負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

マジで平成最後の夏が終わるぞ会議

俗に平成最後の夏と言われている今年の夏もついに残り数日となった。

この夏を振り返って自信を持って「夏を楽しんだ」と言い切れる人はどれだけいるだろうか。

 

自分の夏を思い返して、総括してみればそれは「無駄に酒を飲んで終わった夏」でしかなく、やりたいことはあまりできなかったという不完全燃焼感が強い。

後悔というか夏が終わっていく寂しさ、やりきれなかった物足りなさが涼しくなってきた風と共に押し寄せる。

かといって今から残りのラストスパート仕上げて悔いの夏にしようという気力も沸いてこず、もう夏は終わっているという感覚だ。

想像していたほどの夏ではなく、期待しすぎていたゆえにその落差が大きい。

それもただ自分に甘えて酒を飲んで過ごして、行動していなかったので仕方ないと言えば仕方ないのだが。

勉強していなかった受験生が偏差値が伸びなかったと悔やんだところで、それは本人の努力不足だから仕方ないのと同じだ。

 

基本的に自分のこの夏の生活パターンは明るい時間からお酒を飲んで、その後飲み過ぎて暗くなってからは寝込んでいるという展開が多かった。

夏らしいイベントを無理やり探すならば、田舎にある酒自販機で手に入れた酒をいつもの場所で飲んでいたら、近くで晩酌をしていた謎のおっちゃん二人と一緒に飲むことになったのが思い出の一つだ。

どちらも年金生活に入っているような二人で、テラスで飲んでいてちょくちょく自分がそこで一人酒をしていることに気付いていたらしく、それで誘ってもらった格好だ。

 

あの日は夕焼けが綺麗でこのテラスの夏の雰囲気いいなぁと思って、おっちゃん二人に昔懐かしの地元の話をしてもらったことを覚えている。

「めんこでいつもこいつは強かったんじゃ」みたいな時代の話や、自分の年代までは小学校の教科書は配布式じゃなかったというレトロな話を聞けたので貴重な体験だった。

自分も含めて三人とも酔っているので初対面ながらフランクに話せて、世代を超えた交流が面白く、この夏の情緒はきっとこれからも思い出であり続けるだろう。

いわゆる第三のビールや、最近増えているアルコール度数の高い発泡酒を日ごろから飲んでおり、それを自分もわけてもらったのでこの日はタダ酒できたのはお得だった笑

おつまみなどもわけてもらって、変える時は三人ともよく分からない状態まで酔い切っていた。翌日非常に気分が悪かったので相当飲んだことになるが、今ではひと夏の楽しい夜だったと思える。

 

もう一つ夏らしい思い出と言えば地元の夏祭りで学生時代の地元の同級生と再会したエピソードがある。毎年8月の始まりの上旬に行われる恒例のイベントで、田舎の実家に近いので見るだけ見ようと、そんなに遠くでもないので雰囲気を味わいに行っている。

露店は十数店出されるような規模で、かき氷に多くの人が並んでいたが、良い大人になってくると焼き鳥や焼酎のほうに興味がいく。

また昔は地元で有名なおもちゃ屋が出店していたのだが、経営者が高齢化して数年前からはこの「夏の約束の地」は無くなっている。

自分がエアガンとかんしゃく玉という悪事を覚えた思い出の場所も今は無いし、昔の夏祭りはおどろおどろしい見世物小屋もあったと聞くので、年々夏祭りも健全化されてきている。

カップルで溢れていると思いきや田舎なので来ているのは家族連れが大半、会場全体が薄暗いこともあって男一人でいてもそこまで場違い感はなかった。

 

面白かったのがこんなSNSでも話題にされないような地方の花火大会でも、科学の進歩でハート形の花火があったり、青色の発色が綺麗になっていたりという発見があった。

本当にまともな娯楽も無い田舎なので、年に一回の夏祭りだけは地元の団体が張り切って力を入れている。そこそこ客入りも良かったので、過疎化の町の恒例行事としてはまだ数年間は続きそうだと安心した。

実際同級生と再会したぐらいなので、子供の頃の思い出が今も懐かしく皆参加しているのだろう。

 

