負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

中二病革命小説の執筆計画

自分が最近はまっている「最近のネットからヤバイ奴消えた論」を考えていくうちに一つの創作意欲がわいてきた。

ヤバイ奴がいないならば創作や妄想の中で作り出すべきではないのか、そしてその作品に影響された人が次世代の"ヤバイ奴"になってくれるかもしれないという思いもある。

自分自身が『愛と幻想のファシズム』や『コードギアス反逆のルルーシュ』に影響された立場であり、自分好みの物語を望むのならば結局は自分で作ることの方が早い。

 

『新世紀エヴァンゲリオン』は実際に愛と幻想のファシズムに影響を受けて作られており、おそらくコードギアスの監督やガンダムSEEDの監督も村上龍のその小説を一度は読んだことがある世代だろう。

 

いわゆるゆとり世代や平成生まれのオタクやマニアが触れてきた作品の遠因には愛と幻想のファシズムがある。

その「中二病の聖書」とも言える小説を現代版としてリメイクするような内容でも良いのではないかと考えている。

現段階における構想としては自分をモデルとした人物をナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスに似た役割として登場させ、愛と幻想のファシズムにおける「ゼロ」こと相田剣介のポジションとして考えている。ちょうど芸術家気質でアルコール中毒者の変態がゼロならば、私エルケンは適役だろうと痛い自己投影をしている。

 

そして愛と幻想のファシズムに登場する「フルーツ」と呼ばれるキャラクターが存在するのだが、彼女の配役はHKT48の指原莉乃だと考えている。

ナチスの重要人物として「意志の勝利」に代表されるプロパガンダ映画を制作したレニ・リーフェンシュタールという女性がいるのだが、彼女を指原莉乃に当てはめるというのも面白いと妄想している。

自分は指原莉乃ファンだと公言しており、ネタ的な意味合いでも指原を模した人物を登場させたい。

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問題は政治結社の党首として誰をゲッベルスが支えるかという事なのだが、鈴原冬二の配役に現在悩んでいる。

実はもともと自分が好きな某J事務所のメンバーを考えていたのだが、高校生クイズにおける伝説的な天才「田村正資」でも良いと考え始めている。

実際自分は田村正資が参戦した高校生クイズ大会に参加しており、それゆえにその大会で開成高校チームを率いて優勝した彼に強いカリスマ性を感じている。

アドルフ・ヒトラーの愛人として知られるエヴァ・ブラウン役に付いては、愛と幻想のファシズムで登場していないがAKB48の渡辺麻友も"俺メンバー"として登場させても面白いかもしれない。

自分が好きな人物を作中で描きたいという思いが根底にあり、この作品のテーマ自体が「ゆとり世代による革命」でもある。

ゆとりオールスターのような感覚でいろんな人物を出すことも面白く、引退後の本田圭佑が資金援助などで関わってくる展開も面白い。

 

SS親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーの配役についても現段階では定まっていない。

親衛隊についてはこのオリジナル小説内では某J事務所を意識したような組織にしようと考えているため、長官が美男子だと作品としても映える。『愛と幻想のファシズム』に登場する山岸良治は私設武装組織クロマニヨンのトップであり実質的に親衛隊長官として成長していくことになるが、不良の少年でもあり某J事務所のメンバーならその姿が似合うだろう。

J事務所でデビューできず解雇されたメンバーでもよいが、トップが崩御した後、事務所の勢いがなくなり離脱者が相次いだという設定で最もセクシーなあの男を出しても良いかもしれない。

 

逆に本来ヒムラー役として考えていたのが個人的なプライベートの友人なのだが、彼とは非常に政治議論や文化考察などについて議論する仲であり元々その友人を配役として考えていた。

しかし自分は更に適役が存在することに気付いた、ヘルマン・ゲーリングだ。彼は自分と同様に軍事マニアやガンダムオタクでもあるため空軍のトップや国家元帥を務めたゲーリング役でも面白い。

 

その他のメンバーとしては必ずしもナチス・ドイツの再現というわけではなく、様々なメンバーを登場させたいと思っている。たとえば第二次世界大戦においては満州国の建国に携わった石原莞爾も個人的に好きな歴史上の人物であり登場させたい。

 

また初期の政治活動に携わるメンバーなども充実させたい。

例えば考えているのが東大理3、つまり実質的に日本の最高学府である東京大学医学部に在籍するという設定で考えている。彼が薬物の製造に携わり様々な政敵の暗殺に関与するという展開も面白い。

彼とはインターネットのアングラサイトで知り合ったという設定であり、革命に協力しようとする極左の青年でも良い。

 

愛と幻想のファシズムでは極右も極左も登場するのだが、東大安田講堂事件において三島由紀夫と論争を交わしたような当時の若者をイメージしたい。現代にそのような人物が存在するとは思わないが憧憬も込めてオリジナルキャラクターとして作り上げる計画を練っている。開成田村の友人という設定でも良いが、そもそも自分が彼らとどう出会いタッグを組むのかというストーリーについては現段階では考えていない。

まだ完全に青写真の段階であり、中二病的な妄想でしかないのだ。

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中二病やネットのアングラな部分という意味では、「初カキコども」や「邪気眼」コピペを書いたような人が今どういう生活をしているかは気になる。昔ネットにいたようなこい奴らが集まって革命を計画していくというのが大まかな流れだ。

もう現代においてアングラ掲示板で革命について議論する人々など存在しないのだが、それを再現したようなストーリーにしたい。

今の時代にいないようなコアな奴らというイメージであり、凄い才能があるが引きこもっている人間や芸能界の闇について知っている登場人物なども考えていく予定だ。

 

