スポーツ観戦最大の利点
これ、うるさいミサンドリストおばさんが寄ってこないことに尽きる笑
世の中、創作物の描写に対してあれこれ文句つけているようなもはや「フェミニスト」と名乗ることすらおこがましい「男性嫌悪主義者=ミサンドリスト」がいるが、彼女らはスポーツ観戦とは無縁な層が多くこちらに寄って来ないからである。
そもそもスポーツ観戦はある程度男の影響がないとハマることが少ない。そのため男との交流を避けてきた彼女らには無縁なわけだ。
また彼女らにとって最大の敵であるオス、つまり父親がスポーツ観戦好きだとその反動で遠ざかることもありえる。
ミサンドリストおばさん、以下ミサおばがジブリのような創作物の古い時代の描写について文句をつけている光景は多い。
ただ、それがスポーツに疎いし無関心な彼女らの限界だ。
ガチガチのマッチョ社会の権化であるスポーツにはもうそのオーラ自体が苦手で、まず寄ってこない。
アニメや漫画、ゲーム、アイドル等はそんなミサンドリーをこじらせたおばさんでもなんだかんだで楽しめるが、スポーツは基本男がメインだ。
男を嫌ってちゃ話にならない世界である。オスを見るだけで気分が悪くなる男性嫌悪主義の方々には到底不可能だ。
自分たちを苦しめているオスの中でも最上位の強者なので彼女らは劣等感が掻き立てられる。
そしてそもそも完全実力主義なので「こういう描写をしろ」という要求は通りようがない。
人工的なフィクションによって調整することが不可能である(八百長やドーピングはないとは言わないが限界がある)
「女子アスリートの待遇を改善しろ」というのは、これは女性権利向上運動の一環であり正しいフェミニズムの部類に入る。
自分はこういった真っ当なフェミニズムには賛同するし、女性アスリートやスポーツに関わる女性は誰しも男並みに努力している。
彼女らが言うのであれば、それはそうだというしかないし、自分自身女子スポーツをみて感動することもある。
大坂なおみのように男以上に凄いやつが言うから納得の行く部分もある。
問題なのは自分では何もせずにただ男に対する憎悪だけで生きており、あれこれ普通の人の楽しみにまで聖なる犠牲者を気取って文句をつけてくる似非フェミニストなのだ。
この手の、ミサンドリストはエマ・ワトソンのような真っ当なフェミニストからも煙たがられている。
女性だけが苦しんでいるという人々に対し、あなたたちだけが可愛そうな弱者ではないのだと彼女は説く。
日本は男社会だから悪いと言うことにするのは楽なものよ。
むしろここ最近の流行コンテンツを見てれば女性が主体として歓迎されているものばかりだ。仕事も女性だと有利なものはいくらでもある。
男主体のコンテンツでメガヒットしたようなものなんて昔と比べれば明らかに少ない。
男主体のジャンルはいろいろ縮小の危機にある。それだけ男性は弱体化してきている。
だからどこもかしこもなんとか女子だとか言い出しているわけで。
私達女性が直面している苦境はそんな簡単なものではないという方もいるかもしれない、ただそれを言ったらミサンドリストおばさんが知らないだけで男の苦労も同じようにいくらでもある。
そう考えるとスポーツは数少ない男の居場所だ。
女性が入りやすい小綺麗な居酒屋じゃなくて、もっとオヤジ達の憩いの場みたいなもので。
そしてそれを気にせず入ってくる女性は器量もあって、男に対する理解もある。
彼女らはこじつけのような形とか嘘松でツイフェミみたいなことをしない。
彼女らこそ本当に男性社会の中で本当に女性の地位向上に努力している。そして男を下げることが女性の地位向上につながるとも考えていない。
自分はサッカーを見ていて、サッカーに関わる女性たちの素晴らしさがよくわかる。
彼女らこそガラスの天井を打ち砕いているのに、そういう人たちまで「名誉男性」とレッテル張りをするのが同じミサンドリストだけで固まってエコーチェンバー状態に陥っている連中だ。
竹下佳江「女性は良くも悪くも群れを作り、悪い群れに定着することがある」
似たような思想の中でしか固まれないコミュ障のようなミサおば達が聞いたら卒倒するだろう。
これが本当に戦っている女性の姿だ。
本気で男が世の中から消えれば自分たちは幸福になれるという思考回路にどうやったらだどりつくかが不思議だし「ほとんどの女性は男性に嫌な目にあっている」というが、その逆も言える。
女性の言葉が男性にとって「魂の殺人」になることも多いにある。
架空の嘘松で男叩きをしているのもセクハラであり、魂の殺人であって。
自分の被害だけに敏感で、加害には鈍感で、自分が受けた仕打ちを繰り返し憎悪を再生産する連中がいる。
ミサンドリストもミソジニストも憎悪生産機であって。自分のところで憎悪の連鎖を止めなければならないはずだ。