、バルセロナマドリードのような主要都市でも生活費が日本に比べて安い。そして元々自分は大学関係なしにスペインにいつか行きたいと憧れていた、情熱の国スペインは自分にとって昔からの憧れである。その憧れに決定的な動機をもたらしたのが大学進学という夢である。

所詮大学中退、つまり高卒でしかない自分に大卒の肩書を得るチャンス、しかも海外の大学卒業という夢がもう一度できた。

 

もう一度大学生活をめざし、今度は自分の手で卒業する。

その壮大なプランはまるで高校一年生の頃のような希望を自分に取り戻させてくれた。

自分が高校生の頃に目指していた大学には結局行けなかったが、その大学を目指していた頃はなんだかんだで未来に希望が持てていた。全てを諦め自暴自棄になり世の中がくだらないと思ってた自分が再び高校時代のような希望を取り戻すことができたのだ。

 

もちろん道は険しい、途方もない夢であり壮大な計画である。

しかしそういった途方もない夢が欲しかったのだ。

何にも希望が持てずただ現実的に寂れたものを追いかけるよりも、10代の頃のようなエネルギッシュな情熱で何かを追いかけたい。

かつて高校生の自分にとっては「県外の大学」が輝いて見えた。

そして今の自分には「海外の大学」が輝いて見える。

結局自分は冴えないつまらない現状を打開するために遠い場所に希望を求めることが好きなのだろう。今度こそ絶対に夢をかなえる、実現できなかった夢の活路を海外に幹出す。

誰もできないと思っているが、自分だけはできると思っている、それが大事なのだ。

終わったはずの夢がまだ僕らの背中に迫る、とどこかの誰かが歌っていた。

 

このアイデアはつい昨日、一昨日に浮かんだアイデアである。

スペイン語の勉強も本当に始めたばかりであり、そもそも大前提となるスペイン語の取得が上手くいくとは限らないし個の勉強が1か月続くことすら不透明だ。そして欧州での生活費、渡航費の貯蓄などを含めると数年がかりの計画になる。

ただ自分は高校の3年を完全に無駄にした。そして大学生活さえも無駄にした。

その経験を活かしてこの3,4年を大切に過ごしたい。

もう二度と同じ轍を踏まない。

日本社会で失敗したことが役に立った、そう言えるように頑張る。

日本で通用しなかったら海外で活躍すればいいのだ。世界200分の1の国に固執する必要などないのである。日本で上手くいっておらずこの先数年頑張っても劇的な変化など見込めない、その停滞や先行きの無さにげんなりしているならば思い切って数年後の海外への脱出計画を考えるべきだろう。

一つの国だけが自分の実力を測る指標ではない。

もちろん日本で上手くいって、日本には大切なものがあり多くの人に認められ充実している人に海外脱出を薦めるつもりはない。

今までこの社会で上手く行っておらず落ちぶれて希望も持てない人に「日本だけが全てではない」と伝えたいのである。何も失う物がないならば海外に挑戦するべきだ。日本に固執する必要もなく、日本の価値観だけが自分がどういう人間であるかを決める絶対的な指標にはならない。

 

良い方向に変化するか、悪い方向に変化するかは予測できないがとにかく海外に行けば何らかの大きな変化は訪れる。日本で認められず落ちぶれている人は思い切って環境を変えるべきだろう。

日本社会が全てではない、ゲームも一つの街だけにいたらつまらないだろう。

海を渡り、そこで新しい人生を始める。

 

このまま日本でチャレンジし続けることに希望もなくもはやチャレンジする意欲すらない、そう言った人は思い切って「海外」というこれまでに考えなかった全く新しい夢を思い描くべきなのかもしれない。

 

それだけで日々の生活が変わる、何か大きな夢を持つことと、変化が訪れるという希望を持つことはメンタルを充実させる。それが上手くいくか行かないかに関わらず今とは違う未来を思い描いて過ごすことはそれだけで心のよりどころになるのではないだろうか。

少なくとも自分は数年後欧州の大学に進学するという夢を持ったことで、つい最近まで失っていた高校時代の頃のような情熱を取り戻すことができた。

少年よ大志を抱けとクラークはいったが、負け組よ大志を抱け、今自分にそう言い聞かせたい。

今の時代って英語できる人は無数にいるんだよな

自分は日本に置いては間違いなく英語が得意な部類には入る。おそらく日本の全人口1億3000万人全員の英語力をランク付けした場合自分は上位5%には入るだろう。

正直に言えば自分が得意というよりも、周りがそこまで得意じゃないというのが実態だ。国際的には稚拙な自分の英語力でも日本人基準ならば上位層になってしまうのだ。

 

しかしそんな自分もその上位5%の中では最下層の人間なのである。

これはゲームにおいてローカルコミュニティでは強いユーザーでもオンライン対戦になった途端下手な部類になるのと似ている。リアルでは強い部類でもガチ勢が集まるオンライン対戦ではほとんど勝てなくなる。上位に行けばいくほど真の上位との差に絶望させられる。