酒鬼薔薇聖斗という元祖中二病を尊敬する人や、秋葉原加藤を賞賛する人が多かった時代のネットの雰囲気を不謹慎ながら自分は好んでいる。

例えば現在ISISがSNS上でホームグロウンテロリズムという言葉に代表されるように若者をテロに走らせているが、そういう危険人物が大勢いる欧米のネットと、今の日本のネットのあまりにも平和すぎる姿を比較して自分は違和感を抱く。

漠然と感じる「最近のネット面白くないな」という雰囲気を投影したような内容でも面白い。

オタクですらSNSすごーい!と言って仲間意識を感じたいだけの人が増えた現代に一抹の寂寥感を覚える自分がいる。そういったワクワクしなくなったネットから新しい地下革命が始まっていく、そんな中二病的な妄想だ。

 

全体的に問題作とされるような過激なシーンを増やす予定であり、強制収容所の建設や新兵器の開発、結党からの地下活動など中二病全開で書いていきたい。

ナチスの結党が1920年だとすれば、この新しい政治結社の結党は2020年、そして2033年における政権の掌握、その後の世界大戦も含めた"壮大なスケール"で描く。

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ここでまさに生きてくるのが自分のオリジナル武器であり、憲法改正後「日本国防軍」として発足する旧自衛隊の兵器もデザインしていければ面白そうだと考えている。

ドイツ軍が4号戦車やティーガー、パンターを率いて壮大な陸戦を行ったように自分が軍事マニアになった原点に戻り痛い妄想をして戦車戦を描きたい。

 

オリジナル戦車についてはノートの落書きも含めて何度も描いたことがあり、それをデザインすることを楽しみにしてもいる。10式戦車の次の戦車という設定でも面白そうだ。

 

また近未来の兵器として「ドローン」を応用した兵器を考案したいとも考えている。ドローンの軍事利用は非常に効果的だと考えており、ドローンを巨大化させたような新型機動兵器の登場も描きたい。昔は東工大が日本最強のオタクの集まりだと言われていたが、古典的なオタクとして東工大出身者の設計士を描くことも面白そうだ。

オリジナルキャラクターに関してもデザインできる事であり、今の創作意欲は戦略機動伝ガンダムKindよりむしろこの中二病革命小説に向いている自分がいる。

 

2039年に第三次世界大戦が始まり、その後どういった展開にしていくかは漠然と思い描いているがロシア連邦への侵攻を考えている。

まるでサッカー少年が「自分はいつかワールドカップでブラジル代表と対戦する」と思い描いているように自分はロシアと戦争をすることを夢見てきた。

ゲッベルスになった自分が第二次日露戦争において戦意高揚のため総力戦演説を行うという中二病的な妄想もしたことがある。

1936年のベルリンオリンピックはドイツの国威発揚を担い、聖火ランナーが導入されるなど近代五輪における革新的な役割があった。

2036年に行われるという設定の日本ワールドカップは非常に盛大で華麗な大会になり、日本代表が優勝するという設定も面白そうだ。

本田圭佑監督率いる日本代表が躍進し一気にナショナリズムが高揚していくというストーリー展開でも良い。こういった詳細な描写が作品にリアリティをもたらすことを自分は村上龍の『愛と幻想のファシズム』で学んだ。

 

その後水素爆弾の実験を行い核保有国であることを宣言する。

全ては最終戦争に向けた準備であり、核戦争への勝利に対して何ができるかという描写もしていきたいが戦争の勝敗がどうなるかに関してはまだ構想段階であり決めていない。

 

新しい政治結社は基本的に中道右派路線のファシズム政党だが、むしろ極左の勢力を取り込んでいきたいと考えている。

自分はフィデル・カストロのリアリストな側面を高く評価しており、彼は必ずしもチェ・ゲバラが美しく掲げる理想のように左派思想に特化することは無かった。勝てる政治がどうかという視線で考えるカストロと同じように、あくまで日本では右派が勝利しやすいからというだけでしかない。

それゆえに天皇制については維持するが、自分が理想と考える戦前の天皇制ファシズムに回帰するかどうかはまだ決めていない。

ネットの安易な右派思想の媚びたような小説にもしたくないし、そういう作品を作ることが目的ではない。

最近自分は中途半端な右派も左派も嫌いになってきており、新しい政治概念が必要だとも考えている。愛と幻想のファシズムで面白いのが、極左の法律学者の青年と極右の雑誌編集者が共存しているところであり「ディープな奴らが集まってる感」に自分は惹かれている。

 

現代においてもシールズのようなお祭り騒ぎで平和という言葉に酔っているだけの連中は面白くないし、大艦巨砲主義に常駐しているようなネット右翼も浅い人間が多い。

自分はとにかくそういう浅い奴らに対して憎悪の感情を抱いている。

逆にマルクスの『共産党宣言』や『資本論』、レーニンの『国家と革命』や『毛沢東語録』を読み漁っているような左翼や、三島由紀夫や谷崎潤一郎、川端康成の著作を読み込んでいる浪漫派右翼にも共感する。

 

単純にストーリーを表現するならばヤバイ奴らが集まってヤバイ政治や戦争を行うという話なのだが、あまりにも話が大きすぎるため断片的に様々なシーンを少しずつ日々の生活の中で妄想しながら構想していきたい。

創作論として時折その話をここに記すことも良いかもしれない。

ちなみに公表の仕方については同様にこのブログ、そしてピクシブに投稿することを計画している。