ピクシブで閲覧数が増えていかない最大の理由
ピクシブにイラストを投稿している人ならば誰もが閲覧数の事を気にするだろう。わざわざインターネット上で自分の絵を公開しているのだから客観的な評価を求めていることはすべてのイラスト投稿者に共通することである。
「閲覧数とか評価には興味ない」という人はそもそもネット上で誰かに絵を見せることなどしないだろう。
そんなピクシブで閲覧数が増えていかない最大の理由を結論から述べよう。
「実力のない無名の人間が描いた絵には誰も興味がない」
至極当然の事でありとにかくこのシンプルな事実に行き着く。要は個人の知名度も無ければ絵の実力もなく面白くもない人間が描いたイラストに誰も惹かれないのである。
現状自分もその一人で、正直なところ伸び悩んでいる。
これはイラストの内容にもよるのだが、ここに「オリジナル物」という要素が加わった場合更に見られにくくなる傾向がある。版権物のイラストや同人物のイラストならばまだその方面からの需要があるが、オリジナル物でやっている人はよほど実力があるか特殊な工夫をしているかのどちらかぐらいでしか自分の絵をヒットさせることは難しい。
ただ安心してほしいのが「皆そんなもの」という事である。
自分だけが人気無いと思う必要はなく上と比べたときに見劣るだけで実際の所閲覧数が少ない人は無数にいるのだ。
自分より画力が高く頑張って細部まで描いているのに全然見られてない絵というのは有象無象に存在する。
更に決して需要が無いというわけではない、ただ単に供給が多すぎるだけなのだ。
ピクシブは需要はもちろん大事なのだが、需要のあるジャンルというのは供給も多くなりやすい傾向がある。
更に閲覧数が無いからと言って自分が下手というわけでもなければ自分のやってることに価値が無いわけでもない、つまり自信を失う必要はない。
確かにピクシブの中では下手な部類かもしれないが、別の言い方をすれば周りが上手すぎるのである。
需要が無いのではなく供給が多い、実力が無いわけではなく周りが上手すぎる。
もちろん需要が無い事と実力が無い事はその通りだが、要因はそれだけではない。
それに加えて前述の突出した実力を持たない無名の人間が描いた絵は見られなくて当然という事を考える必要がある。
閲覧数や評価が少ないからといっても、周りも似たようなものであり一部の上手い人と比べても仕方がない。更に無名の個人のオリジナル物が見られないのは当たり前の事であり、供給が多く周りが上手い環境で埋もれるのはむしろ必然なのだ。
閲覧数が伸びない理由はこれだけ揃っているため悲観しすぎることは無い。
ここに2つのイラストがある、自分が描いてピクシブに投稿したものだ。
両方とも同じオリジナルキャラクターを描いており右の方が新しいイラストになる。
自分は以前これまでの画風から変えて新しい需要にマッチするようなイラストを目指したと書いたが、まさにこの試みがこの2つの絵である。
顔だけではなく全身のイラストやポーズをつけたり何かを持たせるという工夫を試みたのだが、結果は惨敗。
正直なところ自分は新しい右の絵の方が閲覧数が増えると思っていた。
銃を持たせてポーズをつければ何か変わるのではないかと期待していたが、特に大きな変化はなかった。ただの立ち絵ではつまらないから何か工夫を加えようとしたのだが特に結果にはつながらなかったのだ。キャラクターのイラストにこれまでやったことが無い武器を持たせるという工夫を加えれば何か変わるだろうと淡い期待をしていたが甘かった。
結局のところオリジナル物の実態というのはこんなものなのである。
自分の中では大きく変わったり頑張ったように見えるものも、他人からすれば微差でしかない。赤の他人の無名の人間のイラストなど少し変わったところでどうでもいい変化に過ぎない。
このブログは創作日記的な側面もあるため自分の中の試行錯誤についても記述していきたいのだが、ここからどうするかということも考えたい。
エジソンの電球開発のエピソードと同じで「失敗ではなく上手く行かない方法が分かった」ともいえる。自分の中でいろいろ試しながら自分が本当に描きたいオリジナル物でどう結果を出すかというトライアンドエラーを繰り返していくしかない。
まず第一の解決策はやはり上手くなるという事であり、これが最大の方法だろう。
結果が出なくとも腐らずとにかく描きつづければ絵の実力自体は上がる、それがいつか花開く時が来る。もっと描けるポーズを増やしていくことや、現状の範囲内でやれることを少しずつ増やしていくしかない。
絵というのはすぐに上手くなるものでもない。
おそらく次描いたとしてもやはり同じように結果は出ないし評価もされないだろう。そして自分でも成長の実感がわかないはずだ。
しかしそういったことを10回続ける、そうすれば自分の中で変化がようやくわかるようになる。そして100回続ければそれは客観的に見たときにもわかる変化となる。
前述の2枚のイラストは自分以外からすれば変わり映えの無い微差でしかない。
圧倒的な変化をもたらすにはあと100回描く必要がある、絵というのはそういう世界なのである。あともう2,3段階実力を上げなければ客観的な評価は目に見えて向上していかないだろう。
またそもそもオリジナル物というのは自分の絵の練習になりさえすればいいという割り切りも必要である。版権物に比べて自由に書きやすいオリジナル物は思う存分に試行錯誤ができる。誰も見てなくてもそれを書いて絵が上手くなったそれはかけがえのない財産でもある。オリジナル物で上手くなってから需要のあるジャンルを書き始めるということもできる。
絵の世界はある意味で自分の探求でもある、とにかく黙々と書き続けるしかない。
上手く行かない方法を1万通り見つけるぐらいの覚悟で何度も失敗することが必要だろう。閲覧数が少ないという客観的な評価やピクシブの構造を受け入れた上で、それでも腐らず続けるかどうかが大事な事なのかもしれない。
エジソンもマイケル・ジョーダンも何度も失敗して、ゴッホやピカソもいきなり評価されたわけじゃない。芸能人やアイドルでもいきなり売れたグループより下積み時代が長い人の方が結局は息が無い。
下積み時代が長ければ長いほど、自分の活動の寿命も長くなるかもしれない。
そう言い聞かせて今の地味な下積み時代を黙々とコツコツとやっていくしかない。