つまり英語はそういった「英語ガチ勢」が凄まじく、本当に英語が好きで毎日真剣に勉強してTOEICの高得点や英検1級などを目指して勉強している人が大勢いる。また帰国子女や、幼いころから英会話教室で鍛えていた人や留学帰りのライバルも存在する。

所詮身の回りに比べえて英語が上手いレベルの自分は本当の上位層に比べたら雑魚なのである。

 

結局のところ単に英語ができる人材は日本だけでも無数に存在し、本当に極めている人は自分の何倍も上手い。

更に言えば自分はそもそも英語が好きではない。熱心に勉強していた時期もあったが英語そのものの魅力よりもビジネスで使えるからという実用的な理由であり心の底から英語が好きなわけではなかったしアメリカやイギリスなどのアングロサクソン文化にもそれほど興味は持てなかった。

勉強になるからと無理に洋楽を聞いたり映画を見たりしていたが結局本当に好きになることはできずいつの間にか勉強することから遠ざかっていた。英語を覚えたところで本当に英語圏に興味があるわけでもなく、具体的にどのようなビジネスで使うのかというビジョンもなかったのだ。サッカーもイングランド代表やプレミアリーグはそれほど好きでもなく、好きな選手は英語圏の選手出ないことが多かった。サッカーにおいても英語にはモチベーションが持てなかったのだ。

「本当に英語が好きでやっている人」や「海外生活経験がある人」には未来永劫勝てないのである。

 

逆に自分が本当に好きだったのはラテン文化やスラブ文化である。最後のギリギリまでスペイン語とロシア語で迷ったが結局スペイン語に決定した。

世界的な需要もある上に、自分自身がスペインや南米に対して非常に興味がありスペイン語そのものが魅力的であった。結局役に立つから仕方なく勉強するという方法は続かず、本当にやりたかった言葉への未練がある。

今自分は英語の勉強をやめてスペイン語に集中することを決められて心が晴々している。本当に好きな物を学べる、それがどれだけうれしいことか。

そういう意味で世の中本当に英語のことが好きで英語を熱心にやっている人には絶対的に勝てず、そもそも英語を勉強している人の数は多い。そういう中で仕方なしに勉強している自分は英語の中でさえ「その他大勢の下層」に過ぎないのだ。

逆にスペイン語ならば本当に好きで上位を極めたいという程気に入っている。更に日本ではライバルも英語に比べて少ないため希少性が確保できる可能性がある。

また英語も完全に捨てたわけではなく、例えばスペイン語の勉強に英語で解説されたページを参考にすることもある。英語とスペイン語は欧州の言語であるため日本語で解説されるよりは英語で解説された方がわかりやすい。

つまりスペイン語を勉強していたらいつの間にか英語も上手くなっていたという好循環も発生するのだ。

 

真に自分が狙う領域は「トライリンガル」である。

今の時代母国語と外国語が1つ話せるのはもはや当たり前、それが世界的にメジャーで義務教育でも施されている英語ならばなおさらだろう。日本語と英語の組み合わせで上手い人はいくらでも存在するのだ。

しかし英語に加えて第二外国語までできるトライリンガルとなると極端にその人口は少なくなる。

今は英語プラスアルファで何かができなければならない時代だ。言語をメインに通すならば英語にプラスして第二外国語を操ることができるトライリンガルが求められる。今の時代言語で他者に差をつけたければトライリンガルであることが必要になるし、英語だけを極めるならば英語にプラスして他の技能が必要になる。

 

もはや英語ができるだけの人は大勢いる、特に他のアジア諸国は英語熱が高く日本基準では世界に通用しない。英語ができればいいだけの時代は終わった。これから翻訳ツールも発展する為、少し英語ができるだけでは需要はどんどんと減っていくだろう。

外国語で生き残りたければもはやトライリンガルを目指すことがスタンダードな時代が来るはずだ。誰もが学ぶ英語では差をつけにくい上に上位層は非常にハイレベルになっている。今は小学生でも当たり前に英語を勉強している時代だ。英語だけでは将来的に人材過多の時代になり希少価値は激減する。

これからの外国語学習は英語にプラスして何かストロングポイントを見つけなければならないだろう。

 

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完全な独学のみで外国語は習得可能か実験

つい最近これまでほとんど習ったことのないスペイン語の学習を開始した。少し前に基本中の基本を勉強したのだがしばらく英語に集中したいという事もあり、もはや再びゼロの状態からの再スタートである。

 

そもそも自分がなぜスペイン語を学ぼうとしたかの理由はいくつかある。

・昔からスペインが好きだから

・現地でサッカー観戦をしたいから

・英語のモチベーションが続かなかったから

・英語だけではその他大勢になるから

などいくつかの理由が存在する。

 

