負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

「交通費」って冷静に考えると無駄に高いよな

昔は物欲至上主義者だった自分が、最近は飲食であったり旅で会ったりを重視するタイプの人間になっている。

嗜好の変化とでもいうのか、かつては実際に物体として残る物以外はもったいないと思っていたのに、普通に流行のスポットにいってインスタ映えする食べ物の写真をとる女子みたいな発想になりつつある。

 

興味があるのは食べ物や飲み物、行ったことのない場所への旅行であり、漠然と人の温かみのある空間に惹かれているのかもしれない。今年の年始年末はできれば海外旅行だと計画しているが、それが無理ならば親戚のところに泊まり宿泊費を節約してなるべく長くいようという思惑もある。

 

しかし、それでも「交通費」というものがかかる現実に気付くのだ。

冷静に考えて移動のためだけになぜここまでお金を使わなければならないのか、それならば近場で何か食べたほうが良いという発想になってしまう。

交通費というのは片道だけではなく往復で考えなければならない。そう考えるとこれが結構ネックとなり、行ったことのない場所に行こうという前向きな気分になってもそれがすぐにこうして現実に萎えさせられてしまう。

世の中にはやる気を削ぐことだけは無駄に多い。

 

移動も含めて旅であり、例えば鉄道の車窓にはお金を払う価値があるだろう。

明治時代の文豪の鉄道旅行記などは情緒や味わいがある。

しかし現実には車内で子供を騒がせる家族連れがいたり、ゴールデンウィークともなると新幹線ですら座れなかったりする。結局グリーン車に乗れない底辺に対する扱いなどこんなものであり、それならやめておくかという話になる。

長期休暇中にマイカーでわざわざ渋滞の中をテーマパークにまで行って、そのテーマパークないでも混雑や行列に並ぶのだからそれを出来る人というのは凄い。

 

自分が子供のころはこういった交通費は考えたことが無かったが、一人旅ではなく家族連れともなるとこれは倍以上になる。

1人の交通費でさえ大変なのにこれが家族連れともなるととてつもない額になる。しかもそれが単なる移動のための費用で、移動してからもお金がかかるとなると昔の家族や親は凄いと尊敬の域にすら達する。

 

1人で精一杯の世の中にこれだけ何から何までお金がかかるとなるとそりゃだれもも結婚しなくなるなという話で、「もうこういう昔ながらの幸せな家族像ってどんどん無くなっていくんだろうなぁ」と悲観的にならずにはいられない。

無駄な物で言えば元2ちゃんねる管理人ひろゆきが「家賃」も世の中の無駄な出費だと叩いていたのを聞いたことがある。得しているのは一部の不動産屋で大部分の人々がただの家賃のためだけに働かされている。

どうせ支払われない年金を払う事にしても、世の中冷静に考えれば無駄な事に出費しまくってるなとひねくれた2ch脳としては考えてしまう。

 

これが好景気でお金が有り余って未来が明るい時代ならまだしも、ただでさえ貧しい人が増えている時代に、数少ないお金を無駄な物に払っていく従来のライフスタイルはもうオワコンだろう。

 

「なんであんなものに金払ってたんだ」と徐々に大衆が気付き始めて、ついに向かう先は「通信費」「家賃」「交通費」にまで及ぶのではないか。

なんでもこうやってコスパが悪いとかあれが無駄だとか、そういう後ろ向きの方向に向かっていくのは不景気の象徴であり悲しい発想ではあるが、そうせざるを得ないのも現実だ。

 

このように折角どこか外出しようという活気のある発想を持ったとしても、交通費や駐車場代など移動だけで金が飛んでいく。

そして現実に気付きじゃあやめとくかという発想が最近の日本人の典型的な思考方法だ。

そうなると近場で済まそうとなるのが自然な発想になる。もう日本人が海外旅行に気軽に行けた時代でもない中で、最近の大衆は行動範囲が狭くなったと批判されるのは納得がいかないだろう。

 

更によくよく考えればまだ地元に行ってない場所などいくらでもあるわけで、地方でもわりかしいろいろなものが充実している日本というのは案外"マイルドヤンキー"のような地元愛や郷土愛志向のほうが適しているのかもしれない。

 

