負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

お酒を飲むと体力を使って無駄に疲れる

お酒って体力勝負だなと思うのが昨晩飲み過ぎて疲れた時だ。

正直、体力的にも精神的にも疲れるので何のために飲んでいるのかわからなくなる時もある。

間違っても体力を回復させるものでもは無く、元気になったというのは錯覚にすぎない。

ただその錯覚や幻覚に頼らざるを得ないのと、人生には無駄な時間にも意味があると考えることも時として必要だ。

 

お酒というのは持てるエネルギーを瞬間的に全力投入して引き出すようなものであり、体力の上限を増やすものではない。

人間というのはあるものしか出せないわけであり、備蓄してあるガソリン以上の距離は走れない。大排気量で一気に走るか軽自動車で長距離を走るか、刹那的に短距離走を全力で走るか長距離走をじっくり走るかだ。

 

そういうハイテンションな日を過ごすと、酔いが終わる時はどっと疲れたことを実感する。飲んで1人ハイテンションになるといろいろ自分が楽しめる物を探すようになる。ただいよいよ頭がつらくなってきて、疲れるとここら辺が潮時かと諦める。

ネットで自分好みのコンテンツを見るのも疲れて、テレビの録画でもゆっくり消費するかとか読書を静かにするかと思ったらもうその体力が無くなっていることに気付く。

一旦休憩してその後もう一度飲もうとするが、結局寝てしまい夜中に目が覚めて「あの後飲み過ぎなくてよかった」と後から回ってくるアルコールに苦しみながら考える。

 

いつかバーのマスターやバーテンダー、居酒屋の大将みたいなものになりたいという憧れがあるけれども、自分には無理だと気付いた。

なぜなら途中でダウンして去って行って寝込むからだ。

営業時間まで飲まないとか、営業時間の半分ぐらいまでは飲まないということを自分で決めなければ業務を全うすることはできないだろう。

「既に飲んでいる」というパターンが自分の場合多いので、もう少しゆっくり飲むことや量を抑えることを気を付けていかないといけない。

不定期で時々出店し、いたらレアみたいなその超ローカル地域だけの名物店員として気楽にやるぐらいちょうどいいのかもしれない。

 

ただそれでもまだ最近は減らせているほうで、翌日の夕方まで続くような深刻な二日酔いは無くなりつつある。

ラスト1杯やラスト1缶を素直に潔く諦める、これだけでも結構変わってくる。

別に何の義務があるわけでもなく飲まなくても良い物どころか、本来は飲む必要が無い物を飲んでいるわけで、必要が無ければそのまま潔く去ることが大事だ。

 

「もう楽しい時間は続かない」と素直に諦めて、潔く去ることがお酒との上手い付き合い方なのだろう。

終わる時は寂しいが、潮時を理解することも人生には必要である。

日本人の美学として潔さをお酒の世界でも重視することがお酒との上手い付き合い方の一つだ。追加で飲んでも絶対楽しくならない時は「何もしないことが最適解だ」と言い聞かせる。

 

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そして体力の疲労以上に精神的な疲労が最大の問題だ。

自己嫌悪感であったり後悔であったり、そういう負の感情がどっと押し寄せてくる。それまでお酒の酔いで遠ざけていたものがある時急に襲い掛かってくるのだ。

 

こういう時の対処法として、とにかくお酒を飲んだ自分を自分で許すこと、そして明るい未来や楽しいことを想像することが必要になる。

お酒という物を使って明るい事や楽しいことをしていこうというポジティブで前向きなエネルギーを持とうとすることで少しは後悔や自責の念が収まる。

誰もが人生を楽しみたいと思っている、いいじゃないかお酒で楽しんで、そう開き直ることも大事だ。

人間というのは自己肯定感を必要としている、逆に自責の念があると悲しくなりネガティブになる。

自分がお酒を飲むことは何も悪い事ではないんだという自信を持つこと、そして嘘でもいいから明るい未来を思い描くこと、そうでもなければやっていけない。

 

お酒を飲んで後悔しているときにお酒が悪い物だと思っては悲しみが深まるだけだ。

そういう時は美味しいお酒の事を考えると楽になる。

自分が好きなお酒の種類や飲むシチュエーションを想像して「また日は昇る」と言い聞かせると少しは気分が良くなる。陰陽は常に切り替わる。

楽しくない人生をお酒で紛らわすという方向から、お酒で人生を楽しくしようという発想に切り替える。

酔い過ぎてつらい時は「こういう我慢の時間帯もある」とむしろ精神的にタフになるためのメンタルトレーニングの時間だと考える方法もある。

人生山あり谷ありではないけれども、お酒も山あり谷ありだ。