まず自分はこれまで「英語を完璧にしてから」「今すぐ必要なのは英語だから」と英語に力を入れいていたのだが、ある人単に英語熱がなくなりしばらくの間ほとんど外国語を勉強しない日々が続いていた。

しかし久しぶりにスペイン語やスペインに対する情熱が沸き、この際むしろ英語を捨ててスペイン語の勉強を優先しようと決意した。結局英語をどれだけ勉強していてもスペイン語への未練があるし、それほど好きでもなく合理的な理由で英語を勉強することに限界を感じたのだ。

自分は典型的な好きな勉強ばかりしたいタイプであり、好きな物は良く覚える傾向にある。それゆえに高校時代までは英語自体が好きで情熱があり右肩上がりで伸びていた時期があった。

 

しかしここにきて英語学習へのモチベーションもなくなり、散発的に英語学習をしたりしなかったりすることが増え最近では数か月の間英語から遠ざかりもう外国語の勉強すら必要性を感じなくなっていた。また英語だけを勉強してももはや日本では英語を勉強している人が多いため希少性を確保できないと思ったのだ。

 

そんな状況で久しぶりにスペイン語熱が復活し「早いならば少しでも早い方がいい」という理由で好きなうちにやり始めようとスペイン語の勉強の再開を決意した。きっかけは外国語を熱心に勉強している人のブログを読んだからである。そのブログを見て自分も久しぶりに語学の学習を再開したくなったのだ。

 

そして今回スペイン語にどのようなアプローチで取り組むかというと「とにかく聞いて覚える事」である。動画サイトで日本語を習得したカナダ人女性の映像を見たことがあるのだが、とにかく彼女は聞いて覚えたと語っており書いたり教科書を見たりするよりもひたすら聞いて覚えたと語っている。

その為今回自分は教科書的な勉強法、つまり一つずつ文法を学んで解決していく覚え方ではなくとにかく実践的な本当に使われているスペイン語を聞くことに特化した勉強方法を行おうと思っている。

自分の最終目標はスペインの大学に入りスペインで生活することであるため実戦的なネイティブのスペイン語を求めている。

リスニング教材用に綺麗な環境で録音されたアナウンサー的なスペイン語ではなく、実際に速いスピードでフランクに使われている言葉を学びたい。往々にしてこういった教科書的なテキストは実際に使われていないものが多くこの勉強法で取り組んだ英語はそれほど身につかなかったため、今度は徹底的にネイティブのリアルな言葉遣いを研究することに決めた。

 

そしてその最高の素材がサッカーの実況である。

スペインと言えばサッカーが盛んな国であり自分自身何年も前からリーガエスパニョーラの試合を見ている。これを日本語実況ではなくスペイン語実況で見るのだ。

通常ならば90分間も意味が理解できない言葉を聞き続けるのは苦痛だが、サッカーならば内容自体は解説されなくても理解ができる。

スペイン語関係なしにサッカーを見るのが好きなことに加え、意味を完全に理解しなくても楽しめるのがメリットだ。

これがスペインの映画ならばストーリーが理解できないがサッカーならばそんなことは無いためリスニングの練習にもなり趣味も続けられる。更にサッカーの実況は非常に速いためリスニング力は非常に鍛えられる。この手法は実は英語の勉強の時にも行っていた方法であり自分の中で効果があることは実証させれている。

現地のネイティブが台本通りではなくライブで話している音声としてこれほど最高の素材もなく、また意味を完全に理解しなくても良いため続きやすいのが特徴だ。

 

まさに自分が子供の時のようにとにかく言語のシャワーを浴びて少しずつ解釈していくという原始的なやり方である。

実際すでに何試合か見たことでスペイン語の速さにも慣れてきて当初は「パラパラパラ」としか言っていないように聞こえたスペイン語も少しずつ音節がわかるようになってきて、単語も理解し始めている。

例えば「アトラス」という言葉が何度か出てきて「この単語は良く出てくる」と思いながらまずは「何度も聞く単語」を覚えることに徹する。

そして徐々にその文脈からヒントを探し出して意味を解釈していくのがこの方法だ。その「アトラス」という言葉がバックパス、ボールを後ろに下げるシーンで多用されることに自分は気づき、そこからおそらくこれが「後ろ」を意味するのではないかと推測し実際に覚えていく。

また「トド」という言葉を何度も聞くためこれに関しては検索で調べることにして「全て」という意味であることを知った。地道だがこういった作業を繰り返し自分の頭で考え解釈していく、これが真の言語能力を作り上げるのではないかということに取り組んでいる。

 

