負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜけものフレンズは速効でオワコンになったのか

昨今のアニメの消費スピードは非常にハイペースになっており、けものフレンズですら既に話を聞かなくなった。つい最近までネット上で「すごーい!」と話題にされていたけもフレだがあっという間にブームが終息し、もはや見る影もなくオワコンになっている。

 

そしておそらく『けもフレ』がオワコン化しているという事に対して反論すらなく擁護していた人ですら既に飽きて離脱しているだろう。

また涼宮ハルヒの憂鬱やけいおん!、そしてラブライブはもう少しブームが持続する期間が長かったようにも思い、オワコンだという批判に対して一定数以上の信者からの反論があった。

 

しかしけもフレについてはもはやオワコンだという批判もそれに対する反論すらも無い。気づけばブームになっており、いつの間にかそれが終わっていた。けものフレンズに影響されて動物園に行く人が増えたという話題すらもはや完全に過去の事である。

 

始まりすらしなかったレゴランドと、始まって速効終わったけものフレンズ、この2つを見ていると現代におけるブレイクの難しさ、そしてブームの賞味期限の短さを感じる。結局のところインターネットというツールが情報を何もかも加速化させてしまっているのだろう。

「オワコン」という言葉が多用され、すぐにブームの終息感が波及する。その結果瓦解する時は坂を転げ落ちるように速くなる。

逆にラブライブはオワコンと言われつつも、熱心なファンは現存しており「終わる詐欺」の代名詞でもあるガンダムは終わり層で終わらない。

 

空虚なブームというものは終わる時は本当に早く、終わった後に何も残らない。ガンダムやラブライブはいくら終ろうとも未だに好きなファンがおり、その結果商業展開もかつてのペースを持続できないものの続いている。

日本がいくら時代遅れの国になろうが最低限の内需は残されているため、まだ賞味期限は残されているのと同じで寿命が長いコンテンツというのは存在する。

逆に一瞬資源や産物の需要が跳ね上がりそれで成り上がった国というのは終わる時も早い。ガンダムやラブライブが内需体力があり終わったと言われながらも細々と生き残れるコンテンツならば、けものフレンズは本当にただ一瞬ブームだったアニメでしかない。

 

まさにアニメ作品のコミュニケーションツール化、ファストフード店化現象の象徴だろう。つまりけものフレンズは仲間同士で「すごーい!」という共通ワードを使って癒しを求める典型的な消耗品型の日常アニメでしかなかった。

ファストフード店で提供される食品にそれほど意味が無く、一時的な空腹を満たしたり誰かと立ち寄って話をしたりする場所でしかない事と似ており、今やアニメもネット上で架空の仲間と盛り上がるためのものでしかない。

 

そういった批判をしながらも自分自身ハルヒやけいおん!をネットの雰囲気に染まり同化する為だけに見ていた立場であり、現在はこういった萌えアニメ自体に興味が無くなっている。

そのハルヒやけいおん!より消費スピードが速く、もはやアニメがただ単なる集まって話すたの「場所」でしかなくなっている。

そうなってくると何が問題なのかというとあらゆるコンテンツがネット上の盛り上がり重視のコミュニケーションツールとしてしか制作者側が作り出さなくなってしまうという事だ。

製作者側や提供者側がただ単にコミュニケーションの道具として使えるかどうかしか考えなくなってしまう。

 

しかし人間関係においてコミュニケーションというのは重要であり、実はそれ以上の快楽は存在しないとも考えることができる。人間が言葉や文字を開発した経緯というのも円滑なコミュニケーションを進めるためであり、その人間が作り出すコンテンツは全てコミュニケーションに最終的には良くつくようにできている。

ファストフード店に限らず電話やインターネット、通信アプリ、オンライン対戦、その多くが他者とのコミュニケーションを目的にしている。

アニメというのもその道具の一種として現代は適応し、進化してきているという見方もできる。

世の中の流行も本当に内容がある大衆が求めた結果ではなく、その集団やコミュニティ内でのコミュニケーションを円滑にするための道具でしかないケースが多い。そしてそのコミュニケーションという物に何よりも価値があるのだ。実は人間というのは真に内容があるものを求めるタイプよりも、誰かとすることを求めるタイプの人が多い。

 

まさに自分が学生時代は周りと話すためにゲームやカードを買い、ネット上の雰囲気や流行に乗るためにアニメを見ていたタイプの人間に過ぎない。今どれだけ新作のゲームが発売されても興味は持てず、雰囲気の変わったネットの流行にも興味がないためアニメを見ようとも思わない。

きっと今も良いゲームやアニメは探せばあるのだろうが、自分一人でやっていても「あの頃」に仲間たちと楽しんだことには敵わない。コミュニケーション型コンテンツを批判しておきながら、自分自身が何よりも仲間意識を重視していた現実に気付く。

 

けものフレンズは確かに歴史に残らない無名の消耗品でしかないが、そこに生じたコミュニケーションや人間関係には意味があるだろう。

ファストフード店で提供される食品自体に意味はないが、そこで思い出となる話でもすることができればそれは懐かしい光景となる。

内容のあるアニメやコンテンツが少なくなってきていることは事実だが、ある意味人間が最も求めている者に特化するように適応してきているともいえる。

「すごーい!」という言葉でネット上の誰かとコミュニケーションが取れるようになった事自体がけもフレが発明した最大のコンテンツだったのかもしれない。

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