その同級生数人と会って子供の頃の思い出を話したのだが、「結局ゆとり世代が会うと未来の話ではなく懐古の話になる」という説がまた実証された。

よく動画サイトに「90年代生まれが好きなアニソンメドレー」みたいなものがあるけれども、もう今のゆとり世代になる未来にそこまで希望も情熱も無いので、そういったBGM集を聞いて楽しかったころの思い出に浸っているのではないだろうか。

 

「最近の大学生が会うと思い出の話しかしない」と言われているが、これは「俺らおっさんになったよなぁ」と気取りたいわけではなく本当にそれぐらいしか話すことが無いのが実情だからだ。

 

その昔の同級生と会っても、皆そんな積極的に現状を語ろうとせずニート率高く、まぁ今の時代そんなもんかとある意味安心もした。

自分だけがこんな駄目な生活を送っていると思ったら、結構みんなそんな感じなんだなと思えたのは収穫だった。まぁ自分に同情して話を合わせているだけなのかもしれないが、そこまで前向きに話さないのを見るとそこまで誇れる現実も無いのだと思う。

よく「同窓会は社会で成功した人の自慢大会になる」と言われるけども、ゆとり世代くらいになってくるとそこまで社会でバリバリ上手く行ってる人なんて少数派で、懐古話くらいしかすることが無い。

 

ちなみにその同級生集団の中には女子もいて「そういえば俺この頃、女子と普通に話してたな」とう典型的な非リア充あるあるに陥った。

基本的に女子は普通に彼氏がいるので、ひとり身は俺だけか・・・というのは思わないことも無かったけども、それよりも懐かしさの方が大きかった。

それも派手に遊んでいるというよりも昔からの彼氏と続いているとか、大してイケメンでもないとかそんな感じで、まぁ皆それぞれ現実の生活があるんだなという感じだった。

そしてそろそろ既婚者も普通に増えているなというのもちらほらとあったけども、自分は特に結婚に興味は無いので焦りを感じるようなことはなかった。

 

まとめると「まぁ皆ほどほどに生きてるな」という感じで、それぞれなんだかんだで地元の祭りが懐かしいし、会えば懐古の思い出話ばかりという典型的な最近のゆとり世代マイヤンのような感じだった。

 

「思い出話ぐらいしか語ることがお互いに無い」というケースは、もう今の時代全国にありふれているのではないだろうか。

子供の頃の思い出を越えられないゆとり世代というか、いい年しても大人になりきれないぬるい大人達みたいなしょぼーい感じの雰囲気が何ともよかった。

小中高にかけての「これ俺しか覚えてねぇだろ」的な話を案外相手も覚えていたり、逆に自分も覚えてないようなことを話してくれたりと、田舎の少人数クラス特有の絆はまさしくマイルドヤンキーという感じだった。

もう都会志向の時代でもないし出世に興味が無く余暇時間の方が大切だという、意識低いゆとり世代のこの生ぬるい感じは嫌いではない。

ただ最初のエピソードのように一緒に意識低い発泡酒飲んだおっちゃん達も似たような感じだったというか、昭和の話しかしなかったのでまぁ大体日本人はこんな感じが平均像になっていると思う。

 

「巨人大鵬卵焼き」といって昭和の子供たちが好きな三つの物を表した言葉があるのだが、これがリアルに通じたのが時代を感じさせるというか、わりと自分が持っている昭和知識が生きたのは中々面白い経験だった。昔の人の方が実は歴史の話が通じて面白いし、懐古話を出すととても喜んでくれる。自分の知識が間違っていなかったことを確かめられるどころか更に深められるのでお互い一石二鳥だ。

昨今、「自分の世代の話しか分からない」という人々が増えているけれども、ちょっとした知識があるだけで世代を超えて話が盛り上がるというのはとても有意義なことだ。

夏

それにしてもやはり夏が終わるのはどことなく寂しい。

冬が厳しい北国の人々はよりこの感覚が強いと聞くが、比較的温暖な地域の人間でもこの感覚になる。

「10日あれば夏休みの宿題は終わらせられる」という根拠のない自信を持ったところで、どうせ忘れましたと言い訳することになる。

夏の恒例行事とも言える大型番組がこれから立て続けに放送されれば、夏の終わりを実感する時が来る。

 

自分は今年の夏何かをしただろうか、いや何もしていない。

ただそんなどことない物足りなさと共に、夏は過ぎ去っていく。

その名残惜しいような寂寥感もまた晩夏のひと時だ。