ここまで並のスペイン留学より多くのスペイン語を高速で聞いており、この習慣を2,3年続けたらものになるのではないかというのが今回の実験だ。更にある程度慣れてきたら実際の文章などを読んだり文法を習っていくことで補足する。いきなり基礎基本の文法からやったところで結局覚えないしそんな勉強方法は続かない、真面目な勉強方法はしたくないし身につかない。また発音のサンプルがないため正確な発音がわからないのもいきなり文章だけで勉強することのデメリットだ。

まずは言葉として徹底的に聞く、そしてシンプルに自分の頭で解釈して考えていく。古代に違う言語同士の者が初めて対面したときのようなやり方で学んでいこうというのが今回のアプローチ方法である。

あくまで勉強しているというわけではなく「サッカーを見るついでに聞いている」という手法でやっており、遊びながら覚えるようにしたい。

 

これまで自分はスペイン語を習ったことがなくほとんど素人の状態からのスタートだ。完全な独学でほとんと教材も買わずリアルに聞けるスペイン語だけでどこまで習得できるかを調べてみたい。限界を感じたならば勉強法を変えるが今の所開始数日にしては順調であるように感じる。

「右も左もわからない」という言葉があるが、スペイン語に関しては文字通り右も左もどのような単語なのかわからない。英語ならば小学生でもライトとレフトぐらいは知っているがスペイン語ではそんな基本の単語すらわからないのだ。

かといって基本的な単語を全てひたすら暗記するようなやり方は間違いなく続かない上に結局定着しない。少しずつ良く聞く単語を調べ上げたりわかることから推測して子供のように覚えていく、そして本当に好きな言語を学ぶ。

やはり本当に好きな言語かどうかは大事であり、上級者になったときさらなる高みを目指そうとしたら最後は好きかどうかが重要な要素になってくる。好きな物はよく覚える、そんなシンプルな事実を大事にしたい。

アフリカの発展でフランス語が重要になる?

近代においてフランス語は外交の公用語でもあり、現在でも国連FIFA、オリンピック委員会など世界的な組織ではフランス語が公用語として重視されている。

個人的にフランス語は好きな言語のひとつであり学ぼうとしていた時期もあったりフランス筆記体という独特な書式は魅力がある。使えたらかっこいい言語であるという漠然としたイメージもあり、聞いていて綺麗な言語ではあるだろう。

 

しかし戦後フランスが多数の植民地を独立させ、フランスの国力自体も最盛期程の規模ではなくなったことで全盛期ほどの重要性はなくなっている。

世界中にフランスが植民地を保有し外交の公用語、世界一美しい言語というブランド価値があった時代ほどの価値はなくなっている。あまりにもフランスの全盛期が凄すぎたことと、英語のプレゼンスの拡大に伴い地位を英語に奪われたという印象は否めない。

 

その一方で近年フランス語が再評価され始めてきている。

その最大の理由は21世紀のフロンティアであるアフリカの発展が本格的に始動し始めたことにある。これまでアフリカはポテンシャル自体は高く評価されてきたが長らく停滞していた時期もあった。しかし現在では中国、インドに続き地球最後の莫大な可能性が残された地域もである。

資源も豊富であり石油やレアメタル、鉱物などの埋蔵量は世界屈指だ。また世界7位の人口を抱え日本をも上回るナイジェリアに代表されるように隠れた人口大国、領土大国も存在する。もっともナイジェリア自体は公用語が英語なのだが、アフリカにはこれから人口、経済共に大きく発展する国が多く各国の投資も始まっている。

西洋の宗主国との関係性が深いため日本人が考えている以上に今欧州は欧米諸国はアフリカを重要視し、また中国もアフリカ外交に積極的に取り組んでいる。

 

またアフリカは現在教育水準、医療水準が飛躍的に高まりを見せておりブレイク前夜ともいえる状況になっている。日本人が思い描いているアフリカのイメージとは大きく異なり、いよいよアフリカも近代文明の仲間入りを果たそうとしている。

そもそもつい数十年前まで植民地が現実に存在していたのがアフリカだ。アジアに続いてようやくアフリカのターンが来たのが現代である。

そしてその段階が来たことで今アフリカ諸国で多く公用語に採用されているフランス語が言語ツールとして再評価されている。たとえばサッカーのコートジボワール代表ドログバなどはフランス語話者でありサッカーファンならドログバがフランス語を話しているシーンをみたことがあるのではないだろうか。

 

とにかく今アフリカでもっとも重要なことは教育水準が向上していること、資源と人口が豊富であること、そして世界中が投資を行っていることだ。

日本ではこの状況においてもまだアフリカについての報道が少なく、情報が10年ほど前時代的であり日本人のアフリカに関する知識も多いとは言えない。隣国の中国が積極的に資源外交を展開しアフリカとの関係を深めていることとは対極出来である。

これからフランス語について語る時はフランス本国や流麗なフランス文化だけでなくアフリカで通用するメジャーな言語としても考えなければならないし、アフリカについて語る時もフランス語やフランスのアフリカ横断政策の影響も考慮に入れる必要があるだろう。