例えばここから県外に交通費と宿泊費出してまで外出して、現地では節約志向で安い物で済ませるよりかは、地元の行ったことが無いレストランや居酒屋に行った方が良い。

実際自分の近場の街でも入ったことが無い居酒屋は無数にあり、交通費や宿泊費を節約してその分でそれらを巡ったほうがよほど良いのではないかと考え直し始めている。行動範囲と視野が狭くなっているだけで、地元の中の更にローカル地方ですら開拓できていない場所は多いのだ。それだけ日本が隅々まで充実しているとも言える。

 

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もっとわかりやすい例を出せば自分が常々憧れているヨーロッパのスペインもいざ行こうとすると移動だけで費用がかさむ。

その交通費と宿泊費でスペイン産のワインを買ってストリートビューを見て景色を楽しむことのほうが実際は何倍も楽しいのではないかという発想も可能だ。

・家で高級スペイン産ワインを飲みながらストリートビューでスペイン全土を周る

・交通費と宿泊費を出して現地の一地域を周り、なるべく安めのバルで済ます

どちらを選ぶかというのは人の価値観に寄るが、交通費と宿泊費の分でかなりのものが今の時代通販で買えるというのは旅行の価値が半減している理由の一つだ。

 

昔は旅行に行かなければ手に入らない物があったが、今は物にしても景色にしても室内で揃ってしまうので「体験」という曖昧な物しか魅力が無くなっている。

自分は決して旅行を否定しているわけでもなくむしろ憧れてすらいるのだが、現実的に不可能なので仕方なく前者を選んでもそれなりに楽しい時代になっているという事実についても否定しない。

 

今の時代格安航空というものもあるが、住んでる場所によってはその空港までの交通費も計算に入れなければならないので簡単に安いとは言えない。

一度生活の質が落ちると自分の行動範囲内に閉じ込められてしまうのが現実だ。

その封じ込められ制限された領域から殻を破ろうとするのはかなり労力がいる事なのである。

結局海外旅行に行くという発想から、スケールダウンさせ親戚の家で良いという発想になり、そしてその交通費すら地元のまだ行ってない場所に使ったほうが満足度は高いのではないかという発想になる。

 

より端的に比較するならば「ヨーロッパで飲む安いワイン」と、「部屋でヨーロッパの景色を見ながら飲む欧州産の高級ワイン」のどちらが美味しいかという話だ。

もちろん「ヨーロッパで飲む最高級ワイン」が最高ではあるが、限られた予算ならこの2つから選ぶことになる。

「外国人と話す」という非日常の体験にしてもわりと日本に外国人観光客は多いので、コミュニケーション能力さえあればそれで足りる現実はある。

 

なんでも論理的に科学的に判断するだけというのはつまらないが、紛れもなくワインの質自体は日本に輸入された物であっても良い物は良い。それどころか最近は山梨県産のワインのように国産でも質の高い物は多い。

「ヨーロッパの現地で飲食する」という雰囲気や気分にどこまでお金を出せるかというのが旅行のテーマなのだろう。

欧州の安いバルならもしかしたら少しでも安くするために南米産ワインを使っている可能性だってある。料理だけが食べたいならそもそも日本でもいくらでもレストランはあるし、言葉も分かるので注文がしやすい。

日本で現地以上のクオリティのものを揃える事の方が簡単だというのが昨今の日本人の海外旅行離れの理由だ。

 

逆パターンでいえば海外に出店してる高級和食料理店で寿司を食べるのと、わざわざ日本にまできて100円の回転ずしに行くのとどちらが良いかという比較もできる。

「日本の回転ずしで周り日本人ばかりの空間で食べる雰囲気のほうがいいんだよなぁ」という人もいるだろうが、海外の高級和食料亭のほうが間違いなくチェーン店の寿司屋よりはクオリティが高いだろう。

 

ただ結局のところ「旅行」にしても「食事」にしても消えてなくなる消費にすぎないので、最後には何も残らない。むしろ食事の方がその時美味しいということ以外に残らず、逆に旅行は交通費を払ったとしてもその時の思い出は懐かしくなる。

実際自分も昔行ったところは今も懐かしく、それで懐古できるのならば交通費を払った価値はあったとも思えてくる。今思えば都会に住んでた頃にもう少しいろんなところに行っておくべきだったという後悔もあるので、交通費が無駄だとも言い切れない。

そう考えるとどちらも出費ということには変わらない、いやそれどころか遠くに行った日々は時間が経つほど甘美な物に熟成されてくる。

無駄と言えば無駄、しかし考えてみると価値が無いわけでもない。

価値観というものは曖昧で、その時々によって微妙に違ってくるというのがシンプルな事実だ。

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