なぜフランス語を学習するのか、その目的はフランス本国の文化に限られている者ではない。世界屈指のグローバル言語としてこの言語をどうとらえるのか、第二外国語としてフランス語を学ぶ際にはそう言ったビジョンも必要になってくるかもしれない。

日本人はなぜ外国語にそれほど興味がないのか

日本って世界の先進国の中では最も外国語に興味がない国だと言えるし、別の言い方をすれば自国の言語が最も充実している国ともいえる。

とにかく諸外国と比べたとき外国語を日常生活でそれほど見かけないし、当然ながら使いもしない。外国語を話す人もそれほど多くなく、日本人の中でも外国語の習得に熱心な人は稀である。

殆どの場合受験や学校で必要だから仕方なく英語を学んでいるだけで日常的にそれを使う習慣もなく、熱心に学んでいる人もそれほど日常においては見かけない。

ビジネス英語として勉強してる人もアジアの国と比べたとき少なく、世界で最も外国語の習得が自国民にとって必要ない国ともいえる。確かにビジネス英語を学んでいる人は多く英語学習熱は高いのだが逆に言えばビジネスマンであっても全く英語を勉強しない人がかなり多いのも現実だ。

 

ただそれは決して悪い事ではなくむしろ9割以上が一つの民族によって占められ一つの言語だけが公用語でその言語使ってるだけで十分にやっていける国はむしろ恵まれていると言えるし、そう言った国が経済的にも文化的にもここまで充実しているケースはほとんどない。

見方を変えるならば日本人が日本語しか使えなくても何とかなるというのは実はありがたい事でもあり自国の言語だけで生活できる国も珍しい。エリート層ですら英語を使えなくても問題がなく、国民のほとんどが一生外国語を学ばずともそれなりに裕福な生活がしていける。更に文化や娯楽の面でも書籍や映像などが一つの言語だけで十分な程充実しており、楽しみのためにわざわざ外国語を習得する必要がない。

外国の物もほとんどが翻訳されてはいってくるし、日本人が一生日本語だけで何とかなるのが現実であり「日本で英語使わないじゃん」で十分通用してしまうのだ。

 

よくアメリカ人やイギリス人は英語だけでいいと思ってるとか、フランス人はフランス語しか使わない、イタリア人はそもそもイタリア語しかできないといわれる。

しかしグローバルな国であったり、陸続きで内陸に属する国々はなんだかんだで外国語が入ってきやすくそれらを使うことが多く必要性に駆られるケースは日本より多い。

生活向上のために真剣に外国語を学ばなければならない新興国はもちろんのこと、欧米の国々もなんだかんだで外国語への関心は高い。

 

歴史的要因、地理的要因、文化的要因、様々な要因によって日本人は外国語への関心を持つ機会が少ない。良く言えば日本語や日本の内需経済が充実しており、ほとんど一つの民族で多民族国家などに比べたとき民族問題においては平和にやれているという面もある。

結局言語というのは必要性がなければ習得出来ないものであり、自国民が外国語の習得の必要性を感じないというのは裏を返せば実は幸せな事でもある。

例えばインドでは知的な書籍を読もうと言えば英語が必須であり英語が使えなければ学習することすらできない階級社会がある。その点日本はカジュアルなエンタメから高度な内容のものまで全て母国語で揃うという恵まれた状況にある。

娯楽の多様性で言えば世界トップクラスであり、技術や経済のレベルも昔ほど圧倒的ではないが依然として高水準にある。

 

つまるところ日本人が外国語を習得するメリットはそこまで大きくなく、いらないと言えばいらないということに行き着く。

それゆえに本当に言語に関心があって趣味でやっている人や、よほど海外志向の強い人でなければ外国語を学ぶことは無く現実に外国語を熱心に勉強している人と合う事はほとんどない。

 

また日本人は外国語に対して2つの先入観を持っている。

1つは外国語と言えば英語だという事

そして2つ目は外国語は難しい物だという事

日本で語学学習といえば大抵の場合英語になり、留学先なども英語圏が多い。言語学習の多様性で言えばほとんど英語一強になっているのが現状だ。実際自分も第二外国語の習得につい最近まで熱心ではなかった。

そして日本人は外国語はとんでもなく難しく今更習得できるものではないと思い込んでいる。

 

日本人が外国語が不得意というよりも、必要性を感じないしとにかくあまりにも難しい物でハイレベルなスキルと自分で壁を作っているようにも思える。深層心理の面で外国語に対して見えない壁を作っていたり、とてつもなく難しい物だという虚像を抱いているのではないか。簡単に考えたほうがいいところで難しく考えすぎてしまったり、完璧に使おうと考えてしまう傾向にあるように思う。

実際日本人が日本語を学んだ時に間違いながら覚えてきたし漢字の学習も小学生のころは苦労したはずである。今ある程度英語ができる人も最初はbe動詞すら意味不明だったのだ。

そしてそういった母国語のような習得方法は大人になってから出来ないものであり非常に面倒で時間がかかる物だという先入観もある。

 

確かに子供の頃程習得できないことは事実だがそこで諦めてしまう程のものでもなく、外国語の学習は何歳から始めてもできないことは無い。

「若いうちにやっていなかったから今更やっても遅い」という半ば神話にも似たものがあり、それもまた外国語学習への関心を削いでいるのではないか。若いころの方が有利なのは事実だがあまりにも難しく考えすぎてしまい、自分で難しくし過ぎてしまっているように思う。

思い込みでも「外国語の勉強は簡単」と言い聞かせながら勉強したほうが実は見えない壁がなくなり飲み込みも早くなる。難しいと思いながらやるよりも簡単と思いながらやったほうがすんなりいくというのは何も言葉の勉強に限ったことではない。

 

そもそも必要性を感じていない、そして難しいと思っているせいで必要性を感じても最初からあきらめてしまうことが日本人がそれほど外国語に関心がない理由なのではないだろうか。

語学能力=特殊な才能だと考えすぎていて新しい言語の習得に億劫になっている。

そして勉強して習得しなくても一生別に困らないのが日本という環境でもある。

これからこの環境がどう変化していくかはわからないが、日本が劇的に外国語重視の国に変貌することはよほどのことがない限り起こり得ないだろう。あくまで個人が自分の中で必要性を感じるかどうか、そして自主的に勉強するかどうかが全てと言っても過言ではない。その中で習得するしかしないかは自由なのである。

トランプは北朝鮮に攻撃されることを待っている?

アメリカのトランプ大統領は一見馬鹿に見えて実は賢い。シンプルな言葉を使うのもその言葉を使えば支持率が高まるからだろう。頭がよくなければあれほどの地位を獲得することはできず実際難しい話をしようと思えばいくらでもできる。

実は難しいことを難しくすることは簡単で、難しいことを簡単にする事のほうが難しいのだ。

 

そういった歴戦のビジネスマンであるドナルド・トランプはどういった行動が適切か本能で理解している。これまで勝ってきた人間というのは「勝ち方」がわかっているのだ。たとえば今回の北朝鮮とのチェスはある意味北朝鮮を誘い出すようなやり方だ

アメリカ合衆国の歴史を見たときに先に攻撃させることで自分たちは「悪に攻撃された正義」という立場を演出でき、思う存分「悪の征伐」に舵を切れる。

古くは日本の真珠湾攻撃、そしてベトナムにおけるトンキン湾事件の捏造、そして21世紀に入った後の中東情勢の一連の動きだ。

明確に言うならばアメリカは悪役を作り出すことで国民を煽動してきた歴史がある、それは彼らの伝統的な手法だ。世界的なメディアを保有することができている国の特権である。やはり戦争は情報を支配したものが勝つ、そしてアメリカ人のトランプはそのことを本能で熟知している。

 

今回トランプ政権やアメリカが北朝鮮への制裁にいまいち本気で踏み切れていない理由はもしかしたら北朝鮮に先制攻撃をさせようと誘い出しているからではないかとすら邪見してしまう。

仮に北朝鮮が一回でも暴発しことをしでかせばトランプやアメリカ政府は小躍りして軍拡を進めるだろう。「やっと戦争ができる大義名分ができた」とその日はパーティナイトになる。

巧妙に追い詰め真珠湾の再現を狙う、それがアメリカの狙いだろう。

まるで陰謀論者のような言い方だが、世界情勢をこれから見ていれば徐々にそうなっていくだろう、素直にアメリカの言い分を信じる方が純粋だ。北朝鮮による先制攻撃はいわばアメリカが仕掛けた釣りに食いつく魚の一口であり水面下では駆け引きが粉われている。アメリカはひたすら釣り糸や餌をたらし愚かなノースコリアが食らいつくことを待っているのだろう。

金正恩という魚を釣ろうとする釣り師トランプ、その一撃を心待ちにしているのだ。そこに金正恩北朝鮮が食らいつくかどうかのデッドレースが今水面下で行われている。

「戦争は悪者を征伐するから面白い」というがアメリカの伝統的な価値観であり様式美のストーリーだ。悪役を叩き潰す快感を何度も味わってきたアメリカは久しぶりの獲物に餓えている。

 

もっとも今日本はそのアメリカの同盟国であり、今回は観客側である。結局のところ世界のボスであるアメリカを支援してコバンザメとして美味しいとこどり狙うほうが賢いのだ。アメポチだと非難されるがアメポチ程快適な居場所もない。日本とイギリスはまさにアメポチを極めた島国だ。正々堂々戦う事よりちゃっかり利益を得る立場に入り込むことの方が大事だと先の対戦は示してくれた。

 

日本「アメポチがこんな楽だなんて戦前に教えてほしかったよ」

イギリス「結局アメちゃんに頑張ってもらう方がいいんだよ。アイツの正義感にあふれてるところを利用すれば最高のボディーガードさ」

日本「さすがイギリス先輩は格が違うぜ。利用されてるようにみせかけて利用する、島国の先輩として学ばせていただきやす」

イギリス「アイツ頭がいいけどただの熱血野郎だからな。また喧嘩おっぱじめれば観戦してさりげなく支援して恩を売ってまた勝ち組に入ればいいのさ。俺はそうやって生きてきたからな。良い子分がいるってことに快感を覚える馬鹿な性格を利用すればいいのさ。そしてボス気取りの熱血野郎が弱者をボコるのを眺めて楽しめばいいし、自分がやられそうになれば頼ればいい。絶妙な立ち位置を見つければこれほどいい仲間はいねぇよ。」

日本「ずる賢さでは近代を支配した歴戦のイギリス兄さんに敵う者はいないっすよ。」

イギリス「まぁそれが島国気質ってもんよ。大陸や大国を傍観したり利用したり媚びや運を売ってうまく立ち回る、それが結局一番なのよね。島国ってのはちょっと冷めて俯瞰して見てるぐらいがいいんだよ」

日本「さすが二枚舌どころか3枚、いや4枚舌ぐらいはありそうな英国兄貴」

イギリス「おう、もうアメリカ敵に回すなんて馬鹿なことをするなよ。お互い都合のいい味方でいればいいのさ。外交ってそんなもんよ。相手のことを利用しつつも信じすぎず、表では盟友を演じる、これ最高。」

 

さていろいろと緊張感の出始めている東アジア情勢、どうなるか様子を見てみよう。

勝ち馬に乗るゲームはもう始まっている。

北朝鮮はこのチェックをどう乗り切るだろうか。

チェックメイトを回避しようと動き回る姿さえもはやアメリカの手のひらで転がされている。北朝鮮がアメリカのたらす釣り針に食いつく日は明日かもしれない。

ひろゆき「日本人が中国語を勉強するメリットはほとんどない」

最近2ちゃんねるの創設で有名なひろゆきがフランスで生活してフランス語を勉強しているということを知ったのだが、その話で語っていた「自分が勉強したときに最も効率のいい言語を勉強したほうがいい」とういう理論が興味深かった。

理路整然とした合理的な話は面白く改めてひろゆき面白いなとも思ったし、その話を聞いて外国語学習熱が復活したので良い機会だった。

 

そのひろゆきの話によると日本人が中国語を苦労するメリットはそこまでないという事だ。中国だけで14億の人がいて世界中の華僑が話している言語として中国語は世界で最も通用する言語のひとつである。実質的には20億近い話者が存在するのではないだろうか。

日本にとっても隣国であり今後世界をリードする大国である中国の公用語をなぜ学習するメリットがないのか、自分はその部分を不思議に思った。実際中国に加えて世界中の華僑が使用するというメリットは大きく世界最大級の言語でもある。

人脈やビジネスを考えたときに間違いなく有用なはずだ。

 

ではなぜ日本人が一見有用に見える中国語を学ぶ必要がないのか?

その理由は非常にシンプルだ。

「日本語が話せる中国人を雇う方が早くて安上がりだから」

日本にいても感じることだが実際日本語を扱える中国人は多く、彼らは日本語学習熱が非常に高い。中国方面で何かをやろうとするならば彼らを雇ったほうが自分が習得するより早いのだ。

これと似た理論で言えば英語圏の人がスペイン語を勉強してもそれほどメリットがないのである。なぜならばアメリカ国内にメキシコ人が多く彼らを雇ったほうが安上がりだかららしい。

つまり「自分が学んで得する言語とそうでない言語」は明確に存在し、自国より人口が多く経済水準が高くない国の言語をそこまで熱心に勉強するメリットは大きくないのだ。

また日本において日本人が中国語ができたところで通訳や翻訳家、語学教室での需要も見込めない。なぜならば人件費の安い本場のネイティブの中国人の方がよほど需要があるからであり日本人が中国語を習得してもそれほどメリットはなく、中国において日本語教師として働く場合もこれまたやはり「日本語の出来る中国人」が無数に存在する為それほど高待遇では迎えられず競争が厳しい。

それに加えてひろゆきは中国人との「労力」の勝負でも勝つ見込みはないと語っており、人口も多く安い賃金で長時間働ける中国人にその分野で日本人は勝てないと主張している。

日本人が中国語を勉強するならばよほど中国に興味があり中国文化を心から愛している人に限られるだろう。中国語能力に加えて中国でビジネスを開拓するアイデアや情熱も存在しなければならず中国語ができるというスキルだけでは「日本語ができる中国人」に勝ち目はない。

また個人的な外国語学習の経験からすると「好きではない言語」というのは勉強が続きにくい。ただ単にこれから中国語が重要になりそうだからという理由だけでは続かないし、素直に日本語が話せる中国人を雇い他の言語やスキルを磨いたほうがいいだろう。

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よって日本人が外国語を学ぶとすれば1位は当然英語だとしてよく大学の第二外国語として学ばれる言語は大きなメリットがある。

たとえばひろゆきのようにフランス語は「希少価値」を生み出せるだろうし、日本の大学の第二外国語の教育レベルはそれほど高くないために習得すれば周りの日本人に比べて特殊な価値を持つことができる。

本国の経済水準のレベルが高い国はそのまま移住先にもなり得ることに加えて、自分より安い賃金で働けるライバルが発生しにくいというメリットがある。

まさにフランス語ならばフランス自体が日本と同等かそれ以上の生活水準で過ごせる国でありひろゆきの話を聞くと非常に充実した生活を送っているようである。

またこういったかつて植民地を多く保有していた国の言語というのは本国以外でも通用する為「先進国」と「新興国」の両方で通用するという一石二鳥のメリットがある。

給与水準が高く希少性を持てる国に加えて、これから発展するであろう新興国で通用するというメリットもあるのだ。

たとえばフランスならばアフリカでは非常にメジャーな言語であり、これからアフリカは爆発的な経済発展を遂げる可能性がある。人口、領土、資源、そのすべてにおいてアフリカは最後のフロンティアであり21世紀はアフリカが台頭するだろう。

フランス本国のメリットも大きく、フランスはヨーロッパの中では比較的日本への関心度の高い国であり「フランス語ができる日本人」への扱いは良いと言える。それに加えて「経済発展をする新興国」の言語としてのメリットも大きい。

これに近いのがスペイン語で、スペイン語はラテンアメリカ諸国、そして中南米諸国で非常に多く通用する。世界での重要度に対してスペイン語ができる日本人や日本語ができるスペイン語圏の人が少ないのも見どころだ。自分が今勉強しているのはまさにスペイン語で今新しく第二外国語を日本人が勉強するならばフランス語かスペイン語のどちらかが最有力候補となる。

 

またドイツ語も伝統的に日本で重要視されている言語だ。

科学、医学、哲学などではドイツ語が非常に重要視されている。それに加えて現在のEUはドイツの存在感が非常に強く実質ドイツ第四帝国ともいえる状況だ。イギリスが離脱したことで欧州においてドイツ語の地位が高まる可能性はあるだろう。

実際スイスやオーストリアのようにドイツ語圏といっても差し支えの無い国があり欧州におけるプレゼンスは高い。またひろゆきのいうように「安い人件費で雇える話者」が存在しないこともプラスだろう。EUとの関係性を考えたときその中心に存在するドイツとの関係は今後を重要になっていくかもしれない。

しかしドイツ語、イタリア語の重要性はスペイン語やフランス語に比べてローカルであるためドイツかイタリア本国に対して情熱がなければより広域で話される言語を学んだ方が得だろう。

とくにイタリア語はよほど芸術や音楽、料理、サッカーに関心がある人に限られ実際の実用性ならばロシア語よりも下になるのではないだろうか。

そういった意味ではインドネシア語、タイ語、ベトナム語などが穴場かもしれない。中国ほど日本語学習に熱心ではない上にこれから経済発展を遂げ、日本企業も重要視している地域が東南アジアだ。地理的にも近く需要に対してライバルが少ない。

例えばイタリア語やドイツ語は近代以降学習環境が整えられていることに加えブランド価値があるため日本ではライバルが多い。それに加えて実際はローカルな言語であり話者もそれほど多くは無い。

一方東南アジアの言語はこれから話者も需要も増大し、なおかつ現地の東南アジアの人々も中国人ほど日本語学習に熱心ではない。もちろんルックイースト政策によって東南アジアでも日本語は重要視されているのだが、かつてほど日本や日本語は重要視されておらずトレンドは移り変わっている。東南アジア人は今それほど日本を重視しておらずむしろ日本人の方が東南アジアを重要視し始めている。

 

総評をまとめるならば「これから経済発展をする可能性が高い国」「新興国」の言語として中国語を学ぶのは時代遅れであったり労力に見合わない。

そして実用性を求めるならだ第一に英語、そして第二外国語としてトライリンガルを目指す場合は「かつて植民地を多く抱えていた欧州の国」「これから発展することに加えて日本語学習熱が中国に比べて盛んではない国」の言語が現実的な選択肢に入るだろう。

いずれにせよ21世紀という激動の時代、もはや一つの母国語しか話すことができないという人材は淘汰されていくだろう。外国語の学習は少しでも早い方がいい、そういったグローバル化の時代になっていることは間違いない。

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